~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
裁判員法の改正案が賛成多数で可決され成立しました。6月5日の参議院です。
「審理期間が著しく長期に及んだり、公判期日が非常に多くなったりする場合は、職業裁判官だけで審理してよいことにする」とか。
そう。これに対して共産党は待ったをかけ、重大否認事件こそ市民裁判員の社会常識や間隔を反映させて国民が司法に参加する意義があるとして政府案に反対、「被告人が希望したら現在裁判員裁判の対象になっていない事件でも裁判員裁判として取り扱えるようにせよ」「裁判員の心理的負担の軽減をはかり守秘義務を緩和せよ」などという内容の修正案を提出した。
共産党の「長期裁判除外反対」は、日弁連執行部など制度推進派弁護士や多くのマスコミと同じ論調だ。裁判員裁判を支えているのはどういう人たちかという現実を見ない妄想思考がまだあちこちに残っているようだ。
ヘンリー・フォンダがどこからか出てくるんじゃないかってですか。
法務省や最高裁にすれば、みんなが裁判所に来てくれなくて困り切ってる、制度の生き残りをかけた苦渋の選択なんだ、あんたたちも制度に賛成なんだからそのあたりわかってくれよっていう思いだろう。
「贔屓(ひいき)の引き倒し」というか、「ありがた迷惑」ってことですかね。
袴田事件など否認えん罪事件を取り上げて、「このような重大否認事件ほど、市民感覚や社会常識を裁判に取り入れるべきだ」なんて言ってましたね。
そういうことを言うんだったら、裁判員裁判ならえん罪にはならない理由をきちんと言えよ。最高裁も驚くほど重罰を求める裁判員が地裁法廷に溢れている。超長期裁判にどういう人間が集まっているか少しでも考えればこんな方針が出てくるはずがないのだ。
そうね。市民感覚だの社会常識だのというのは、今や重罰化推進とほとんど同義語になっていますね。
逮捕された以上犯人だと思う市民が実に多い。刑事責任能力がなければ処罰されないなんて聞いただけで顔色を変える人たちがたくさんいる。「否認するのは無反省の証拠」とか、「無実だというのなら黙秘しないでしゃべれ」などなどの裁判員の言葉をこういう人たちは聞いていないのだろうか。
「裁判員裁判にかかわってはじめて刑事裁判が儲かることがわかった」なんてうれしそうに言う弁護士もいる。だが、それが長期裁判へのこだわりの原動力ではないだろう。
ぶっちゃけ言えば、市民参加を推奨する政府や最高裁をこの人たちは腹の底からご信頼申し上げている。少なくともこの分野に関しては深い対立も激しい対決もない。そういう「左翼政党」や「人権団体」を一般の国民や弁護士が許しているところに根本的な問題があるのだろうね。
この期に及んでもだ。だから、「否認事件で被告人が希望した場合には対象外事件でも裁判員裁判として取り扱うこと」なんてトンチキ修正案が出せるのさ。
裁判員裁判を受けたい被告人がどれくらいいると思っているのか。裁判員裁判の方が裁判官だけの裁判より無罪率が高いとでも思っているのか。一部の覚せい剤事件を除けば、そんなことは決してないことがはっきりしているのに。
この数字については「裁判員裁判はえん罪を確実に増やす」を見て下さいね。
ヘンな修正論もさることながら、今回の修正案で絶対に見落としてはならないのは、圧倒的多数の国民が裁判員になりたくないと言っている時に、超長期の裁判を裁判員から外すという対策を出したことの例えようもない重大性だ。
対策になる訳がない。こういう政策は「短期裁判ならやってもいいが超長期はやめてくれ」と国民が言っている時や言いそうな時にうち出すものさ。しかし、国民はすべてイヤだと言っているのだ。
そういう時に超長期を外すとどういうことになるか。国は国民が裁判員になるのを嫌がっていることを正面から認めてこういう「対策」を公表した。「長い裁判には来なくていい、そのかわり短いのは来いよ」と言ったのだ。でもそんなにうまく問屋か卸すと思うか。
だろう。つまり「嫌がる国民の思い」に市民権を与え、みんな堂々と嫌がってよいことにしてしまっただけなのだ。制度実施6年にして不出頭不処罰方針に切り替えたも同然なのだよ。
ということは、これで短期の裁判員裁判の出頭率もやっぱり下がってしまうでしょうね。
もちろんそうさ。国民の感覚はますます法務省や最高裁と離れてゆく。
そうだ。制度は決定的な破綻に向かうのだ。今回の改正が国民に示した本当のメッセージは「裁判員裁判はもうどうしようもないところに来ました。みなさんもうそろそろお別れです」という告白なのだ。
そもそも超長期裁判は裁判官に任せると言うけれども「超長期」とはどのくらいの長さの裁判を言うのか、改正法はそんなことさえ一言も説明していない。
法案が検討されていた法制審議会では「年を超える」のは裁判官だけでやることにしようなんて言っていた。1年以上かかる裁判は裁判員にはやらせないことにするというのが大方の見方だった。
でも、1年を超えるどころか半年を超える事件もこれまで1件もありませんでした。
そう。だから、裁判員裁判は基本的に長期になっても裁判員にやらせる方針に変わりはないと思われていた。
しかし、今度の修正案の国会審議の中では、1年超どころか審理期間132日の尼崎連続不審死事件の審理日数を超えるくらいの事件を超長期事件と考えるというような話に変わってきましたね。「超長期」の判断の基準が、以前の想定の3分の1くらいに短くなってしまいました。
そうだ。その結果、重大事件の裁判官裁判化というのが絵空事ではなく、一気に現実の問題になった。裁判員になりたくないという国民感情の高まりを法務省も最高裁も到底無視できなくなった。そのことがこの間の論調の変化からリアルに伝わってくる。
要するにみんなやりたくない、そして法務省も最高裁もそのことをよく知っている。
圧倒的多数の人々がやりたくないと言っている時の正解は制度の廃止以外にない。訳のわからないことをごちゃごちゃ言ってごまかすのはやめたまえキミたち、見苦しいぞと言っておこう。
投稿:2015年6月15日