トピックス

トップ > トピックス > 緊急記者会見 虚勢 墜つ!

緊急記者会見 虚勢 墜つ!

『毎日朝辛深読新聞』16年4月1日号外

異様な雰囲気の記者会見場
昨日午後6時、最高裁で緊急の記者会見が開かれた。戸倉三郎事務総長の説明は次のとおり。3月30日午前5時
yjimageころ、寺田逸郎最高裁長官が公邸内で倒れているところを家人に発見された。通報で警察がかけつけ、医師が呼ばれたが、死亡が確認された。推定死亡時刻は午前3時。午前7時前には最高裁事務総局職員などの関係者が公邸にかけつけた。裂けたシーツが遺体にまとわりついており、これで首をくくったものと推定されると医師から説明されたという。記者会見に医師は立ち会わなかった。
写真:蒼白の面相で記者会見に応じる戸倉事務総長(写真『朝日新聞』)

 事務総長は、沈痛な思いからか時々言葉につまり、虚空をにらんで口を閉ざす場面もあり、記者たちが理解に苦しむシーンも少なくなかった。最高裁裁判官の在職中死亡は時々あるが、自殺はかつてない話とあって(外国ではスターリン支配下のソ連にはあったという)、このニュースはまたたく間に海外に流れ、世界の関心は最高裁の対応に集中した。

 特別記者会見とあって、参加資格に厳しい制限が課されず、顔なじみの司法記者クラブ記者だけでなく、週刊誌・月刊誌の記者やトップ屋らしい顔ぶれに混じり、鳥越俊太郎、大谷昭宏、田原総一朗などのジャーナリストや、号外を読んで駆けつけた最高裁判事行きつけの寿司屋の主人までが参加する異様な雰囲気になった。

 国際記者席には、米国ニューヨークタイムズ、英国ハフィントンポスト、独フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングなどの新聞記者やABC、BBCなど各国テレビ局の一線記者のほか、ロシアや中国など各国の大使館員などが並んだ。会見場に用意された椅子は200席だったが、参加者は300人を大きく超え、会場の後方は前が見えない状況になった。

長官自殺の背景
自殺の理由は現段階ではわからない、遺書はなかったという戸倉事務総長の説明に質問が集中。現段階で考えられる動機は何かという問いが相次いだ。事務総長はしばらくおいて口を開き、「昨日、『裁判の格好がつくのなら誰にやらせてもいいのか、だって』と口走り、突然嗚咽(おえつ)した。自分は『長官、元気を出して下さい。勝てば何してもええんかと言われて泣くのは白鵬に任せておきましょう』と申し上げた。長官は『裁判も変化で決めることがあるが、変化のし過ぎはあかん。田中耕太郎長官も司法は激流の中に屹立する巌のごとくあれと言うてたんや』とうめきながら涙を流したと説明した。

 会場からは、「裁判の格好がつけば誰にやらせてもええんかとはどういうことか」とか、「変化で決まるというのは英語圏の言葉で言うとどうなるか」などという質問も出た。

 「『変化のし過ぎはあかん』は関西弁のようだが」との問いに、総長は「長官は京都生まれの大阪育ちですと」答え、yjima1ge外国人記者の「どうして相撲取りの話が出てくるのか」との質問に、長官は時津風部屋力士暴行死事件に関わって以来、相撲に興味を持ちとりわけ白鵬のファンだったと釈明した。

写真:在りし日の寺田逸郎氏

事務総長の弁明
 会場のスポーツ紙記者が「横綱らしくない取り口で勝って優秀した白鵬が土俵下のインタビューで申し訳ないと謝罪して泣いた」話を紹介した。一国の司法責任者の自殺という国際的事件が伊勢志摩サミットの直前に発生したというのにローカルな話題に集中する日本の記者連を横目に、外国人特派員たちの関心は「いったい何を詫びたのか」「裁判の格好がつけば誰にやらせてもよいのか、の意味を詳しく」「この事件がサミットに及ぼす影響は」「申し訳ないと自死するのは『恥の文化』か」などの質問に集中した。

 「裁判員制度の現状に対する国民への謝罪」以外に詫びの中身は考えにくいという事務総長の答弁で、会場が一瞬ざわめき緊張が走った。「裁判員制度はとりあえず順調」というのが竹崎博允前最高裁長官以来の一貫した当局発表だったが、真実は始まって間もない時期からこの制度はすでに破綻していyjimage7G04IBIOたというのである。

