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連続講座第5回「裁判員は神様 神様に負担をかけるな」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第5回

神様扱いの裁判員246410d

「裁判員は神聖にして冒すべからず」で、本当にすごいのです。マスコミにとっても触れてはいけない聖域として扱われています。

 裁判員に接触した『読売新聞』が自己批判しましたけれど、報道機関も裁判員に接触しちゃいけないとなっているんですね。裁判官には接触して良いんです。本来、「報道の自由」といったものが、民主主義社会を支える根底だった訳ですね。報道の自由は、国民の知る権利に答えるもので、情報提供することが、有権者として判断することに不可欠だという大前提があるから、マスコミには取材や報道の自由があると、裁判官だって取材の対象としてきた訳です。ところが、裁判員にはダメと。冒してはならない神聖な領域なんです。やっちゃった『読売新聞』は、直ちに自己批判です。こういった状況が生まれている。

 後、象徴的だったのが、「裁判員に話しかけた弁護人」。これは喫煙所だったらしいのですが、弁護人が休廷時間中にタバコを吸っていたら、壇上にいた裁判員もそこにいて話をしたことが、「裁判員と接触したことになる」として、措置請求されました(会場「えー」)。

 でもね、喫煙所にいて話したことだけで、裁判の公正が疑われるとは。こうなってくると、裁判員に対し奉りですよね。規制でがんじがらめの中でやっていく。

 ここまで守られてしまうと、裁判員ってなんだろうってことになりますよね。

 本来、裁判員というのは、どういう立場かというと、国家から任命されて裁判に関わるのですから、国家権力を行使する立場です。ですから、裁判官と同様に批判の対象、国民、有権者がその権力行使に関して批判の対象としなければならないのです。ところが、その批判を許さない。246410b

 これは、権力行使に対する口封じ、権力批判を許さないということと同じことです。それを、裁判員を守るためと称して、一切の批判を許さない。

 マスコミの報道の中でも、裁判員に対する批判というのは見たことがないですよね。あるとすれば、例えば、被告人を怒鳴りつけた裁判員に対して、「それはおかしい」というのはあったかも知れません。突出したものに対しては、「これはどうなんだろう」という論調はありましたが、それ以外の、裁判員に対する批判というのは見たことがない。批判の対象としない。

 本来ならば、実名批判で構わない訳ですよ。権力を行使している立場なんですから。国家権力の一員として、死刑判決を下したというのであれば、誰が、どういう責任において下したのかというのは明らかにするのは当然です。判決文にも書かれなければいけないはすです。それが書かれない。極めて無責任な制度ということです。しかし、無責任だという指摘をマスコミがすることはないんです。286731a

裁判員には負担をかけるな

 このような中で、「裁判員には負担をかけてはいけない」というのが第一義的に出てくるのです。
裁判の前に、公判前整理手続きがあります。この手続きは非公開で、中でなにやっているのか分からないというか、何をやっていてもばれません。そこに出席していた被告人への取材した結果が報道されました。「公判前整理手続きで、裁判官が『裁判員の負担にならないように』と頻繁に発言していた」と。要するに、あの証人を調べてほしい、あの証拠も調べてほしい、といろいろやっていたら、裁判官から「期間が延びちゃう。そうなったら裁判員の負担になる。いろいろ調べると、裁判員の負担になるから止めてください」と。

 まったく、誰のための手続きなんだという問題になると思います。

 こういったことが垣間見えてくると、誰のための何のための裁判かということがよく見えてくる。そういう意味では、よく報じてくれました。あともう一歩欲しいなとは思いますが。

 このように裁判員に負担にならないように、負担にならないようにということが、非常に大きいんですね。

  もう一つ、負担で疑問に思うことは、鑑定なんですね。遺体があって、どういう死因なのか、鑑定人が鑑定を行って鑑定報告書が出る。裁判所が、「鑑定報告書をそのまま文書で出されると、裁判員には分かりません」と言うんです。ですから、わざわざ、法廷へ鑑定人に来てもらって、鑑定人に対する尋問という形でやらせた。すごいですよ。鑑定人に約5時間。被告人質問も聞かせてということですから、鑑定人に対しては膨大な負担が掛かるんですね。

 「鑑定人は、裁判員裁判になったら、鑑定書を提出するだけでなく、出廷しての説明が必要となり、裁判所に通う回数も増えた」ということで、すごい負担が増えている。335733b

 他方で、皆さん、ご承知のとおり、鑑定人不足ということが報じられています。「第二の埼玉・鳥取不審死事件が見過ごされる解剖医、深刻な不足状態」と。ある県では大学病院から鑑定医がいなくなってしまったということがあるのに、鑑定医に過剰な負担を強いている。

 これ、合わせて読めば、こんな無駄なことをやめれば良いというだけのことです。ところが、鑑定人が出廷することを「立派だ、立派だ」と持ち上げ、他方で「解剖医が不足している」と。合わせて考えりゃ、裁判員裁判を止めれば良いだけのことです。

 はっきり言って、解剖医になっていただくというのは、なんとも言えない、なんとも言えないというのは、あの医学部を目指して医者になろうという人たちの中に、最初から解剖医を目指すという人はあまりいない。大抵は、病気を治してあげたいという気持ちでお医者さんになっていく中で、どうしても必要な分野、不可欠な分野としてある訳で、そういった分野に行ってくれるだけで、素晴らしいなと思うんです。それをそのような処遇をしていたら、いなくなってしまうのは当たり前だと思います。不足しているって、普段の仕事以上のものをさせられちゃう訳ですからね。

 さらに、裁判で、鑑定医がいろいろ質問されて、「もう一度、説明するんですか。いい加減にしてください」と苛立ちを見せる場面もあったと。やはり、イライラしますよね(笑)。
そういうのも良く報道してくれたなと思います。

パンチインコ一言:
裁判員や被告人、弁護人の問題は考えていたが、鑑定医の問題までは気が回っていなかった(反省)。言われてみれば、本来の仕事でないところ=裁判劇に出演させられる、という負担はかなりのもの。
それにしても、「裁判員に対する批判を許さないことは、権力行使に対する口封じ、権力批判を許さないというのと同じこと」ということは、行き着く先は「すべての権力批判を許さない」ということになる。マスコミの現状はすでにそうなっていると言って良い。日弁連は、今後もこのまま追随していくのか。その分岐点に今、立っている。 

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投稿:2016年1月31日

連続講座第4回 「最高裁のインチキでも辞退は止まらず!」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第4回 

最高裁のインチキでも辞退は止まらず!304555

 「裁判員を絶賛するマスコミと自己矛盾に陥ったマスコミ」ということですが、裁判員制度に対する国民の拒否というのは並大抵のものではありません。

 8割出頭といわれましたけれども、年々減ってきて、いまや、最新の数字では、事前に認められた辞退率が、平成26年で64.4%、平成27年度(速報値)で64.8%と、7割近くが事前に辞退を認められるようになっています。着実に辞退が増えています。私たちの期待通りに(笑)。こんな制度が国民の中に受け入れられるはずがないといってきたことがそのまま数字となって表れています。

 ですから、現実の出頭率も着実に減っています。平成26年26.7%、平成27年25.4%、4人に1人しか裁判所に来ない。平成21年には一応、40%を確保していた訳ですから、減るところ、止まるところを知らないというくらいの下げ幅ですね。

滑稽だったのは、11月12日に発送された裁判員候補者名簿搭載通知に、最高裁長官が自分の顔写真をくっ付けたお願い文書を同封すると。ここまで来ちゃったということは、危機的な状況にあるということを、最高裁もはっきり認識しているということなんですね。でも、自分の顔写真くっ付けてどういうつもりなんだろ(笑)と思いますけどね。339527

 最高裁は、「出席」なんて書いていますが、法律用語ではありません。裁判員法には「出頭しなければならない」と書いてあるけれど、「出席しなければならない」とは書いていないのです。

 それにも関わらず、「出席」という言葉を使っているのは、もうお分かりのとおり、「出頭」なんて書いたらイメージが悪いからです。「出頭」というと命じられているのかとなりますが、「出席」というと自分の意思で参加しているようなイメージがあるという、もう誤魔化しそのものです。
 マスコミ自体が、ここを指摘するということはまずないですね。マスコミも「出席」という言葉を使います。

 ほんとに最高裁はずるいんですよ。少し話がずれますが、弁護士、裁判官、検察官になるためには司法修習を終えなければならないのですが、「司法修習をしゅうりょうする」と言った時、「しゅうりょう」はどんな字を書くと思いますか。終了、修了。(会場から「修める」の声)。修了、修めると思うでしょう。違うんですよ。

 日弁連は、終わるという字を書くんです。終わると了。では、なぜ修めるではないのか。日弁連に確認したら、「法文上は、終えると書いてあるので、終了を書いています。これが正式な見解です」という回答でした。

  法務省に確認しました。司法制度改革顧問会議でしたか推進会議でしたか、正式名称をちょっと忘れましたが、提出された文書には「終了」という字が書いてありました。法務省の見解はどうなのかと聞いたら、「うちは、所管でないのでお答えできません」。司法修習の所管は最高裁なんですよね。ですから、法務省では答えられないと。

