~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
裁判員裁判で被告人の知人らしい男が裁判員に声をかけた事件は、その後おさまらないどころか大きな問題に発展しているようです。
6月23日の『読売』(夕刊)は「裁判員声かけ問題『万全を期したい』最高裁長官」のタイトルの記事を掲載しました。
同日『朝日』(夕刊)も「裁判員威迫事件に言及」のタイトルで、ほぼ同じ内容の報道をしています。
「裁判員声かけ問題」という問題や「裁判員威迫事件」という事件が最高裁によって明らかにされ、これだけでみんなに話が通じてしまうことになりました。
司法の要人たちの関心はもちろんだが、国民一般の関心という面でも、「ストレス裁判員問題」以来の大事件だ。して、それらの記事の内容は?
毎年この時期に最高裁が全国の高裁長官と地家裁所長を集めて開く「長官所長会同」が、今年も6月23日と24日にわたって開かれたのです。
そこで寺田逸郎最高裁長官は、冒頭の挨拶の中で福岡地裁小倉支部の裁判員声かけに言及し、「国民が過度の負担を感じることなく安心して裁判に参加できるよう、万全を期したい」と言ったということです。
裁判員裁判は地裁の刑事部がやっているだけだ。民事部は全然関係がない。家裁は少年部に少し関係があるが基本的に無関係。高裁は刑事部が地裁の裁判員裁判をチェックすることがあるだけで、民事部は無関係。その地裁・家裁・高裁の責任者を全員集合させた場で、現に地裁支部に係属している進行中の一刑事事件を取り上げて審理を論じた。聞いたことがない話だ。
ストレス裁判員の告発の時にも、たしか竹崎博允長官がこの会同で「裁判員に無用の負担をかけないようにせよ」と叫びましたよね。
そのとおりだ。裁判員になりたくないという空気が全国民レベルに広がる中で、絶望感が地裁に蔓延し、何とかしなければという焦燥感が最高裁を覆っている。両事件の背景にある事情は同じだ。だが、「ストレス裁判員問題」の方は、死刑を言い渡した裁判に加わった裁判員が、裁判中から深刻な精神的打撃を受けていたことを判決の後に問題にしたものだった。
今回の「裁判員声かけ問題」は、進行中の裁判員裁判に関するものです。進行中の事件ということは、この事件の審理を今後どのように進めるのかを地裁が自身の責任で決めねばならず、周りからあれこれ口出ししてはいけない段階です。
そうだ、最高裁が今回の声かけ事件をいかに重大問題と捉えているかがわかるが、異常も異常、異例も異例。寺田長官の発言は、裁判の独立を侵害する越権発言と言われても仕方がない。威令で押し切ろうという魂胆かもしれんが。
そうさ、日銀には「金融の独立」なんていうルールはない。支店はすべて総裁や本店の指導に従うのが当たり前だ。
「安心して裁判に参加できるよう万全を期す」っていうことですが、具体的にはどうするんでしょうか。
「万全を期す」っていうことは、言い換えれば安心して参加できるように絶対の対策を立てるっていうことでしょ。重い責任ですね。
顔を見られる以上、絶対に大丈夫ってあり得ないんじゃないでしょうか。
そうすると裁判員も傍聴席や検察官や弁護人や被告人が見えなくなります。
半面鏡にしたらどうでしょうか。傍聴席からは見えず、裁判員からは見える。
裁判の公開というのは、裁判をしている裁判官を傍聴者がよく観察できることを含む。裁判官(員)の声だけが聞こえるとか、裁判官(員)だけが法廷の全容を把握できるというのでは、いくら傍聴が広く認められても公開原則が保障されたことにはならない。
つまり、裁判官(員)たちの顔とか声とか姿とか裁判中のありようのすべてを傍聴者が知り得ないと公開の原則に違反すると。
ということは、裁判員たちは顔を覚えられないで裁判に参加する手はないということになりますね。「顔は覚えられてしまう裁判員の安全に万全を期す」って、基本的に矛盾のような気がしますが、実際にはどうするんですか。
裁判所の出入り口を一般の人と別に作るとか、駐車場の出入り口を一般の車両とは別にするかとか言われていますが。
何としてもつながりをつけようとすれば、人は「草の根を分けても」探し出そうとする。出入り口対策なんか「万全」にはほど遠い。
ボク、思いつきました。裁判官が暴力団のところに出かけていって裁判員に手を出さないで下さいって要請するんです。「出前抗議」って言います。
ま、こういう話は、「裁判員に手を出したら重罰に処す」ことに向かうしかないだろうな。
お礼参り重罰策ですね。現在の「2年以下の懲役、20万円以下の罰金」をもっと重くすることにする。
装甲車に囲まれながら楽しく夕餉を囲めと言われていような感じがします。
安全対策論の大きな問題点は、一般の国民が裁判員を信頼もしていなければ評価もしていないということを当局が考えていないことだ。
