~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
西野さんのご著書『さらば、裁判員制度』ご紹介の途中ではございますが、3日の新聞各紙朝刊に、最高裁長官が御簾の蔭からお姿を現され、私たちのためにいーいこと言ってくれたという記事が出ましたので、それについてお話しをしたいと思います。
つまり、最高裁長官が毎年5月2日に行う記者会見報道ってことですね。
インコは、今年も『朝日』『読売』『毎日』『日経』『産経』『東京』をしっかり読みましたよ。この記者会見って各社1名しか出席させないとかわかんない決まりがごちゃごちゃあるらしくって、会見風景全体も撮影されず、いつもおもしろくもない長官のどアップ顔が出てくる。
あんまりつまらない写真のためだろうね、長官就任後初めての去年5月の憲法記念日記者会見で写真を掲載したのは『産経』1紙だけだった。そのことに去年インコが触れたせいで今年は掲載紙は3紙に。「昇格」したテラダくん、おめでとう。
でも、実はおめでたくはないんだ。去年とは様変わり、裁判員制度に関する記事がベタ減りなの。見出しに裁判員のことを出したのは『読売』だけ。記事量に至っちゃそれこそアリのおしっこくらいになっちゃった。
インコは勇猛果敢に決断、裁判員に関する6紙の記事全文をすみからすみまで紹介する。なんちゃって要するにほんのちょっとしかないんだよ。
『朝日』
裁判員裁判は「定着しつつある」と評価。裁判員らが導いた1審の死刑判決を2審が破棄した事例で、「市民感覚の反映」と「刑の公平性」のバランスを問われると「難しい問題。1審の結論が百%維持されるものではないことを、裁判員にも十分理解してもらう努力が必要」と述べた。
『読売』
「裁判員の判断 高裁は尊重 死刑破棄判決 最高裁長官が見解」という見出しをつけ、本文は次のとおり。裁判員裁判の死刑判決が2審で破棄されて最高裁で確定したケースが2月に相次いだことについて、「裁判員の判断を高裁が尊重していないということはない」と述べ、市民感覚の軽視という批判は当たらないとの考えを示した。その根拠として、裁判開始から昨年末までの1審破棄の割合は7.6%にとどまり、開始前の17.6%より大幅に低下したと指摘。今月で施行6年となる裁判員制度は「おおむね円滑に運営されている」とも語ったが、「裁判員裁判を担当する裁判官の努力が十分ではなかったとの指摘も一部にあった。審理の在り方になお工夫が必要だ」と、課題にも言及した。
『毎日』
今月21日で施行6年を迎える裁判員制度については「刑事手続きの標準として定着しつつある」と評価した。
『日経』
6年目を迎える裁判員裁判については「審理がわかりやすいかなど、本質的な問題が浮かび上がってきた」と指摘。
『産経』
5月で施行6年を迎える裁判員裁判の結論を破棄した判断が昨年、最高裁で相次いで確定したことについては、「裁判員裁判の控訴審での破棄率は約7%で、制度導入前の破棄率約17%の半分以下。裁判員裁判を尊重していないわけではない」とみる。一方で、「裁判員裁判の審理が十分ではないと指摘された事案もあり、審理の在り方に工夫が必要」と指摘した。
『東京』
21日に施行から6年を迎える裁判員裁判は「国民の協力により円滑に運営されている」と評価。一方で「裁判官と裁判員の議論が的確に反映された分かりやすい判決になっているかを考えなければならない」と改善に意欲を示した。裁判員裁判の死刑判決を破棄して無期懲役とした高裁判決が今年2月に最高裁で確定したことについては「難しい問題だが、裁判員裁判の結論が必ず維持されるわけではないことは、裁判員に理解してもらうことが必要」と述べた。
これでホントに全部。会見の多くは改憲問題や家族間紛争などに使われていて、裁判員制度は隅っこにちょっと登場という感じなの。
「裁判員やりたくない」派が去年からまた増えて、もう90%に手が届く水準になった、女性に限ればずっと90%超という恐るべき数字が出ているのにね。
高さ5メートルの長官室に水がどっと流れ込んで、残された空間が天井まであと50センチになり、長官が水没しかかっている図を想像しました。
ところがガーン、ここでまたまた「円滑運営・定着しつつある論」が復活したのだ。
去年は、「中長期的な視点での改善が必要だ」とか「支えてくれる市民の方々への働きかけを強める必要がある」とか「参加意識を強めるため改めて制度の周知を強める」なんて、ひたすら深刻強調モードでしたのにね。
でもその円滑定着言説はいかにも言い訳めいていたためか、紹介していない新聞もあった。いくらなんでも恥ずかしくてということかも知れない。それとも去年の「もっぱら改善決意」論には内部から批判が出たのかも知れない。
そういうこと。だから今年は一転、「円滑運営・定着しつつある論」に舞い戻ったのかも。
それにしてもこの「円滑運営・定着しつつある論」、共同通信配信アンケートの「『定着したと思う』が3%しかいない」っていうデータとの対比の美がまたまた燦然と輝くでしょう。
このアンケートにご関心の皆さまは「これぞ天の声 制度定着論が吹っ飛んだ! 」をご覧下さい。
