~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「裁判員裁判の現状を掘り下げながら、適正な弁護活動をするために今何が必要かについても具体的に検討する」という特集、『自由と正義』(2016年1月号)の「裁判員裁判の現状と課題」もついに最後の論文になりました。
これまでのところ裁判員裁判の現状を掘り下げるとは何のことかというような話が続いている。とんでもない結論で終わる気配が濃厚だな。
前回の君の解説に感心して、最後は優秀な君に任せようかと…。これを有終の美という。
仕方ありません、ボクが読んだところをご紹介します。第4は「弁護士会の研修の在り方について」です。金沢弁護士会の奥村回さんのレポート。これは「弁護士・弁護士会の義務」で始まります。
「憲法37条は刑事被告人の弁護人依頼権を規定する。
国連の弁護士基本原則の第1原則もすべての人が弁護士の援助を受ける権利を持つと規定する」。
当然のことだ。国家権力は被疑者や被告人や囚人などの基本的人権を踏みにじり、ほしいままに市民の身体の自由はおろか生命まで奪ってきた。国家権力というと抽象的になるが、政府と言えばわかりやすいんじゃないかな。イメージが急にはっきりしてきただろ。
絶対王政下では言うまでもないが、近代国家でも権力が睨んだ者を監獄や死刑台に送り込むのは日常茶飯のこと。現代だって例外でない。ナチス、イスラエル、イラク、米国、日本そして中国。いまこの瞬間も世界中で政府による無法の刑事人権侵害が続いている。
日本か。弁護人がついていなくても刑事裁判をやっていいことにしようと政府が刑事訴訟法の改悪案を国会に提出したのは1978年だ。「弁護人抜き裁判法案」と言った。米国か。この国は世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ9.11以来、刑事基本権は死んだと言われている。何でもありの国になった。
シーさんとかキムさんとかのお国でなくても、政府は常に人権侵害を志向するものだと。
弁護人依頼権の思想は、戦争に走る政府に戦争放棄のくさびを打ち込む思想と同じさ。では話を続けたまえ。
続けたまえって、先輩がボクの話に割り込んだんですよ。話はここから突然、国の義務から弁護士や弁護士会の義務に移ってしまいます。「刑事訴訟法31条は『弁護人は弁護士の中から選任される』と定める。憲法・刑訴法は弁護士という資格に被疑者等の弁護享受権を全うする弁護提供義務を求めていることになる」と。
なんだ、その「弁護享受権」とか「弁護提供義務」とかいうのは。
国家により刑罰を科せられる可能性のある人に保障されている「効果的で十分な弁護を受ける権利」をこの方は「弁護享受権」と命名しています。一般的用語ではないが、単なる弁護依頼権を超えて効果的かつ十分な弁護を受ける権利だということを強調するためにこのように呼ぶことにするんですって。「弁護提供義務」はそういう弁護を提供する義務ということでしょうね。
一般的用語ではない言葉を敢えて使いたいとな。弁護人依頼権ではなく「弁護享受権」という言葉をわざわざ作る目的は何だ。もう少し聞こう。
オクムラさんは、弁護士が被疑者・被告人の権利利益を守るため最善の弁護活動に努めることを定めた日弁連の「弁護士職務基本規程46条」を引用し、本人が最善を尽くしたと言っているだけではダメで、平均的水準の刑事弁護人が合理的に考える「最善」でなければならないと言っています。
さらにオクムラさんは、弁護士は法令・法律実務に精通せよとか研鑽せよとか規定する弁護士法2条や職務基本規程7条を取り上げ、弁護士法31条により弁護士会は被疑者・被告人の「弁護享受権」に応えるように弁護士を指導監督する義務を負うとも言っています。
また「弁護享受権」か。ようやくわかってきたぞ。ここにはとんでもない話のすり替えがある。
弁護士がよりよい弁護活動をするとか、それを弁護士会が応援するとかいうのは、正しいことのように思いますが。
そういう議論をする限りでは正しい。だが、ここでいう「弁護享受権」とか「弁護提供義務」とかいう言葉にはまったくもってよからぬ企みがある。
人権保障を怠らず真相を発見し正しい責任判断を行う義務は検察にも裁判所にも厳然とある。それは刑事司法・刑事裁判における国家の基本的な責務だ。その一環として、国には被疑者・被告人に刑事弁護を保障する義務があることになる。
「弁護享受権」というのは、ただ弁護士を依頼できる権利ではなく、良い弁護・十分な弁護を受ける権利という意味なんですね。ということは、良い弁護・十分な弁護を与える義務があるということになる。誰にその義務があるのか。
そう、その義務は誰にあるのかというところが正に大問題だ。「被疑者・被告人を守るのは弁護人だ」という理屈から、「被疑者・被告人を守る責任は国にはない」という理屈をひっぱり出そうとしている。少なくともその主要な責任は弁護士にあるという方向に持っていこうとしている。
あんな弁護では被告人に不利な結論になるのも仕方がないとか、悪いのは裁判所ではなく弁護人だなんていう見方がここから生まれる。
弁護人依頼権を変な言葉で飾るところに水路づくりの狙いがにじみ出ている。弁護を全うして貰えなかったと考える被疑者・被告人に弁護人を非難させ、国を非難させないようにする。「悪いのは裁判所じゃない。君の弁護人のせいだよ」ってね。
