~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「来年の裁判員候補に選ばれた人たちに通知が届く季節になった。ところが、さまざまな理由で辞退する人が今や3人に2人となっている。なぜなのか。」こういうリードで始まる。
『朝日』の「耕論 裁判員なぜ辞退」というタイトルの特集記事ね。15年11月18日のオピニオン欄1頁全面もの。
「裁判員推進は社是なり」の『朝日』がこういう特集を組むとなると、それはついに懺悔かはたまたごまかしか。そりゃ後者に決まっとるやろということになるともう身も蓋もないお話しでやんすが、ま、しばらく付き合ってくんなまし。
登場人物は、あちこちで発言している裁判員経験者の小平衣美さん、専修大学准教授の法社会学者飯考行さん、そして裁判傍聴記で知られる裁判傍聴芸人阿蘇山大噴火さん。
小平衣美さん。殺人未遂事件の裁判を経験して本当によかったと言う人だ。たった3日で出した判決に、「達成感でやってよかったと心から思った」んですって。さすが『朝日』さん。目の付け所が違う。選ぶ人が半端じゃない。小平さん。わかっていないようだけれど3日間てとても短いんだよ。
「でもよく考えたら評議の時に立派な意見を言う人に影響されていたことを思い出し、知識もないのに人の人生を左右する判断をしたことに悩み苦しむようになった」そうですよ。
裁判員をやってどんなメリットがあるのか検察官に尋ねたんですって。そしたら、「犯罪を他人事と思わない人が増えれば、犯罪の抑止力になる」と言われた。「その言葉で自分の判断が社会のためになるのだと知って終着点を見つけた気がした」と。
なに言ってんだか。あなたの話は起承転結がはっきりしない。人の人生を左右したという悩みはどういう理屈で社会のためになることになったのかちゃんと言ってよ。左右してはいないのか、左右してもよいことになったのか。詳しく言ったのに山本亮介記者の取材が下手だったのなら『朝日』の責任だけど。
それにしても、裁判員になるメリットっていうのが、「犯罪を他人事と思わない人が増えれば、犯罪の抑止力になる」ということなんですね。
見落とせないのは、裁判員はつらいとか苦しいとかのイメージが開始当時から変わらないのは残念だとか、制度のメリットとか制度が社会にもたらした(よき)ものなんていうこの人の受け止め方。
うーん。人を裁いてつらくなく苦しくもないと言われれば、それってボクだけじゃなくて、多くの人たちの理解と大きくずれると思うな。
人を裁くことがお気楽だとかお楽しみだとかというところを人にわかるように説明してほしい。そして、ここにこの制度のメリットとか意味とかがあるとあなたの言葉で話してもらいたい。タイトルは「メリット伝わっていない」になってるけれど、あなた自身がメリットを何もしゃべっていない。
依然として誰かの「立派な意見に影響されたまま」なんじゃないかしら。
もうひとこと言えば、あなたが本当にお楽しみだとかメリットだとかをしゃべったら、それこそみんなどん引きすると思うね。あなたがやっている「啓蒙運動」は成果が上がってますか。そこら辺がリトマス試験紙になるでしょうよ。
専修大学准教授の法社会学者飯考行さん。連続開廷、法廷中心。裁判員裁判が始まって裁判に緊張感が生まれたとおっしゃる。
心底脳天気の人だ。冗談も休み休み言いなさい。開廷前の公判前整理手続きで裁判の大きな方向は決まってしまっています。傍聴しているあなた自身も公判で初登場する裁判員たちも、もう「でき上がってしまっている」裁判を見せられているだけ。自分たちで作っているように見えるかもしれないけれど、実はとこかで作られて配達されてるピザ。それで本当の緊張感がありますか。
裁判員事件で弁護人を務めている弁護士もこれは本当の刑事裁判ではないという声を上げていますね。法社会学という学問は社会の受け止め方も裁判に関わる人たちの言葉も偏頗なくとらえないとおかしな学問になる。私の研究はその程度のものですと言われれば言う言葉もないけど。
強姦の被害者の生の声が音声機器で流れる。判決言い渡しの時に裁判員が泣く。こういうのを「人間味のある裁判」とあなたは言うようですが、インコはそのような裁判を「感情過多裁判」と名付けます。