少し気になると言うより、ひどく気になることがある。それは『毎日』が紹介している「刑事手続きの標準として定着しつつある」という言葉のこと。他社の記者たちは聞き落としただけで、テラダくんは、正確には「制度の定着」ではなく「刑事手続きの標準としての定着」と言ったのかも知れない。紹介しなかったけど、実は『共同通信』も『毎日』と完全に同じ言い回しで配信している。
なるほど、ずいぶん意味が違いますね。刑事手続きの標準と言うなら、さらに問題があるような。
そう。インコはそこが気になる。テラダくんは僅か2%台の裁判員裁判をきっかけに大半の一般事件の刑事手続きでも裁判員裁判と同様に超簡略・超短時間の裁判が多くなったと言っているように読める。この説明のとおりならね。
それこそが最高裁や政府が15年も前から狙ってきたことなのでは。
政府は裁判員裁判をきっかけに刑事裁判全体の簡易化を追求している。それが実を結びつつあると言っているようにも読めるってことを、インコさんは言いたい訳。
テラダ君がこんなところでついぽろりとホンネを漏らしたとすれば、聞き捨てならない話になる。そう、こちら側としては、裁判員制度の廃止を通してこの国の刑事司法の改悪を絶対に許さないという姿勢があらためて求められるってことだろうね。
裁判所職員の歌に「この制度 刑事司法の 野辺送り 上る煙に 落ちる涙よ」というのがありました。
さて、各社にほぼ共通するのは、裁判員死刑判決をひっくり返した最高裁の弁明。これが最高裁にとって目下最大の鬼門だということがよくわかる。だけれど、「市民感覚」と「刑の公平」のバランスどりが難しいなんて言われると、何言ってるんだかと言いたくなるね。そういう対比を変えようというのがこの制度の狙いだたんじゃないかって聞かれているんだよ。
そう、「刑の公平の判断にも市民感覚を反映させる」っていうことだったんでしょと言われているの。
そんなことはないというのなら、難しい問題だなんてごまかさないで、そうじゃないとはっきり言いなってことよ。
それにインコ一言言わせて貰おう。裁判員裁判の導入後、1審判決が高裁で破棄される率が17%から7%に「大幅に減った」なんていうけれど、それは言い換えれば1審のままでよいっていう判決が83%から93%に増えたってことでしょ。どこが大幅かっていう評価も当然あるよ。
元々控訴審は1審の判決をやけに尊重している、そのままでよいと言っている訳。それが何ポイントか上がったっていうだけのこと。
でもインコは断言するが、このテラダくんの弁明で「じゃあ私は裁判所に行かないことにする」っていう人がまた増えたね。どうキミ。ますます息が苦し苦しくなってきたでしょ。
そう言えば、去年は会見の後、最高裁は裁判員制度の「出前講義」の大号令を発し、全国の裁判官を御用聞きよろしく街中に出張らせたはずよね。それ結局どうなったのかしら。
テラダくんはそのことに一言も触れていないぜ。円滑だの定着だのと言うのならまずその結果報告をすべきだろう。出前は押すな押すなの大人気、注文半年待ちですなんて言ってみろってんだ。
折りしも日本銀行が4月30日に発表した「展望リポート」は「物価上昇率が目標の2%に達する時期は16年度前半頃にずれ込む」と明示しながら、記者会見の場で黒田総裁は「2年程度で2%」目標を維持する姿勢を崩さなかったね。
それについて、『読売』5月1日は、「黒田日銀 強気崩さず」の見出しを掲げる一方、「記者会見の途中でうつむく黒田総裁」というキャプション付きのうつむき大写し顔写真を掲げました。
「2年程度で2%の物価上昇を目指す異次元緩和」は黒田総裁の金看板。市場には、黒田総裁の言うことを信じる者なんかほとんどいないだろうが、カレは依然として「16年度前半頃も2年程度の範囲内」と強弁した。でもさぁ、キミがこれを言ったのは13年4月だぜ。もう3年目に入ってるんよ。
これこそウソはどこまでもつき続けろっていうことかも。1年は18か月ですとかね。『読売』も笑うわ。
テラダくん、「円滑に運営している」って言うのなら、裁判が長引いていることやべらぼうな人数を呼び出さないと必要な人数が集まらないことをどう見るのかきちんと言えよ。「定着しつつある」と言うのなら、やりたくないという人が時々刻々増えていてもそう言える理由をきちんと説明してみろよ。
正直のところ、インコは、テラダが総裁でクロダが長官なのか、テラダが長官でクロダが総裁なのか、あれっホントに何が何だかわからなくなっちゃった。もう完全にダブルイメージ。でもね、経済の話なら口先で市況を変えるのも常識の範囲内だよ。仕手株提灯買いってのもある。議場の時計が夜中の12時前で止まってしまえば国会の日付けは変わらないし。政治や経済の世界はウソも織り込み済みってことよ。だから、司法の世界も政治や経済の世界と同じようにウソ織り込みってことなのか。
裁判所の世界がデタラメづくしの仕手株並や政界並みになったら、これ最悪の悲惨司法じゃないですか。
裁判所ってとこは誰かのために提灯判決出したりするとこなんですかね。クロダ君、テラダ君、どっちでもいいけど…。
投稿:2015年5月5日