~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
10月2日の『静岡新聞』夕刊「窓辺」欄に、「女優検事」と題して裁判員裁判にまつわる次のエッセイが掲載されました。筆者は静岡地検の検事正です。
私は本年2月から現職にありますが、静岡地検勤務は2回目で、前回2010年10月から約1年半、沼津支部長を務めました。その短期間に、同支部では連続女性暴行犯の裁判員裁判が5件も集中しました。
連続女性暴行犯5人のうち、最も悪質だったのは10年間に通行人の若い女性9人を襲った被告人で、無期懲役の求刑も考えられました。しかし、この被告人は別の犯罪で執行猶予付き判決を受けていて、刑法の規定により確定判決前後の5件と4件を分けて求刑しなければなりませんでした。
そこで、いずれも有期最長の懲役30年を求刑し、合計懲役50年(24年と26年)という判決が得られました。刑事裁判史上異例の判決だったこともあり、今も強く記憶に残っています。
これら連続女性暴行犯5人は全員起訴事実を争わなかったため、幸いにも被害者が証人として呼ばれることはなく、被害状況の立証はすべて供述調書の朗読によって行われました。これを一人で担当したのが当時任官3年目の若い女性検事でしたが、被害者は計30人近くに上りましたから、裁判を重ねる都度、朗読の技量は当然向上します。
そのため、裁判終了後しばらくして、司法修習が同期だった裁判補から「女性裁判員が『検事が女優さんみたいだった』と言っていたよ」と伝えられたそうです。被害者を思い、自らの職責を果たせたという安堵感もあったのでしょう。うれしそうに私に報告してきました。
でも判事補君、それって評議の秘密じゃないの?
組頭は人聞きが悪いな。警察で言えば県警本部長、裁判所で言えば地裁所長。
朗読がうまくなったら女優みたいだと誉められたっていう女性検事の話です。
彼女は女優みたいではなく、本物の女優だ。人を殺した犯人を演じたことはあるが検事をやったことはなかったはずだ。
窓辺に寄っても目に入るのは犯罪人、てな日々を送ってるせいかも知れぬ。
家族と一緒の北海道旅行中に速度違反をしたっていう経験を政府刊行雑誌に書いて話題になった検事総長ですね。
オホン、本論に戻して、このエッセイに書かれているのは、通行人の若い女性を何人も襲ったが、1件も警察に把握されない間にこの男は別の犯罪で捕まり、その事件で執行猶予付きの有罪判決が出たということだ。
その判決が確定するまでの被害女性の数は総勢5人でした。その判決の後に4人を襲い、結局10年の間に都合9人が被害者になったという訳ですね。
連続女性暴行とありますが、強姦、最近名称が変わって強制性交ですか、そのことなんでしょうね。こんな数になったのは被害者が被害を警察に届け出なかったからかな。
こういう時には確定判決の前の事件と後の事件は別々に判決を言い渡すんですね。
そうだ。前の一群の事件と後の一群の事件に分け、それぞれ言い渡すことになっている。
それで前の事件の判決の量刑が24年、後の事件の判決の量刑が26年、合計50年になったと。
そうとは限らないのだが、被告人が起訴事実を争わないと言うと、普通、検察官は証人調べの代わりに被害者を取り調べた捜査段階の調書を朗読させてくれと裁判所に申し立てる。普通、弁護人はそれに同調する。すると裁判所はそれで行こうと応える。
要点を検察官が朗読する。男女のやりとりを男の検察官と女の検察官が読み分けて演じたこともあるな。
お芝居の世界ですね。本当の話か作り話かなんだかわからなくなりそう。
話を裁判に戻します。調書重視はやめて法廷で調べろというのが竹崎前最高裁長官のお達しだったのでは。
まぁな。しかし現場には、被告人が起訴事実を認めた時まで被害者の証人尋問をする空気などない。何が何でも早く裁判を終わらせろと言われてるんだからな。
調書の朗読が上手になったということは、反面尋問技術が低下しているってことかも知れませんね。
それもないではないが、もっと気になるのは、調書の朗読技能が向上したとか、検事が女優のようだったとかいう話がいかにもうれしそうに語られていることだ。
9件もの事件が隠れたままで経過していたのはどうしてだったのだろう。どれもこれも調書を読めば済む事件と決めつけてよかったのか。そもそもこの被告人には刑事責任が問える能力が真実あったのだろうか。あれこれのシリアスな問題が潜んでいたのではという疑問が残る。だが、この検事正はそういうことにまるで関心がなさそうだ。
市民・県民にはこんな話の方が受けるだろうと思ったのだとすれば、それは愚民思想だろう。どっちにしても底抜けに底が浅い。
「自らの職責を果たせたという安堵感でうれしくなった」という言葉もあります。
その程度のことで検事の職責を果たしたと思ったり、安堵感に浸っているようでは文字どおり検事は失格だ。
最後に「でも判事補君、それって評議の秘密じゃないの?」という言葉で結んでいます。
裁判員が評議の中で聞いたことを漏らすと評議の秘密の漏洩になる。それから着想して書いたのだろうが、そんなことは評議の秘密の漏洩にならない。
それもあるが、そもそも裁判官は評議の秘密を漏らすことを禁じられていない。袴田事件で自分は死刑に反対したと告白した熊本典道元裁判官は処罰されていない。
それには深い意味があると読んだ。この一文を読んだ静岡県民はどう思うか。
「検事が女優のようだった」という単なる感想も評議の秘密の漏洩になるんじゃないかと思います。そうなれば、ますます裁判員になりたい人はいなくなります。
そうだ。奥村検事正はそう思わせたかったのだ。だから、東海の小島で蟹と戯れながら、刑事司法の行く末を嘆いておられるのだ。
投稿:2017年10月8日