~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
ガンガガガーン、ガンガガガーン、ガンガガガンガンガン。お待ちかね!(だれが?) 天皇の生前退位の問題をこの際真っ正面から論じます。論じまするはインコめにござります(決まってるやろ)。なお、私は生来敬語が大嫌いですので、文中敬語は基本的に一切登場しません。敬語がお好きな方はご自身でお付け下さい。もとい、敬語が好きなら自分で付けろ。私は「おビール」なんて言いませんし、「ご公務」「お下血」なんて聞くだけで虫ずが走ります。
前置きはそのくらいにして始めて下さい。お聞きしていますから。
年間250億円を国民に払わせて広大な土地に住む世襲超巨大地主。人間皆平等の世界に堂々と開き直る差別。にわか作りのあがめ奉り。反対論の徹底弾圧。常に戦争と結びつく。そんなところかな。
まぁよい。天皇に関する憲法上の規定を説明してくれるかね、ヒヨコ君。
はい、用意していました。まとまって出てくるのは、「第一章天皇」で、次のとおりです。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第五条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行う。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
マスコミはよくわからん理由で、話の途中から「退位」と表現するようになったが、私は初めから使われていた「生前退位」で通す。だが、生前退位の話に入る前に「象徴」の話をきちんとしておいた方がよい。第1条の「天皇は日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」。これは何を言っているのかね。
象徴はシンボルです。本来なら別の物を関連づけて示す記号。例えば裁判員制度反対運動の象徴ならインコ先輩ですし、平和の象徴なら「鳩」、タロットカードにおける「死のカード」は、死そのもののほか、破滅、損失、失敗、災難、危険、愛の終わりなどを象徴します。
「天皇」が「日本国」や「日本国民統合」の象徴というのは、「鳩」や「死のカード」のようには誰にも通じる「関連」じゃないですね。
そう、憲法制定時には、天皇制こそ戦争の原因だとして、天皇の戦争責任を明確にし天皇制を廃止せよという要求が強く存在した。一方、何としても天皇制を維持したいという旧勢力の欲求があり、この両者の間に激しいせめぎ合いがあった。その激突の中で生まれたのが「象徴天皇制」だ。これは憲法制定闘争の中で誕生した政治的で技巧的な妥協の産物なのさ。
だから、「この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」なんていう妙な言葉が登場するんですね。
主権者は天皇じゃなく国民だぞとわざわざ言い、その国民が総意をもって天皇を象徴にすることにしたという理屈を付け加えている。綱渡りのような際どい話だ。
「総意」はみんなの意思ということでしょうが、誰が「国民の総意として天皇を象徴にしよう」と言ったんですか。どうして私たちがその理屈の縛りを受けるのか。
「日本国民統合の象徴」というのもくせ者です。「統合」って何かナチスの響きを感じさせます。1つにまとまらされ、やらされたのがあの戦争だったんでしょ。
「天皇生前退位論」は、「戦争遂行天皇」の責任を免除させた流れを引き継ぎ、今度は「慰霊行脚と平和祈念天皇」礼賛を通して「象徴天皇制」を定着させる狙いで進められている。その不合理にまったく触れない議論の横行には強い違和感を持つ。
第1章の条文をすなおに読むと、天皇は国政に関する権能を一切持たず、やれるのはここに定める10項目の国事に関する行為のみということになりますね。
そう、天皇は政治行動・政治発言を厳に禁じられる。天皇の国事行為もすべて内閣の助言と承認が必要で、天皇が勝手な行為に及ぶことは何一つ許されない。そして天皇の国事行為についてはすべて内閣が責任を負う。
象徴はあくまでもシンボル、シンボルには一人歩きはさせないということですね。でもこれでは「かごの鳥」もいいところで、普通の人間には務まらなさそうです。
「象徴天皇」という特別な「かごの鳥人格」をムリムリ作ってそこに昭和天皇をはめ込んだ。もう少しのびのびさせてくれとか、最近ちょっと疲れてしまったとか、そんな話だって政治的な文脈の中で検討しなければならない。天皇は基本的人権の認められない特殊人間。「私も人間」と宣言してやっと人間になった「普通ではない人間」だ。
