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連続講座第1回 「『市民』とはなにか? 」 

001177昨年11月14日に福岡で開催された第16回裁判員制度廃止市民集会、猪野亨弁護士の講演は、とてもわかりやすく好評でした。

1-e1397901276348ぜひ、多くの方に知ってもらいたいと思います。そうだ、インコのホームページでも、猪野弁護士に再講演をお願いしようっと。では、早速、札幌へ・16126・・

001178まね0ちょっとお待ちなさい。

へ?なんだよ~。

001177福岡の「市民のための刑事弁護を共に追求する会」から、「猪野さんの講演内容は、インコのウェブを使って広めて欲しい」ということで、原稿をいただいております。

1-e1397901276348さすがだ! 党利党略私利私欲とは無縁に、制度廃止に本気のところは言うことが違うね。

001177という訳で、これから10回に分けて、猪野亨弁護士ウェブ連続講座「マスコミが伝えない裁判員の真相」をお送りいたします。
なお、ご希望の方には、報告集をお送りいたします。

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第1回 

「市民」とはなにか?

『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』は、私を含めて3人の弁護士の名前で出させていただきました。多くの弁護士が活動をしている「アスクの会」に監修してもらい、この本が出来上がりました。

 「マスコミが伝えない」といいながら、ここで書かれているのは、全面的にマスコミ報道に依拠しています070911(笑)。ほとんどマスコミの報道と、最高裁からの資料から作成しています。

 なぜ、「マスコミが伝えない」と書いたのかというと、報道の視点、中身によって、全然違う方向に行っているからです。要するに、裁判員制度の真相からは程遠いような形で、報道がなされているために、「なんで、こんな報道になるんやろ」と。これは、皆さんも一番、思われているところだと思うんですね。

 先ほどもご紹介がありましたように、国民は、ほとんど、裁判員制度なんて見向きもしない、嫌われている制度なのですが、マスコミ報道を見ると、8割が出頭みたいな…出頭とは書かないですね、マスコミは。出席といい、国民参加という言葉を使いますね。私たちの実感とはまったく掛け離れている。このことは、皆さん、日々実感されているところかなと思います。

 裁判員制度は「市民感覚」という言い方がされますが、ここで言う「市民」とは一体何なんだろうということが、マスコミ報道の中では、実はわからないのです。

 「市民」というと、「市民活動家」ですとか、「市民運動」というように、昔で言うと、「左翼系の運動をする人」という風に捉えられていたところがあったのではないかと思われます。

 ですから、体制側がどういう言葉を使うかというと、「国民」という言葉を使います。「国民」という言葉に対するアンチテーゼとして「市民」がある。そこには「国民」だけじゃない、いろいろな人たちが全部集った形、外国人や有権者でない人たちも含めて考え、運動を作っていくという概念の中から「市民」という言葉が生まれたのではないか。それが市民運動だったり、市民活動だったりという表現として用いられてきたのではないかなと思います。

 でも、今言われている「市民感覚」というのは、これとは全然、違うものです。「市民感覚」と言われながらも、裁判員制度で裁判員となる対象とされているのは有権者です。裁判員候補者として呼ばれているのは、有権者の中から、クジで選ばれた者であり、先ほど述べた「市民」とはまるで違うものですが、「市民感覚」と言われている。070907

 考えてみますと、これは司法改革から始まってきたのかなと思います。「市民のための法律相談」とか、日弁連までも言い始めました。そこにいる市民というのは何だろう。「市民」という言葉が使われ始めたことに問題が含まれているのかなと思います。

 司法改革自体は、規制改革の流れの中で最後の要として、司法を変えていくんだと登場して来ました。裁判員制度というのも、その中の一つとして位置付けられていますが、規制改革の流れの中で、司法を財界などの使い勝手の良いものに変えていく。これが司法改革の最大の眼目でした。地裁の判決が遅い、こんなのはダメだ。弁護士を増やしてもっと使い勝手の良いものにしよう、というところから始まりました。

 そして、刑事裁判においては、悪化する治安対策をどうするかというところから、裁判員制度の導入が決められ、司法改革が規制改革の最後の要として実行されてきたのです。

 規制緩和が何だったのかというと、「弱肉強食」です。皆さんもご承知だと思うのですが、規制を緩和することによって、弱肉強食をそのまま実現しましょう、強い者が勝ちゃ良いんだと。それぞれが、対等な立場で競争社会の中で生きれば良いんだと。規制なんて甘っちょろいことをやっているから、経済が発展しないんだ、という中で実行されてきたものです。

  ここで対象とされているものは何かというと、対等な人間を擬制するというものです。本来、対等でも何でもないのに、対等であるかのように扱う。その典型例が、雇用の流動化です。雇用者、つまり資本家と労働者の従属関係をまったく無視して、「自分が好き勝手なところで働けるんだから良いでしょう」と。雇用が流動化すれば、それだけ自分が評価されるんだという言い方の中で、雇用を自由化していく。対等でないものを対等として扱うやり方です。0709082

 ここで思い出すのが「市民革命」です。あの時代は、封建社会を倒して、王政を倒して、ブルジョアジーが自分たちの社会を作る、資本の世の中を作ると。その流れの中で出てきた「市民」ですね。フランス革命が「市民革命」といわれるのは、そういった古い王政を倒して、資本主義社会を作っているとイメージされてきた「市民」。

 そこで言われた「市民」と、司法制度改革が言う「市民」はぴったりイメージが一致しませんか。以前、私たちが使っていた「市民」とはまったく違う内面が現れてきた。それが、今回の司法制度改革で出来た「市民」という名称、キーワードだったのではないかと。

 これを「市民感覚」という形で、裁判員制度の中で持て囃されてきた。ただ、「市民感覚の反映」みたいなことを言っているのはマスコミです。裁判所は、公式的には言っていないはずです。マスコミが「市民感覚の反映だ」ということで、裁判員制度を正当化・合理化しようとした。それは、私たちの感覚が反映されるんだと言わんばかりのものであり、それが「市民」の使われ方だったのです。

1-e1397901276348インコ一言
「市民」という言葉の使われ方と「裁判所は使わない」は、キーワードですね。さて、話はここから一気におもしろくなっていきます。

 

投稿:2016年1月27日