だからあんまり心配するなと言いたいのか。日本はこの制度を始めた時からひどく辞退率が高く、しかも始めて何年も経たないのにもっともっと上昇し、もう4人に1人程度しか出頭しなくなった。その経過を見て、これは大変だとみんなが問題にしている。正面から問題を論じようとしないのは「法外社会学」だよ、飯さん。
プロと市民の協働でよりよい裁判が実現するとか、司法に国民のチェックが入ったとか、なにやらよさげな言葉を並べることがお好きな方です。
へっ。どんな「よい裁判が実現した」のか、どこに「チェックが入った」のか、あなた自身の言葉で説明してほしい。あなたの説明に説得力があれば人々はついて行くし、説得力がなければついて行かないだけのこと。裁判所に「不安解消に努めよ」とか「事前セミナーをやれ」なんて言ったってしょうがない。
裁判員になる前に事前セミナーに来いって言われたら、また辞退率が上がるってわからないのかな。
まったく。 最高裁が鳴り物入りでやった出前講義が大破産したことを知らないとすれば、あなたは研究者として半端です。
さて、最後に阿蘇山大噴火さん。『朝日』ご選任の登場者の中では比較的まともなことをおっしゃっている方です。
うーん。『朝日』容認の限界線ギリギリのお客様っていう感じかなぁ。「裁判に参加したことが日常生活や仕事にプラスになるって思える人は少数派だと思う」。そうですよ、それを何とか多数派にしたいっていうのがお上の考え。そして国民の了見を変えさせたいというもくろみがどうにもこうにもうまくいかない。
「なんで裁判員にならなきゃいけないんですかね」「裁判に市民感覚を反映させる必要性はあるのか」「冤罪がなくなったり犯罪が減ったりするのか」「根っこの部分を納得できるように教えてくれないところが謎」。拍手!
ここに問題をはっきりさせる鍵があると思うね。政府や最高裁は、裁判員をやることで司法に対する国民の理解が増すことに意味があると言っている。裁判所が苦労して裁判をやってることをよくわかってもらって、あぁ私たちの国は司法も裁判所も立派だなぁ、立派な国に生まれてよかったなぁ、そうだ自分もこの国をもっとよくするために頑張ろうって思う人を増やしたい。つまりそういうことでしょうが。
そのことは当局自身が以前からずっと言ってきていることですよ。
でも、マスコミはそれを言っちゃっては身も蓋もないからなのか、その狙いを告発するのではなく、市民参加でよりよい司法を作るんだなんて脳天気なことを言いまくってきたから、みんながよくわからんということになった。それが現状。マスコミだけじゃない、裁判員制度を推進した日弁連や左翼政党の責任も重大。結果、阿蘇山さんのような感想が広がっている訳だ。
でも、この方も、裁判員裁判なんかやめちまえとは言わないというか、言ったことになっていないですね。この文章を読む限り。
これだけの疑問を開陳する阿蘇山さん、こんな制度やめろと言ってみませんか。
そう言っている傍聴芸人さんもいるんだけどなあ。そこがこの新聞からお呼びが掛かるかどうかの分水嶺なんだとすれば、寂しい話ですね。
阿蘇山さんはおっしゃる。裁判をもっと傍聴しやすくすることが大事だと。そのとおりですが、政府も最高裁も裁判を国民の批判にさらすことなど考えていませんね。それどころか批判されないようにこの制度を推進して旗を振っている。そこはもちろんおわかりですよね。
さて、大『朝日』の立場を議論しよう。「裁判員 なぜ辞退」の答えはこれで出たのか。結論は「何も出ていない」だ。裁判員になることのメリットについて、政府や最高裁は司法の理解の増進を上げる。マスコミは官僚の司法を市民の司法に変えることだという。『朝日』はこの折り合いをどこでつけるつもりか。そこをはっきりさせない限り、辞退したいと思う市民が何に反発し、何に躊躇しているのかも明確にならないし、だからどうしたらよいのかも相変わらず不透明なままになる。メリットを考えるとかネガティブにとらえるとか、そういう話のすべてに制度の狙いの話がかぶさってくるのだ。
さぁ、『朝日』さん、どうしますか。
投稿:2015年12月20日