国民の多くは裁判員なんかやりたくないと思っているだけでなく、裁判員をやる者に対して、よほど暇なやつなのだろうとか、よく人を処罰する気持ちになれるもんだとか、欲求不満でもあるのかとか、つまりあまりまともには見ていない。やらなきゃいいことをやってる奴らくらいにしか思っていない。そこには信頼感とか尊敬の気持ちとかがない。
確かに裁判員に対して「ご苦労さん」だとか「ありがとう」なんていう感謝の言葉はあまり聞きませんね。
戦時には「兵隊さんよありがたう」って歌があった。『朝日』が「皇軍将士に感謝の歌」を募集して1938年に佳作に選んだ歌だった。考えてみれば制度推進の先頭に立つ新聞だ。裁判員応援歌の募集を始めるかも知れん。
少なくとも「出前抗議」よりは現実的でしょうね。厭戦気分の高まりを懸念してそんな歌ができたのでしょうが、厭裁判員気分がかつてなく高まっている今ですから。
国民から信頼されていない裁判員を守るのはお上しかない。となると、裁判員に手を出す者を重く処罰するしか手立てはないだろう。
裁判員に声をかける者を処罰せよなんて世論はちっとも盛り上がりませんよね。
そうすると、「国民が過度の負担を感じることなく安心して裁判に参加できる」対策なんて、はっきり言えばないということに落ち着きませんか。
そう、裁判員制度をやめれば「国民が過度の負担を感じることなく安心して」生活ができる。
危ない事件を裁判官裁判に戻す策が再登場しそうですね。裁判員法にそのような対処を認める規定があることはこの前紹介しましたが、それをこの際もっと拡大して適用しようということになるのでは。
でも、それをやると、重大刑事事件の審理に国民を関わらせるという「制度の基本目標」の一角を最高裁・政府自身が打ち壊すのかと言われるので、進退窮まっているとか。
ヒヨコ君、よく覚えているな、そのとおりだ。蟻の一穴とも言われている。しかし、背に腹は代えられんということだろう。
いかに指定暴力団のメンバーたちといっても、無法者の一声ふた声に最高裁が飛び出してきて、裁判の進行中にあたふた言っているという図は、暴力団をかえって励ましませんかしら。
おかしな制度はどんなきっかけでも崩れ始めるという、これは後世、語り継がれる逸話になるだろう。
で、結局今回の事件は裁判員裁判としてやり直すんですか、それとも裁判官裁判に戻すんですか。
公判初日が5月10日。事件発生もその日。裁判所は13日に判決延期を弁護人に連絡したっきり、今後のことをまだ何も決めていませんね。事件発生からもう45日も経過しました。一地裁の一支部の事件が最高裁の検討事項になってしまい、その結論を小倉支部の裁判官たちはぼおーっと待ってるのでしょうか。
ボクのおまけ第2弾。『朝日』が「裁判員・裁判員制度を励ます歌」を募集する前に作ってみました。「裁判員制度よありがとう」。元歌と並べてどうぞ。
♪肩を並べて兄さんと ♪肩を並べて素人が
今日も学校へいけるのは 今日も被告を裁くのは
兵隊さんのおかげです 裁判制度のおかげです
お国のために お国のために
お国のために戦った お国のために裁いた
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
♪夕べ楽しい御飯どき ♪夕べ楽しい御飯どき
家内そろって語るのも 殺人事件を語るのも
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
お国のために PTSDになって
お国のために傷ついた PTSDになって傷ついた
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
♪淋しいけれど母さまと ♪腹立たしくも控訴した
今日も円かに眠るのも 被告が取り下げ確定したのも
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
お国のために 一審だけで
お国のために戦死した 一審だけで死刑になった
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
♪明日からシナの友だちと ♪明日から傍聴の人影に
仲良く暮らしていけるのも 怯えて暮らしていくのも
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
お国のために 拒否できるのに
お国のために尽くされた 拒否できるのにしなかった
兵隊さんのおかげです 裁判員制度のおかげです
♪兵隊さんよありがとう ♪裁判員制度よありがとう
兵隊さんよありがとう 裁判員制度よありがとう
*この問題については、6月25日付けで猪野亨弁護士も第2弾を書かれています。
最高裁が裁判員を守れと指令を出す 公用車での送迎 後がない裁判員制度
投稿:2016年6月29日