~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 猪野亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」5月31 日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
裁判員裁判に異例の事態が起きました。裁判員裁判が結審し、裁判を終えた裁判員が裁判所庁舎を出たところ、被告人(工藤組)の関係者から「(被告を)よろしく」と声を掛けられ、その結果、裁判所は判決期日を取り消したというものです。
参照
「元裁判官「裁判員の安全確保が急務」…組幹部知人が「よろしく」と声かけ」(弁護士ドットコム)
裁判員法では、裁判員に接触することを禁止していますが、裁判員を守るため、さらに裁判の公平を守るために禁止されています。
しかし、もともと、この規定には無理がありました。裁判員を守ると言ってみたところで、何から守るのでしょう。殺傷の対象になるというのでしょうか。
確かに、今回の「よろしく」は圧力には感じるでしょうが、生命身体の危険が及ぶことは考えにくいものです。
むしろ、これだけで結論が左右してしまうというのであれば、そもそも裁判員裁判には公平性に問題があると言わざるを得ません。
裁判官裁判のときは、そのような圧力が加えられた事件といえば、オウム真理教による長野地裁松本支部で裁判所の官舎を狙ったサリン事件くらいです。
本来、大きな事件では、裁判官に対し、裁判所の外でもビラ配布などで訴えかける、批判するというのは普通に行われており、表現の自由として当然に保障されているものです。
裁判官といえども国家権力の行使の主体ですから、国民からの批判の対象になるのは当然なのです。
憲法上、裁判の公開が定められているのも主権者たる国民が裁判権の行使に対する批判の自由を確保するためです。
有名なところでは松川裁判です。1949年、国鉄労働組合などを弾圧するための謀略事件が起き、20名が起訴され、福島地裁では5人の死刑判決を含む全員が有罪、1963年に最高裁が無罪判決となりましたが、全国でこの松川裁判に対する批判が巻き起こりました。この全国に拡がった裁判批判こそ最高裁での高裁判決の破棄差し戻し(1959年)につながったものです。
裁判所に対する批判を認めることは極めて重要なことなのです。
ところが裁判員制度は、裁判員に対する批判を一切、許さないという制度設計になっています。
制度設計からして問題があるのです。
暴力団関係者だから、今回のような「よろしく」などという掛け声をやってのけたのでしょうが、本来的に批判はおろか接触すらも許さないというのは問題があります。
以前、地裁内の喫煙所で弁護人が裁判員に話し掛けたことすらも問題とされ、読売新聞の記者が裁判員に接触したことも読売新聞社をして謝罪をしたということもありました。
特にマスコミが接触すること自体も禁止することは報道の自由の観点からも非常に問題があります。
身の安全と言ってみたところで暴力団関係事件、オウム真理教のような事件を対象から外せば済むというものでもありません(現行法上、このような場合には職権で対象から外すことができます。)。
かつて被告人の中には、裁判員に対して覚えていろと暴言を吐いた者もいました。
むしろ、暴力団関係者よりも怖さを感じます。異様に粘着質の被告人であれば、職業裁判官とて怖いでしょう。
マスコミは今回の件で、裁判員の安全についての主張を展開していますが、このような問題が起きれば、ますます裁判員離れに拍車が掛かります。
「裁判員候補者の無断欠席が増加中 今に始まったことではない」
もともと無理がある制度であるということを自覚してもらわなければ困ります。手直し程度のことでこの欠陥は何とかすることはできないということです。
投稿:2016年6月4日