~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
インコ先輩は、どこかをバタバタと飛び回って教室に出て来ない。マネージャーも同行しているのか姿が見えない。ニャンコ先生は長期海外出張中。
留守番を任されたボクは、ここでホームページのデビューを試みる。だって暇なんだもん。
訴状じゃなかった俎上に乗せるのは(ん?インコ先輩そっくりの言い方になっちゃった)、『週刊新潮』3月10日号の【刑務所では工場長「O(実名が書かれている)」の「今もテレビに出ている奴がいる」】というタイトルの記事。
マスコミが大騒ぎしたので、覚えている方も多いでしょうが、Oさんとホステス嬢の物語、略してO嬢の物語(『O嬢の物語』先輩に話を聞いて興味津々。ここで使ってみました)。
Oさんは、1つは合成麻薬MDMA譲り受け・所持・譲渡の疑い(麻薬取締法違反)、もう1つはマンション内で一緒にMDMAを使って意識不明になったホステス嬢について119番通報を怠るなど適切な処置をしなかった疑い(保護責任者遺棄致死罪)で起訴された。
制度開始1年後の2010年9月3日に公判開始。Oさんは保護責任者遺棄致死罪について無罪を主張した。しかし、9月17日、保護責任者遺棄罪で懲役2年6月の実刑判決。求刑は懲役6年だったが、119番通報をしても助かったとは言い切れないとして「致死」が外されて軽くなった(保護責任者遺棄の問題も言いたいことはあるけど、それはまた機会があれば)。
Oさんは上訴したけれど、高裁も最高裁も一審を支持してこの物語は終わりました。
Oさんが著名な芸能人であったことやホステス嬢が全裸で発見されたことなどから、当時はこれでもかこれでもかとスキャンダラスに報道され、おまけにそれが裁判員裁判で裁かれるというので、裁判所は人山の黒だかり、いや黒山の人だかり。世間の注目を集めたものでした。
でも「人の噂も七十五日」。75日どころか、事件から7年も経てば、みんな次、その次の次の次の事件くらいに関心が移っちゃいます。そうするとマスコミは、今度は「今は昔、あの人は」なんていうのを探し出してもう一度世間に話題を提供しようと画策する。そういう週刊誌ってたくさんあります。これもその一つ。
記事は、仮出所してからもう1年も経ち、落ち着いたOさんが過去を振り返り、刑務所生活や近況を語るものですが、この中でOさんが裁判員裁判について語っているところが興味津々、夜も深々、春宵一刻値千金。ボク、なに言ってるんだろう。そう、Oさんは、次のように言っている。
自分が犯した罪(保護責任者遺棄罪、麻薬取締法違反)に関しては、深く反省しています。それしかない。ただ、裁判員の方から、「伝えなくてはいけない事実がある。文通しましょう」と手紙を貰ったことがありました。たしかに、(ホステスの)Tさんが亡くなったのは事実ですが、「じゃあ、この人はどれだけ本当のことを分かっているんだろう」と反発を覚えて返事をしませんでした。
手紙を出した裁判員というのは、あちこちで裁判員制度についてしゃべっているあの人、Tさんです。「刑の言い渡しで終わりじゃない。被告人に寄り添っていくのが刑を言い渡した者の責任だ」とか「裁判員を経験したものだけが付けることを許されるバッチを付けた者の責任」みたいなことをさかんに言っている。推進派に重宝がられて、最近は死刑廃止運動なんかにも顔を出しています。この事件の裁判をやったってこと、手紙出したってこと、自分からしゃべっているので間違いないでしょう。
だけど、手紙を出すってどういう神経なんだろう。Oさんは無罪を主張していたのに。「おまえは有罪だ。刑務所に行け」って言った人に会いたいとか、文通したいとか、どんな形にしろ、関わり合いたい元被告人がいるって思う不思議。
「刑を言い渡した者の責任」とか、「裁判員経験者だけがつけることができるバッチを付けている者の責任」とか、そういうのってウケるんですけど~。
バッチというのは、弁護士バッチや検察官バッチじゃなくて単に、「クジで選ばれて、お国の言いなりなったという証」なんだもん。
急性ストレス障害になって国賠訴訟を起こしたAさんは、「この徽章は、裁判官でもない平凡な一国民が、十分に裁判内容を考える時間もなく、自身で内容を整理できないまま、モニター映像・録音テープ・検察官の口頭で説明されただけの内容で、自分の視覚と聴覚の二つの感覚だけで判決を下した、軽率で馬鹿な自分を自戒するため、自分が火葬される時に、一緒に納棺してもらい、煙にしてもらうつもりで封印しておき、家族にもこのことは遺言しました」と。その重みに比べて、「バッチを付けることが許された者の責任」という言葉の軽さ。
責任、責任って言うけど、「みんなで裁くのだから、そんなに責任重大に感じなくて良いです」というのがこの制度の「売り」なんです。だからバッチの責任ってウケる~。
最高裁は、「経験者に『裁いた責任がある』なんて強調され過ぎると、普通の人は『そんな責任は負えない』と、ますます辞退率が上がる、困ったな」って思っているんじゃないかな(でも、以前、インコ先輩は「最高裁は、『裁くのは自分だ。責任持ってやるんだ』と国民に思わせたい。だから、『裁いた責任がある』と言う彼は優等生なんだ」と言っていた。う~ん)。
もちろん、本来、人を裁くことには重たい責任が伴うことくらいボクだって分かっています。でも、判決文に名前を書くのは裁判官だけ。裁判に責任を持っているのは裁判官だけなんです。お客様の裁判員には責任はありません。
しかし、Tさんは責任と言い、刑を言い渡した後まで刑余者を追い掛け回す。ストーカーみたいに。でも、裁判官は受刑者や刑余者を追いかけたりしない。裁きに責任を持つということと追いかけることは別です。判決に責任を負わない人が判決後に「責任」を言い募るなんてね。まさか、判決に責任を持たせてもらえなかったからと言う訳ではないでしょう。
「裁く」という強大な国家権力を行使した者が、行使された側に「寄り添う」というくらい傲慢で欺瞞的な話はないと思います。裁いた人と裁かれた人が対等な関係を築けるはずがないから。
簡易・迅速の裁判でどれだけ被告人のことやもろもろの事情を理解して判断できるのか。Aさんはそのことも悔いている。
でも、Tさんは「伝えなくてはならない事実がある」と言い、「寄り添う」と言う。本音は、「自分は、刑を言い渡した後もその人のことを気にかけている」と自己陶酔し、「彼を今でも支えています。それが裁判員を務め、刑を言い渡した私の責任だ」とぶち上げて喝采を浴びたいのだろうと、ボクは思います。
そのことをOさんは見透かしたから、「どれだけ本当のことが分かっているのだ」と反発したんだとも思います。
そうでないのなら、どういう気持ちで「関わり寄り添う」と言っているのか、真意もボクは知りたい。
ヒヨコ、最後に一言。読者のみなさま、これからも「裁判員制度はいらないヒヨコ」に生あたたかいご声援をよろしくお願いいたします。
告知:近日公開予定だった映画「だから俺達は、裁判員を待っていた」は、主役・寺田逸脱の評判が悪すぎて、永久お蔵入りとなりました。
投稿:2016年3月11日