 最高裁はどう答えたか。「終わるか修めるか、どちらですか」。すると最高裁は、「法文上にないので正式回答はできません」(笑)。法文上は「司法修習を終えた者」と書いてあるんですね。「終えたとは書いてあるが、『しゅうりょう』については書いていないので、お答えできません」ということなんです。

 この最高裁の立場に立つと、法文に書いていないものを、なぜ、公のものに書くのだということになります。「出頭」とあるのに、「出席」と置き換えるのかと。こういうインチキをやっているのが最高裁で、それを指摘しないのがマスコミということになります。

1-e1397901276348インコ一言:出頭を出席と言いくるめようったって民は踊らじ。なんたって、裁判員やって病気になったら「辞退できるのにしなかったあなたの自己責任」なんだから。そして、2015年11月末で出頭率はめでたく24.9%。拒否は止まるところ知らず

案内板と足跡右

投稿:2016年1月30日

連続講座第3回 「おかしいぞ!日弁連」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第3回

日弁連のおかしさ-その1246410d

 以前、裁判員制度を推進するために弁護士会、これは、まさに「おかしいぞ!日弁連」です。どこの弁護士会もそうでした。裁判員制度が導入されたとき、これを円滑運用するために、弁護士会自体が、裁判所と法務省、法務省というか検察庁ですね、そこが3者が一体となって、駅前でビラを撒いたり、ティッシュを配ったりとか、もう本当に、権力の一翼を担っているんじゃないかと思われるくらいのことを、弁護士会が行っていった。まさに「おかしい」んです。

 施行前、集会で、会場から「義務で出頭するのは、おかしいでしょう」という質問が出たとき、弁護士がなんと答えたかというと、「投票だって義務だ」と。いや、投票、義務じゃないですよね。権利であって、あれは放棄したって別に何のお咎めもない。私たちが有権者として責任を感じて、どう行使するかという問題は当然あります。しかし、義務じゃない。裁判員制度のように、出頭を拒否したら、建前上は過料という制裁が加えられることになっていますが、選挙を拒否しても投票に行かなくても、何のお咎めもない。あくまでも、私たちにとっては権利ですから。

 それを、「義務だ」という言い方で、しかもそれを弁護士が言うかと。ちょっと、これは誤魔化しレベルでは言えないことをやってきたということです。335733b

 この中で言えることは、裁判自体が変わっちゃったということです。本来、私たちが裁判に関わるというのは、公開裁判の中で、権力がどのように行使されているのかということを監視することに、主権者として私たちの役割があった。その典型例が何かといいますと、元々、裁判の公開でなるほど、これこそが権力の監視、裁判監視の意義だと感じられたのが、松川裁判です。戦後、混乱期に組合などを弾圧するために行われた謀略事件で、組合員を逮捕して死刑判決を下していく。これに対して、全国的に批判運動が起こり、私たちが裁判の流れ、行われ方を監視してきた結果、最高裁で逆転した。

 それを裁判員制度は逆にしてしまった訳です。例えば、これ自体は裁判員裁判ではなかったですけれども、名古屋で起きた闇サイト事件。3人による30歳の女性への強盗殺人。サイトで知り合っただけで、意気投合したのか、強盗殺人を実行してしまう。これ自体は、はっきり言ってひどい事件ということになるんですけれども、これに対する国民の関わり方が何だったのかというと、「遺族が陳情書、極刑を求める署名33万人」。権力の行使を促す方向に動いている訳ですね。これが被害者参加と合い重なると、国民参加って、一体なんだろうという方向に、まったく変わってしまったということが、良く分かると思います。

 光市事件だって同じです。あれも「極刑を求める」という世論の中で、最高裁までが、従来の流れを覆して、破棄して高裁に差し戻した。まさに、「市民参加」というものが、ああいう形で結集していくことの恐ろしさが如実に現れ、裁判員制度によって、より実現されていこうとしているのです。

 そのあたりは、また、後で触れますけれども、マスコミの果たす役割というのが、非常に大きかったということになる訳です。246410c

日弁連のおかしさ-その2

 始まる前からわかっていたことがあります。裁判員制度が実施される直前、マスコミ各社が行った世論調査があります。これを見てもわかるとおり、当時から圧倒的国民はやりたくなかったんです。ところが、マスコミはどう考えていたかというと、「これは宣伝不足である。きちんと、最高裁、日弁連、法務省は宣伝するように」とはっぱをかけていたんです。説明して、国民にわかってもらえば、参加するはずだ。そういう発想でマスコミは論調を展開しました。

 でも、実際にやってみたら、出頭率はどんどん下がる一方。マスコミが以前、言っていたことと大きく矛盾を孕むことになってしまいました。

 これだけ、最初から嫌われていた制度というのは珍しいんじゃないですかね。286731a

 でも、ここでまた、日弁連が一役買ったのです。

 制度実施の前年8月、「国民に受け入れられていない」ということで、野党の中から「制度の実施を延期すべきである」という意見が出されました。共産党、社民党、国民新党、そして民主党の中でも「検証すべき」という声が出て来ました。当時は、自民党政権でした。

 そういった、延期の発表が行われたということに対して、危機感を持ったのが日弁連執行部です。直ちに「延期すべきでない」という声明を出しました。なんでこんなことになるのかな。

 「自分たちが権力の片棒を担いだ」というのが、当時の日弁連の姿です。今もあまり変わらないと思いますけれども。

 当時、国民が嫌がっていたにも関わらず、そして野党からも疑問の声が上がってきていたにも関わらず、たちどころに「延期なんかすべきじゃない」という声明を出し、マスコミは当然のようにそれに食いつく訳です。でも、なぜ、日弁連がこれだけ推進するのかというのは、私たちの中でも理解できない部分です。なぜ、あそこまで権力に擦り寄ってしまったのか。

 本来、司法改革の中身を見れば、司法改革そのものに反対しなければならないのが、日弁連だった訳です。2951651

  私がここで一番、疑問だなと思うのが、自由法曹団、名前出して言いますが、自由法曹団という弁護士の組織です。この人たちが、裁判員制度にどういう意見書を出したかというと、「市民感覚は良いんだ」と、しかも「一般市民は、警察権力に懐疑的な目を向けているから、素晴らしいんだ」と。今もその見解を崩していません。

 しかし、本当でしょうか。裁判員制度が警察権力に懐疑的な目を持って運用されてきたでしょうか。そんな事実はありません。むしろ、権力の行使を助長してきたのが裁判員制度であったにも関わらず、一部の弁護士が「これは、権力を抑制するんだ」とか、「その可能性を持っているんだ」と言って、裁判員制度導入を正当化・合理化して推進してきたというとうことが、日弁連をして「権力と手をつなぐ」というような事態にまで至っていると思います。

 ですから、このような、なんていうのでしょうか、マスコミと日弁連、そして権力側が、裁判員制度を正当化し、合理化して推進してきたということだと思います。

パンチインコ一言
日弁連のおかしさはまだ続いている。いや、ますますおかしくなっている。継続審議となっている刑事訴訟法改悪、法務省と一緒になって推進している。猛毒が入った水でも、蜜を1滴垂らされたら喜んで飲むというのだ。このおかしさをこれからも引き継いでいくのかどうか、今、その岐路に立っている。弁護士一人ひとりの姿勢が問われている。

oudannmaku1

投稿:2016年1月29日

連続講座第2回 「裁判員は国民の代表か?」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第2回 

裁判員は 国民の「代表」か?

なぜ、マスコミがそのようなところにまで踏み込んでいくのかといいますと、そこはやはりすごいんです。本来、裁判員制度で選ばれるのは、有権者の中からクジで選ばれるんです。ですから、それは国家が選び出した人となるんですけれども、マスコミは「代表」という言葉を使うんですね。246410c

レジメでも「『代表』のごとく扱われる」と書きましたけれども、はっきりと「代表」という言葉を使うんです。
例えば、2010年の『朝日新聞』ですけれども、裁判員制度が始まった翌年ですね、「昨年8月以来、200件を超す判決に約1千人を超す『普通の人々』が国民の代表として関わった」と、代表という言葉を使ったんですね。これは、『朝日新聞』だけじゃないんですね。

裁判員は、私たちの「代表」でしょうか。私たちが選んで送り出した人でしょうか。制度の仕組みとして、抽選で選び、そして裁判官が裁判員として任命して、解任権も持つ。そういった立場の人たちであって、それは、私たちが送り込んだ「代表」というものとは、矛盾する立場の人たちです。それをマスコミは、「代表」と形で位置付けるんです。

そればかりじゃないんですね。
『東京新聞』の記事には、「これは、民主主義の学校である」と。果たして本当に民主主義なんでしょうか。中で多数決でやっているから民主主義なんだというようなことを言われちゃ困るわけなんでしょね。刑事裁判にそもそも多数決なんて似合いません。似合わないではなくて、矛盾するもの、相反するものです。それを、話し合いをし、いろいろな訓練をするから「民主主義の学校」というような言い方をする論調を見てみますと、あたかも私たちの代表の如く扱っているということが、マスコミの視点として良くわかると思います。

