~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
辛抱すれば成功するという喩えに「石の上にも3年」という言葉があるが、この石ばかりはどうにも暖まらないな。7年経っても成功の兆(きざし)どころか失敗の証(あかし)が積み上がるばかりだ。
もっと早くギブアップしていればよかったのに、うろうろしたので無様な姿を世間にさらしてしまいましたね。おかげで国民は裁判員制度が嫌いになるだけじゃなく、最高裁とか司法そのものにも疑問を持ってしまいました。
当たり前だ。権力は金と力を持っている。国民から吸い上げた税金を使って国民を苦しめることができるのが権力。しぶとい訳だ。原発政策だって戦争政策だって同じじゃないか
みんなが反対したってしぶとく頑張る。破綻を偽装する手口だって一人前ってことっすね。
金と力に物を言わせてやりまくった裁判員制度の惨史を跡づけておきたいと思います。最高裁としては、隠したいことや忘れてほしいことばかりでしょうけれど。
いえいえ、それは毎月の最高裁が公表しているので、私たちが情報を提供するまでもありません。
でもせっかくですから、今年5月発表の最新データだけは紹介しておきましょう。今年3月の裁判員候補者の出頭率は22.3%です。僅か3カ月で去年の24.5%から2ポイント以上も落ち込みました。激落です。この調子では今年年末には20%ラインを割り込むでしょう。その可能性が現実の問題になりましたね。
なんと言っても、最高裁が裁判員制度の広報にメチャクチャ力を注ぎ、メチャクチャ金をかけたってことです。すべて国民の税金を使い職員をこき使って実行しましたからね。
なるほど、それを確認しておくというのはとてもよい企画だ。彼らが「一番忘れてしまいたいこと」「なかったことにしてしたい歴史」、そう、まさに惨憺たる制度広報の汚辱史をこの際ぐりぐりっと掘り起こし、何から何まで国民の前にぎりぎりっとさらけ出し、さぁ今どうなってると思っとるんやとびしびし詰め寄りたいということだな。
インコさん独特のオノマトペ表現が満載ですが、まぁいいでしょう。そんな風に思ってくださっても結構です。最高裁が「(裁判員制度に)払ってきたエネルギーは、我が国の司法制度の歴史の中でもまれなほどに膨大なもの」(内田博文『刑法と戦争』)とされていますから、最高裁が格別に力を入れた宣伝広報に絞って考えるのも悪くないと思います。
巨額のお金をどぶに捨てた債務超過国家の負の歴史として語り継がれるでしょうね。
付け加えれば、裁判員制度の広報活動の中にも東芝よろしく不正経理がありました。裁判員制度の広報業務をめぐって、2005-06年度の2年間に随意契約を結んだ14件、契約金額では計約21億5900万円に上りますが、最高裁判所は事業開始後に契約書を作成するなどの「不適切会計処理」を行っていたのです。
例えば、電通に発注した05年度の「裁判員制度全国フォーラム」(約3億4100万円)では、実際には05年末-06年初めに契約したのに、契約書の日付を05年9月30日に遡らせたりしました。印刷会社に発注したパンフレット作成(約174万円)でも、契約日を実際より約4か月前に偽装しました。16件(計約21億6500万円)の契約で不適切な経理処理をしたのです。これも発覚した分だけで、ほかにもあったかも知れません。
マチダ、シマダ、タケサキ、テラダ、デタラメか。最高裁は、東芝の事件や三菱自動車の事件が裁判になって最高裁に上がってきたらどうするのか。裁く資格が問われそうだ。
ところで、制度の広報という名目の予算計上は2010年が最後なんですね。
当然です。竹崎長官は「順調なスタート」「概ね順調に推移」と言い、寺田長官は「制度は定着した」と言いました。順調で定着している制度を広報する必要はないでしょう。
巨額の予算を使って何が行われてきたかが、こちらの年表です。
一つひとつの説明を始めるときりがありません。このころ私は裁判員制度についてこんな意見や感想をもっていたなぁというように思い起こすきっかけにしていただければ幸いです。
組織内懇談会、法曹三者の談合組織、地裁の法曹三者組織、推進運動集会開催、広報紙誌、映画、DVD、マンガ、キャッチコピー、シンボルマーク、ゆるキャラ、メルマガ、テレビスポット、テレビドラマ、パンフレット、リーフレット、人気女優を次から次へ登場させての新聞大広告、雑誌広告、サイト開設、映画館広告、電車・バスのラッピング車両……。ふーっ。
「湯水のごとく」とか「洪水のように」という言葉がありますが、巨額の血税を悪制度に注ぎ込んだものです。世の中大不況が進行する中で、巨大広告代理店をどんなに喜ばせたことでしょう。発注費用が代理店のいいなりだった事実が国会で暴露されたこともありましたね。
決定的に重要なのはこれが全部無駄になったということだ。何にも役立たず、すべては水の上に浮かぶ泡(あわ)だった。はかなく消えゆくうたかただった。でもこれはうたかたの「恋」ではない。血税をふんだんに使って国民を裁判所に動員する謀略宣伝作戦が大失敗に終わったということだ。
こうも言えるのではないでしょうか。広告万能社会のど真ん中に私たちは生きているけれども、そうかと言って私たちは広告で洗脳されきらない、今回はその実験をやったようなものだと。
ボクもそう思います。商品の宣伝にどれだけお金をかけても、商品そのものがインチキだったら消費者はやっぱり離れる。
こんなインチキ商品にべらぼうな金をかけようとする目的は何だろうというように、市民の関心は別の方向に向かって行くということもわかってきましたね。
♪ 忘れたいことやどうしようもない悲しさにつつまれた時、テラダは酒を飲むのでしょう。飲んで飲んで飲まれて飲んで、飲んで飲みつぶれて眠るまで飲んでー♪
投稿:2016年5月21日