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後ろの正面にいるのは誰か

関西の1研究者

「裁判員を経験した人たちは隠れキリシタンのように生きている」という言葉があるのをトピックスで知りました。隠れキリシタンは権力の統制に抗い世間に隠れて自身の信仰を守り通した人たちです。裁判員経験者たち最高裁や政府の司法政策に協力しようという人たちですから、その言い方は美称に過ぎるというか、間違っていると言った方がよいと思いますが、自身の経験を世に隠して生きているところは確かに共通しています。943776001

 でも不思議な話です。裁判員法は審理や評議の秘密を漏らすことは禁じていますが、裁判員になったことを周囲に知らせることはもちろん許されるし、経験を通して抱いた感想も漏らしてはいけないなどとは一言も言っていません。むしろ裁判員裁判を広く宣伝してもらいたくて仕方がないはずです。裁判所の雰囲気、裁判官の態度、他の裁判員の姿勢、被告人の態度、検察官や弁護人の言動などに関する感想……。何の差し障りもなく話せることはいくらでもあります。最高裁自身、裁判員裁判について周囲に知らせ、良い経験をしたとできるだけ広汎に伝えてほしいと裁判員経験者に言うように、現場の裁判官たちに強く指示しているはずです。

 それにもかかわらずほとんどの人たちが黙りこくる。裁判員制度が国民の支持と共感を取りつけていることを最高裁が強調する時に判で押したように言うのが、裁判が終わった後に裁判員経験者たちに書かせる感想の内容です。「貴重な体験であった」と肯定的な評価をした者が95%を超えたと最高裁は誇らしげに発表したのは2012年12月でした(「裁判員裁判実施状況の検証報告書」最高裁事務総局)。しかし、その後5年も経ちますが、最高裁はその数字のその後の変化などについて一切語りません。裁判後の感想は一貫して集めていますから、その数字もその後怪しい状態になってきているのかも知れません。

 貴重な経験をしたと評価した人が圧倒的多数なのに、出頭率がどんどん下がっているのはなぜか。この2つのデータの関係に関して、最高裁も制度翼賛論者たちもひとことも触れないのは不思議です。矛盾を暴露することになるので、触れる訳にはいかないのでしょうか。

 とは言え、先日のトピックスでは、「裁判員をやりたいと思って出頭したのに選任されなくて残念だった」という人の話が登場していましたから、やりたくてしょうがないとかやってもよいという人がまだ多少はいるのでしょう。9437763

 人を裁き処断することは市民の人生に絶対にない経験です。誰かについて死んだらいいとか殺してやりたいと思ったり、言ったりしても、それは言っているだけに過ぎません。職業裁判官でもないのに、懲役20年の判決言い渡しに関わってその判決が確定すれば被告人は20年刑務所に押し込められるし、死刑判決が確定すれば被告人は絞首台に追い込まれます。その行為に市民が関わらされ責任を負わされる。その経験は職業軍人でもないのに戦場に赴き人を傷つけたり殺したりするのを強制されるのとあまり違いがないのではないか。

 そういう人たちがどうしてこの国にいるのか、考えて見たいと思います。インコさんのおっしゃる「ワインの澱」に関する考察です。

 作家の西村京太郎さんが戦時下のご自身を書かれた「十五歳の戦争」の中に、次のような記述があります。

 14歳で入校した陸軍幼年学校では将校養成コースを選んだ。ラッパ起床、整列・食事の遅刻厳禁、教師命令の絶対。1カ月過ぎる頃、鏡の中の自分の目がキラキラしていた。緊張の連続がすごい充実感を生んだ。それはおかしな充実だった。空襲で焼けた校舎に「天皇陛下から頂いた短剣」を取りに戻った同級生が命を落とした。彼は校長から「名誉の戦死」と称えられた。9437762

 私は、その状況が少しわかるような気がします。恐ろしく重大なことを実行する自分。自身を極端に高揚させないととてもやりきれない心理。やりがいのあることだと自身に得心をいかせることで辛くもやりおおす。「貴重な経験をした」というのは、自身に言い聞かせる「窮極の説得用語」以外のものではないのではないか。「貴重な経験をした」は、自分はいったい何をしていたんだという自身への指弾と苦悩を回避するための自分への必死の言い聞かせなのだろう。その裁判員経験者の目はもしかすると「きらきら輝いていた」のではとも思う。おかしな充実であることは時が経過すればわかります。だから彼らのほとんどは自らの苦悩や葛藤を人に言えず、密かに生きることになる。

 裁判員裁判が始まった翌年2010年3月26日の『朝日』声欄で、「警察官になりたくなる一瞬」という58歳の男性の投書を読んだことを思い起こしました。違法運転者を認めた瞬間に自分はその場で検挙し、容赦なく切符を切れる警察官になりたくなる。その思いを踏まえ「民間通報検挙制度」の導入検討を提案したい。みんなが警察に通報する。周りの誰が通報者かわからないという心理状態は効果を生むに違いない。そんなことが書かれていました。9437761

 市民が国家権力の手先を買って出ようとする構図そのものです。
そして、「同意の調達と利用」の思想はナチズムの特徴です。『ヒトラーを支持したドイツ国民』(2008年・ロバート・ジェラテリー・みすず書房)は、「強制」と「同意」が絡み合いながらナチス体制を支えていったと分析しています。

 インコさんの動画「総統閣下は裁判員制度の失敗にお怒りです」が各方面で話題になっているようですが、裁判員制度をヒトラーに結びつける発想は案外恐ろしい現実味を持っているように私は感じます。

  京都大学名誉教授の池田浩士先生は、ジェラテリーの本の紹介文(08年3月『日経』)の中で、「国民の能動性に依拠して戦争と大量虐殺に突き進み、敗戦に至るまで国民に支えられつづけたヒトラー体制の日常を、本書によって見つめなおすとき、凶悪犯罪を激しく憎む私たちの世論と、近く始まる『裁判員制度』の行く末にも、思いを致さずにはいられない」と書いておられました。今になって私は池田先生の慧眼を深く考えさせられています。

以上

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投稿:2017年12月10日