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制度の命名者・松尾浩也先生を偲ぶ

裁判員制度はいらないインコ

12月1日、松尾浩也先生が胆管がんで亡くなられたことを知りました。享年89歳とのこと。490898インコも弔辞を述べなければなりません。インコのお山から謹んで西方浄土を望み、もとい、先生はクリスチャンであられますので天国ですね、天国を望み、一言ご挨拶申し上げます。

 松尾先生は平野龍一先生の高弟でした。団藤重光先生や平野先生と同じく東京大学名誉教授。日本刑法学会の理事長もお務めになられた。日本の刑法と刑事訴訟法の研究者のど真ん中で一生を過ごされた方で、日本の刑事法の泰斗です。

 しかし、先生のご逝去を報じたメディアは、先生の学績はそっちのけで、判で押したように「裁判員の名付け親」って書いたり言ったりしてました。先生の業績は裁判員しかなかったかのよう。でも学者の「亡者記事」っていうと(これ業界語。著名人お亡くなりの傍線付き報道を業界の人はこう言う)、「なんたらの研究でなんたらを書いた人」なんていう、パンピーには面白くも何ともないことが多い。みんなが知ってそうなことになると結局こうなっちゃうんですね。

 ま、いいでしょう。先生は、熊本県の炭鉱の町に生まれ、五高(旧制熊本高校)を経て東大法学部に進まれ、1960年には東大教養学部で助教授をされていました。安保の風が吹いていた時代には駒場にいて、70年安保は教養学部教授でした。法学部助手から法学部助教授、教授への一直線ではない、若い頃はちょっと回り道の人でしたね。でも、定年退官後には法制審議会の会長をやったり、法務省の特別顧問を引き受けて勲章貰ったりして、しっかりお国の方に顔が向いてたみたい。

 経歴ご紹介はそのくらいにして、せっかくですから裁判員の話に行かせて貰います。司法制度改革審議会という組織が内閣に設けられたのが18年前の1999年。2年かけて2001年6月に審議会は裁判員制度の採用などを求める意見書を時の内閣総理大臣に提出しました。総理大臣は就任早々の小泉純一郎氏。彼はこの答申を国家戦略として推しすすめると言いました。その裁判員制度の話です。213113

 話はちょっと戻りますが、審議会では陪審制の採用をめぐる論争が延々と続いていました。最高裁は素人の裁判能力に強い疑問を示し、誤判を生む危険のある陪審は絶対に採用すべきでないと主張し、審議会は審議期間の大半が過ぎても話がまとまらなかった。裁判官と一緒に裁判をする評決権なしの「参審制」で行くというところまで最高裁が譲歩した2000年11月になって出された中間報告でようやく裁判員制度の骨格らしきものが見えてきました。

 「裁判員制度」が登場したのは第4コーナーに入った2001年のことです。

突然の話でした。1月の審議会で行われたヒアリングに登場した当時法制審議会会長だった松尾先生が、「裁判に市民を参加させ、参加する市民を裁判員とでも読んだらどうか」と提案したのでした。これで、松尾先生の人生を代表する出来事が「裁判員」の命名みたいなことになっちゃった。ひょんなことでひょんと命名されてひょんと滑り込んだ「裁判員制度」だったんですね。

 松尾先生は、制度実施1年目の2010年5月には、法務省で講演して、「法曹3者の綿密な準備で順調なスタートが切れた。裁判への国民の積極的な姿勢は今後も変わらないだろう。司法への国民参加は一つの文化になりつつある」なんて、実態とはめちゃかけ離れたスピーチを行って話題になりました。浮世離れした学者先生だなぁってことで。
だって、この当時はもう裁判員なんてやりたくないっていう声がどんどん強まっていて、世論調査をした新聞社も最高裁も「こりゃあかん」と悲鳴を上げていましたからね。現場はすでに惨状でした。
でも、実を言うと、制度実施直前に当の松尾先生自身が「現状は少なくない国民が参加に消極的なようです」とおっしゃっましたね(『毎日新聞』2009年3月13日)。その後推進派は、制度は順調と言い続けました。実態とかけ離れた説明をする文化が最高裁を中心に広がったことだけは確かです。

