~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
本日の公演は「おとぎの国の裁判員物語」です。客席入り口に用意しておりますイヤホンをおとり下さい。幕間にご案内をさせていただきます。
今は昔、鸚鵡藩のお家騒動に端を発した歴史的な事件がありました。いろいろ事情があって、最近になりこの被告人は4つの罪名で起訴されたのでございます。被告人は犯罪には関わっていないと主張しているらしく、また関連の事件で死刑判決を言い渡された何人もの元被告人たちがこの裁判に証人として出廷するらしいということもあって、ずいぶんと話題になりました。
裁判員裁判が始まります。おとぎの国の首都地方裁判所で、1月8日に裁判員の選任手続が行われました。
裁判員候補者名簿から650人が抽出されました。500人でまかなうはずだったのですが、出頭を断る方々の数がどんどん増え、これでは裁判が始められないかも知れないということになりました。あわてた裁判所は、そこであと150人を追加抽出することにしたのです。合計650人です。日本の神戸地裁で今審理されている尼崎変死事件では、抽出者の数は400人だったそうですから、それより250人も多いことになります。
たった6人の正裁判員と数名の補充裁判員を選ぶのに、650人を候補者名簿から引っ張り出すというのですから、話ははじめから普通ではありませんが、おそらくこの国は財政がたいそう豊かなのでございましょう。
さて、その候補者名簿に書かれていた事情だけで出頭予定者から外された候補者が153人にもなりました。尼崎では、この「いち抜けたぁ」の幸運な人たちの数は118人でしたから、ここからもう数が違います。
地裁は残る497人に呼出状を送りました。さぁ、たいへんです。いっせいに拒絶、拒絶、拒絶の大嵐、いや土管破裂の大洪水。411人という大量の候補者が「にぃ抜けたぁ」と消えてゆきました。497人中の411人は83%です。尼崎ではここで3分の2も抜けたと騒がれたようですが、今回は衝撃的な拒絶率の高さになってしまいました。
残った86人が当日出頭いたしました。650人のうちの86人ということは13%。裁判員裁判史上最低レベルの数字です。しかも、出頭したその場でもさらに23人が辞退を認められたのでございます。尼崎では選任期日当日の辞退決定者は11人でしたから、23人という人数の多さはおわかりいただけると思います。
結局、最終的に残った候補者の人数は63人でした。それは抽出者650人のなんと9.7%。尼崎では400人中の48人、12%が最後に残ったのでしたが、尼崎より審理期間が短いのに最終残留者はついに10%を割り込んでしまいました。しかも尼崎では4人だった補充裁判員がこちらは6人です。いやはやという結果だったのでございます。
この日に先立ち地裁から裁判員候補者に送られてきていた書類がありました。その中には、「呼出状」だの「質問票」だのいろいろな書面が入ったのですが、中でも注意を引いたのは、「裁判員候補者に選ばれた方々へ」と題する書面でした。実際この書面の冒頭に「はじめにお読みください!」とご丁寧なご案内がありました。
そして、その中には、「裁判員候補者になったことを公にしないでください!」という大きなタイトルが太字で描かれ、最後に感嘆符まで付いていたのでございます。お役所が国民に連絡する文書に感嘆符が付くのは珍しいことです。よほど必死なのでしょう。
そこに書かれていた文章の内容は次のとおりです。
●裁判員候補者のプライバシーや生活の平穏を守るため、裁判員候補者になったことを公にすることは法律上禁止されています。「公にする」とは、インターネット等で公表するなど、裁判員候補者になったことを不特定多数の人が知ることのできる状態にすることをいいます。
●休暇を取ったり、相談をしたりするために会社の上司や同僚、家族に話をし、書類を見せることは全く問題ありません。
太字で示したのは、原文がゴチック表示になっているのを表現しようとしたもので、他意はありません。どぎつい印象がいたしますが、文章の中身は難解です。