今一度、考えて欲しいのですが、なぜ、この裁判員制度が生まれたのかというところの根本に遡ります。
2001年6月に出された司法制度改革審議会の意見書、ここで裁判員制度が導入されたのかという理由付けがすごいんですよね。皆さん、今一度、振り返っていただきたいのですが、これをどのように表現しているかというと、「国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存意識から脱却し、自らのうちに公共意識を助成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。国民主権に基づく統治行動の一翼を担う司法の分野においても、国民が自立性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般において、多様な形で参加されることが期待される」。335733e

これまで、国民は国家に頼りきっていたんだから、それではダメだ。
公共精神を身に付けて、統治機構の中で、責任を持って行動しなさいと。
ここにはっきり、裁判員制度の目的が書かれていた訳です。

先ほど言ったように、裁判員は国民の代表ではない。国家の一翼として、選任され活動していく、まさに、裁判員制度はその通りになっていますよね。それにも関わらず、なぜ、マスコミがこの部分をことさら無視して、「自分たちの代表だ」と、あるいは「民主主義の学校だ」というのか、まったく理解できないことです。

むしろ、『産経新聞』のこの記事の方がぴったりだと思うんですね。さすが、『産経』という感じがする記事です。

東日本大震災が起き、東京の交通が麻痺した。そのとき、次のような見出しで報じた。
「投げ出さず強い責任感。全員集まった裁判員」(笑)。すごいですよね(笑)。国家主義的な、国家のためなら馳せ参じたという形でもって、集まった裁判員を持ち上げる。いや、そりゃね、来いって言うから来ただけで、来させられたというものですよね。義務として自分が行かなければ、後からお咎めがあるんじゃないかとか、思うから集まるんであって、でも、『産経新聞』によると違うんです。「強い責任感」と。「国家のために働く尊い市民」という感じなんでしょうね。

これは『産経新聞』だけじゃないんです。他の新聞でも、「市民の義務、重さ噛み締めた3日間」。これは「カナコロ」の記事ですから、『神奈川新聞』ですね。こういう形で報道されていることを見ますと、こちらの方が、裁判員制度の目的にはぴったり合うんですね。「強い責任感」という方がね。

でも、これ自体は、裁く側に組み込んだという本質にはぴったりであって、他の記事にあるような、あたかも参加を権利であるようなところに大きな問題があるのです。

パンチインコ一言
民主主義の学校? じゃあ被告人は教材、実験材と言いたいのかマスコミは?
統治的主体の意識だけを持たせて、任務遂行の責任感を強調する。その先にあるものが透けて見える。

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投稿:2016年1月28日

連続講座第1回 「『市民』とはなにか? 」 

001177昨年11月14日に福岡で開催された第16回裁判員制度廃止市民集会、猪野亨弁護士の講演は、とてもわかりやすく好評でした。

1-e1397901276348ぜひ、多くの方に知ってもらいたいと思います。そうだ、インコのホームページでも、猪野弁護士に再講演をお願いしようっと。では、早速、札幌へ・16126・・

001178まね0ちょっとお待ちなさい。

へ?なんだよ~。

001177福岡の「市民のための刑事弁護を共に追求する会」から、「猪野さんの講演内容は、インコのウェブを使って広めて欲しい」ということで、原稿をいただいております。

1-e1397901276348さすがだ! 党利党略私利私欲とは無縁に、制度廃止に本気のところは言うことが違うね。

001177という訳で、これから10回に分けて、猪野亨弁護士ウェブ連続講座「マスコミが伝えない裁判員の真相」をお送りいたします。
なお、ご希望の方には、報告集をお送りいたします。

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第1回 

「市民」とはなにか?

『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』は、私を含めて3人の弁護士の名前で出させていただきました。多くの弁護士が活動をしている「アスクの会」に監修してもらい、この本が出来上がりました。

 「マスコミが伝えない」といいながら、ここで書かれているのは、全面的にマスコミ報道に依拠しています070911(笑)。ほとんどマスコミの報道と、最高裁からの資料から作成しています。

 なぜ、「マスコミが伝えない」と書いたのかというと、報道の視点、中身によって、全然違う方向に行っているからです。要するに、裁判員制度の真相からは程遠いような形で、報道がなされているために、「なんで、こんな報道になるんやろ」と。これは、皆さんも一番、思われているところだと思うんですね。

 先ほどもご紹介がありましたように、国民は、ほとんど、裁判員制度なんて見向きもしない、嫌われている制度なのですが、マスコミ報道を見ると、8割が出頭みたいな…出頭とは書かないですね、マスコミは。出席といい、国民参加という言葉を使いますね。私たちの実感とはまったく掛け離れている。このことは、皆さん、日々実感されているところかなと思います。

 裁判員制度は「市民感覚」という言い方がされますが、ここで言う「市民」とは一体何なんだろうということが、マスコミ報道の中では、実はわからないのです。

 「市民」というと、「市民活動家」ですとか、「市民運動」というように、昔で言うと、「左翼系の運動をする人」という風に捉えられていたところがあったのではないかと思われます。

 ですから、体制側がどういう言葉を使うかというと、「国民」という言葉を使います。「国民」という言葉に対するアンチテーゼとして「市民」がある。そこには「国民」だけじゃない、いろいろな人たちが全部集った形、外国人や有権者でない人たちも含めて考え、運動を作っていくという概念の中から「市民」という言葉が生まれたのではないか。それが市民運動だったり、市民活動だったりという表現として用いられてきたのではないかなと思います。

 でも、今言われている「市民感覚」というのは、これとは全然、違うものです。「市民感覚」と言われながらも、裁判員制度で裁判員となる対象とされているのは有権者です。裁判員候補者として呼ばれているのは、有権者の中から、クジで選ばれた者であり、先ほど述べた「市民」とはまるで違うものですが、「市民感覚」と言われている。070907

 考えてみますと、これは司法改革から始まってきたのかなと思います。「市民のための法律相談」とか、日弁連までも言い始めました。そこにいる市民というのは何だろう。「市民」という言葉が使われ始めたことに問題が含まれているのかなと思います。

 司法改革自体は、規制改革の流れの中で最後の要として、司法を変えていくんだと登場して来ました。裁判員制度というのも、その中の一つとして位置付けられていますが、規制改革の流れの中で、司法を財界などの使い勝手の良いものに変えていく。これが司法改革の最大の眼目でした。地裁の判決が遅い、こんなのはダメだ。弁護士を増やしてもっと使い勝手の良いものにしよう、というところから始まりました。

 そして、刑事裁判においては、悪化する治安対策をどうするかというところから、裁判員制度の導入が決められ、司法改革が規制改革の最後の要として実行されてきたのです。

 規制緩和が何だったのかというと、「弱肉強食」です。皆さんもご承知だと思うのですが、規制を緩和することによって、弱肉強食をそのまま実現しましょう、強い者が勝ちゃ良いんだと。それぞれが、対等な立場で競争社会の中で生きれば良いんだと。規制なんて甘っちょろいことをやっているから、経済が発展しないんだ、という中で実行されてきたものです。

  ここで対象とされているものは何かというと、対等な人間を擬制するというものです。本来、対等でも何でもないのに、対等であるかのように扱う。その典型例が、雇用の流動化です。雇用者、つまり資本家と労働者の従属関係をまったく無視して、「自分が好き勝手なところで働けるんだから良いでしょう」と。雇用が流動化すれば、それだけ自分が評価されるんだという言い方の中で、雇用を自由化していく。対等でないものを対等として扱うやり方です。0709082

 ここで思い出すのが「市民革命」です。あの時代は、封建社会を倒して、王政を倒して、ブルジョアジーが自分たちの社会を作る、資本の世の中を作ると。その流れの中で出てきた「市民」ですね。フランス革命が「市民革命」といわれるのは、そういった古い王政を倒して、資本主義社会を作っているとイメージされてきた「市民」。

 そこで言われた「市民」と、司法制度改革が言う「市民」はぴったりイメージが一致しませんか。以前、私たちが使っていた「市民」とはまったく違う内面が現れてきた。それが、今回の司法制度改革で出来た「市民」という名称、キーワードだったのではないかと。

 これを「市民感覚」という形で、裁判員制度の中で持て囃されてきた。ただ、「市民感覚の反映」みたいなことを言っているのはマスコミです。裁判所は、公式的には言っていないはずです。マスコミが「市民感覚の反映だ」ということで、裁判員制度を正当化・合理化しようとした。それは、私たちの感覚が反映されるんだと言わんばかりのものであり、それが「市民」の使われ方だったのです。

1-e1397901276348インコ一言
「市民」という言葉の使われ方と「裁判所は使わない」は、キーワードですね。さて、話はここから一気におもしろくなっていきます。

 

投稿:2016年1月27日

福岡市民集会報告集「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」

 

001177

インコさん、ヒヨコさん、お待ちかねの福岡の集会報告が届きましたよ。

1-e1397901276348006311000どれどれ、わーすごい。本文24頁の力作だ!

