~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」02月05日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
千葉で起きた女子学生に対する殺人事件の上告審判決が本年2月4日出ました。
裁判員裁判が下した死刑判決に東京高裁が無期懲役に減刑し、検察、被告双方が上告していたものです。
これに対し、最高裁は双方の上告を棄却しましたが、これによって裁判員裁判が下した死刑判決は破棄されることになりました。
いよいよもって最高裁が裁判員の暴走にストップを掛けたともいえます。
この間、裁判員裁判は暴走に暴走を続けていました。
求刑の1.5倍になる傷害致死事件で最高裁が破棄自判しました。
「裁判員の暴走への歯止めになる? 最高裁 量刑不当を是正」
今回の最高裁の判決は、この流れに沿うものです。
従前、最高裁は懲役刑については、「多少」のデコボコは是認する姿勢を示していました。
裁判官による裁判の場合には、できるだけ同種事案においては同一の刑を科すというのが当然の前提となっており、裁判官は先例をもとに量刑を算定していました。
もちろん、それでも多少のデコボコはありましたが、それでも職業裁判官としてはこのデコボコはあってはならないという姿勢で職務に臨んでいたのです。
少なくともデコボコがあって当然という姿勢ではありません。
そもそも量刑がバラバラでいいなどということ自体が裁判の公平性を疑わせるものであり、暴論そのものなのです。
ところが裁判員裁判が始まるにあたって最高裁は裁判員裁判の尊重を打ち出します。制度の定着を狙っていたことは明らかです。
高裁も被告側の量刑不当という控訴に対しては、裁判員裁判だからという理由で控訴を棄却してきました。
そうこうしているうちに裁判員裁判の下す判決が求刑を超えるようになりました。
当初は、マスコミでも「異例」という形で報じていましたが、そのうち当然のように報道される至っていました。
それが求刑の1.5倍判決を生み出した土壌でした。
それは死刑求刑事件にも及んでいました。
裁判員たちの感想がそれを物語っています。
従来、死刑を選択する基準としては、最高裁判決によって示された永山基準が先例とされていました。
死刑判決の特殊性は、生命刑であり究極の刑罰であるという点です。やむを得ない選択という位置づけなのです。
ところが、裁判員が裁判を終えた後の感想は、「永山基準に従う必要はない」という驚くべきものでした。
「死刑判決の裁判員裁判を尊重するのは大問題」
このような判決が東京高裁で破棄されたのは、むしろ当然のことです。
常識で考えてみて、裁判員裁判だから無条件で尊重しろということが何故、正当化されるなどということはあり得ません。
要は判決内容そのものがなるほどと言えるものでなければならないのは当然のことです。
裁判員は、抽選で偶然に選ばれるだけの存在にすぎません。それぞれの人生観が異なるのです。死刑についても同様に異なるのです。その意味では「均一」の裁判官とは明らかに異なった存在です。
その偶然によって選ばれたただけの裁判員が「死刑」といえば「死刑」というのであれば、法の正義は守られません。
最高裁は、暴走する裁判員の判決に歯止めを掛けたということです。
さて、ネット界では「裁判員制度の存在意義はどこにあるんだ!」という声が聞こえてきそうです。
そう、裁判員制度に存在意義など、最初からなかったのです。
国民にとっては、裁判員という良い社会経験ができるよ、というだけの制度だったのですから。
さっさと廃止してしまった方が良いこと間違いなしです。
投稿:2015年2月18日