~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
今日も鸚哥大学の研究室には、3羽が集う。夏真っ盛りというのに行くところがないのか、金がないのか…
あら、忙しいというより、うれしそうにインコさんは嘴なめずり(人間界で言う「舌なめずり」)をして待っているわよ。
インコさん、ほらこの記事
「死刑判決は激減していた!」「本コラムスクープに森達也も『参りました』」という大見出し。『週刊文春』8月14・21日(夏の特大号) の「宮崎哲弥の時々砲弾Special」
ほー。6月12日号、19日号で宮崎氏が「死刑判決は事前の予測に反し、制度実施前10年間の約3分の1に激減している」という事実をスクープした(と文春は言う)。これはその後追いの特大版記事(8月14日号)って訳だな。
ご好評に応えて特設売り場大拡張っていう雰囲気。
その内容を簡単に紹介するわね。
1999年から2008年(制度実施前年)までの第一審裁判官裁判の死刑判決は計122件だったのに、2009年から2014年4月までの第一審裁判員裁判の死刑判決は計21件になった。年約12.2件から年約4.2件へ3分の1の大激減。このことを報じたメディアはこれまでない、さぁどうだ
と文春さんはおっしゃっている。
裁判員制度で厳罰化に拍車がかかるのではないかと予想していた(という)映画監督で作家の森達也氏は「なぜこんな大事なことを知らなかったのか。理由は情報が公開されていないからだ。死刑制度を考える上でも重要なこと」と、完全降参のご面体。
ふふふ、ところが諸君。全体の約4分の1程度読み進んだところで記事は急転するんだな。制度実施前の10年間の死刑求刑は年平均20~25件だったのが実施後は年平均5.6件に激減している、死刑求刑が激減したのは検察官の死刑求刑が激減したからだという求刑話になる。
「判決は求刑の8割程度という相場があり、検察と裁判所はこれまで阿吽(あうん)の呼吸でバランスをとってきたが、裁判員裁判ではその相場が通用しなくなった。有罪率が落ちたら困る検察は先手を打って求刑基準をがくんと変え、死刑求刑も抑えているのだろう」という元裁判官の説明を紹介して、「無罪や無期懲役になる可能性がある事件で死刑求刑をしなくなったために死刑判決が激減した」と断じてますわ。
さらに日弁連刑事法制委員会事務局長が登板して「検察が(公判維持に)自信を持てないケースでは、裁判員裁判の対象にならない罪名にして起訴したりする」。ノンフィクションライターも声を合わせる。「誰でもクロと認めるものしか起訴しない傾向がある。泣きを見るのは被害者だ」。前出の元裁判官氏は「世相により死刑になったりならなかったりするのは不公平。裁判所は抑制の努力をしていない」とのたまう。
とまぁ、こんな記事ですね。いろんな人が登場して、賑やかなこと賑やかなこと。話の骨格は「裁判員制度を導入した結果、死刑判決が激減した。それは検察の死刑求刑が少なくなったため。しかし、検察には判決を先読みして軽く求刑する傾向がある」というもの。
わかりません。検察が死刑を求刑しなくなったから裁判所の死刑判決が激減したって言うんでしょ。その検察は裁判所が死刑判決を出さないかも知れないなどと予測して無期を求刑したりするって言うんじゃ話は堂々巡りもいいとこじゃないですか。鶏が先か卵が先か。インコが先かオウムが先か、いやこれは違うか。とにかく論旨不明解で・・・
諸君、そんなことよりはるかに重大な指摘をする。それは「死刑判決は激減していない」ということ。もう1回言う、「死刑判決は断じて激減していない」。この「スクープ」なるものがどんなに非科学なデタラメ話か、これから説明して進ぜよう。
そうよ、森さん。そんなに簡単にギブアップするとあなたの裁判員制度論や死刑反対論の底も浅いんじゃないかと皆さんから疑われますよ。
裁判員制度の実施により何がどのように変わったかを示す最も有効なデータは、最高裁事務総局が2012年12月に公表した「裁判員制度実施状況の検証報告書」だ。制度推進の立場から調査方法をねじ曲げたり、問題の評価をこじつけたりと、その内容にはそのまま認める訳にはいかないことがたくさんあるが、ある時点の裁判の実績に関する統計数字など、資料として使える客観データはそれなりにある。
