~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
おもしろい話題があります。「裁判員経験者ネットワーク」という制度支援団体の話。裁判員制度が始まった翌年の2010年に、裁判員経験者、市民団体、弁護士、カウンセラー、法学研究者などが参加して設立した団体らしい。「裁判員の貴重な体験を市民全体で共有すること」と「裁判員経験者の交流の場を設けて心理的負担の軽減に役立てること」を目的にしているという。
ネットを見ると、陪審論者改メ裁判員論者で知られた四宮啓弁護士の推薦もあって大手保険会社系の団体の研究助成対象に選ばれたって嬉しそうに報告していますね。なるほどというのでしょうか、やっぱりというべきでしょうか。代表世話人は牧野茂さんというこれも弁護士。
裁判官しか体験しないはずの裁判に加わり、高いところから裁判官と一緒に被告人を観察する。みんなで言い渡す判決を決める。普段の生活では絶対に考えられない体験をするのだから、「貴重」でない訳がない。だが、「貴重な体験を市民社会で共有すること」って言うんだから、ここでいう「貴重」には、ただ珍しいというだけじゃなく、ありがたい・大事な・喜ばしい、そんなニュアンスが確実に込められている。そこが基本的にうさんくさい。
「貴重な体験を市民社会で共有すること」って言うけれど、裁判員体験をどうしてみんなが共有しなければいけないのでしょうか。
そう。市民自身が共有しようなんていつから言い出したのかってことよ。
「交流して心理的負担の軽減をはかる」? どうして市民自身がそんなこと考え始めなきゃいけないのさ。何とか負担を軽くしてやることにするっていうのは、やらせたい人たちが考えることです。フツーの人はいやならやらないだけなのよ。「裁判員経験者ネットワーク」のお里が知れるっていうことだね。
前置きが長くなってすみません。それはこの団体が「裁判員体験と心のケア」を研究すると言い出したからです。さっきも言った大手保険会社系の団体がお金を出してくれたらしい。つまりスポンサー付きの研究。
えーっと、なになに。テーマは「裁判員裁判における裁判員の家族にも話せない苦痛の実態と軽減策-親族間の刑事事件の特色を生かした社会的対策-」。
だよね。文章の作りが基本的にへんちくりんだからさ。「裁判員裁判における」という言葉と「裁判員の」という言葉と「家族にも話せない」という3つの句が並んで「苦痛」に係り、その「苦痛の」が「実態」に係って、それと「軽減策」が並ぶんだよ、おそらくね。
「裁判員裁判における裁判員」と続くんじゃない。そして「話せない」の主語はおそらく裁判員。突然の「軽減策」、これは何を軽減するのでしょうねぇ。
副題の「親族間の刑事事件の特色を生かした社会的対策」がもっとわからないっす。
ごめん、こりゃインコにもわからん。「親族間の刑事事件の特色」も「特色を生かした社会的対策」も何を言いたいのか。出来の悪い卒論のタイトルみたいだ。
そう。おもしろいのはこの団体が、研究の資料に使うんだと言って、昨年12月に「裁判員体験者に対するアンケート調査」の実施を発表したということさ。
アンケート調査と言えば、裁判所が裁判員裁判の終了直後に裁判員経験者に書かせるアンケート結果がありますね。最高裁が2012年12月に発表した「裁判員裁判実施状況の検証報告書」中にはそのことに関する報告があります。アンケートは2万1000通に達したと。そして「よい経験と感じた」という意見が95.4%を占めているとも書かれています。
この「裁判員滅法大好評」論はその後最高裁や推進勢力の間で常に引用され、彼らの守り神みたいな存在になったが、そのあほくさいリアリティー欠如は笑い話のネタとしてもあちこちで使われた。
で、ネットワークに話を戻しましょう。代表の牧野弁護士は、『週刊法律新聞』(15年1月9日)に次のように書いています。「急性ストレス障害裁判員の国賠訴訟で、地裁は急性ストレス障害と裁判員の職務の因果関係を認めるという注目すべき判決を言い渡した。この訴訟提起は裁判所に衝撃を与えたようで、裁判所は『残酷な証拠の制限』『選任時の説明』『審理中の配慮』など一定の改善に踏み切った。」
だからこのアンケート調査は時宜を得た取り組みだという。ということは、最高裁の2万人調査は実情を正確に把握していないという立場に立つのだろうか。
「最高裁のアンケートも網羅的な質問表に過ぎず、こころの負担に重点をおくアンケートにはなっていない」とか「審理直後は高揚して充実感があるが、次第に重い心の負担を感じ(るようになっ)た例もある」などのコメントがあります。
最高裁のアンケートはこの団体からも高く評価されていないようにうかがえます。それにしても「審理直後は高揚している」は傑作。本当は裁判所の職員が監視しているところで書かせてるんですけどね。
下手なことを書いたら日当に響くんじゃないかとか思ったりして…。
「身内」からの異論も出るでしょう。なんてったって「怒濤の感動」と言われて、そうかそうかとついて行く方がおかしいですもの。今年1月末を回答期限にして、2~3月に研究、そして4月頃に公開シンポで発表という段取りだと言われてましたけど。
それがまったくうまくいっていない。反応がひどく悪い。1月末の締め切りは早々と延期。3月はじめに3月末日にまた延ばしたけれど、果たしてどうなるものやら。公開シンポは4月19日、タイトルは「裁判員の体験とこころのケア」とされているが、「アンケート結果に基づく研究報告」はできるのだろうか。出来の悪い卒論風にならないことを祈ろう。
さて、この不評、あら失礼、「反響の低さ」は何を意味するのでしょう。すばらしい体験で満足しきっているのに、「こころは傷ついてないか」などと気色の悪い質問をするなとご不満なのでしょうか。
それはないよ。実際を言えば、「思い出したくもない」「聞かれるだけでも傷は深くなる」「もうやめてほしい」「わずらわしい」というような思いがほとんどの裁判員経験者の心境と思うな。ネットワークの人たちはそのことが分かっていない。
ネットワークの皆さんが裁判員経験者のことを気遣われる思いは多としましょう。でもそのご心配はずれまくりの善意です。85%の市民がやりたくないと言っているこの制度をなんとしてもやり抜こうとすれば、「こころの傷は覚悟」というのが裁判所のホンネです。それは福島地裁がAさんの請求を棄却したことですべてが明らかです。
こころを傷つけなければ裁判が傷つきます。残酷な写真もそれが真実。写真を見ないで判決を出してよいことになれば、今度は裁判の方が崩壊します。
いや、もう崩壊しかかっています。あちら立てればこちらが立たずです。
マネ:もう騒乱状態ですね。そう沖のカモメに潮どきを聞く時がきたのですよ、はっきり言って。
インコ:無理無理ヘンなことを考え出すより、「みんなが嫌がることはやらせないことにすればこころは傷つかない」という単純な結論に到達した方がいいってこと。
やーれん節
やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん
いつ廃止にするかと インコに問えば
わたしゃいますぐ 猶予はならぬ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ
やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん
廃止のインコに 潮どき問えば
いますぐ廃止と 最高裁にいえ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ
やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん
度胸試しなら 死体の写真
どんと衝撃で PTSD チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ
やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん
困る最高裁 インコの唄で
暗黒司法に 光がさすよ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ
投稿:2015年3月20日