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連続講座第3回 「おかしいぞ!日弁連」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第3回

日弁連のおかしさ-その1246410d

 以前、裁判員制度を推進するために弁護士会、これは、まさに「おかしいぞ!日弁連」です。どこの弁護士会もそうでした。裁判員制度が導入されたとき、これを円滑運用するために、弁護士会自体が、裁判所と法務省、法務省というか検察庁ですね、そこが3者が一体となって、駅前でビラを撒いたり、ティッシュを配ったりとか、もう本当に、権力の一翼を担っているんじゃないかと思われるくらいのことを、弁護士会が行っていった。まさに「おかしい」んです。

 施行前、集会で、会場から「義務で出頭するのは、おかしいでしょう」という質問が出たとき、弁護士がなんと答えたかというと、「投票だって義務だ」と。いや、投票、義務じゃないですよね。権利であって、あれは放棄したって別に何のお咎めもない。私たちが有権者として責任を感じて、どう行使するかという問題は当然あります。しかし、義務じゃない。裁判員制度のように、出頭を拒否したら、建前上は過料という制裁が加えられることになっていますが、選挙を拒否しても投票に行かなくても、何のお咎めもない。あくまでも、私たちにとっては権利ですから。

 それを、「義務だ」という言い方で、しかもそれを弁護士が言うかと。ちょっと、これは誤魔化しレベルでは言えないことをやってきたということです。335733b

 この中で言えることは、裁判自体が変わっちゃったということです。本来、私たちが裁判に関わるというのは、公開裁判の中で、権力がどのように行使されているのかということを監視することに、主権者として私たちの役割があった。その典型例が何かといいますと、元々、裁判の公開でなるほど、これこそが権力の監視、裁判監視の意義だと感じられたのが、松川裁判です。戦後、混乱期に組合などを弾圧するために行われた謀略事件で、組合員を逮捕して死刑判決を下していく。これに対して、全国的に批判運動が起こり、私たちが裁判の流れ、行われ方を監視してきた結果、最高裁で逆転した。

 それを裁判員制度は逆にしてしまった訳です。例えば、これ自体は裁判員裁判ではなかったですけれども、名古屋で起きた闇サイト事件。3人による30歳の女性への強盗殺人。サイトで知り合っただけで、意気投合したのか、強盗殺人を実行してしまう。これ自体は、はっきり言ってひどい事件ということになるんですけれども、これに対する国民の関わり方が何だったのかというと、「遺族が陳情書、極刑を求める署名33万人」。権力の行使を促す方向に動いている訳ですね。これが被害者参加と合い重なると、国民参加って、一体なんだろうという方向に、まったく変わってしまったということが、良く分かると思います。

 光市事件だって同じです。あれも「極刑を求める」という世論の中で、最高裁までが、従来の流れを覆して、破棄して高裁に差し戻した。まさに、「市民参加」というものが、ああいう形で結集していくことの恐ろしさが如実に現れ、裁判員制度によって、より実現されていこうとしているのです。

 そのあたりは、また、後で触れますけれども、マスコミの果たす役割というのが、非常に大きかったということになる訳です。246410c

日弁連のおかしさ-その2

 始まる前からわかっていたことがあります。裁判員制度が実施される直前、マスコミ各社が行った世論調査があります。これを見てもわかるとおり、当時から圧倒的国民はやりたくなかったんです。ところが、マスコミはどう考えていたかというと、「これは宣伝不足である。きちんと、最高裁、日弁連、法務省は宣伝するように」とはっぱをかけていたんです。説明して、国民にわかってもらえば、参加するはずだ。そういう発想でマスコミは論調を展開しました。

 でも、実際にやってみたら、出頭率はどんどん下がる一方。マスコミが以前、言っていたことと大きく矛盾を孕むことになってしまいました。

 これだけ、最初から嫌われていた制度というのは珍しいんじゃないですかね。286731a

 でも、ここでまた、日弁連が一役買ったのです。

 制度実施の前年8月、「国民に受け入れられていない」ということで、野党の中から「制度の実施を延期すべきである」という意見が出されました。共産党、社民党、国民新党、そして民主党の中でも「検証すべき」という声が出て来ました。当時は、自民党政権でした。

 そういった、延期の発表が行われたということに対して、危機感を持ったのが日弁連執行部です。直ちに「延期すべきでない」という声明を出しました。なんでこんなことになるのかな。

 「自分たちが権力の片棒を担いだ」というのが、当時の日弁連の姿です。今もあまり変わらないと思いますけれども。

 当時、国民が嫌がっていたにも関わらず、そして野党からも疑問の声が上がってきていたにも関わらず、たちどころに「延期なんかすべきじゃない」という声明を出し、マスコミは当然のようにそれに食いつく訳です。でも、なぜ、日弁連がこれだけ推進するのかというのは、私たちの中でも理解できない部分です。なぜ、あそこまで権力に擦り寄ってしまったのか。

 本来、司法改革の中身を見れば、司法改革そのものに反対しなければならないのが、日弁連だった訳です。2951651

  私がここで一番、疑問だなと思うのが、自由法曹団、名前出して言いますが、自由法曹団という弁護士の組織です。この人たちが、裁判員制度にどういう意見書を出したかというと、「市民感覚は良いんだ」と、しかも「一般市民は、警察権力に懐疑的な目を向けているから、素晴らしいんだ」と。今もその見解を崩していません。

 しかし、本当でしょうか。裁判員制度が警察権力に懐疑的な目を持って運用されてきたでしょうか。そんな事実はありません。むしろ、権力の行使を助長してきたのが裁判員制度であったにも関わらず、一部の弁護士が「これは、権力を抑制するんだ」とか、「その可能性を持っているんだ」と言って、裁判員制度導入を正当化・合理化して推進してきたというとうことが、日弁連をして「権力と手をつなぐ」というような事態にまで至っていると思います。

 ですから、このような、なんていうのでしょうか、マスコミと日弁連、そして権力側が、裁判員制度を正当化し、合理化して推進してきたということだと思います。

パンチインコ一言
日弁連のおかしさはまだ続いている。いや、ますますおかしくなっている。継続審議となっている刑事訴訟法改悪、法務省と一緒になって推進している。猛毒が入った水でも、蜜を1滴垂らされたら喜んで飲むというのだ。このおかしさをこれからも引き継いでいくのかどうか、今、その岐路に立っている。弁護士一人ひとりの姿勢が問われている。

oudannmaku1

投稿:2016年1月29日