~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
季節柄、法律事務所報が出回っています。事務所報は弁護士が自分の依頼者などを相手に、所員の近況報告をしたり、話題の司法情報などを紹介する「拡大版暑中見舞」です。インコのお山に伝わってきた事務所報の中に裁判員に触れたエッセイがありました。
先生方は裁判員制度の現状をどう論じているのでしょうか。
まずは弁護士歴14年、東京の松田耕平さん(城北法律事務所)の言葉。タイトルは「裁判員裁判で変わったの?」 要旨は次のとおりです。
「最高裁のホームページによれば、裁判員制度を導入した趣旨は、国民の皆さんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の皆さんの信頼の向上につなげ(が)ることと言われている。
一般の方々を説得するため、弁護人も検察官もより簡潔で分かりやすく主張を伝えるようになった。パワーポイントの使用はその一例だ。
裁判員の負担を考慮して開廷期間を大幅に短縮させたが、準備の公判前整理には相当時間がかかっている。
判決の中身はどうか。2012年に発表された検証報告書によれば、生命に関わる犯罪などでは裁判官判決より刑が重くなる傾向がある。し一方、保護観察付きの執行猶予判決も多くなっている。重・軽両方向に判決(量刑)の幅が広がっていることから、裁判員裁判は裁判官裁判よりそれぞれの事件の事情を詳細に拾い出した判決になっているのではという見方もある。
裁判員裁判は順調にも思われるが課題も多くある。8割以上が参加したくないとアンケートに答えており、実際の参加率もこの間84→65%と大幅に低下している。(重い)守秘義務の問題もある。国は改善対策に取り組むだろうが、制度趣旨が実現されるかどうか、今後の推移を注意深く見守る必要がある。」
松田クン。きみは裁判員制度の現状や問題点にはひよこの涙くらいしか触れていないではないか。タイトルからすれば、裁判は標榜したほどには変わっていないのではと言っているようにも読めるが、何を言いたいのかはっきりしない。
「裁判員制度を導入した趣旨は、国民の皆さんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の皆さんの信頼の向上につなげる」という最高裁の姿勢については、正しいというのでもなく問題だというのでもない。
「司法に対する国民の皆さんの信頼の向上につなげる」という前提にはこの国の司法をもっと信頼して貰いたいという認識があり、その前提にはこの国の司法はまっとうなものだという認識がある。
松田さんが所属している法律事務所は、そういう権力的司法観に対決してきた事務所ではなかったですか。
「生命に関わる犯罪などでは裁判官の判決より重い傾向があるが、保護観察付きの執行猶予判決も増えている。重・軽両方向に量刑の幅が広がっていることから、裁判員たちは職業裁判官よりも事件の事情を詳細に拾い出しているのではという見方もある」と。
「生命に関わる犯罪」と言うが、裁判員裁判は基本的に生命に関わる犯罪を対象としている。裁判員裁判は覚せい剤関連事件を例外として、裁判官裁判時代より基本的に有罪率は高くなり量刑は重くなっている。
保護観察付きの執行猶予判決が増えていることを挙げて、量刑の幅が軽い方向に広がっていることを示すようにおっしゃってますけれど。
大間違いだ。保護観察を付けるということはただの執行猶予より厳しい制限を科すということ。保護観察が付かない執行猶予より保護観察付きの執行猶予の方が確実に重い。そのことを松田クンはわからないのだろうか。
実刑判決が減って保護観察付きの執行猶予判決が増えているというのでは。
そんなデータはない。基本的に言えば、量刑の幅は重い方向に広がっている。重・軽両方向に広がっていると言える根拠などないのだ。