001177表紙と裏表紙がカラーになっていますね。

006311000質疑応答だけで4頁。質問者は10人。ディスカッションになっているところもあって、集会は本当に熱気溢れるものだったのですね。

1-e1397901276348猪野弁護士の講演は、こうして文章になっても非常にわかりやすいです。報告集、ぜひ、多くの方に読んでいただきたいです。

001177お問い合わせは、
「市民のための刑事弁護を共に追求する会」
事務局 〒810-0042
福岡市中央区赤坂1丁目3番12号2F 赤坂法曹ビル
李法律事務所

1-e1397901276348もしくはインコまでどうぞ!送料実費(120円)でおわけします。

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投稿:2016年1月23日

どうなる日弁連会長選挙!?

速報! 札幌公聴会で稲田朋美寄付問題が論争点に

001177日弁連会長選挙がまっただ中ですね。

1-e1397901276348うん。全国10所で開催される公聴会も16日に札幌から始まった。
立候補したのは、大阪弁護士会所属の中本和洋さん(69)と、東京弁護士会所属の高山俊吉さん(75)。『朝日新聞』(1月7日)によると、次のとおりだ。
法科大学院の志願者は減少を続け、2015年度は過去最少となるなか、法律家を養成する制度の改革策などが争点になりそうだ。中本氏は弁護士の活動領域を広げるべきだと主張する一方、高山氏は法科大学院制度の廃止を訴えている。
 取り調べの録音・録画を柱とする刑事司法改革に対しては、中本氏は関連法案の今国会での成立を推進する立場。高山氏は通信傍受の対象犯罪の拡大が法案に盛り込まれていることなどから、法制化に反対している

00631100真っ向対立ですね。

1-e1397901276348 高山さんは裁判員制度反対の急先鋒だが、中本さんは「裁判員制度は順調に進んでいる」という認識です。

001177 北海道の弁護士さんから、札幌での公聴会の発言要旨が届きました。法科大学院や裁判員制度も大きな論争点になっているようですが、今話題になっている稲田寄付問題についてどんな議論がされたのか、ここでご紹介しましょう。

高山候補の言葉top

○ 中本さんは、この間毎年のように自民党政務調査会長稲田朋美衆院議員の政治団体に寄付を続けてきている。12年は5月と11月で計6万円、13年は6月に3万円、14年も6月で3万円。15年のデータはまだ公表されていない。12年を例にとれば、弁護士で寄付した人の数は全部で15人。その中で中本さんは金額で5番目。そのような人を日弁連会長選の候補者として推薦する人はどういう方か調べてみたら、中本さんの選挙責任者も稲田議員に同様に寄付をしている人だった。

(1-e1397901276348調べてみたら、その選挙責任者とは大阪の益田哲生弁護士で、金額は20万円。その年の弁護士寄付者としては3番手の高額寄付者らしい。トップは稲田議員の配偶者なので、2番手と言っても間違いではなさそうですね)

○ 稲田議員に寄付をした弁護士はこの年、3万数千人の弁護士のうちの15人だが、中本さんと中本さんの選挙責任者がそこに入っていた。中本陣営は稲田応援団なのか。いったいこれはどういうことか。14年6月は集団的自衛権の行使容認の閣議決定直前。安倍政権の一挙一動が日本中から注目され、安倍首相の行動が厳しく批判されていた時期。その時に中本さんは稲田議員への寄付を例年と変らず続けていた。

○ 稲田議員は安倍晋三議員に誘われて政治家になった人。神道政治連盟国会議員懇談会事務局長。天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟事務局次長。みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会の会員。自民党政務調査会長。
東京裁判は国際法違反だとして東京裁判史観の克服を言った。百人切り競争は虚偽としてマスコミ各社を訴えた訴訟の代理人。靖国神社の国家護持を提唱、「首相の靖国参拝を阻止しようとする忘恩の輩に道徳・教育を語る資格はない」と言った。沖縄戦の集団自決は軍の強制ではないと主張し、大江健三郎氏などを訴える事件の代理人になった。尊属殺規定の復活を主張し、自衛隊への体験入隊制度を提唱し、日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきと言った。在特会や日本のネオナチ党や統一教会との距離が取りざたされ、その主張はあらゆる意味で右翼それも極右、ファシストと称して差し支えのない人物。

○ 我が国の憲法価値を全否定する稲田議員の見識は、日弁連の基本的な立場とまったく相容れない。相容れないどころか、この議員は、憲法擁護を言う日弁連を叩きつぶしたいと強く感じているはずの人物だ。その稲田議員の政治活動を支援する立場に立つことを中本さんは内外に明らかにして継続寄付行動を実践している。
札幌弁護士会をはじめ弁連各単位会が一昨年夏以来、安倍改憲策動に抗して立ち上がっていた時期に、中本さんとその選挙責任者は極右政治家を支援していた。この一事によって中本さんは日弁連会長の資格を完全に欠く。弁解の余地がない。ロビー活動? 稲田議員を相手にどのようなロビー活動があり得るか。

中本さんは、誰に就任を求められても自分は日弁連の要職に就くことは不適切な人間だと言わねばならない人だ。中本さんのような人が日弁連会長選挙に登場するということ自体が日弁連の最大の危機を意味する。そのことに対し会員諸氏が腹の底から怒りを感じ、それを行動に表してほしい。

中本候補の推薦人の言葉

○ ネットなどで稲田朋美議員への寄付のことが話題になっていることを承知している。

○ 中本候補はたくさんの議員に寄付をしている。辻恵、前川清成、円より子、川田龍平、福島瑞穂など、野党の議員の方が多い。

○ 稲田朋美議員に対する寄付はあくまでも個人的な付き合いの上のことだ。あくまでも個人的な付き合いのこと。特定の政党とか特定の政治家との関係の問題ではない。

○ 日本会議との関係を言われているが、悪質なデマだ。

中本候補本人の言葉slide_01

○ 稲田議員とは30年来の先輩後輩の関係で、パーティー券を買っていただけのこと。

○ 政治的に議員に近いということはまったくない。自分は安保法制に反対であり、そのことを事務所報に書き、それを議員に送ってもいる。議員も自分が安保法制に反対していることを知っている筈だ。

○ 自分は安保法制に反対するデモの先頭にも立った。自分は「9条の会」にも入っている「根っからの平和主義者」だ。

1-e1397901276348(それを言うんだったら、ヒトラーだって平和を口にしたんじゃなかったっけ)

○ しかし今回のことで誤解を招いたようなので、今後は寄付をしないようにする。

1-e1397901276348(「今後は」と言うところを見ると、公表データにはないけれど、最近まで長年にわたって寄付をしていたことらしい。また、批判を受けなければこの寄付は今後も続けるつもりだったという趣旨ですね)

インコの言葉

 北海道の弁護士さんからのお便りはこれで終わり。インコの言葉を付け加えます。

前回の日弁連会長選挙は46.64%という低投票率でした。今回は、どうでしょうか?

 安倍首相は、「夏の参議院選挙で自民・公明両党で過半数を確保することがみずからの責任。おおさか維新の会など憲法改正に積極的な政党で、改正の発議に必要な3分の2の議席の確保を目指す」と公言しています。

 そんな中で、日弁連会長に稲田議員を応援するような人がなったらどういうことになるか。全国の弁護士さんは考えてほしいと思います。

201601171

 

投稿:2016年1月17日

新春・海を越えて語る裁判員制度の苦役

へ?鏡開きで頂いた餅があるっていうから来たのに、マネージャー遅いな。

006311000鏡開きってそもそも何ですか? 鏡餅を割って食べるだけじゃなく意味あるんですよね。

1-e1397901276348そもそも鏡餅は、昔の鏡に似ているからそう呼ばれるようになったんだけど、あれは穀物神である「歳神」への供え物。食べることでその年の無病息災を祈る。鏡餅という言葉は『源氏物語』にも出てくるけど、供える形になったのは室町時代かららしい。「割る」は忌み言葉で、「開く」はその言い換え。刃物で餅を切るのは切腹も連想させる。小さくして食べるのに手や木鎚で割る、つまり開く。

001177今年もインコさんのうんちく節が始まりました。

1-e1397901276348マネージャー遅い。って、そちらは?