そうさ。その種のデータの一つとして、まず、「図表3 終局結果の比較(罪名別)」を挙げる。ここには、制度導入直前の2006年から2008年まで3年間の裁判官裁判のデータがまとめられている。終局人員(判決言渡しまで終わった被告人の数)の総数は7,522人、うち殺人は1,822人、強盗致死(強盗殺人)は262人。ここには死刑判決関係のデータが示されていないので、同じ最高裁事務総局発行の司法統計年報を調べると、死刑判決が言い渡されているのは殺人15人、強盗致死(強盗殺人)17人の合計32人。なお、死刑判決が言い渡されているのはこの間殺人と強盗致死(強盗殺人)だけなので、他の罪名にはこの際触れない。
「図表51 終局区分別(量刑分布を含む)の終局人員及び控訴人員(罪名別)」を見よう。ここには、制度施行後の2009年5月21日から2012年5月末まで3年間のデータがまとめられている。終局人員の総数は3,884人、殺人は873人、強盗致死(強盗殺人)は109人。そして死刑判決が言い渡されているのは殺人6人、強盗致死(強盗殺人)8人の合計14人。
裁判官裁判時代と裁判員裁判時代のデータの決定的な違いは、終局人員数の大激減だ。実施前3年と実施後3年の6年間の前半と後半を比較すると、殺人は平均47.9%に、強盗致死(強盗殺人)に至っては平均41.6%に減ってしまった。この国の治安は僅かの間に信じがたいほど良くなっている。
それじゃあ死刑判決の絶対数が減るのは当たり前過ぎるくらい当たり前の話です。
もう少し実証的に分析しよう。死刑判決は32人から14人に、比率で言えば43.8%に減っているが、それは実施前3年間の殺人と強盗致死(強盗殺人)の合計終局人員の変化率(2,084人→982人で47.1%)にほぼ沿う。
なるほど、「激減」が誤りだということは分かりましたが、でも死刑判決の数は事件総数の減少率を下回っているんじゃないですか。
ふふふ、最高裁が実施前3年と実施後3年で比較しているので、インコはそれに従って比較したためにこの程度の差にとどまったというだけのことなのさ。
刑事事件の発生総数は、殺人も強盗致死(強盗殺人)も実施前3年よりずっと前から減少の一途を辿っているの。文春のデータは制度実施10年前のデータと裁判員制度実施後5年間のそれを比較しているけど、そのように長い期間をおいて比較すれば、事件の発生数はそれこそ大々激減し、死刑判決の数がその割合ほど減っていないことが判明するわよ。
例えば、今から10年前2004年のデータを見よう。この年はたった1年間で殺人罪の裁判件数は795件、強盗致死は277件に上っていた(最高裁判所2005年10月発行「裁判員制度 ブックレット-はじまる! 私たちが参加する裁判-」) 。実施前3年分の総数が殺人は1,822人、強盗致死(強盗殺人)は262人だったのと比べてほしい。裁判員制度が施行される前から凶悪犯罪の発生件数はどんどん減少していることがよくお分かりいただけるだろう。
最高裁のデータ比較の方法に則って制度実施前後3年の対比を試みただけでも、死刑判決は事件数の減少にほぼ比例して減っていることが分り、もっと長い期間で比較すれば、事件数が減少するようには死刑判決は決して減っていない、つまり死刑判決の言渡し比率は相対的に高くなっているというのが正しい結論になる。
どこのメディアもこの数字に関心を寄せなかったのは、この話がどう見ても「スクープもの」と言えるようなしろものではなかったからだ。宮崎なんとやらさんは、どうしてこんな簡単な事情に関心を向けないのか。『週刊文春』の編集部はどうしてこのような子供だましの話を仰々しく言って見せるのか。
検察官の求刑をもっと重くせよと言いたくてしょうがない人たちと、裁判員制度は結構人権擁護司法なんだと思いたがる人たちの双方が、「死刑判決減少虚報」を悪用する危険があるわね。しかしウソはウソ。そのことははっきりさせておきましょう。
数字が並んで目がくらくらするという皆さんに、分りやすい(と思う)例を最後に挙げておく。ある県で、殺人の裁判も強盗致死(強盗殺人)の裁判もその年なかったとする。その県の地裁では死刑判決は当然ゼロになる。その時、重罰要求勢力も空騒ぎ制度推進勢力も「死刑判決ついにゼロ!」と言いつのるだろう。インコはそういう時には落ち着いて「今年はこの県には殺人も強盗致死(強盗殺人)も裁判がなかった」とだけ言う。裁判が減れば死刑は減り、裁判がなければ死刑はないのさ。当たり前のことに驚いていたら、身体がいくつあっても持たないよ。
投稿:2014年8月10日