~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
春を迎えましたな。高潔英明な菅丞相さまになりかわるつもりは毫もござりませぬが、インコこの際、学問の神さんにちょっと許しとってとお願い申し上げて、苦役に難渋しとうない皆さまのために謹んで裁判員の断り方をお知らせし致しまする。菅原ならぬインコのお山長老伝授手習鑑、新春のプレゼントでござりまする。初段、二段目、そして三段目をすっとばして人気の四段目と、まぁそんな具合で人形浄瑠璃の調べに乗せて都合3演目構成です。よろしくね。
はじめに
正当な理由がないのに出てこなかったら「10万円以下の過料」の制裁が科されることになってる。でも、制度実施以来この制裁に遭遇した人は1人もいない。これまでに裁判員候補者の名簿に載せられた人は180万人もいて、不出頭者はべらぼうな数に上るにのにでっせ。
始まる前からめっぽう嫌われ、始まってからはさらに嫌われているこの制度、ここで不出頭を処罰でもしてご覧なさい、目も当てられない修羅場が眼前に広がります。冗談じゃないって誰も彼も裁判所に行かなくなっちゃうんですね。もう完全に定着した集団拒絶状態から今度は制度廃止に向け、怒りの要求が奔流となって流れ出す。絶望的な不評をよくよくわかってる最高裁としては、処罰なんかできる訳がない。竹崎最高裁長官とすれば、あなたの首に縄をかけても引っ張り出したいと思っているんだけど、そうはさせじとあなたの怨念が飛び梅のように三宅坂に飛んで彼の腕をぐっと押さえてる、とまぁそんな力関係なんですね。
制度を始める前の最高裁は、こんなときの不出頭は認めないとかこんなときなら許してやるとか、やたらにえらそうに詳細な基準作りに精を出していた。でも始まってみたら何のことはない、出頭者には感謝状や記念バッジを配る(金がかかっているとはとても思えないしろものだけど)一方、不出頭のペナルティーは何もなしということになってしまったんさ。
じゃ、こんなもの無視してすっぽかせばいいってことになるか。確かに調査票が入っている通知書については(質問票が入っている呼出状についてもかなりの程度で)、無視・黙殺・ゴミ箱直行・鍋敷き利用などの民間ルールがほぼ確立されている。でも、これまでのところ通知書が送られてきた人の3~4人に1人の割合で呼出状が送られてきています。それがそもそも極めて不愉快。しかし、最高裁自身が報告書の中でこれまでに9万人以上が「調査票により辞退等が認められた」と言っている。つまり調査票への対処いかんで呼出状が送られてくるかこないかが変わることになる。最高裁はまた9万2千人以上が「質問票により辞退等が認められた」とも言っている。質問票への対処いかんで不出頭が認められることにもなる。不快回避対策はやればそれなりに効果が出るのです。
そこでインコは、調査票や質問票に対して、こういう断り状を出したら裁判所はあなたを呼び出しにくくなるという「長老直伝・お断り参考文例」をご紹介しようという訳です。
それでは、まずは皆さまを、初段「筆法伝授の段」へとご案内つかまつりまする。
初段「筆法伝授の段」
これは、ご自身が裁判員裁判に参加する考えがないことをきちんと率直に訴える断り状です。「アベが通れば道理が引っ込む」時代ですから、世の中ご無体だらけ。なにごとも正直・率直がよいという泰平の世ではありませんが、でもすなおはやっぱり百千万の力です。
(心構え)
自分は主権者(この国の主人公)で、あなたたちは私たちの税金で暮らしている公僕なのだという強い姿勢に立つこと。何とか勘弁して下さいと懇願するのは絶対にいけない。お願いする気持ちになると彼らはすぐに高ビーになり、勘弁してやらん出てこいって言い出す。醍醐天皇の時代からホントしょうもない奴らなんだよねぇ、お上って言うのは。
(例えば次のようなことを書く)