001177こちら、韓国ソウル大学からの留学生、金○淑さん。インコのホームページを見て、裁判員制度には反対になったけど、もう少し聞きたいとおっしゃるので、今日お誘いしたの。

0829912金○淑です。よろしくお願いします。早速ですが、裁判員法は、憲法違反のデパートと聞きましたが、具体的にはどの条文に反しているんですか。

1-e1397901276348次の条文ですね。
第13条違反:裁判員にさせられた国民の自由と幸福追求の権利を侵害する
第14条違反:重い義務をくじで選ばれた者だけに負わせるのは法の下の平等に反する
第18条違反:裁判員にさせられた国民に意に反する苦役を強いる
第19条違反:裁判員にさせられた国民の意思と良心の自由を侵害する
第32条違反:裁判所の裁判を受ける被告人の権利を侵害する
第37条違反:公平な裁判所の裁判を受ける被告人の権利を侵害する
第76条違反:裁判官の独立を侵害する
第78条・第80条違反:憲法はもともと参審制を予定していない
第82条違反:証拠の採否や証拠調べの内容などを公判前整理手続きで決めてしまうのは裁判の公開の原則に違反する。

316749なるほど。でも、お国の最高裁判所は裁判員制度は合憲だという判決を下したんですよね。どういう判断をしたのですか。

1-e1397901276348裁判員制度は、国民の司法に対する理解と信頼を強めるために作られたもので苦役ではなく、いわば参政権にも似た権利のようなものだと言いました。

128464아이구(アイグ、驚いたときなどの声)、罰則付きで呼び出しても「苦役ではなく権利のようなもの」と言えるのなら、それこそなんでも言えてしまうように思いますが。

1-e1397901276348日本には今のところ徴兵制はありません。しかし、いま、この国がどれだけ危険な方向に進もうとしているかは金さんもよくご存じのところでしょう。この国の政府は戦前の間違いもなかったことにしようとしているくらいですからね。

001177裁判員制度の目的の一つは、「この国の裁判がかねてから正統に行われてきたことを国民に理解させること」にあるという話ですから、そういう考え方に立つと日本にはえん罪なんてなかったと言っているようにも聞こえますね。過去の否定に通じるところがあるような…。

1-e1397901276348いつ、「国民の安全保障に対する理解と信頼を強める」ために「自衛員」が登場するかもわかないと言えばわかりやすいかもしれませんね。入隊が免除される場合をあらかじめ整備しておけば、「他に方法がなく最小限の実力行使をするのは、平和擁護という国民の願望を実現するもので、徴兵制も苦役とは言えない」という理屈が登場できそうです。

001177「権利のようなもの」とさえ言えば政府のやりたい放題になる。その先例が裁判員制度です。

0829912るほど。

001177少し話はずれますが、韓国にも国民参与制という参審制が登場しましたよね。

081806そうです。でも、韓国の国民参与制はまだ実験段階と言ってよく、大きな国民的な問題になっていないように思います。被告人に選択権を認めたため、裁判官の裁判を受けたいという被告人が多く、参与員をやってもよいと言う人も年々減っています。

001177日本の戦前の陪審員制度と同じですね。被告人に選択権を認めたことでみんなが陪審員の裁判を断った。今回の裁判員制度は、その経験から被告人に選択権を与えないことにした。韓国には徴兵制があるので参与制で強いて動員までしなくても良いという理屈があるのかもしれないけれど、日本にはまだ徴兵制がないので、裁判員制度では何が何でも動員制度が必要だったということかもしれませんね。

081806韓国では、参与制度に関する報道自体がほとんどありません。日本では、裁判員裁判の報道が多いように感じます。それを見ていると、裁判員制度は国民に支持されているようにも思えるのですが。

おたけび2支持などされていません。

1-e1397901276348制度が始まった09年、法曹三者(最高裁、法務省、日弁連)が人気女優を新聞の全面広告に登場させ、マスコミも制度推進の提灯記事を掲載しました。その時の世論調査の結果でも、
参加したい・参加してもよい18.5%
あまり参加したくない・義務でも参加したくない80.2%
と、もう8割の国民がイヤだと言っていました。

084162それは制度が始まる前ですよね。だんだん支持が増えているということはないのですか?

1-e1397901276348はい、ありません。
10年には、参加したい・参加し てもよい15.0%、あまり参加したくない・義務でも参加したくない84.0%になり、14年には、参加したい・参加してもよい12.3%、あまり参加したくない・義務でも参加したくない87.2%になりました。最近は9割近くが参加したくないと言っています。

001177この世論調査は最高裁が面談形式で行うものです。批判的な意見は言いにくい場での聴取り調査です。それでもこれだけの拒否者がいるというところに深刻さが示されています。

1-e1397901276348もう一つのデータがあります。
最高裁が公表している「選定された候補者のうち、選任期日に出頭した人の割合」が、09年40.3%から、15年10月末には25.2%にまで落ち込みました。つまり、開始当初からどんどん辞退する人が増えているということです。もう4人に1人しか裁判所に出ていかないのです。

001177もっとも、マスコミは7割以上の出頭率と報道しています。それは、事前に呼出を取り消したり辞退が認められた人を除いて、そういう事情がなかった人のうち何人が当日出頭してきたかを取り上げて「出頭率」率と言っています。統計のとりようを変えても出頭率は下がり続けていると言ってよいでしょう。

084162葉にこだわるようですが、「出頭」ですか、「出席」ですか?

1-e1397901276348マスコミや最高裁は「出席」と言います。でも、裁判員法には「出頭」という言葉しかありません。

001177「出頭」というのはアタマを出せという「徹底上から目線の官僚用語」。この言葉の響きを避けたいのでしょうね。

1-e1397901276348マスコミも、法律の権化の最高裁までが法律にない言葉を使っている。やましさを自覚していると言ってよいでしょう。

006311000姑息な話。

1-e1397901276348また、最高裁の世論調査には、「定着したと思うか」という調査項目がありました。制度が始まって6年経っても「定着したか」と聞かなければならないのもおかしな話ですね。
しかも、答えは「定着していない」が年々増えているのですから、さらにおかしな話です。

001177これについて、詳しくはこれぞ天の声 制度定着論が吹っ飛んだ!を見てね。

1-e1397901276348おかしな話といえば、昨年11月、裁判員候補者名簿の登載通知を発送するとき、最高裁は、長官の顔写真付きメッセージを同封しました。初めてのことです。

001177もうおかしすぎて笑うしかないですね。

006311000笑う門には福来たる。

316749韓国でも、웃으면 복이 와요(ウスミョン ボギワヨ)、笑うと福が来ると言います。

001177では、笑って制度廃止の福を呼び込み、無病息災のためにお餅をいただきましょう。
お汁粉、ぜんざい、亀山とお好きなのをどうぞ。

082991わあ、美味しそう。粒あんのかかったのをどうして亀山というのですか?

001177粒あんのことを小倉というのですが、これは粒あんが「鹿の子(かのこ)模様」に似ているからなの。鹿の子、鹿と言えば、「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」と詠まれたように紅葉。紅葉の名所と言えば「小倉山 峰のもみぢ葉」と詠まれたように小倉山。だから、粒あんのことを小倉と言い、これにお餅が入ると亀山と言うの。小倉山の隣には亀山という桜の名所があって、春になると山の頂上が真っ白に見えるから、お餅を桜に見立ててね。

むふふ食べ物のことになると、マネージャーも結構なうんちく垂れ。

001178まね0何か言ったかしら、インコさん?

お茶いえ、金さん、このぜんざい美味しいですね。

「無理やりに 裁かせようも拒否する民の 声きく時ぞ 官は悲しき」

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投稿:2016年1月13日

絶縁状を突きつける国民の姿を空から見る

001177昨年末に裁判員裁判に関連する重大なニュースが続いたことで、年末年始のテーマが具体的な問題に絞られてしまいましたね。ここら辺で年の初めらしく、少し全体を俯瞰するというか、大局的に見た話をしたいですね。

1-e1397901276348よしわかった。「裁判員裁判の実施状況」の平成27年10月末・速報が出たようだ。出頭率はどうなっている?151299

00631100025.2%です。

1-e13979012763484分の1ぎりぎりまで落ち込んだか。

001177年末は出頭率が悪くなるでしょうから、10月末がこの状態だと15年は最終段階で25%を割り込むかもしれませんね。

1-e1397901276348その可能性は十分ある。25%割れは時間の問題だね。

001181この数字に衝撃を受けたのはテラダ最高裁長官では。出前講義を全国でやらせた効果が少しは出たかと思っていたでしょうに。

1-e1397901276348いや、出前講義の失敗はこの数字を見る前からはっきりしていた。やっぱりという程度の感慨だろう。ところでひよこ君。「出頭率」、最高裁はこれを出席率と言っているが、この意味はわかるね。

006311000わかります。「選任期日当日に出頭してきた裁判員候補者の数」を「選定された裁判員候補者の数」で割って算出された数字です。

1-e1397901276348そのとおりだ。前者は「裁判員を選ぶ日に裁判所に来た候補者」の数だ。そして、後者は「特定の事件の裁判員を決める裁判長が候補者名簿から選んだ裁判員候補者」の数だ。150人選んだけれど40人しか来なかったら26.7%ということになる。

001177後者の中には国会議員とか弁護士など、やりたくてもやれない人も含まれていますが、そういう人たちの数は知れたものでしょう。これほど出頭者が少ないというのは大変なことですね。

1-e1397901276348大変なことだ。過年度の数字はわかるかね。ひよこ君。

006311000裁判員裁判が始まった2009年が40.3%でした。翌10年にもう下がって38.3%、東日本大震災の11年にどんと下がって33.5%、それからも12年が30.6%、13年が28.5%、14年が26.7%と年々下がり、15年は10月末までで25.2%ということです。

むふふ凋落一途の悲惨な姿がよくわかる。

001177そう言えば、いつ20%割れになるかとか、いつ15%割れになるかとかで、賭が始まっているという噂も聞きます。

1-e1397901276348今日は出頭者が少ないことについて、もう少し掘りさげて考えて見ようか。

001178まね0掘り下げても掘り込んでも結構ですから、なるほどと思える話をね。

1-e1397901276348法務省や最高裁にとって大きな誤算は、これほど国民からそっぽを向けられるということだったろう。前評判の悪さから懸念はしていたとは言え、これほどひどい数字になるとは思っていなかった。

