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大法廷判決を通して裁判員制度を再び考える

筆者ご紹介:昨年9月に「死刑判決に関わった裁判員たちを解剖する」のタイトルで投稿をいただいた方です。                                                         

東京・大学非常勤講師

カレンダー・6月西野喜一氏の著書『さらば、裁判員制度』の書評を興味深く読んだ。西野氏の切り込みの鋭さは定評があるが、あらためてそのことを感じさせられた。研究者間の真剣な学術上の論戦が少なくなっている。研究者の闘論とはこういうものだと思わされる場面が少なくなかった。

本書の読者の1人として、私も一言述べさせていただく。

多くの国民からこれほど不信を買っているのにその事実を絶対に認めず定着だの安定だのと言い募るものの言い方には、市民生活の経済が良い方向に少しも向かっていないのに良くなっているとか良くなっていくとか強弁するアベノミクス論者の言に通じるものがある。両者は妙に近似している。アベノミクスがはじけ散るのと同じように裁判員制度もはじけ散るのではないかと思わせる。

裁判員制度に関する西野氏の見解,特に先の(下篇)を中心に、若干の所感を述べたい。

まず、この最高裁合憲判決が果たした裁判員制度の定着への効果もしくは影響である。補足意見を完全に排した断固たる判決の体裁が象徴するように、合憲判決にかけた最高裁の思い入れには格別のものがあったと私も思う。しかし、それにもかかわらずこの判決は、制度の定着を促進するどころか制度に距離を置く国民を決定的に増やす根拠を提供したと思うのである。

私がそう考える理由は、裁判への参加を国民の義務とする仕組み(裁判員法第112条一号)を説明するくだりの中に、この義務は参政権にも類するものだという解説を加えたことにある。判旨は次のように言っていた。「裁判員の職務等は,司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり,これを『苦役』ということは必ずしも適切ではない」。0808650

民主主義を国是とする国家においては、司法への国民参加は国民が自らの問題として自発的・意欲的に取り組む課題になり得ると言っているようだ。しかし、参政権同類論は理屈として通らないだろう。なぜなら子女に教育を受けさせる義務(憲法第26条2項)も、勤労の義務(第27条1項)も、納税の義務(第30条)も、おそらく国民が自発的・意欲的に対処することを期待しつつ、国民の義務として規定しているものだからである。権利だとか権利のようなものだと言ってみたところで、その義務性(強制性)は打ち消されない。にこにこ納税して下さいと言っているだけのことだ。

憲法が禁止する苦役に当たらないという最高裁の論は当事者が主張していないのに恣に展開されたものであったという話には正直驚いた。だが、ここでは参政権同類論を特に取り上げて考えてみたい。

権利のようなものならなるほど苦役ではないかも知れない。居住・移転の自由も職業選択の自由も、その気がなければ享受しなければよい。国民は居住場所についても職業についても自身の思うままに実行することができ、国家はその行動に容喙できない。080863011

投票したくなければ有権者は家族に葬式がなくても、別用がなくても投票に行かない。その行動は社会的に論難されることにはなっても処罰されるものではない。大法廷判決は、裁判員参加はそれに類したものという理解を強調し、参政権に対応するのと同じような有権者の対応をあらためて導き出した。裁判員はやりたくなければやらなくてよく、裁判員は強制されるものではないという受け止め方が大きく広がる根拠が示されたのである。

参政権も今や国民から高い評価が与えられていない。各種の選挙の投票率は軒並み低下の傾向にある。参政権同類論は裁判員法の立法段階からくり返し言われてきたことなのだが、裁判員裁判への参加者が激減し、加えて参政権の行使者も漸減の傾向を示している現在、敢えてそのように言うことは、今まで以上に裁判員としての参加を減らすことに強く結びつく。

西野氏は、この判決によって最高裁は、全国の裁判官に以後裁判員裁判はやりたい者だけでやればよく、やりたくない者を強いて裁判所に引っ張り込むなと知らせたのだと推定する。私はそこまではわからないが、この判決がもたらした効果は裁判員参加者のいっそうの減少であったことは明らかだと考える。実際、この判決の後、裁判員参加の減少に歯止めがかからなかったどころか、いっそうの減少傾向を示すことになった。080865021

国民を年齢・境遇・階層・思想などに偏りなく参加させるには、有権者を平均的に参加させる一律の義務づけが欠かせないというのが立法時の政府答弁だった。多くの国民が出頭を拒絶し、平均的参加の基盤が崩壊しているとすれば、制度の定着など期待すべくもない。西野氏の言うように、裁判員裁判はやりたい者だけにやらせることにしたのだとすれば、それだけで裁判員制度にかけた国のもくろみは失敗したことになる。

もう一つ私の感想を述べたい。西野氏は、国民を国家目的に動員する制度として歓迎するとあからさまに主張する「国家主義者」の言を取り上げて厳しく批判している。どこぞの国立大学の名誉教授だというこの「国家主義者」氏は、裁判員の仕事は兵役に就くよりずっと軽く、覚悟を国民に求める裁判員制度を国民が受け入れることは国家と国民の関係を望ましい方向に変化させ、国家は必要な場合には命をかけて闘うことを国民に要求するのがその本質だと言っているという。

裁判員は証拠の全部に目を通す必要がない、当事者が要約した「ポイント」で判断すればよい、裁判員制度は国民の国家に対する意識変革のためにある、などと断じるこの人物の見解について、西野氏は、審議会はこのような理由で裁判員制度を提案したのではなく、国会もこのような理由で立法したのではないと述べる。0808640