□ 自分は絶対に人を裁かない。人を裁くということは自分のこれまでの人生を否定すること、これからの自分の人生を狂わされることだ。いかに裁判所といえども人の人生を否定したり狂わしたりする権利はないはずだ。(ここで宗教上の信念を展開されるもよし)。
□ 自分には人を裁く知識や判断の力がない。知識や経験がなくてもできるという説明を聞いた(読んだ)が、とてもそうは考えられない。裁判は専門知識や長い経験を持つ人だけがなし得る厳粛な仕事のはず。裁判はもっと大事に扱われるべきものではないのか。
□ もし、法廷で裁判官の席に坐らされたり、事件や被告人について裁判官などと話をしなければならない場面になっても私は口を開かない。もし口を開いたら何回でも「私にはわからない」と繰り返す。それでは被告人にも裁判官にも迷惑をかけるだけだろう。
□ みんなで相談して結論を出すのだから不安になる必要はないという説明を聞いた(読んだ)。しかし、それでは他人に責任をかぶせる逃げ口上になるだけで、安心できることにはならない。裁判員みんながそう思ったら大変な無責任ではないか。
□ 多数決で結論を出すのだと(読んだ)聞いた。そうすると自分が少数説だったら結論は自分の意見ではないことになる。それでは自分は気持ちの整理が絶対につかない。自分は無罪だと思っても、判決が有罪になったら、自分は生涯そのことを悔やむ。
□ 事件の現場の悲惨な写真を見せられたりするのは耐えられない。しかし、どぎつい写真は省略したりモノクロ写真にするというのもおかしいと思う。素人を呼び出して裁判官のまねごとをさせるところにそもそもの間違いがある。
□ 裁判所に出かけていく時間はまったくない。仕事(家事)が大変で、人をどう処罰するかなどと考えている余裕は自分には全然ない。自分の忙しさを説明しなければならないのも理不尽だと思うが、簡単に言えば…………という状況だ。それでも来いというのか。
(工夫のしどころ)
□ 縦書き、横書き、手書き、ワープロ打ち、なんでもよろしい。調査票や質問票には書き込むスペースがないので、別の紙に書くこと。紙の大きさも問いません。なお、書いたものは送る前に必ずコピーをとっておきましょう。
□ ここに紹介したことを組み合わせて書いてもよいし、ほかにいろいろ書き足してももちろん結構。短くまとめてもよいが、たくさん書けば説得力が増す場合が多いでしょう。
□ 一番大事なのは、無理して呼び出してもこの人は選任期日にあーだのこーだのと余計なことを言い、裁判が始まってからとんでもないことを起こしたり、あげく裁判員解任なんていう面倒なことに発展する人かも知れないと裁判所に思わせることです。
この段のむすび
処罰されないのなら放っておこうかと思っている方に長老からひとこと。
断り状はやっぱり書いた方がよい。自分を呼び出すなという声を上げることは、この制度に納得していないという声につながり、結局は制度の廃止につながってゆくからです。私の苦労を後の人に味合わせたくないと思えば、制度を廃止させるのが最善の道筋、王道です。
それに何と言っても無理が通って道理が引っ込む時代です。極限まで追い込まれ、裁判所への出頭者がほとんどいなくなったら、批判・反発の十字砲火を浴びても不出頭を処罰すると言い出すかも知れない。どこぞの宰相だって世界中の非難を覚悟しながらどこぞの神社に参拝したじゃないですか。
裁判員制度の目的は国民の司法教育だと当局の人は言っています。では私たちの方から、国民はこう思っているぞと反撃教育に打って出ようということです。これが断り状の第1目的と言ってもよい。「アニーよ、断り状を手にとれ」なんてね。
最後にもうひとつ。こればインコからのお願い。
裁判所に送る断り状のコピーをできたらメールか郵便で送って下さい。いつかまとめて、「裁判所に送る一通の手紙」大コンクールをこのウェヴで発表させていただきます。選者はもちろん私、インコです。
投稿:2014年1月3日