裁判員たちは職業裁判官よりも事件の事情を詳細に拾い出しているのではという見方もあると。
4、5日で結論を出す裁判員裁判のどこに「事件の事情を詳細に拾い出せる」時間があるか。
「裁判員裁判は順調にも思われるが課題も多くある」という説明は。
制度順調論なんてもう誰も言わなくなった過去の言説。「順調にも思われる」なんて口にしてみせるのは、何周回も常識に遅れていることを暴露するものだ。
8割以上が参加したくないと答えていたり、実際の参加率も65%まで大幅に低下しているという事実も指摘されています。
それが何を意味するのかをきちんと論じない所にこの人の裁判員制度論の中途半端さがある。
それも制度発足当初の時期にずいぶん言われ、その後みんな言わなくなった論議だ。
当初は、裁判員裁判の意義を広く知らせるには守秘義務の緩和が不可欠だと民間推進派が強調していた。しかし、守秘義務を緩和すると裁判員など2度とやりたくないという思いが広がるだけだと気がついて、マスコミも日弁連もほとんど言わなくなった。
国は改善対策に取り組むだろうが、制度趣旨が実現されるかどうかについては、今後の推移を注意深く見守る必要があるとおっしゃっています。
「取り組む改善対策」とは何か。この8年間国は何をしてきたか言ってみなさい。
何も言っていない。NHKニュースを注意深く見てみろ。毒にも薬にもならない傍観者的評論で話をまとめるのは、自分の主張をあいまいにする時の常套手段だ。
松田さんの所属事務所は共産党の代議士も擁したことのある著名な東京の法律事務所ですよね。
共産党は裁判員制度実施の1年前に延期を提案し、それにも関わらず実施と決まると率先して推進の旗を振った。松田クンが中途半端なのではなく共産党が基本的にいい加減なのだ。
次に弁護士歴33年、京都の鍬田則仁さん(鴨川法律事務所)の言葉に進みましょう。タイトルは「裁判員制度をめぐる数字」 要旨は次のとおりです。
最高裁が裁判員辞退者増加(出席率低下)の原因をさる民間会社に調査させた結果、「審理の長期化」や「非正規雇用の増加」の可能性が指摘された。最高裁はこの結果を踏まえて参加者を増やす対策を検討しているという。
だが、原因はそれだけだろうか。裁判員候補者として選定された者の選任手続きに来てくれた者の数はもともと39.3%しかいなかったのが平成27年には23.7%まで落ち込んだ。当初から不正常で今は一層機能しなくなっているということだ。
一昨年3月の日本世論調査会の調査結果では、制度が定着していると言う人が30.9%、否と言う人が65.3%。参加したい・参加してもよいと言う人は元々18.5%しかいなかったが、平成27年にはそれがさらに下がって14.3%になった。
他方、義務なら仕方がないが40%余、義務でも参加したくないという強固な消極意見も40%余になっている。就任は義務と知っている者が70.2%に達する中でのこの数字なのだ。
今回の民間会社調査は制度の是非などの根幹に踏み込んでいないが、ネットでは「国民に犠牲を強いながら上級審でその判断を覆すのなら、国民の声の反映などポーズだけではないか」など、制度の存否(要否)に関わる書き込みが目立つ。ネットに限られた意見ではなかろう。
裁判員制度違憲論がある。そのことを措いても国民の声とは遠く離れたところにあるこの制度は抜本的な見直しを要しよう。
ふむふむ、これは語尾を濁しつつ事実上の制度廃止論と言ってよいだろう。
でもどうしてこんな制度は止めてしまえとはっきり言わないのでしょうか。
違う。真実を言わせない力が強烈に働いている。おかしな風にあらがうことの難しさが弁護士の発言にさえ表れているということだ。
それにしてもとても順調とは言えない悲惨な数字をぎょうさん並べてくれはりました。
「裁判員裁判は順調にも思われる」などとのたまった東京の弁護士さんに比べれば、鍬田さんの解説はすぐれもんではありまへんか。