00631100どうしてそう言えるのですか。

1-e1397901276348裁判員法が正当な理由のない不出頭者を処罰することにしたのは、まずまずの出頭率は確保できると踏んでいたからだ。総スカンを予想したら、とりあえずやりたい人だけに参加させる制度として始めたかもしれないし、強制できない制度は無意味だということで断念していたかもしれない。

006311000そういうことか。

1-e1397901276348司法制度改革審議会の中でも、裁判員法の具体案を作った政府の裁判員制度・刑事検討会の中でも、「やりたくない人」に関する議論はまったくと言ってよいほどなかった。

006311000それにしてもどうしてこんなことになったのでしょうか。

1-e1397901276348決定的なことは、推進勢力は国民をバカにしたというか見くびったということだ。ごちゃごちゃ言っても、まぁ参加するだろう、そしてだんだん増えてゆくだろうとたかをくくっていた。304555

006311000ところが国民は法務省や最高裁が思うほど従順じゃなかった。

1-e1397901276348そう、いくら宣伝しても多くの人たちが横を向いたままだった。この制度はどこかおかしい、自分を動かす力を持っていないという受け止め方が国中に広がってしまった。

00631100「長い物に巻かれよ」っていう言葉がこの国にはあるのに、この国の人たちも案外図太いんだね。

1-e1397901276348この制度の存在理由の説明があまりにも説得力を欠いていたということだろう。主権者なら裁判をするのは当然だなどという程度の話で「そうだそうだ」という方がおかしい。

001181でも、前号でご紹介した昨年末の『朝日』の社説はまだそんなことを言っています。

1-e1397901276348焼け野原を緑の草原と言い張るようなものだ。こういう人たちはいつまでも念仏のように同じことを言い続けるのだろうが、自身の言葉に「力」がないことがわからないのならアホウだし、わかっているのならワルだ。

006311000制度の破綻を国民が実感したのはどういう機会でしょうか。

1-e1397901276348決定的なのは、出頭しなくても処罰されないという関係がはっきりしたことだ。

006311000はっきりしたんですか。

1-e1397901276348はっきりした。この7年間、裁判員候補者に選定された人の数はだいたい77万人だ。そのうち裁判員裁判の選任手続の期日に出頭した人の数は約24万人しかいない。不出頭53万人といえば鳥取県の人口に近いが、たった1人の不出頭者も処罰されていない。

006311000不出頭は不処罰ということになったのでしょうか。

1-e1397901276348そんなことはない。裁判員法第112条一号は「呼び出された裁判員候補者が正当な理由がなく裁判員選任手続期日に出頭しない時は10万円以下の過料に処す」とはっきり規定している。制定開始以降この条文はまったく改訂されず、今日も「健在」だ。

006311000いうことはつまり…。

1-e1397901276348この国の政府と最高裁が、すべての不出頭に「正当な理由がある」と認定したことを意味する。

00631100まさか。

1-e1397901276348いや、そうなのだ。出頭したくなければ出頭しなくてよい。出頭した後に心の病に陥ったなんて言われたんじゃたまらない。やりたくないという国民はいち早く退出してもらうように現場の裁判官はきちんと対応せよということになったのだ。

006311000事実上義務づけないことになったと。

1-e1397901276348まぁそういうことだ。原則は義務だなんて言っていられる状況ではなくなった。形だけでも国民が参加していれば文句は言わないことにしたのだ。

006311000それって制度の失敗を認めたっていう話じゃないですか。189263

1-e1397901276348そう、「裸の王様」だ。みんな失敗したと思っている。法務省も最高裁もそれを認めたと言わないだけで、失敗は公然の秘密だ。そのことはこの制度が始まってすぐに明らかになり、時の経過とともに動かしがたい事実になっていった。

006311000外向けには「基本的に順調」なんて言いながら、実際にはそういう経過を辿ってきたんですね。敗残敗走の経過をもう少し聞きたいです。

1-e1397901276348いいだろう。みんなに嫌がられている中で裁判が始まったのが2009年だ。その後に起こった「怒濤の裁判員離れ」のきっかけを作ったのは次の4つだ。

006311004つ?

1-e1397901276348そう、第1は、東日本大震災・福島第1原発爆発。これでほとんどの国民が裁判員制度から「引いた」。自身の明日の命や健康のことを横に置いて裁判所に出かけて行き、人の命を奪うことや人を刑務所にぶち込むことを考えなければならないってどういうことという根本的な疑問を懐くようになった。それは東日本や福島に限らず、日本中に起きた違和感だった。

001178まね0そう言えば、竹崎最高裁長官(当時)は、震災発生からわずか2週間後に「被災地でも裁判員裁判を再開しろ」と号令を発し、被災者はもとより、現場の裁判官からも大きな反発を受けました。まさに、「国家の命あれば人命はインコの毛より軽し」でしたね。19-h

006311000そして、この年出頭率が大きく落ちました。

1-e1397901276348第2の躓きの石は、裁判員裁判が控訴審でひっくり返される事件が頻発したことだ。

001177確かにこのことは裁判員の参加意欲を大きく傷つけたでしょうね。

1-e1397901276348そういうことになるのならわざわざ私たちを裁判所に呼び出すことはないだろう、裁判官たちで好きなようにやってくれということになった。

0011773審制の日本の裁判制度では1審の判断が控訴審でひっくり返ることもあるなんていくら説明しても、国民には説得力はないんですね。それこそ法務省や最高裁が高く評価した「市民感覚」の結論ですから。

1-e1397901276348第3は、1審福島地裁、2審仙台高裁とストレス障害の元裁判員が国に破れた判決だ。裁判員を経験させられ心の病になった元裁判員が国を相手に責任を追及したら、裁判所は「裁判員をやったあんたの責任の問題だ」と断じた。辞めたければ辞められたのにやったのが悪かったというような裁判所の言い方は、一般の国民に決定的な拒絶意識を植えつけた。

001177「やりたくない」ことは不出頭の正当な理由になると裁判所が明言したと誰でも受けとめることになりましたね。

006311000やりたくなければやらなければよかったと言われたら、みんなやらなくなるに決まっています。

1-e1397901276348そして最後第4は最近のこと。裁判員裁判で死刑判決を受けた死刑囚の死刑執行だ。これで僅かに残った裁判員制度の支持論者や追従者たちに冷や水がぶっかけられたことになっただろう。結果はこれから明らかになるが。

001181人に死刑の言渡しをしてみたいというような特異の人を除けば、死刑判決に関わる国民はたいてい辛く苦しい思いに襲われるでしょう。

1-e1397901276348頭の中では整理していたつもりでも、現実に死刑執行という事態に遭遇すると、自身がこのような判断に関わったことをあらためて考え直す人たちがやっぱり多いのではなかろうか。

00631100その時まであまり深く考えなかったというのもどうかと思うけれど…。

1-e1397901276348決定的なのは、死刑執行という衝撃的な事態を眼前にした多くの国民が裁判員になることを厭う気持ちを亢進させることだ。死刑を言い渡す場合に限らず、すべての裁判員裁判について、裁判員にはなりたくないという思いをこれほど強める事件はなかっただろう。

006311000確かにそう思いますね。

1-e1397901276348この4つのことが、もともとふらついていた裁判員制度の幹を叩き割る大なたになった。

006311000裁判員制度の現状を一言で叙述すると、どういうことになりますか。

1-e1397901276348よく聞いてくれた。それを言いたい、言わせてくれ。

0011780言いたいことをずっと言わせているじゃないですか、さっきから。

1-e1397901276348国民の裁判参加の狙いが「これまでのこの国の裁判の正しさを国民に理解させること」にあることが明らかになるにつれ、国民は強く拒絶を表明し始めた。何となくの拒絶から意思を持った拒絶に成長した。国民と国の間の距離感覚・対立感覚が時の経過とともに明確になってきた。それがこの間の経過を貫く国民の意識変化だ。

00631100そうか、そういうことだったのか。262857

1-e1397901276348どこかで聞いたことのあるセリフだな。ま、いいだろう。「主権者の司法参加賛成」論一本でやってきたマスコミや革新政党は「困ってしまってわんわんわわん」の筈なんだが、彼らは奥歯に物が挟まったようなことしか言わない。そして最高裁は基本姿勢を変えない。

006311000出頭率激減の方向は変りませんね。

1-e1397901276348変らない。推進勢力は死んでも失敗したとは言えない。国民総参加の裁判から「やりたいヤツによる、やりたいヤツのための、やりたいヤツの裁判」に変貌してもとりあえずは致し方ない。生き延びるにはやりたいヤツを集めてやるしかないってところなのだ。

006311000どうすればつぶせますか。

1-e1397901276348国民の反発を最高度に高め、どうにもこうにもへんちくりんな人たちしか裁判所に出かけていかなくなるときが制度の終焉の時さ。もうかなりそれに近くなってるけどね。

001177今日は年の初めらしく、大局観に立った話というか、全体を俯瞰した話になりました。

お茶それを言うならこの際は鳥瞰といってほしいね。というところで話が終わったことを確認し、今日は成人の日を迎えるひよこ君をお祝いして、新春の一杯と行こうじゃないか。

