トピックス

トップ > トピックス > 無間地獄に堕ちよ! 死刑を言い渡した裁判官たち

無間地獄に堕ちよ! 死刑を言い渡した裁判官たち

「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けた。証拠は捏造されたと考えるのが最も合理的。このような証拠を捏造する必要性と能力を有するのは捜査機関だけ。刑事司法の理念からは到底耐え難く、拘置をこれ以上継続することは正義に反する。一刻も早く袴田の身柄を解放すべき」。袴田事件の再審決定(静岡地裁)は大英断・大勇断でした。インコはほっとしました。花ウサギピンク

でもでも、終わりよければすべてよしなんてことは絶対にない。 袴田事件は初めから強く疑われてきたのです。証拠がねつ造されてるって言われ続けてきて、それを無視し続けてきた歴史があります。「絶望の裁判所」の45年史はどんなに批判しても批判し足りない。「罪万死に値す」です。DNA鑑定の科学の力だなんて冗談じゃない、科学のレベルが低かったら人を死刑にしても仕方がなかったように言うんじゃない。

1審の静岡地裁の左陪席だった熊本典道さんは無罪を確信していた。DNAは関係ない。石見勝四裁判長に「あんた、それでも裁判官か」とくってかかり、「あんたが書けよ」とまで言った。でも裁判長の指示で結局死刑判決を書かざるを得なくなる。「自分は人殺し」。自身をさいなみ、裁判官を辞職、生涯をかけた雪冤の闘いに立ち上がった。

死刑判決を言い渡した地裁の判決文の中に次のくだりがあります。判決当初から「裁判官の合議が分裂していたのでは。袴田さんの有罪に反対した裁判官がいたのでは」と強く疑われた理由になったところです。
「捜査官は、被告人を逮捕して以来、専ら被告人から自白を得ようと、極めて長時間に亘り被告人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠ったため、結局は、『犯行時着用していた衣類』という犯罪に関する重要な部分について、被告人から虚偽の自白を得、これを基にした公訴の提起がなされ、その後、公判の途中、犯罪後一年余も経て、『犯行時着用していた衣類』が、捜査当時発布されていた捜索令状に記載されていた『捜索場所』から、しかも、捜査官の捜査活動とは全く無関係に発見されるという事態を招来した」
「本件捜査のあり方は、『実体真実の発見』という見地からはむろん、『適正手続きの保障』という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する。」花ウサギ青

しかし、以後、すべての裁判所が袴田さんを有罪と断定し、袴田さんの無罪主張を退けました。どの裁判所も裁判官も「証拠の偽造」に論及せず、検察の言うことをすべてそのまま認めてきたのです。この腐りきった裁判所の姿勢が検察をいっそう腐敗堕落させ、「証拠は捏造しても裁判所はかならず救ってくれる」という異常思考を検察思想のど真ん中にすえてきたのです。大阪地検特捜部の証拠捏造検事の事件はその典型的な一例。長く続いたこの国の刑事司法の腐敗(不敗)の異常な伝統の所産です。

今回の再審開始決定にマスコミはよかったよかったとひたすら祝賀していますが、それは完全な間違いです。恥ずべきことです。うれしがっていただけでは間違った仲間の中に私たちも入ってしまいます。もっともマスコミは冤罪に加担しているのですから、間違った仲間なのでしょう。「この国の刑事司法が正統なものであることを国民に教育すること」が裁判員制度導入の主目的だと当局は言い続けてきたことをご記憶でしょう。証拠偽造を隠蔽して何が司法の正統性ですか。本当のことを言えば、腐れ司法が裁判員制度を作っているのです。

話を進めましょう。袴田さんを死刑台に送り込もうとした裁判官たちは誰と誰だと尋ねる声があちこちから聞こえてきます。インコは調べて見ました。調査能力の限界をお詫びしつつ、怒りの速報をいたします。みなさんの情報提供で適宜改訂させたいので、ご協力下さい。(日付~職名)とあるのはその日付から現職にあることを示します。△は故人ですが、キミたち死んでも許されないよ。花ウサギ緑