よく言えば8合目まで来ているのだが、リアルに言えば8合目で転んでいるとも言える。
「審理の長期化」や「非正規雇用の増加」に対する最高裁の参加者増対策とは何でしょうか。
「審理の長期化」対策なら、乾いたぞうきんを絞るようにもっともっと工夫して審理を短くせよとハッパをかけるだけじゃないですかね。
最高裁の名において政府と経団連に非正規雇用を減らせと申し入れる、かな。
裁判員制度採用の時でさえ人員増の要求をしなかった最高裁だ。人手の不足を定年後職員の嘱託採用でしのぐ最高裁に非正規問題解決のもくろみも決意もある訳がない。
「非正規雇用の増加」と言いますが、正規雇用労働者だって不安だらけですよね。
推進派の連中は、ああでもないこうでもないと適当なことを言っているだけで、本当のことには触れないところだけはしっかり共通しているのだ。
「国民に犠牲を強いながら上級審でひっくり返すのなら、国民の声の反映などポーズに過ぎないのではないか」という声に鍬田さんは共感を示しています。
「国民の声の反映などポーズに過ぎない」というのは百%正しい。だがここは議論の分かれ目になる大切なところだ。
民間推進派の一部には上級審も国民参加にせよという人たちがいる。それが国民の声だと言うのだ。
国民を教育善導するのが国の責任だと考えている彼らに、上級審の裁判を国民に解放する考えなど微塵もない。彼らは司法を批判の対象とするのではなく、信頼の対象と位置づけている。
言わずと知れた制度廃止論さ。廃止こそ国民の声、天の声。ついに廃止の時が来たと言うのだ。
鍬田さんは国民参加拡大論に共感しているのではないでしょうね。
よくわからん。分かれ目の所でどちらの道を選ぶかをはっきりさせなければ8合目から麓まで転げ落ちるだろう。
鍬田さんの言説の今後の推移を注意深く見守りましょう(笑)。で、民間推進派はどういう立場に立ったのですか。
政府・最高裁の騙し言葉を真に受けたのか、わかった上で一緒に騙す側に回ったのか、『朝日』を先頭にしたマスコミ総連合や共産党を先頭にした革新諸政党や政府・最高裁と一体になった日弁連が「みんなの力で国民主権の司法を実現しよう」なんてはやし立てた。
だがそれは束の間の夢だった。インコは予測していたとおりだったが、裁判員裁判の惨状を前に混乱と右往左往が始まり、そのうちに何を議論すべきかもわからなくなった。で、みんなどうでもいいことしか言わないか、黙り込むかになった。
ここまで制度の惨を描くなら、その根源に踏み込むのが責任ある弁護士の姿勢だろう。
そう言えば、裁判員制度違憲論を通り過ぎてしまわないでほしいですね。
国民の声とは遠く離れたところにあるこの制度をどうするか、国民の声とは何かだ。
鍬田さんの事務所は歴史のあるリベラルな法律事務所と聞きました。
「抜本的な見直し」の答えはずばり廃止だと言わなければ、残念だが鍬田クンの言説も通俗論の域を出ない言葉に終わる。
いま問われているのは、弁護士が確かな物言いをするかどうかということ。そう言ってよいでしょうか。
だが、最後に一言付け加えておこう。お2人はみんなが触れなくなった裁判員制度論を敢えて取り上げた。インコの分析対象にされたのは不運だったかも知れないが、かつて大風呂敷を広げ歓迎の旗を振ったのに、惨憺たる姿を人々の前に晒すようになったら知らん顔している多くの連中に比べれば誉めてあげたいくらいだ。
マスコミ・革新政党・日弁連の「矜持」が問われているということですかね。
私にも一言言わせて下さい。触れなければなぜ逃げると叱られ、言葉を濁せばなぜちゃんと言わないと叱られ、インコさんの手厳しさに全国の法律事務所と弁護士さんは頭を抱えるんじゃないかしら。
標語ができた。「汝インコの餌食となるも、ほら吹きの鳩となるなかれ」
……(インコさん、今は亡き鳩がインコに化けたことをまだ許していないのね)。
投稿:2017年8月13日