001178まね0また、お酒の話になりましたね…。

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投稿:2016年1月10日

裁判員制度 ずれまくる人たちを斬りまくる

1-e1397901276348おとなしいインコですが、お屠蘇で元気が出てきた。もう少し続けさせてもらいまするぞ。

0011780(少しゆがんだ顔で)待ってました、大統領っ。前から元気ですっ。

1-e1397901276348裁判員裁判の死刑執行でいろんな人が出てきていろんなことを言っている。制度推進のマスコミがしゃべらせたいヤツにしゃべらせているんだから、所詮はしようもない話が多いのだが、それでもこの制度の現状を考えるきっかけにはなる。

001177

執行当日の『朝日』夕刊にさっそく登場したのは田口真義という不動産屋さん。裁判員経験者のまとめ役と称し、この新聞に重宝されているお方ですね。死刑判決に関わった経験者は死刑に関わることがいやなのではなく、実情がわからないままに執行されていくことが恐怖なのだ」と言い、裁判員裁判で死刑を意識し死刑のあり方に目を向けるようになったなんて言っている。この人は裁判員制度の推進に一役買いたいと思っているらしいが、死刑に反対している人ではないことがよくわかります。

1-e1397901276348あんたは「実情がわかれば死刑もいいと思うかも」なんて考えているのかもしれんが、いやな人は死刑に関わること自体がいやなのだ。情報公開がポイントだなんて話をずらしたりするなってこと。裁判員制度に賛成でも反対でもないとかどこかで言ったことがないか。死刑に正面から反対するとも言わないだろう。鵺(ぬえ)とはあんたのような奴を言うのだ。

001177

大『朝日』は翌19日には専門家を登場させました。制度設計に関わった松尾邦弘元検事総長。

1-e1397901276348「国民は死刑を受け入れている。裁判員の負担については検察も裁判所も向き合っていかねば」。国民が受け入れていないことを懸念した『朝日』がこの方に声を掛けたんでしょうね。検事はこのくらいずれるという例証かも。極少の「国民」しか制度を支えていないってことを認めちまったらオシマイだからしょうがないか。でも、受け入れてくれたんだったら、検察・裁判所はいったい何に向き合っていけと言うのさ。

001177

同じ『朝日』。木谷明元高裁判事。「執行を機に死刑を考えよう。みんなが裁判員になる可能性があるのに死刑に関する情報はあまりにも乏しい」。

1-e1397901276348現役時代には無罪輩出で知られたお方だが、麒麟も老いたりか。裁判員問題から死刑問題に論点を移してはいけません。今論ずべきは裁判員制度はこれでよいのかです。無罪か有罪かを争っている事件で、実刑にするか執行猶予にするかを考えようなんて簡単に言わなかったでしょ、昔のあなたは。

001177

『読売』は当日2人の専門家を登場させました。渡辺修甲南大教授。「死刑は妥当。厳正な執行を。裁判員の心の負担はやむなし。市民が自信をもって死刑宣告ができるように検察は有罪の立証をせよ」。

1-e1397901276348オウムK判決でも『読売』に登場してめちゃずれを言っていたお方だが、はっきり言って極致のずれ方だね。心の負担をどうするかを議論してるんだぜ。それとも何を聞かれてもこういう返事しかできないのかね。それにこの事件の裁判員たちは証拠が足りなくて悩んだんじゃなかったんだよ、ワタナベ君。

001177もう1人は原田国男元高裁判事。「死刑事件を裁判員から外したら国民の意見を反映させる制度にならない。精神面でのケアを充実させていかねば」と。

1-e1397901276348国民のほとんどが参加しなくなり、一部の特異な人に支えられているのが現在の裁判員裁判です。その現状を無視して物を言ってもしょうがないんですけど。で、原田君は誰のどういう「精神面」のケアが必要だと言うのですか。

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日の『読売』に登場したのは村井敏邦一橋大名誉教授。「裁判員のストレスは大きい。判決後に不安が増す人もいよう。長期的なケア態勢の充実も必要」と。素っ頓狂発言が多い中ではほっとするような「普通の意見」です。

1-e1397901276348ただし、前回にもコメントしたとおり、現在の裁判員裁判で心が傷つく人はもう僅かなのだ。傷つく人はほとんど裁判所に来なくなっている。死刑判決に関わる裁判員の心の負担のことよりも、苦にすることもなく楽しげに裁判員をやれる人が大半を占めているところに「制度の病理」がある。そのことに村井君は気づいていないらしい。

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『東京』の当日夕刊に登場したのは、石塚伸一龍谷大教授。「裁判員裁判の量刑判断をチェックする機会を逸したのは制度の欠陥。裁判員たちは死刑を選んだことを一生背負い続けるだろう。彼らは国民の代表なのだから、国民の一人ひとりが死刑について考えるべき」。

1-e1397901276348死刑判決については自動的に控訴審の審理が開始されるべきとおっしゃる。「一生忘れるな」はそのとおりです。刑務官を買って出た裁判員たちには「ケアより宣告」。
でもねぇ石塚君。画竜点睛を欠くのは裁判員制度廃止を言わないで死刑論議に流れたところ。
裁判員制度を直視して下さい。インコはそう宣告する。

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翌日の『東京』は村岡啓一一橋大学特任教授。「陪審制と違い裁判員は背景事情などを十分考えさせられないまま『生死』の過酷な判断を迫られる。自動上訴が不可欠。」。

1-e1397901276348裁判員制度の存在を前提として物を言えばそういうことにもなるのでしょう。村岡さんは陪審制と違って裁判員裁判には超短期に結論を出してしまう問題があることにもきちんと触れた。

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でもそこまで踏み込むのなら、そんな裁判員制度など根本から考え直せとどうして言わないのでしょう。

1-e1397901276348さてさて裁判員裁判による死刑執行。識者発言を叩くのはこのあたりで終わりにしようか・・・。

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ちょっと待って。年末が迫った12月28日に『朝日』が社説を出してくれました。タイトルは「裁判員裁判 死刑と向き合う機会に」。インコさんがこれを無視しては『朝日』様にも多くの読者の皆さまにも申し訳ないですわね。

1-e1397901276348「市民が裁判員を務める制度のもとで初の死刑執行のケース。携わった裁判員の苦悩はいかばかりか、はかりしれない」。うーむ、他紙の追随を許さない最大限の深刻表現だ。我が社はそういう認識に立っておりますと言ってみせるところがいかにも『朝日』。で、心のケアを「さらに充実させる」取り組みが欠かせないとね。これまでも「心のケア」が実施されてきたことをよっく心得てますとココロを込めて「さらに」にしたのだ。

00631100『朝日』らしいです。

1-e1397901276348ここからやっと本論が始まる。「その一方で、裁判員が死刑求刑事件について判決を下すこともあるという仕組みから、私たち国民は逃れるべきではない」。ガーン。その一方ってどの一方かよくわからんが、裁判員の死刑直面の仕組みを否定することは「この制度から逃げる」ことになるらしい。深刻表現の大リバース。

001178まね0苦しみ抜いて煉獄に行けやて。『朝日』はんらしいなぁ。

1-e1397901276348「そもそも権力の処罰は主権者からの負託だし、死刑も国民が決めたもの。これまであまりにも多くの手続きを執行する刑務官らにやらせ過ぎた」。おいおいホントかい。本来なら死刑囚の首をくくる紐は国民が引っ張らなければならないのに、刑務官に引っ張らせてきたと言ってる。死刑判決を出すのも死刑囚を殺すのも本当は国民の仕事だというのが大『朝日』の社是なのか。

001181そうするとこの国は長きにわたって間違った司法の仕組みを作ってやってきたことになりますわね。

1-e1397901276348「人を裁く体験を通じ、死刑と向き合い、是非を考える。裁判員制度をそうした機会にしていくことが大切だろう」。そうかそうか、裁判員制度は死刑制度を考えるための一方策だったのだ。一転、ここから『朝日』の論調は情報公開の必要性の話に切り替わる。田口某とやらが言ってるレベルの話に超接近である。

001181「裁判員が死刑執行で苦しむ」のをどうするですね。

1-e1397901276348しかし、『朝日』の社是は「裁判員制度推進」。「死刑執行」の方を動かすしかない。だが、『朝日』の社是は「死刑について反対せず」だ。是非を考えるったって是非もない。

00631100『朝日』は死刑に反対だと思っていましたが・・・。

1-e1397901276348よく読んでほしいね。死刑に関して「反対」ではなく「情報を公開させること」に逸らした。しかり、『朝日』は「逃げた」。
情報公開を主張するのは、問題がまるきり理解できない時か、問題に迫ることを避ける時が多い。

00631100「お茶を濁す」案ですね。

001178まね0死刑制度について反対を正面から言わない人たちが死刑に関する情報公開を求める。裁判員制度について反対を言わない人たちが守秘義務の解除などを求める。みんな同じことですね。