 松尾先生の造語とされる「精密司法」についても一言述べておきましょう。松尾先生は、日本の司法は精密司法として運用されてきたと言われました。犯罪を緻密に分析し、被疑者・被告人の責任を厳密に判定する姿勢を指して言われた言葉でした。それはラフ・ジャスティスの対語、あるべき刑事司法の姿を積極的・肯定的に評した言葉でした。

 でも裁判員制度の登場以来、精密司法は良い意味では使われなくなりました。精密司法の反対語は「核心司法」なんですって。「精密」は「反核心」だっていうことになると、「精密」の意味は「どうでもいいことにやたらに関心を寄せる無駄司法」ということになるらしい。今度は一転して消極的・否定的な言葉です。
インコは、短い時間に素人に判断させる「粗雑司法」に変わっただけだろう、人権擁護という観点を費用対効果の論理で踏みにじるものではないかと声を大にして言いたいです。579324

 そうそう、松尾先生については、裁判員制度の関係でどうしても触れなければならないことがもう一つあります。それはテラダ現最高裁長官が2015年の裁判員候補者の名簿搭載通知の中に、自分の写真入りの「最高裁判所長官からのごあいさつ」という脅迫状まがいの書面を入れたことについてです。

 その書面の中で、テラダ長官は「我が国の刑事司法は近代的な訴訟原理のエンジンが回っている一方、国民参加のエンジンが回っていなかった」とおっしゃった松尾先生の言葉を引用されました。先生がどういう意図でそういう言い方をされたのかインコは知りませんが、話はもう少し精密におっしゃった方がよかったと思います。
 正確に言えば、我が国の刑事司法は近代的な訴訟原理を掲げながら実際にはまともに行われてこなかった。我が司法の冤罪史を一瞥しただけでもそのことは歴然としている。その結果、国民は我が刑事司法をあまり信用しなくなった。そういうことでしょう。
とするなら、必要なのは片肺飛行を両肺飛行にするのではなく、裁判官エンジンをオーバーホールして総点検することではないでしょうか。欠陥裁判官エンジンをそのままにして国民エンジンを一緒に回すと、飛行機はどこに飛んでいくか、どこで墜落するかわかったもんじゃありません。

 また、裁判官エンジンにはものすごい強力な推進力があるのに、国民エンジンはまるっきり力がなければ両者の協力で飛んでいるように見えても、実際には裁判官エンジンだけで飛んでいることにもなります。実際の飛行機は片肺でも飛べちゃいますからね。

 松尾先生の言葉入りのテラダ書簡にも起死回生の神通力はなかったようで、その後も裁判員候補者の出頭率は下落の一途です。

 最後に申し上げます。「先生との永遠のお別れのこの時に、この制度ともお別れにさせて下さい」ということです。「制度もどうぞ持って行って」です。竹内浩三の「兵隊のひょんと死ぬる」は腹からの怒りと慟哭のうたですが、この制度について言えば、制度がひょんと死んでも私たちは少しも悲しくありません。先生は、「国立大学が教官なら、私立大学は教員だ。そうだ、裁判員で行こう」。そんな発想だったっておっしゃってましたよね。どうせ先生の思いつきで登場しただけの制度です。なくなったら国民が慶祝し、裁判所の職員も裁判官も正直ほっと安堵の胸をなで下ろすだけです。

 おまけを申し上げれば、先生のご逝去とともにこの制度がなくなれば、先生の名声は長く国民の心に残り、みんな飛行機に乗った時には先生のお名前を思い起こすことでしょう。
 それでは先生さようなら。

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投稿:2017年12月31日

後ろの正面にいるのは誰か

関西の1研究者

「裁判員を経験した人たちは隠れキリシタンのように生きている」という言葉があるのをトピックスで知りました。隠れキリシタンは権力の統制に抗い世間に隠れて自身の信仰を守り通した人たちです。裁判員経験者たち最高裁や政府の司法政策に協力しようという人たちですから、その言い方は美称に過ぎるというか、間違っていると言った方がよいと思いますが、自身の経験を世に隠して生きているところは確かに共通しています。943776001

