~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第6回
負担をかけられないよう配慮され、マスコミから一切、批判されることのない裁判員がどのようになっていくのか。それが、暴走していく裁判員です。
大阪で、アスペルガー症候群の被告人に、求刑16年に対し、懲役20年の判決を出しました。この判決には、マスコミも大いに批判しました。このときの判決は、「社会的防衛のためには長く刑務所に入れておく必要があるんだ」ということでの求刑超えだったので、マスコミとしても批判せざるを得なかった。しかし、裁判員が間違っているという批判ではありません。その批判は、「裁判官はちゃんと説示したのか」であり、裁判員には一切、向けられていない。
しかし、特異な報道はありました。『産経新聞』です。「これぞ、裁判員判決だ」と持ち上げるんで、その意味では素晴らしいですよね、一貫してます(笑)。まさに、裁くための制度であって、裁く側の制度なんだから、それが国民の意思なんだ。重罰化で何が悪いんだと。一貫しているという意味では素晴らしい。
でも、これが正義の制度なんだと言っているような新聞が、こういう判決が出たことに対してなぜ、正面から批判できないのか、というところの方が大きな矛盾ですね。『朝日新聞』とかそういうところです。そういうところが、この判決に対し、正面から批判できないというのは、非常におかしいことです。
この判決は、2012年7月で、その後、10月にも似たような判決が出ていたのです。私は、この本を書くにあたって、新聞記事を読み返して、こんなのもあったのかということなんですが。
2人を死傷させた事件なんですが、責任能力については、妄想性障害の影響を指摘する精神鑑定結果がすでに公判廷に提出されていて、弁護人も検察側も「限定責任能力でしかない」と。完全責任能力がないことは、双方、前提として公判を推進し、立証活動をしてきた。ところが、判決がすごいんです。「検察側と弁護側が主張した限定能力をいずれも退け、完全責任能力を認定」して、懲役12年の求刑に対し、それを上回る16年の判決が出された。
良く報道してくれたとは思うが、どうしてこれが大きく報道されなかったのかというところが疑問です。
弁護人も検察官も、双方が限定責任能力で仕方がないと考えていたところを退けちゃって、完全責任能力があるだって言っちゃう訳です。当然、裁判官裁判だったらこんなことはないんですよね。
これが裁判員裁判の特徴でもあります。責任能力がないから、罪が減る、刑が軽くなるなんていうのは納得できない、結果責任を問うのが市民感覚なんです。ここが一番重要なところです。
07年、裁判員制度が始まる前の模擬裁判の報道なんですが。各地で、裁判所や弁護士会がいろいろと模擬裁判をやったんです。その中で、「裁判員6人と裁判官3人は、一部、責任能力を認めて、心神耗弱とすることで一致した。しかし、量刑判断では、『人を殺したのに求刑10年は軽すぎる。被害者遺族の思いを考えるべきだ』との声が相次いだ」とあります。要するに、限定責任能力しかないのなら、それに見合った処遇を考えなければならないのに、そうじゃないんですよ。人が死んでいるのに10年なんて軽いんだというところに、すぐ行ってしまう。
別の新聞報道ではもっとびっくりすることが書いてありました。同じく模擬裁判ですけれども、「責任能力がない」という鑑定意見が出て、3人の裁判官は一致して無罪、責任能力がないんだから当然、無罪ですよね。これに対して、裁判員たちは全員有罪だった。単純多数決なら有罪なんですけど、裁判員法の規定によって、有罪にするには裁判官が1人は入っていなければならない。ですから、無罪になったら、「何のために俺たちを呼んだんだ」と裁判員たちは怒って帰っちゃったと。やはり、えっとか思うわけですよ。自分たちが入ることによって、市民感覚を実現するんだという意気込みの下で、そうなっちゃうんですかね。恐ろしい。
少年事件への厳罰化
これに通じているのが、少年事件です。少年だからという処遇を考えるのではありません。被害結果としては大人と同じなんだから、大人と同じに処罰すべきだと発想です。これが、裁判員裁判によって如実に表れてくるようになりました。
石巻少年事件、石巻で起きた少年が2人を殺害したストーカー事件がありましたが、その裁判に関わった裁判員がどう言っているかというと、「個人的には、14歳、15歳だろうと、悪いことをしたら大人と同じ刑で判断すべきだ。そう心がけて参加した」と。もう、強い意志なんです。
結果が、被告人がどういうことをやったのかということが重視されているというのが、共通認識なんですね。一般的には。
どちらの立場に立つかというのは、もう明らかなんです。被害者側の立場に立つ。そういう感覚でもって裁く。その感覚で裁判に参加している訳ですから、どうしてもそういう結果になるのです。
少年法は、そうした理由で、どんどん、厳罰化が進み、マスコミの論調も「厳罰化については懸念を示す」みたいなことは若干出てはくるけれども、これを正面から批判することはなくなりました。むしろ、裁判員から、「少年に対する刑が軽すぎる」という感想が出されたということを根拠に、量刑を上げる立法改正にも無批判です。ですから、少年法の分野では、最悪の事態を迎えているということです。
広島で、少女をラインでつながっていた仲間が寄ってたかってなぶり殺しにしたという事件がありました。中には顔見知りでない人も入っていたのですが。中身としてはひどい案件で、主犯は厳罰でした。これを『毎日新聞』は、「社会的注目を集めた24日の広島地裁判決は、裁判員たちが、成人や少年の区別なく、罪に応じた刑罰を科すべきと判断した結果といえる。この日の判決は、市民感情を反映し、少年を特別視しない昨今の傾向が踏襲された形だ」と、肯定的に評価して報じました。
ですから、少年法の適用年齢が20歳から18歳に引き下げられるのではないかと。自民党の方から「ともかく、引き下げよ」という声が出始めて、法務省どうするのかというのが、最大の焦点となっています。しかし、マスコミの論調がこんな状態では、今、少年法は極めて危うい状態が招来している。それを後押ししているのが、裁判員裁判であり、マスコミですね。
マスコミが裁判員裁判を是とする限りは、今言った様なことに正面から反論できないはずです。少年法の年齢引き下げだとか、厳罰化に対して、正面から反論するということが出来ない。要するに、手足を縛られたのか、それとも自ら縛っちゃったのか、問題はありますが、少なくともそういう方向に行っていることだけは間違いありません。裁判員制度が導入されたことで、すごく恐ろしいことになっているということです。
インコ一言:最高裁は、市民を利用してもっと緩やかに重罰化を進めようと思っていたのに、一気に暴走してしまった。神様だから、裁判官も暴走は止めない。「罪を犯す奴はエリートのボクとは違うし。ここは10年だと思うけど、庶民…違った、国民のみなさまが15年と言うんだし、最高裁は裁判員を尊重せよと言うし…ししし」 弁護士は? 市民が入れば良くなるという幻想を持っている制度推進の弁護士はこれらの判決に満足か?
投稿:2016年2月1日