~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「各分野の専門家が硬派な話題の時事ネタを独自の視点で解説」「専門家が提供する知恵を参考に自分の意見を持てばビジネスシーンで大いに役立つ」と銘打つウェブ情報欄で、最近、裁判員制度に関する話題が続きました。どちらも弁護士さんの発言です。
ひとつは「裁判員に遺体写真を見せるか否か? 一定の負担やむなし」。これは弁護士歴7年目の半田望さんという佐賀県の方で8月29日アップ。もうひとつは「刑事事件の保釈率が過去最高、要因は裁判員裁判制度?」。これは裁判官から弁護士に転進して13年の田沢剛さんという横浜の人で9月16日アップ、ですね。
うーむ、どちらもインコは大いに関心があるテーマ、というよりもそういうことがこのサイトのメインテーマなのだが。して、なんと。
では、遺体写真の方から。半田さんの結論は、「裁判員に遺体写真を見せてある程度負担をかけるのもやむを得ない」というものですね。
「昨今、遺体の写真や衝撃的な証拠を裁判員に見せるか見せないかをめぐって各地の裁判所で運用が変ってきている。いくつかの裁判員裁判では、写真ではなく負傷箇所のイラストを示したり白黒写真を出したりしているようだ」。
その傾向が始まったのが「昨今」というのは適切な言い方ではない。福島でストレス国賠訴訟が提起された一昨年5月、当時のタケサキ長官の大号令で日本中の地裁がいっせいにその方向に向かったのだ。
半田さんはその国賠訴訟について、「この国賠訴訟は、最高裁において裁判員制度が合憲であると判断して請求を棄却しましたが、裁判員制度の合憲性も含め、裁判員から国賠訴訟を提起されたことは当局も重大に受け止めたものと思われます」と。
この国賠訴訟はいま仙台高裁に係属していて、今年10月29日に判決が言い渡されることになっている。つまり現在進行形の事件だ。半田さん、ものを言う時には事実関係を確認してからになさい。不勉強を天下に告白することになるよ。
去年9月に原告敗訴を言い渡した福島地裁は、判決の中で、最高裁大法廷が2011年11月に裁判員制度は合憲と言った例の判決を引用しているので、それが弁護士さんの頭の中でごちゃごちゃになったのでしょう。
「衝撃的な証拠については採否を慎重に吟味しようという方向については賛否が分かれる。捜査機関や被害者はイラストでは被害の実態が伝わらないと言い、証拠のインパクトが強すぎる場合に判断が偏る危険性も指摘されているが、犯行態様や負傷の内容などが争われている事件では、被害者の負傷状況は弁護側にとっても重要な証拠になる」。
当然の話だ。争われている事件であれ争われていない事件であれ、検察と弁護が正面から対決するのが刑事裁判の本質だよ。証拠をぼやかし曖昧にしてよいという考え方が登場すること自体がおかしい。「裁判官ならリアル、裁判員なら曖昧」なんていうルールはどこにもない。
半田さんは「裁判員裁判は誰のためにあるのか」と問いかけます。
「有罪無罪の判断をきちんと行うためには、裁判員に一定の負担がかかることもやむを得ないのではないかと思います。裁判員の負担と刑事手続の適正な運用の調整に当たっては裁判員裁判は誰のためにあるのかという視点がずれないことを祈るばかりです」と。
うむ、この人は結局何を言いたいのかということだ。被告人の人権擁護という近代刑事訴訟の基本原理を踏みにじってはいけないと言いたいのなら、それは全面的に正しい。だが、そうすると、「裁判員の強負担はどうするのだ」という問いかけが襲ってくる。
はっきりも何も、この人は「一定の負担はやむをえない」なんていう言い方で、そこに踏み込むのを避けている。真実を解明する前提として被告人の人権を守らねばならず、僅かの曖昧さが忍び込むのも許さないという見地に立ち切るのなら、嫌がろうが嫌がるまいが市民に証拠を直視させるのも致し方ないという考えに行き着くだろう。
「裁判員裁判命」なんて看板しょってる制度推進論者はときどきそんな言い方をしますね。
この制度は、人権派でも何でもない最高裁・政府が、市民を裁判所に動員するために作った制度だ。だから「曖昧証拠」でもよいなんていう方向にすぐ走る。そういう最高裁・政府の方針をちゃんと批判する立場に立たなければ、結局どうでもいい話に落ち込む。
はい、そこら辺で次のテーマに移りましょう。もうひとつは、「刑事事件の保釈率が過去最高、要因は裁判員裁判制度?」です。
うん。「裁判員裁判制度」とはあんまり言わん。「裁判員制度」か「裁判員裁判」かのどちらかだ。
どっちだっていいじゃないですか。先輩は言葉にうるさいですね。