1審 静岡地裁 1968年9月11日
無実の袴田さんに死刑判決


裁判長:△石見勝四
裁判官:△高井吉夫

控訴審 東京高裁 1976年5月18日
袴田さんの控訴を棄却して死刑維持

裁判長:△横川敏雄(1994年死亡。1977年札幌高裁長官を最後に退官。後に早稲田大学客員教授。「フィロソフィの確立を。裁判官は絶えず動揺し時には暴走する世論に動かされてはならない。裁判官には独善・偏狭などと批判される余地のない物の見方・考え方とこれにもとづく良識が要求される」と主張)
裁判官:柏井康夫
判官:中西武夫(2002年11月15日東京高裁部総括判事で退官)

上告審 最高裁第二小法廷 1980年11月19日
袴田さんの上告を棄却して死刑維持

裁判長:△宮崎梧一(1948年第一東京弁護士会に登録。80年に最高裁判事に就任。84年に退官して再び弁護士に。2003年3月死亡)
裁判官:△栗本一夫(1982年退官。92年11月死亡)
裁判官:木下忠良(1986年退官)
裁判官:△塚本重頼(1992年4月死亡)
裁判官:△塩野宜慶(2011年1月死亡)

再審請求審  静岡地裁 1994年8月8日
袴田さんの請求を棄却して死刑維持

裁判長:鈴木勝利(2000年12月宇都宮家裁所長で退官)
裁判官:伊東一廣(11年4月~津地家裁四日市支部長、四日市簡易裁判所判事)
裁判官:内山梨枝子(12年4月~大阪高裁判事、大阪簡易裁判所判事)

再審請求棄却に対する即時抗告審 東京高裁 2004年8月26日
袴田さんの即時抗告を棄却して死刑維持

裁判長:安廣文夫(09年8月23日東京高裁部総括で退官)
裁判官:小西秀宣(14年3月26日東京高裁部総括で退官)
裁判官:竹花俊徳(12年10月19日~川口簡易裁判所判事)

即時抗告棄却に対する特別抗告  最高裁第二小法廷 2008年3月24日
袴田さんの特別抗告を棄却して死刑維持

裁判長:今井功(2009年12月26日退官、10年4月弁護士登録、第一東京弁護士会所属・TMI総合法律事務所顧問弁護士、13年3月まで東北大学法科大学院客員教授)
裁判官:津野修(2002年内閣法制局長官退官、03年弁護士登録、04年2月最高裁判事、08年10月19日退官。弁護士再登録・第一東京弁護士会所属。原・植松法律事務所)
裁判官:中川了滋(1997年第一東京弁護士会会長、2005年1月19日最高裁判事、09年12月22日退官。弁護士再登録・第一東京弁護士会所属。丸の内仲通り法律事務)
裁判官:古田佑紀(2004年12月10日まで検事。退官後の05年8月2日最高裁判事、12年4月8日退官)

【インコのうんちくその1】
袴田事件は日弁連が再審支援している事件の一つ。その日弁連出身の弁護士が裁判官になって再審請求の切り捨てにいそいそと加わっている。そしてこの人たちも退官すればまた弁護士に戻る。日弁連の再審支援に賛成していないと見込まれて任官できた半端弁護士(失礼!)でも、また弁護士にさせてくれって言うんだね。そして言われると日弁連はほいほいって加入させるんだね。どうなっとるんだ日弁連は。

【インコのうんちくその2】
死ねばもう非難されないなんてことはありません。人は、死後、初七日から三回忌まで十王による裁判を受けます。鬼籍に入った元裁判官たちは十王のお裁きを順次受け、もう刑が確定している人もいるようで。まだ生きている人たちは首を洗って待っていなさい。
1審 初七日 秦広王(不動明王)
2審 二七日 初江王(釈迦如来)
3審 三七日 宋帝王(文殊菩薩)
4審 四七日 五官王(普賢菩薩)
5審 五七日 閻魔王(有名な閻魔大王。元人間の地蔵菩薩)
6審 六七日 変成王(弥勒菩薩)
7審 七七日 太山王(例の四十九日。薬師如来)
8審 百か日 平等王(観音菩薩)
9審 一周忌 都市王(満1年、勢至菩薩)
10審 三回忌 五道転輪王(満2年、阿弥陀如来)
死後の裁判はじっくり10審まで。普通は49日で転生が決まるので、8審からが再審かな。かっこの中の菩薩や如来は十王と表裏一体、つまり十王の化身でアメとムチのセット。でも日本という国の刑事司法はムチばっかり。推進しているのはだれ?

投稿:2014年3月30日