刑事基本権を軽視・無視する国を批判しないで、弁護士自身が弁護士の責任の問題にしていると。
そう、国の刑事弁護軽視はとうに進んでいる。法律実務家を養成する司法研修所の教育期間は以前は2年間だったが、だんだん減らされ今では1年間だ。刑事弁護の指導をばっさり削った。政府・最高裁は、司法修習生の給与をそれまでの給付制から貸与制に変え、借金と不安を抱える弁護士を増やした。若い弁護士の多くを刑事弁護の技術や精神を学ぶ余裕のない状態に追い込んだ。
弁護人依頼権の土台を崩していますね。弁護士の研修を強調する人たちは研修所教育を元に戻せとは言わないんですか。
言わないね。被疑者・被告人の権利を守るのは弁護人・弁護士だと言い募る。国のもくろみを批判しないで、悪いのは私たち、私たち自身が直しますっていう態度だ。無罪が減るのもえん罪が出るのも重い量刑になるのも弁護人の不勉強や怠慢のせい、裁判所にはなーんにも責任がないという論理がこれでできあがるのだ。
わかりやすく結論を言おう。国が弁護士の責任にしたり、弁護士が進んで私たちの責任だと引き取ったりすることは正しくない。真実の発見と正しい責任判断の義務はほかでもない裁判所にある。弁護士の出来がよかろうと悪かろうと裁判所の責任は厳しく問われる。裁判所は弁護人のせいにしてはいけないし、弁護士は裁判所に逃げさせてはいけない。
オクムラさんの話を続けますね。ここまでが総論、そして「刑事弁護をめぐる諸情勢の激変」「弁護士数は飛躍的に増え、刑事弁護の質低下も」「裁判員アンケでは弁護活動に厳しい意見も多い」として、あとは一路弁護士研修の強化論です。
この15年は刑事司法は暗黒の15年だ。刑事諸法は厳罰化に突き進み、刑訴法を中心に刑事手続法は人権軽視の司法にどんどん衣替えをしている。今国会にかかっている刑訴法改悪案に至っては、盗聴の大拡大や証人取引や録音録画などとんでもない刑事司法に向かってばく進していると言ってさしつかえない。
だったら、なぜそれを正面から批判しないのだ。「弁護士数は飛躍的に増えた」なんて言ったってそれを批判する訳でもない。「問題ある動き」に真っ正面から向き合わないで、「そういう時代だから弁護士は力を付けなければいけない」というおかしな回路の結論に走る。
なんでもかんでも弁護士の責任に結論を持ってゆくと。地球の温暖化も弁護士の責任になるってことっす。
オクムラ君は何重にも間違っている。被疑者・被告人の人権擁護という観点から見れば、司法改悪は途方もなく重い負荷を弁護人に課すものだった。刑事弁護のやりがいを感じさせなくする改悪だった。まさに「絶望の裁判所」さ。そのことを一言も言わないで、「弁護人がしっかりすること」を強調する。おかしいだろっていうことだ。
この方は、研修を義務化せよと言います。「刑事弁護研修の義務化が必須だ」と。ここでもまた例の裁判員アンケの結果が登場します。アンケの結果に簡単に打ちのめされるのも情けないような気がしますが。
そのこともあるがさらに言えば、いったい何を研修させるのかがはっきりしていないということだ。現在の刑事司法のどこに問題があるのかを不明確にしたままの刑事弁護の指導とは何かっていうことだよ。
この方は、そんなことには一言も触れません。全国で2万数千人の会員が国選登録をしているから、研修の義務化で資格を失う会員が出たって数に不足は来さないと断じています。ダメなヤツは切り捨てればよいということらしい。ご自身が属する金沢弁護士会はもうそれを始めているとも言っています。「義務化は可能である」という言葉をご丁寧に都合3回繰り返していますね。
インコはそれほどしつこくないが、一言だけ繰り返す。研修でいったい何を指導するというのか。たとえば、裁判長が極端に厳しい時間制限をする時にどう対応せよと言うかだ。君たちは短い時間でやれる尋問や弁論の工夫をせよと指導するのではないか。それこそが裁判所の求める「国選弁護人の正しい在り方」だ。裁判員からも批判はされないだろう。そんな国選弁護人を育てる研修ならやらん方がましだな。研修を受ける気のない会員や不当な弁護規制に抵抗する会員を国選弁護士から追放して、裁判所のご機嫌をうかがっていったいどうするのだ。
先輩、先輩。どうしました。これで「裁判員裁判の現状を掘り下げながら、適正な弁護活動をするために今何が必要かについても具体的に検討する」という『自由と正義』の特集は全部終わりです。
うーむ。これは重篤だぞ。瀕死といった方がいいかもしれない。しばし声も出ないほどだ。日弁連裁判員制度推進派の病は重すぎるほど重い。これが「現状を掘り下げ」「今何が必要かを具体的に論じた」ものだというのなら、はっきり言って全国のまじめな会員からは鼻もひっかけられないだろう。
さすがに裁判員制度は順調と言わない反面、もう断末魔とも言わず、そのような指摘があるとも、それが間違った指摘だとも言わないのですから、つまり「裁判員裁判の現状」について何も言わないのですから、うさんくさい特集ではあります。
ま、意味があるとすれば、刑事裁判の変質を告発する責任を放棄して、そのお先棒担ぎをする日弁連制度推進派の生態が全会員の前にあからさまになったということだろう。ヒヨコ君はそこのところをよく見ておけよ。
投稿:2016年4月22日