いやいや、そうではない。そこが大問題なのだ。昭和天皇も現天皇も政府が推し進める政策については、大胆な政治的発言に及び、驚くほど政治的な行動をとっている。そしてマスコミは菊のタブーとしてそれを非難しない。異様な翼賛態勢を敷いているのだ。
「かごの鳥」も時の権力の意向次第ではかごを飛び出し、大きく羽を広げると。
政府は天皇が政治的行為をしないという決まりを逆に巧妙に利用している。天皇を絡めることでそのもくろみが非政治的なテーマであるかのように見せかけられる。時の政権はさまざまな機会にそういう欺瞞の構図を描いてきた。もっとあっけらかんとした「丸出し政治的行為」もあるがね。
広く知られることになったのは、昭和天皇が憲法施行4か月後の1949年9月に米国の沖縄軍事占領に関し、「米国による琉球諸島の軍事占領継続を望む」という見解をまとめ、GHQのマッカーサー司令官に送った「天皇メッセージ」だ。その存在は30年間秘匿され、1979年ようやく発見された。メッセージの中で天皇は、「米国の沖縄占領は日米双方の利益にかない、共産主義勢力の影響を懸念する国民の賛同も得られる」と、単刀直入に政治的な見識を述べている。
憲法施行後4か月で天皇はもうそんなこと言ってたんですか。言った天皇も言うことを許した政府もとんでもない違憲の行動ではないですか。
「沖縄切り捨て」の先頭に天皇が立ったという批判的評価がもっぱらだ。批判は当たらないなどと反論する者もいるが、この天皇発言が高高度の政治的発言であることに反論の余地はなかろう。
政治学者の豊下楢彦さんの『昭和天皇の戦後日本』によれば、1951年、天皇は、吉田首相に米国と講和条約や安保条約を締結することを強く求め、締結後にはマッカーサーの後任リッジウェイに、「有史以来の公正寛大な条約」「安保条約の成立は日本の防衛上慶賀すべきこと」と絶賛したそうですね。
現天皇も、「昭和天皇は在位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、つねに国民と共に幾多の困難を乗り越え、我が国は国民生活の安定と反映を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至った」と述べていますね(1989年1月)
そう言えば、現天皇は、イラク派兵自衛隊員約180人を皇居・宮殿に呼んで「国際的な協力に参加し力を尽くしてこられたことを、まことにご苦労に思います」とねぎらい(06年12月)、自衛隊の派兵で複数の日本人が人質になっていた状況下で、「自衛隊は(イラクで)給水、学校の復旧、医療など地元の人々のための作業を通じて復興を支援するために派遣されたものです」などと述べています(07年2月チェイニー米副大統領に)。
現天皇の特徴的行動とされる慰霊の旅とか遠隔島嶼への旅についても、これは憲法上は何なのかという問題がある。天皇が各地に赴くのを旧憲法下では「御幸」とか「行幸」と言った。しかし国事行為には「各地巡り」などというものはない。個人的に外出しているだけではない証拠に、宮内庁と警察庁が全面的に仕切り、近づく可能性のある人間は検便まで行われるという仰々しい催しになっている。
「象徴という地位に基づく公的行為」という説明も行われているのでは。
憲法には「象徴」の規定はあるが、「象徴としての行為」はない。象徴は単なるシンボルで、「シンボルとしての行為」などあり得ない。慰霊に行くのも被災地に行くのも植樹祭に行くのも自分で決める。その決定を助言するのは政府・宮内庁。つまり「象徴としての行為」には憲法上の根拠は何もなく、すべて政府が仕掛けているのだ。
「象徴としての行為」論に対する批判はあまり聞きませんね。学者・研究者はどうして強い批判をしないのでしょうか。
中途半端な学者・研究者たちの限界だ。そこまでは仕方がないというような妥協論にほとんどの人たちがむしばまれている。皇室記事で食っている連中を笑うことはとてもできない。
そう言えば、いまあちこちで交わされているもっともらしい天皇論を批判する学者・研究者たちも、その多くは「お気持ちはわからないではないが」なんて前置き付きで言う感じがあって、気持ちがよくないですね。なんではっきり批判しないのかと。
突然思い出しました。裁判員制度に反対する人たちから激しく糾弾された天皇発言がありましたね。
忘れようもありません。裁判員制度が悪評不評のうちに始まった2009年の12月でした。天皇が恒例の誕生日前の「感想文」で明らかにした裁判員制度に関する言葉です。
天皇はこの日の感想の2割近くを裁判員制度に割きましたね。その内容は「昭和初期には短期間、陪審制度があったということを、戦後間もないころ穂積東宮大夫のちの最高裁判事から聞いた。陪審制度は日本になじまなかったということだったが、裁判員制度は陪審制度とは異なり、裁判官と一般の人が共に裁判に参加する制度だ。今後の様子を期待を込めて見守りたい」というようなものでした。