 でも不思議な話です。裁判員法は審理や評議の秘密を漏らすことは禁じていますが、裁判員になったことを周囲に知らせることはもちろん許されるし、経験を通して抱いた感想も漏らしてはいけないなどとは一言も言っていません。むしろ裁判員裁判を広く宣伝してもらいたくて仕方がないはずです。裁判所の雰囲気、裁判官の態度、他の裁判員の姿勢、被告人の態度、検察官や弁護人の言動などに関する感想……。何の差し障りもなく話せることはいくらでもあります。最高裁自身、裁判員裁判について周囲に知らせ、良い経験をしたとできるだけ広汎に伝えてほしいと裁判員経験者に言うように、現場の裁判官たちに強く指示しているはずです。

 それにもかかわらずほとんどの人たちが黙りこくる。裁判員制度が国民の支持と共感を取りつけていることを最高裁が強調する時に判で押したように言うのが、裁判が終わった後に裁判員経験者たちに書かせる感想の内容です。「貴重な体験であった」と肯定的な評価をした者が95%を超えたと最高裁は誇らしげに発表したのは2012年12月でした(「裁判員裁判実施状況の検証報告書」最高裁事務総局)。しかし、その後5年も経ちますが、最高裁はその数字のその後の変化などについて一切語りません。裁判後の感想は一貫して集めていますから、その数字もその後怪しい状態になってきているのかも知れません。

 貴重な経験をしたと評価した人が圧倒的多数なのに、出頭率がどんどん下がっているのはなぜか。この2つのデータの関係に関して、最高裁も制度翼賛論者たちもひとことも触れないのは不思議です。矛盾を暴露することになるので、触れる訳にはいかないのでしょうか。

 とは言え、先日のトピックスでは、「裁判員をやりたいと思って出頭したのに選任されなくて残念だった」という人の話が登場していましたから、やりたくてしょうがないとかやってもよいという人がまだ多少はいるのでしょう。9437763

 人を裁き処断することは市民の人生に絶対にない経験です。誰かについて死んだらいいとか殺してやりたいと思ったり、言ったりしても、それは言っているだけに過ぎません。職業裁判官でもないのに、懲役20年の判決言い渡しに関わってその判決が確定すれば被告人は20年刑務所に押し込められるし、死刑判決が確定すれば被告人は絞首台に追い込まれます。その行為に市民が関わらされ責任を負わされる。その経験は職業軍人でもないのに戦場に赴き人を傷つけたり殺したりするのを強制されるのとあまり違いがないのではないか。

 そういう人たちがどうしてこの国にいるのか、考えて見たいと思います。インコさんのおっしゃる「ワインの澱」に関する考察です。

 作家の西村京太郎さんが戦時下のご自身を書かれた「十五歳の戦争」の中に、次のような記述があります。

 14歳で入校した陸軍幼年学校では将校養成コースを選んだ。ラッパ起床、整列・食事の遅刻厳禁、教師命令の絶対。1カ月過ぎる頃、鏡の中の自分の目がキラキラしていた。緊張の連続がすごい充実感を生んだ。それはおかしな充実だった。空襲で焼けた校舎に「天皇陛下から頂いた短剣」を取りに戻った同級生が命を落とした。彼は校長から「名誉の戦死」と称えられた。9437762

 私は、その状況が少しわかるような気がします。恐ろしく重大なことを実行する自分。自身を極端に高揚させないととてもやりきれない心理。やりがいのあることだと自身に得心をいかせることで辛くもやりおおす。「貴重な経験をした」というのは、自身に言い聞かせる「窮極の説得用語」以外のものではないのではないか。「貴重な経験をした」は、自分はいったい何をしていたんだという自身への指弾と苦悩を回避するための自分への必死の言い聞かせなのだろう。その裁判員経験者の目はもしかすると「きらきら輝いていた」のではとも思う。おかしな充実であることは時が経過すればわかります。だから彼らのほとんどは自らの苦悩や葛藤を人に言えず、密かに生きることになる。

