~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
読者の方から、猪野亨弁護士ウェブ連続講座「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」に対する読後感想文を戴きましたのでご紹介します。
「災害現場からの報告」
足立区・一市民
「裁判員は、有罪・無罪、証拠をどう判断するかということでは、裁判官に太刀打ちできない。しかし、量刑に関しては、そうはいかない。『自分の感覚で良い』となれば、これは無敵です。理由がいらないんですから。」(連載第8回)
「今回言われているのは、お芝居としての公判中心主義。裁判所は、お客様の裁判員のためには、そうしたい。調書を朗読されると裁判員はわかりませんと。単調で眠くなるみたいですね。」(連載最終回)
これが、マスコミがこぞって持て囃す“市民感覚”の実態。思わず笑ってしまったが、もちろん笑っている場合ではない。膨大な国費を投じて開通した国道を、無免許運転、居眠り運転の車が暴走して死屍累々の山を築いている。そういう実景が想像できるだろうか。
もちろん、暴走車両の運転員も無傷ではいられない。返り血を浴びるだけでなく、事故のショックで心身に深い傷を負う。
それでも、どれだけ制度破綻は明白であっても、猪野弁護士も認めざるを得ないように、この国家プロジェクトを止めるのは至難のことなのだろう。国策批判を封じ込める仕組み(だけ)は今も健在だ。マスコミも弁護士会も、ここでは全く機能しない。特に、ボランティア精神で国民を動員する「ナチスの手口」が、本邦の裁判員制度に通じるという指摘は重要だ(質疑応答篇)。
そういう意味において、裁判員制度は、解釈改憲からいよいよ憲法改正へと向かう復古主義的統制の一つのリハーサル(予行演習)でもあったのだろう。
ただ、想定外の静かな抵抗が、今じわじわと効いてきている。年を追うごとに増え続ける不出頭者に対して、いまだに一件も罰則を適用できていないらしい。最高裁といえども、これには手も足も出ないということだ(そこで、寺田長官が裁判員候補者の呼出状に「顔」を出したとか)。
この声なき抵抗は、安保法制論議の中で、いよいよ話題に上り始めた徴兵制を拒絶し忌避するための、市民にとってのリハーサル(避難訓練?)になるに違いない。そのためにも、血まみれになった裁判員制度の実態に今こそ目を凝らすべきだ。
この講演記録は、誤った国策による災害現場からの生々しい報告に溢れている。
投稿:2016年2月9日