「感想文」は天皇の個人的な考えを表明したものではない。最高裁・宮内庁・官邸が詳細に打ち合わせて天皇に「助言」してできあがるものだ。ふつう、「誕生日の感想」と言えば、大きな災害で心を痛めたとか、家族の慶事がうれしかったとか、当たり障りのない話に終始するのが常識だ。それが国民の多くに反発され暗礁に乗り上げた裁判員制度について、敢えて「今後の様子を期待を込めて見守りたい」などと言ったのだ。
国民の大半からノーを突きつけられた国策について、何としても貫徹するぞと言わんばかりに登場させたということは、とりもなおさず天皇を政治的に利用する行為だという訳ですね。
苦しいときの神頼みではないが、裁判員制度の危機を天皇によって切り返そうとしたが神風は吹かなかった。制度はその後も息を吹き返すことなく、つまり死滅の過程にある。
天皇の政治的行為や政治利用のことは分かってきました。では、そろそろ「生前退位」の話に進みましょうか。
要点をまとめます。昨年7月13日以来「生前退位」をめぐる「リーク」報道や、肯定否定のいかがわしげなニュースが飛びかった後に、8月8日、天皇は11分ほどかけて、「象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉」を表明しました。それは「平成の玉音放送」とも言われるビデオメッセージでした。
あのー、基本的な疑問ですが、自分で自分の行為を「お務め」と言い、自分の言葉を「お言葉」と言うのはどうしてなんですかね。
官邸や宮内庁などが鳩首協議してまとめ、タイトルもそうやって作ったからでしょ。だいたい侍従長は4代にわたって官僚出身者が占めています。
そう言えば、「お言葉」の2か月も前に、アベ首相の命令で杉田官房副長官を責任者とする「皇室典範改正準備室」もスタートしていました。
その結果生まれた「お言葉」のタイトルに、忝(かたじけ)なくも畏(かしこ)くもこのような敬語表現を献上してしまうのは当たり前のようなもの。正真正銘の「自分の発言」ならタイトルは「象徴としての務めについての私の所見」でしょう。頭隠して尻隠さず。メッセージの本当の発信主体をはしなくも暴露したっていうことですね。
内容の要点は次のとおりです。「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、個人として考えてきた」「象徴天皇の望ましい在り方を模索し、伝統を現代に生かし人々の期待に応える皇室を考えてきた」「しかし、次第に進む身体の衰えを考え、全身全霊象徴の務めを果たしていけなくなることを案じる」「国民には天皇という象徴の立場への理解を求め、自らは常に国民と共にあるとの自覚を育ててきたが、各地を回って国民を思い国民のために祈るという務めをなし得た」「国事行為や象徴としての行為を縮小することには無理があり、摂政を置いても天皇は務めを果たせぬまま死ぬことに変わりはない」「天皇が死亡したときの葬儀関連行事は大変なものだ」「どのような時にも皇室が国民と共にあり相携えてこの国の未来を築いていけるよう、また象徴天皇の務めが途切れず安定的に続くよう国民の理解を切望する」。
「具体的に制度に触れるとは控えながら」なんてわざわざ言っているということは、つまりこの発言が政治的発言と見られるのを自覚しているのですね。
アベ首相はさっそく「重く受け止める。天皇陛下のご心労に思いを致し、できることをしっかり考えてゆく」などと語りました。
官邸の自作自演ではないですか。さっそく有識者会議が設置され、来春つまり今年の通常国会での法整備が方針化され、皇室典範改正だの1代限りの特例法だの制度・仕組みの議論が一気に進むことになります。まぁ準備のおよろしいことって感じです。
周到な準備を隠せば隠すほど、天皇の自発的独演会風になり、「天皇さまお疲れ、おかわいそう」という気分が醸し出される。いかにも聞き役を装ったアベ首相のわざとらしい物言いで、すべてをごまかしたという感じだな。
民主主義・基本的人権擁護・恒久平和主義という現行憲法の3原理に根底から抵触する天皇制について、平成天皇の死亡と一緒に終わりにするのか、それともこの妥協の産物を今後も続けるのかという、憲法制定時以来の大宿題について徹底的に議論を尽くすのが現下の基本的な課題のはずだ。
この「お言葉」はその議論だけはやめてくれって言ってるのでは。最後のくだりなんて、それ以外に読みようがありません。
「国民には天皇という象徴の立場への理解を求め」なんていうのも天皇が自分から言うのはとんでもない越権だろうと思います。