うるさいんじゃなくて、用語に厳密ですねと言ってほしい。こういう言い方で始める人は、みんなが使わない言葉で論陣を張りたいのかなと読者を構えさせる。編集段階でたまたまそうなっただけだというのなら、整理の悪さの問題だが。
いや、このセンセ、本文中でも裁判員裁判制度って言っています。
本論にはいりましょ。「刑事訴訟法は89条で原則として保釈の請求があれば被告人の保釈を命じ(権利保釈)、90条でそういう理由がなくても保釈を許すことができる(裁量保釈)としているが、昨年、刑事事件で起訴後に保釈された被告人の割合を示す保釈率が全国地裁平均25.1%に上がったことがわかった。」。
法律の決まりはそのとおりだ。刑事訴訟法は被告人の人権保障の観点から保釈を原則的に広範に認めている。しかし、実際にはいまだに実に多くの被告人が保釈を認められていない。いわゆる人質司法だ。
それが裁判員制度のおかげで改善しているのではないかという話なんですね、このタイトルの意味は。
「保釈率上昇の原因に裁判員制度の導入に伴う裁判官の意識変化があると言われる。裁判員裁判の対象事件の大半は権利保釈が認められないため裁判官裁判時代には保釈率は高くなかったが、裁判員裁判のもとでは公判前整理手続きが行われることになったため、手続きが進めば罪証隠滅のおそれが減り、公判期日が連続して行われると弁護人と被告人の打合せが必要になるから、保釈の弾力的運用が図られるべきだと言われていた。このような指摘が裁判員裁判を指揮する裁判官側の意識の変化となって顕れてきたのではないか」。
冗談じゃないぜ。公判前整理手続きは何ヶ月も続く。事件によっては1年以上も続く。被告人は身柄を拘束されたままひたすら待たされる。裁判員裁判は裁判官裁判よりも早く判決を出すはずだったのに、現実には裁判員裁判の方が起訴から判決までの期間が長くなってしまった。そういうおまけまで付く。
そう言えば、このサイトでも裁判員裁判の長期化を俎上に乗せたことがありましたね。
つまり、長く長く待たされるのが裁判員裁判の一大特徴なのだ。こういう現実を前にした裁判官たちとしては、このまま被告人に延々と待たせると、「裁判員裁判は人権侵害裁判だ」とか「こんな制度やめちまえ」なんていう声が出てきかねないと心配になる。特に裁判員裁判を現場で担ってくれている刑事弁護人から出てくるのじゃないかととても気にしている。
いや、実際に、そういう声を聞くようになりました。心配や懸念の水準を超えています。
「裁判官側の意識の変化」とか「保釈の弾力的運用」なんて格好良すぎの説明はそもそもおかしいのだよ。
「保釈率の上昇は勾留される被告人の数自体が減っていることにも一因がある。具体的な根拠がないと逃亡の恐れや罪証隠滅の恐れを認めないなど、人質司法からの脱却を目指す傾向が見受けられる」ともおっしゃっています。
勾留される者が減ったって当然には保釈率は上がらない。保釈率の上昇が勾留被告人の減少に関わりがあるという説明には根拠がない。それに、保釈率全国平均25.1%っていうことは、4人に3人は依然として超長期期間の拘束が続いているっていうことだよ。
そうさ。権利保釈の上に裁量保釈も保障されているという現行刑事訴訟法なのだから、それを素直に適用すれば、大半の被告人はとっくに保釈になってよいはずなのに全然そうなっていない。そのことに驚愕するセンスが基本的に欠けているような気がするよ。
その保釈率がいくらか上がったことを取り上げて大喜びするのはおかしいのさ。そういう発想そのものがいまだに隷従と屈服から立ち上がれない権力的刑事訴訟観なのだよ。
そのとおりさ。いつの世にもあることだが、悪いことをするときにはガス抜きに少しだけ善政を施すものだ。擬装善政だ。少しばかりの「良い話」に浮かれ、眼前に展開する大事な「悪い話」から目を逸らしてはいけない。また、弁護士たる者、その程度のことはイロハの知識としてわかっているはずだから、人々の目を逸らすような話をしてはいけない。
私が弁護士さんのあり方を考えるって言ったのは、それほどずれていなかったのではないでしょうか。
そうさ、ずれてなんかいないよ。ずばり的中さ。だからしゃらくさいと言ったんだよ。
褒められているのか、けなされているのか。 それにしてもあのときはまだ何にもしゃべってなかったと思うんだけどなぁ。
まぁ、どっちでもいいじゃないの。それよりも、「硬派な話題を独自の視点で」とか「専門家の知恵を参考に」とか前振りされているんだから、プロの皆さんにはもう少しきちんと突っ込んだ視点で本当に参考になる意見を言って貰いたいですね。それはどっちでもいい話ではありません。
お彼岸入りしたことですし、十五夜も近いことです。私たちは天高く澄み渡った秋空のもとでおいしいお萩でもいただきましょうよ♪
投稿:2015年9月22日