「不特定多数の人が知ることのできる状態」の意味がよくわかりません。「会社の上司や同僚、家族に話をし、書類を見せることは全く問題がない」と言われますが、「休暇を取ったり、相談をしたりするためなら」と限られ、それ以外の目的だと許されないと言っているようです。「相談」ならよいというのですが、どんな相談でもいいのでしょうか。
「見せることは問題がない」というのはコピーをとるのはいけないという趣旨のように言われそうです。そんな制約などしていないと言われればそのようにも思えますが、とにかくわかりにくく、そぞろ怖さを漂わせた文章です。
この書面を見た候補者の皆さんは、まず「自分に呼出状が送られてきたことは気安く周りに知らせてはいけないことらしい」と思い、「黙っているにこしたことはない」と思うようになります。この制度は公然と話すことがはばかられ、ひそひそ話さなければいけない性質の話ということになります。その書面と一緒に送られてくるのが「呼出状」です。
さて、皆さま。おとぎの国の裁判員裁判の呼出状をご紹介いたしましょう。おとぎの国ですから現実の事件や裁判とは関係ないことをお断りしておきます。
「あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。山ねこ 拝」のはがきは宮沢賢治の『どんぐりと山猫』の冒頭ですが、こちらはとんでもなく高飛車と言うのか、居丈高と申しますのか。まるで短銃を突きつけられているようです。
その短銃を隠すためなのでしょうか、「参加していただく」「お越しいただく」とか物腰だけは変に柔らかくしています。「別紙記載の通りから平成27年4月30日まで、裁判員(または補充裁判員)として」と言葉遣いもおかしいですね。普通は「別紙記載の通り、裁判員(または補充裁判員)として」とか「別紙記載の通り、平成27年1月16日から同年4月30日まで」と表記されるものじゃあないでしょうか。細かなことでございますが。
「正当な理由がなくこの呼出に応じないときは、10万円以下の過料に処せられることがあります」の下には太いアンダーラインが引かれています。文章からはみ出ているので下線ではなく、証明欄との境を示しているように見えます。しかし、過料への強調と取り、衝撃を受ける人が少なくありません。冗談じゃないと怒る人もいますが、恐怖に襲われる人も多いと聞きます。
「とびどぐもたないでくなさい」といかにも申し訳なさそうな山猫とは主客の転倒、天と地の違いでございます。
呼出状の中に「別紙記載の通り」と書かれているのが、裁判員としての参加が予定されている日程になります。その「別紙」は次の内容でございます。
さぁ、お客さま。いかがでしょう。1月16日から4月30日まで、ほぼ休みなしというスケジュール。毎日午前9時30分から午後5時までという予定です。この日程で裁判所に113日間通い続けられるのはどういう人たちなのでしょうか、毎日の公演に追われている私どもには到底想像ができません。
裁判を仕事にしている法曹の皆さんでさえこれだけ1つの事件にかかり切りになるのはたいへんなことだとお聞きします。ましてや一般の市民が、自身の日ごろの仕事を3か月半も投げ打って裁判所に通い詰めることがどうしてできるのか。この間この皆さんたちには、保育園の送り迎えも、確定申告も、年度末や年度初めの多忙も、転勤も配転もないのかしらとつい思ってしまいます。
しかもその間、80日間世界一周のように心を癒す旅行に出かけたりするのではありません。人の生死に関わる事実の判断とかそのことに関わった責任とか、それこそ極限まで神経を張り詰めすり減らす仕事に専念しなければならないのです。そういうことをやってみようというのは常識では考えられないことのように思えるのでございます。
「日本社会にとって大きな事件。審理に参加して被告の動機を知りたかった」という34歳の主婦、「外れて残念」と語った23歳の男性会社員。650人の中には少しはいらっしゃるこういう皆さんによって支えられている裁判員裁判。これが健全で常識的なものと言えるのかどうか、私にはよくわかりません。
はい、私はイヤホンでこんなお話をしているだけでどっと疲れてまいりました。このまま寝込んでしまいそうです。皆さんはいかがでしたでしょうか。それではお帰りにはイヤホンは客席出口でお返し下さり、ご機嫌よろしゅうお元気でお過ごし下さいませ。
投稿:2015年1月12日