 裁判員裁判が始まった翌年2010年3月26日の『朝日』声欄で、「警察官になりたくなる一瞬」という58歳の男性の投書を読んだことを思い起こしました。違法運転者を認めた瞬間に自分はその場で検挙し、容赦なく切符を切れる警察官になりたくなる。その思いを踏まえ「民間通報検挙制度」の導入検討を提案したい。みんなが警察に通報する。周りの誰が通報者かわからないという心理状態は効果を生むに違いない。そんなことが書かれていました。9437761

 市民が国家権力の手先を買って出ようとする構図そのものです。
そして、「同意の調達と利用」の思想はナチズムの特徴です。『ヒトラーを支持したドイツ国民』(2008年・ロバート・ジェラテリー・みすず書房)は、「強制」と「同意」が絡み合いながらナチス体制を支えていったと分析しています。

 インコさんの動画「総統閣下は裁判員制度の失敗にお怒りです」が各方面で話題になっているようですが、裁判員制度をヒトラーに結びつける発想は案外恐ろしい現実味を持っているように私は感じます。

  京都大学名誉教授の池田浩士先生は、ジェラテリーの本の紹介文(08年3月『日経』)の中で、「国民の能動性に依拠して戦争と大量虐殺に突き進み、敗戦に至るまで国民に支えられつづけたヒトラー体制の日常を、本書によって見つめなおすとき、凶悪犯罪を激しく憎む私たちの世論と、近く始まる『裁判員制度』の行く末にも、思いを致さずにはいられない」と書いておられました。今になって私は池田先生の慧眼を深く考えさせられています。

以上

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投稿:2017年12月10日

インコ 悠久の青史を詠い、崩壊の残映に涙す

中国唐の時代、悠久の自然を前に、政治に翻弄された詩人たちが、人の命のはかなさ、頼りなさを詠んだ漢詩二題
21世紀の東の果て島国、鳥頭よりさらに軽い浅はかな制度が、政治に翻弄されて作られたことに怒ったインコが詠んだ漢詩二題yjimageMTVLVR5H

前不見古人
後不見来者
念天地之悠悠
獨愴然而涕下

前に古人を見ず、後に来者を見ず。天地の悠々たるを念い、独り愴然として涙下る。

過去の人に会うことは出来ない。この後に生まれ来る未来の人には会うこともかなわない。天地がこのように悠々と続いているのを思うと、人の一生の短さが胸に迫り、私は一人さめざめと涙を流す。

作者:陳子昴(中国初唐の詩人。武則天朝の酷刑や密告制度を多用する政治体制を批判して投獄された)2017120503

前不識法人
後不識私人
念鸚哥之悠悠
獨愴然而涕下

前に法人は識なし、後に私人は識なし。
鸚哥の悠々たるを念い、独り愴然として涙下る。

施行前、法の人は裁判員制度に見識がなかった。施行後、市民は裁判員制度には見識がないと言う。インコだけが悠々と前も後も廃止を言っているのを見ると、制度を推進してしまった悲しさが胸に迫り、私(最高裁長官)は独り、ただ涙を流すだけである。

作者:インコ(本音を語ることの出来ない長官になりかわり、インコが羽組みをして詠む)

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千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟簑笠翁
獨釣寒江雪

千山 鳥飛ぶことを絶え 万径 人蹤滅す 弧舟 簔笠の翁 独り釣る寒江の雪

見渡す限りの山々は鳥の飛ぶ姿も見えず、雪の積もったどの小道にも人の足跡は見られない。簔笠をつけた老人が、雪の降る寒々とした川に小舟を浮かべ、独り釣り糸を垂れている。

作者:柳宗元(中国中唐の詩人。政争に敗れ、永州司馬に左遷されたときに詠んだものとされる)2017120503

本庁人来絶
支部人語滅
孤立司法長
独立逆風晒

本庁 人来ることを絶え 支部 人語を滅す
孤立 司法の長 独り逆風に晒されて立つ

本庁に来る裁判員候補者の姿は絶え、支部でも裁判員の話し声は消えてしまった。孤立した最高裁長官は、制度を廃止しろという逆風に独り晒されて立っている。

作者:インコ(誰もいなくなってしまった裁判所の庭に、己の写真を胸に下げて立つ老人を認めて、ふと詠む)

2017120501

 

投稿:2017年12月5日