~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」11月03日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
福島地方裁判所で行われた裁判員裁判で、残虐な遺体の写真をみた女性がPTSDを発症し、国賠訴訟を提起した件で、一審棄却に対する控訴審裁判の判決が10月29日にありました。
控訴棄却、つまり国賠請求は棄却されました。
原審では憲法違反のみの主張でしたが、控訴審では個々の裁判官、検察官の訴訟行為自体の過失を問題にし、その点の判断が示されました。
その骨子は、遺体写真の提示などについては「裁判員の心理的負担軽減のための工夫が求められる」としながらも「立証に必要な証拠で、検察官・裁判官の権限行使に相当性があった」と判断し、国に落ち度(過失)はなかったとしました。
検察官や裁判官の訴訟行為に相当性があったというのですが、それならば現在、裁判員裁判で横行している白黒化やイラスト化はどのように説明するのでしょうか。本来であれば相当性はあるのに裁判員が卒倒したり、やりたくないとどんどん辞退してしまうからやむなく、そうしてやっているだけだと説明するのでしょうか。
他方で、高裁判決は、辞退できるから合憲としました。国側の主張をそのまま認めただけでの判決です。
しかし、そもそも遺体の写真について見る必要があると強調していたのが最高裁です。
「裁判員に遺体の写真を見せるべき? 当然、見るべきものです 見るべきでないというのであれば制度の廃止こそ筋」 このようにQ&Aで述べていたにも関わらず、いつの間にか改変されていたのです。
しかも遺体写真を見たくないという理由で「辞退」を認めるようになったのは、このPTSD発症に対する国賠訴訟が提起され、マスコミによって大々的に報じられた後です。
控訴審判決は、明らかに裁判員制度という国策を擁護するための不当判決です。
ところで、この国賠訴訟で問題になった遺体の写真などを見なければならない、これこそ裁判員制度の問題点です。
最初に想定されていたのは、あくまで義務として見るということでした。これは裁判員制度を国民の教育の場として制度設計がなされているからです。
国民の側から遺体の写真を見たいなどと言ったことはありません。裁判員制度が国民からの求めで導入された制度ではないことがよくわかります。
国民に遺体の写真を見てでも耐えよというのが制度の目的だったのですが(だから義務として規程さているのです)、今やそれが全く不可能となり、辞退を広く認めるようになった結果、「辞退」(拒否)率も上昇していくばかりです。遺体の写真を見たくないと言っているのに、裁判所が辞退を認めなければ「合憲」とする根拠が失われてしまいます。
「現在、裁判員「辞退」が日々、増加中! 焦る最高裁長官寺田氏の最後のお願い」
「辞退」(拒否)率の上昇だけでなく、そればかりか最高裁が毎年行っている意識調査でも平成26年度でも「参加したい・参加してもよい」は過去最低を更新し、逆に「あまり参加したくない・義務でも参加したくない」は過去最高を更新しました。
裁判員制度の実態が知られるにつれて、国民が拒否するのは必然でした。
裁判員制度はいよいよ国民に見限られたということでもあります。
国民に受け入れられなかったような裁判員制度は廃止しかありません。
投稿:2015年11月4日