「国家主義者」氏の刑事訴訟観に対する西野氏の強い違和感に共鳴しつつ思うのは、しかし裁判員制度の根底にある思想を考えると、審議会や国会や最高裁などの中に「国家主義者」氏の思想に相通じるものを感じない訳にいかないということだ。

公判前整理手続きにまったく関与できない裁判員は、証拠の全部に目を通す必要がないと言われているのと同じであるし、公判審理の中で見たくない証拠は見なくて良いなどと言われたり、捜査官がまとめた「ポイント」要約書面で判断するというのは、それこそ裁判員裁判の現実そのものだ。

私の疑問は司法制度改革審議会の姿勢に行き着く。審議会が政府に提出した意見書は、国民の司法参加の理由付けとして、「自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている」「司法の分野においても、国民が、自立性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多用な形で参加することが期待される」という主張を明確に掲げていた。

「自らのうちに公共意識を醸成する」とは、国民は世の中のために尽くす気持ちを自らはぐくむということだ。「公共的事柄に対する能動的姿勢を強める」とは、進んで裁判員になりたいと思うように努めるということだ。「求められている」とは、言うまでもなく国が国民に求めているということだ。

意見書は、その冒頭で、「本意見書は、内閣に対する意見であると同時に、国民各位に対して当審議会が送るメッセージでもある」とわざわざ述べていた。異様な高ぶりを感じさせる答申である。兵役よりは軽い負担だと言わなかっただけで、裁判員制度の構想の基底には、公共に服務する国民を育成するという強い国家主義的な目的意識が伏在していたことは明らかと言うべきではないか。0808650

西野氏は、2002年に、竹崎博允最高裁事務総長(当時) が、「今後、刑事裁判には被害者サイドの声がさらに強まり、被告人の利益との調整はこれまで以上に深刻になる。キャリア裁判官の詳細な判決だけで国民の信をつなぎとめていけるか」というような内容の非公開の覚書をまとめたと紹介している。02年と言えば、審議会が政府に意見書を出した翌年である。

この覚書は、主に被害者の声の高まりに触れたもので、正面から裁判員制度の意味や位置づけを論じたものではない。私は、竹崎事務総長がこのような見解を表明した背後には、最高裁が裁判員制度に対する明確な賛意表明の決断があると推測している。竹崎事務総長はその前提に立ち、制度実施に伴う配慮事項の1つとしてこのような考え方を示したのであろう。

陪審員不信の最高裁はどこで、また、なぜ裁判員制度推進の立場に立つことにしたのか。西野氏は、「予算上の配慮」や「国民への責任転嫁」や「裁判所の手抜き」や「刑事裁判官の奪権」など諸説を示した。氏の見解は明示されていない。私は率直に言ってこれらの理由付けにはいずれも納得しなかった(そういうことも付随的にはあるかもしれないという程度では理解できたが)。

私見を言えば、審議会が01年6月に政府に意見書を提出する前に、最高裁は司法が国民統制や国家の危機管理役を果たすことを決断したと考えるのが最も合理的だと思う(審議会が裁判員制度を審議したのは01年初頭の時期であり、この時期竹崎氏は最高裁経理局長だった)。080863011

西野氏は、制度発足直後の04年7月、最高裁の「裁判員制度広報に関する懇談会」の第1回会議の場で、最高裁刑事局課長が「裁判所はこの制度自体を当初から支持し、賛成してきた」と発言したことを上げて、「それまでの経緯からすれば信じられないようなこと」と述べている。「それまでの経緯」とは、陪審制に激しく反論していた00年9月当時の審議会での最高裁の発言などを指すのであろう。

しかし、私は、もともと国民(=陪審員)の審判能力に強く疑問を呈してきた最高裁が、審議会に裁判員制度論が登場した01年初頭以降、その種の批判をまったくしなくなったことを重視したい。変節の時は正にこの時期であり、その意味では刑事局課長が「裁判所はこの制度を当初から支持・賛成してきた」と言ったというのはあながち間違っていないように思える。

裁判というものはもろもろの争いごとに裁判官(裁判所)が最後の結論を出すものであり、裁判所はその意味で本来はあまり表に出てこない「奥の院」と言ってもよい存在である。この国の近現代史を振り返ると、司法が社会統治の最前面に躍り出た時というのは体制が危機に直面した時に限られている(近いところで言えば、砂川判決の際の田中耕太郎最高裁長官の動きが好例だ)。080865021

審議会意見書は、「我が国が直面する困難な状況の中で、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の一連の諸改革の『最後のかなめ』」が司法改革だと位置づけていた。「国難の下の最後のかなめ」の役割を司法に担わせることを明確に予定していたのである。そして最高裁はこれを受けとめた。司法改革も裁判員制度も、国難を意識した並々ならぬ国家的で政治的な一大決断だったのではないかと私は考える。

私は、裁判員制度は、国の経済が破綻し、その結果国民統治が破綻ぎりぎりの局面に追い詰められた結果登場した「政治司法」の産物以外のものではないように思う。裁判員制度は「司法の混乱が生んだろくでもない制度」というよりは、「悪らつ極まる国策」として登場したものという評価の方が確実にしっくりくる。

裁判員制度をめぐる問題の根源を考える機会を与えて貰ったことを西野氏に感謝しつつ、所感を述べさせていただいた。

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投稿:2015年5月15日