写真:竹崎博允前最高裁長官

 「裁判の格好がつけば誰にやらせてもよい」というのは、はーもふーも言わなくてよいからとにかくそこに6人の男女が坐っていてくれれば裁判員がいたことになるという意味らしい。それで本当によいと思っているのかと誰かに言われたのか、言われたような気がしたのか、とにかくそこで寺田長官の心が折れたらしいというのが事務総長の説明だった。総長の目は沈痛を通り越して、うつろと言える印象を場内に与えた。

死に至る経過・疾病
事務総長は経過について次のように説明した。
2年前に就任した寺田長官は、裁判官が注文を受けると町に説明に出て行く「裁判員制度の出前講義」の実施を全国の地裁に指令した。これを受け、各地裁はいっせいに取りかかったが、実際には出前講義を申し込んでくる団体がほとんどなく、計画は完全に暗礁に乗り上げた。長官は、優秀地裁と不良地裁を競わせる表彰方式も考えたが、全部ダメだったため長官室の地裁別成績表には一つのバラの花も付かなかった。

 長官が心療内科に通い始めたのが就任8ヶ月の一昨年12月だった。通院は完全に秘密裡に実施された(コードネームは「朝刊配達」)。裁判員出頭率が急落する中で、昨年夏、長官は「最後の賭け」(長官の言葉)として、私の顔写真と自筆のサインを入れた挨拶状を候補者名簿登載通知書に同封したいと刑事局長に提案した。yji11ma1ge

 刑事局長は、容貌が急変している長官の顔写真を掲示するのは逆効果だろうと難色を示し、長官がまだ元気だった1年前の写真を使用することを提言、結局そのアイデアの候補者名簿登載通知書が全国に発送された(右写真)。

 しかし、結果は悲惨であった。送られてきた調査票の多くに「長官はなぜを私を名簿に登載したのか」「あなたの写真を見て自分は裁判員をやる気がしなくなった」「長官はいらないインコに敗れた」というような記述が山のようにあった。すべての調査票に目を通すと宣言していた長官は意気消沈して倒れ、以来入退院を繰り返す生活に入った。
 裁判員制度をめぐって展望を予想させる報告や情報が何一つないまま年度末を迎えることになり、苛立つ日々が続いていたところに「波乱の春場所」が始まったという。

事務総長のむすび
事務総長の記者会見は2時間におよんだ。最後に記者の一人が、「明日の国会で報告が求められると思われます。総長は長官の最期についてどのように報告するおつもりですか」と尋ねた。事務総長が答えようとした時に、刑事局長が脇からそっとメモを渡した。事務総長はしばらくそのメモに目を落としたが、小さく首を振り目を前に向け直すと深呼吸をして言った。「長官は、昨日午前3時ころ公邸内にて死亡された。自殺と考えられる。長官はお亡くなりになったと、そのように答えます」。長い会見を終えて総長が深く記者席に礼をして退出した。
演壇のマイクの脇に残されたメモ用紙には次のように書かれていた。
「長官の現状はあまり順調ではない」
397780

=訃報=
  最高裁長官の寺田逸郎(てらだ・いつろう)さんが3月30日、公邸で死去した。68歳。通夜、葬儀は近親者のみで行う。後日、有志が「お別れの会」を開く予定。
京都市生まれ。東大法学部を卒業後、1972年に司法修習生。東京地裁判事補に任官後、札幌地裁や大阪地裁の裁判官を務めたほか、1985年には駐オランダ大使館一等書記官となり、その後は法務省勤務のいわゆる「赤レンガ組」となった。2010年2月に広島高等裁判所長官に就任、同年12月27日に最高裁判所判事。2014年4月、第18代最高裁判所長官に就任。
父寺田次郎も最高裁長官を務め、親子二代の長官は初。「福岡・海の中道事件」では裁判長を務め、危険運転致死罪の拡大解釈で評価を落とした。任期途中で撤退した竹崎博允氏の後任として、裁判員制度の「出前講座」を企画したが失敗、その挫折がインコの餌食となり、2015年11月には自身の顔写真入り候補者名簿登載通知を送付して評判になった。

 


投稿:2016年4月1日