1-e1397901276348「社是」という言葉が出たついでに一言触れておく。『朝日』の12月4日の「社説余滴」の欄に論説委員加戸靖史氏が、米国の核兵器に頼ることを認める『朝日』の社説の立場を反核運動に取り組む人たちから批判された経験を書いている。タイトルは「『核権力』に立ち向かう」。自分も社説の立場を踏襲してきたが、人権優先の思想をもっと打ち出すべきと思ったと告白する。「人間として当たり前の要求を権力に突きつけていくしかない」というNGO事務局長の声を紹介しながら、加戸氏は「人間がこれ以上、核に脅かされることを防ぐ主張をもっと研ぎ澄ましたい」とも述べる。あまりにも当たり前の話だ。

00631100こういうことがあらためてテーマになること自体に驚きを感じます。

1-e1397901276348報道の自由などにお詳しい(筈の)『朝日』の論説委員、編集委員、デスクや記者の皆さん。ボクや私の「表現の自由」はどこに行っちゃったんですかね。ここはひとつご自身の表現の自由に「真摯に向き合って」みませんか。情けなー、なんて言われないようにね。タイトルは「『裁判員』権力に立ち向かう」でどうですかね。
と、またまた元旦早々、歯に衣着せずに物を言っちまって、まっこと失礼つかまつりまする。人格もとい鳥格に問題があるなんて言われないよう、私めも「もっとチョーカクを研ぎ澄ましたい」と思っております、はい。

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投稿:2016年1月2日

謹賀新年 制度廃止でもっとおめでとうへ

1-e1397901276348とにかく新しい年のお正月を迎えました。あけましておめでとうございます、と一応申し上げます。

001177裁判員制度の打倒・粉砕をめざして闘っているインコさんとしましては、その目的を達する前にまた新年を迎え、残念無念というのがホントのところなんですね。

1-e1397901276348そういうことです。では、年明け早々に裁判員裁判の死刑執行の話をさせていただきます。

00631100えっ、年頭のあいさつにはちょっとふさわしくないのでは・・・。

怒り何を言ってるんですか。市民に死刑を言い渡させること自体がメチャクチャふさわしくないことです。年頭も年末もなく、似つかわしくないという話ならそこから似つかわしくないでしょうがっ。

0011780まぁそう力まずに。わかりました、わかりましたから。ご自由にやってくださいませ。

1-e1397901276348うこなくちゃ。大問題です。年の初めです。新聞だって2倍の厚さだ。この際2回にわけてしゃべるかな。

0011780どうぞどうぞ2回でも3回でも。

1-e1397901276348そこまで言われるとちょっと勢いがそがれるけれど…。まぁいいでしょう。
法務省は昨年12月18日、2人の死刑を執行しました。その1人は11年6月に横浜地裁の裁判員裁判で死刑が言い渡されT死刑囚(63)。判決によれば川崎市内のアパートで3人を殺害したということです。弁護人が控訴したのですが、被告人自身が控訴を取り下げてしまったので、高裁や最高裁の判断を経ずに、つまり裁判員裁判だけで死刑が確定してしまった。

1-e1397901276348岩城光英法務大臣は、「裁判員の方には大変重い判断をいただいた。慎重に審理を重ねた上での死刑判決が言い渡された」と述べ、各紙は記者会見をする法相の姿を写真入りで大きく報道。『朝日』は執行当日夕刊の一面と社会面で、「裁判員判決で死刑 初執行」「市民参加 重い節目」「裁判員 悩んだ末の極刑選択」などと速報。『読売』も当日夕刊の一面と社会面で、「裁判員死刑判決 初の執行」「法相『重い決断頂いた』」と。『東京』は当日夕刊で、「自分が命奪っていいのか」という大きな横見出しと「元裁判員 市民による判断反対」という縦見出しを付けました。

001181市民による市民に対する「合法」殺人。制度実施から6年半の間に、裁判員裁判で26人に死刑が言い渡され、うち死刑確定者はT死刑囚を含めて7人に達しました。初めて死刑が確定した裁判員判決は10年11月の強盗殺人事件だったが(これも横浜地裁。控訴取り下げで確定)、それ以来の大報道になりましたね。

1-e1397901276348マスコミはいっせいに「言渡しの苦しみ」とか「こころのケア」とかに照準を当てました。ここで「言渡しの苦しみ」とか「こころのケア」に関係することでどうしても触れなければならないのは、この事件に関わった裁判員たちの一般的な「傾向」の問題です。

1-e1397901276348裁判員たちは、本当に法相が言うように「重い判断」をしたのか。話はそれほど単純ではない。単純でないところにこそ問題があるのだと思います。率直に言えば、地裁判決後の裁判員たちの言葉には凄まじいものが多かった。補充裁判員を含む9人のうち6人が共同記者会見に出席した場で「被告人は罪と向き合ってほしい」と言った。つまり被告人は自分たちが出した結論をそのまま受け入れてほしいと強調したということです。大学4年生(当時22)は、「考え抜いた末の納得の結論。5日間の評議で思い残すことなく自分の意見も言えた」と言い、会見に出た6人のうち5人が「被告人は控訴しないでほしい」と述べたとも報道されています。

1-e1397901276348被告の控訴取り下げで死刑が確定したことについて報道陣に意見を聞かれた6人の元裁判員たちは「問題ない」と答えた。公刊された本の中で自身名前を名乗っているので、ここでも実名で紹介させていただくが、米澤敏靖さんという方は次のように述べています。「やってみたいと思って行ったら選ばれた。あんたにできるのと母親に言われ、何でお前がと父親に嫉妬され(笑)、やってやろうと。初法廷は皆さんに目を向けられ気持ち良かった。評決時には達成感があった。父からは『大変なことをしたな』と言われた。大変だったねという意味だ(笑)。友だちには『人を殺したのか』と言われ、そういうことになるのかと思った。間接的に人を殺したことになっても後悔はしない、参加してよかった」(『裁判員のあたまの中』現代人文社刊)。

1-e1397901276348「僕らで人を殺したと考えられるので、精神的につらいものがありました」と振り返った20代の男性会社員の言葉を紹介する記事もありましたが(『朝日』当日夕刊)、どうにも浅く軽い印象がぬぐえません。この判決に関わった裁判員や補充裁判員がみんな同じ考えではないでしょうが、集団ヒステリーなのか厳罰論者が多いのか、被告を死に追いやることにさして躊躇を感じていないように見えます。楽しげにと言ってもよいような経験話を開陳している現実がここにはあります。しかしこの事実にマスコミはほとんど関心を寄せない。

0011780「控訴するな」を批判したマスコミもいません。自分たちが「死ね」と命じたのだから、黙って受け入れろという傲慢さはどこから来るのでしょうか。

1-e1397901276348早い時期から裁判員裁判は、隣人の処罰に躊躇のない人、説教したがるお節介者、妙な自信家、日当に惹かれた人などに支えられてきました。そこに誘い込まれ迷い込んだ数少ない超律儀者、国の命令に抵抗できない気の弱い人やお人好しが、自身の経験によって煉獄の苦しみに追い込まれ、迷える子羊になっています。「罪悪感を感じた」とか「心の負担の軽減」とか「一生苦しみが消えない」などというのはそういう「一部の人」に関する話なのです。福島地裁郡山支部で裁判員を体験して心の病に陥った元裁判員がその典型です。

001177この事実にもマスコミはまったく関心を寄せません。マスコミがそろって言うのは、「こころのケアをしっかりと」です。だが、具体的に言えば何をしろというのでしょうか。『朝日』は「裁判員候補者の6割が辞退している。負担の軽減や心のケアなどの課題はなお未解決」と言い(当日)、『読売』は「裁判員から『自分が殺すのと同じ。罪悪感を感じた』などの声が出ている。自分たちの判断が直接執行につながったという心理的負担は重いはず。精神面のサポートのためによりきめ細かなケアを」と言いました(当日)。

001181しかし、これまでに裁判員を務めた人の数は約6万人にのぼりますが、最高裁が設置したケアシステムを利用した人の数は僅か300人ほどに過ぎません。0.5%しかいないのです。マスコミがこぞってとり上げた「ケア強化」の声と実績の甚だしい乖離が示すものは何でしょうか。

1-e1397901276348第1は、やりたくない人たちはもう大半が出頭を拒絶し、今出頭する人たちの多くはマスコミが言うほどストレスを感じていないというそれ自体恐るべき事実です。第2は、ケアと言いケア強化と言うけれども、一体何をケアするのかという根本のところがまるで明らかにされていないということがあります。

001181「心に傷を負った人をケアするきめ細かな方法」とは具体的には何でしよう。何をすれば人はケアされるのでしょうか。すべてのマスコミはそのことに一言もふれません。
そこにこの話の基本的なウソがありますね。

150504-03そのとおりだ。あなたが殺したのではないというような超理屈を言うのか。あなたが殺したのには正当性があるとでも言うのか。神様のご加護をなどと言って抱きしめるのか。「ケア」の中身を一言も言わずに「ケア強化」を言うアホらしさをマスコミは少しでも考えて見ろと言いたい。

1-e1397901276348「ケア」強化論ほどのゴマカシはありません。そんなことしか言えないところに裁判員制度の終末の風景が見えます。『東京』の論調に沿って言えば、「自分が命奪っていいのか」という問いに対する答えは、「市民による判断反対」しかないということです。
と、まぁ本日は元旦ですから、この程度におさめておきましょう。

おたけび2ではでは、今年もずずいーっとよろしく。

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投稿:2016年1月1日