公的行為は10個しかなく、象徴としての行為というものは存在しない、それが天皇の行動に関する憲法の規定ですよね。
ビデオメッセージには「伝統を現代に生かし」なんていう言葉も出てきますが、憲法は伝統の継承などという仕事を天皇に課してなどいないのに、そんなことを自身が言う、天皇に言わせるのもおかしいと思います。
政権が一番恐れているのは、その議論の中から天皇制なんかいらないという声が広がることだ。天皇頼みをしなければならない切迫した諸状況があるということが政権の緊張した動きから逆に読み取れる。
あらためて天皇制を中心に押し出そうという改憲策動でしょうか。
皇室典範は、天皇が死んだ時にこれを継ぐことに決まっている者が直ちに天皇になると明記していて、天皇が死なない限り皇位の継承はないんですよね。
皇室典範には「生前退位」の規定はありません。それを認めろというのは典範の改正や新法の制定を政府や国会に求めるもので、それだけでも立派な政治的行為です。
自分で仕事を増やしておいて、年とってそんなに働けないから辞めると言うのはおかしいという意見もありますね。天皇の年を考えずに使いまくっている政府の責任だという意見もあるようです。
生物(なまもの)を象徴にしちゃったんだから経年劣化は自然必然の理、段々動きが鈍くなり静かに消えて行くのが基本のコースでしょう。もともと基本的人権が保障されている人の話ではないのですから、「かわいそう」とか「かわいそうではない」とかいうような議論は本来登場する余地がないはずですが。
強いて言えば、「かわいそう」だというのは、こんな異様な身分に就いたことについて言う言葉でしょうね。
はっきり言えることは、この天皇の発言は紛れもなく「天皇制存続と強化を志向する政治的発言」だということだ。「お気持ちはよく理解できる」という発言が相次いでいるなんて報じられているが、ヘンな話だ。共産党の志位委員長までがそう言っているのには仰天したな。この党は天皇制をどう評価しているのか。現憲法の下で天皇がとっているパフォーマンスや政府の天皇利用の実情を正確に論じないで憲法や天皇制を論じることはできない。この人には憲法を語る資格も改憲を批判する資格もなさそうだ。
天皇の意向を踏まえて議論・討論を組織するということ自体がおかしいですよね。
国会の開会式に天皇の言葉を謹聴することにした政党です。こうなりゃもう何でもありなんでは。
『東京新聞』は、社説に「未来につながる天皇制」という見出しを付け、「世界に類がない歴史。天皇制永続のための改革にも踏み込め」と書いています(16年8月9日)。あちらヘンならこちらもヘンですかね。
ところで、この問題は「静かな環境」で話を進めたいというような言い方がされているようですが…。
その言い方ほどおかしいものはない。芭蕉の「岩にしみいる」じゃあるまいし、どうしてわざわざ「静かさ」が求められるのか。
象徴天皇制の是非や天皇制の是非の問題に必ず話が進んでしまうからさ。そのことがわかっているから、静かに静かに天皇制や象徴天皇制を固めてしまいたい。その一念に発しているのだ。
ということは、この議論の行く末に政府は心配や懸念を感じているということですか。
もちろんだ。考えてごらん、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら触れる(何のこっちゃ)。国民には天皇という象徴の立場への理解を求めてきた。疲れてきたから退位したい。摂政を置いても解決しない。象徴天皇の務めが途切れず安定的に続くよう国民の理解を切望するって。天皇が言っていることは政治的言動以外の何ものでもないのだ。マッカーサーだって吉田茂だって、生きていたら驚いて死んでしまうくらいの話さ。
このまま話をすんなり進めるのは大変だという思いでいっぱいなのかしら。
少なくともそのことをひどく恐れているのは確かだ。議論らしい議論は封殺して、それこそ物音も立てずに天皇制をがっちり固めてしまいたい。
今、安倍政権は皇室典範には手を付けずにそこに着地させようとしている。もっとも困ったことに「世論」は典範を変え、すべての天皇が生前退位できるようにしようと言ってるというので、てんやわんやさ。
衆参両院議長だの各政党の領袖などが集まってひそひそ議論をしているが、これほど怪しい風景はないですよね。憲法第1章の決まりをひっくり返すような話を国民に隠れてひそひそ進めることがどうして好ましい話になるのでしょうか。
ま、これからだ。この話をみんなで真剣に考えるようにしないと。
裁判員制度を議論するくらいの気分で、これでいいのか天皇制って議論したいものですね。
今日はいつにもまして長い話でしたね。ボクにはちょっと背伸び感ありって感じでしたが…。
投稿:2017年2月21日