~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
留守番ご苦労さま。お土産に札幌のわらく堂さんの「白どら」、博多の石村萬盛堂さんの「鶴乃子」に広島の藤い屋さんの「淡雪花」よ。
説明しよう。「裁判員制度の実施以来、勾留請求却下が増えている、あぁよいことだ」みたいな記事がときどき流されているのは知っているだろう。最近のものでは、昨年12月24日の『毎日』などがその典型だ。
その記事の見出しは「勾留請求の却下急増 『裁判員』後 厳格運用 全国地裁・簡裁」。わかりにくいですね。
確かにわかりにくい。裁判員裁判が実施されてから、全国の裁判所で検察の勾留請求を却下する傾向が出て、急速に刑訴法の定めるとおり勾留が厳格に運用されるようになった、という意味なんだよ。
そうだ。そこまでわかっても「勾留」の意味がよくわからないとやっぱり話がこんがらかってしまう。その説明から入ろう。
容疑者(刑事訴訟法は被疑者と言う)を逮捕した警察は、48時間以内に検察に送致しない限り被疑者を釈放しなければならない(刑訴法203条1項)。
送致を受けた検察にも時間的な制約があります。検察官は、被疑者を受け取った時から24時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求をしないとやはり被疑者を釈放しなければいけません(刑訴法205条1項、4項)。
こういうルールは、刑事責任の追及は人権保障を前提にしなければいけないという憲法上の要請(31~40条。勾留に関しては特に34条)に基づく大原則だ。
勾留というのは、簡単に言えば、強制的に被疑者や被告人を拘束することですね。勾留には、捜査段階の勾留と起訴後の勾留がある。起訴後の勾留は裁判が始まってからのもの。ここで問題にされているのは捜査段階の勾留。どちらも重大な人権侵害の恐れがあるから、できるのはどういう時か、刑訴法60条が厳格に要件を定めています。
勾留については、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が備わっていることが前提になる。
「捜査当局はこの男が窃盗犯人だと思っている」なんて言っただけでは「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由あり」とは認められない。かくかくしかじかの事情があり、その証拠はこれこのとおりだ、というように具体的な証拠を示して請求に臨まなければならない。
さらに次の3つの要件の少なくとも1つが必要になります。1に住居不定。2に罪証を隠滅すると疑える相当の理由。3に逃亡すると疑える相当の理由。
刑訴法は、被疑者の身柄拘束というのは基本的に捜査上の便宜のためのものだから、よほどの事情がなければを認めないという考えに立っているのですね。
そうだ。
具体的な手順を説明しよう。検察官が裁判所に勾留を請求する。勾留を決定するのは裁判官。裁判官は勾留を認めない時は直ちに被疑者の釈放を命じなければならない(刑訴法207条4項)。認めるとしても勾留期間は10日以内。やむを得ない事情があるときはさらに10日以内の限度で延長を認める。検察はこの期間内に起訴できなければ被疑者を釈放しなければならない(刑訴法208条)。
日本国憲法は刑事司法の必須の原則として被疑者の人権擁護を定め、これを受けて刑訴法は刑事捜査の重要な前提事項として勾留の要件を規定しているのです。
ところが、である。この国の刑事捜査の原則には恐るべき大逆転がある。原則が例外に、例外が原則になっているのだ。警察も検察も基本的に被疑者を拘束する。検察が裁判所に勾留を請求すれば、地裁・簡裁の裁判官たちはほとんどのケースで、言われるままにほいほいと勾留を決定する。それがこの国の刑事司法の「輝かしい」伝統なのだ。
多くのえん罪事件はそのような状況の下に発生してきました。何が被疑者の人権保障かという感じ。
被疑者の身柄を拘束して被疑者を苦難のどん底に突き落とせば、結論は捜査当局の思うままになるという権力優位の反人権司法が恥ずかしげもなくまかり通っている。そして、この国の多くの刑事法学者や刑事弁護士たちは、「人質司法を止めよ」と以前からこのやり方を批判してきた。
今日の本論に入る前の予備知識として、ここらあたりまでの「常識」を心得ておいていただきたい。
で、『毎日』の記事に戻る。裁判員裁判が実施されてから、全国の裁判所で検察の勾留請求を却下する傾向が出て、法律の定めのとおり勾留が急速に厳格に運用されるようになったというのだ。
えーっ本当ですか。本当なら裁判員制度には歴史的な効用があることになりますね。
そうだ。インコは頭を丸めて(頭部の羽毛をむしり取って)隠遁の生活に入らねばならないことになりそうだ。
では、なんと言っているのか、『毎日』の本文記事を全文そのまま紹介しましょう。
逮捕された容疑者を拘束する検察の勾留請求を全国の地裁と簡裁が却下する件数が年々増加し、2014年に3000件を突破して過去40年で最多となったことが分かった。裁判員制度導入を機に、裁判所が容疑者を長期間拘束する要件や必要性を従来より厳しく判断している傾向が明らかになった。却下の対象は容疑者が否認している事件にも広がっているとみられ、今後も流れは強まりそうだ。
勾留は検察官の請求に基づき、裁判官が決定する。最高裁によると、過激化した学生運動による逮捕者が多く出た1970年前後には、却下件数は2000〜5000件台に上り、却下率も一時3〜4%台で推移したが、その後は減少。78年以降は却下率1%未満が続き、却下は数百件にとどまった。
しかし、09年の裁判員制度スタートに向け、05年に公判開始前に争点を絞り込む公判前整理手続きが始まると、却下件数が増加。06年に1000件を突破した。14年は11万5338件の勾留請求のうち、前年比819件増の3127件が却下された。却下率は2.7%だった。
刑事訴訟法は、証拠隠滅や逃亡の恐れがあると疑う相当な理由がある場合、裁判官は勾留を認めることができると定めている。期間は10日間で、やむを得ない場合はさらに10日間以内の延長が認められる。裁判所が要件を厳格に捉えて逃亡や証拠隠滅の恐れはないと判断するケースが増え、容疑者が否認していても拘束を解く判断につながっているという。
こうした姿勢は起訴後の被告に対する保釈の判断にも表れている。95年に20%を割り込んだ保釈率は低下傾向が続いていたが、14年は25.1%まで上がった。
刑事弁護に詳しい前田裕司弁護士(宮崎県弁護士会)は「否認しただけで勾留が付いた時代からすると隔世の感があり、裁判所の運用を評価したいが、不必要な勾留はまだあり、課題は残る。条件を付けて釈放される制度なども検討されるべきだ」と話している。【山本将克、山下俊輔】
「3000件突破。勾留請求却下件数は14年に過去40年で最多に」「裁判員制度導入を機に裁判所が従来より厳しく判断している傾向が明らかに」「却下率3~4%のレベルから下がって1%台が続いていたが、制度開始に向け公判前整理手続きが登場して却下が増加」「11万5338件中3127件と却下率2.7%まで戻した」「前田裕司弁護士は隔世の感と」…。署名入り記事で、勾留請求の却下数と却下率のグラフをつけた詳細な解説が続きます。
何が隔世の感だ! 寝言は寝てから言え。寝ぼけてないで覚醒しろってんだ。山本クン、山下クン。冗談じゃないぜ。却下率2.7%程度でどうしてそんなに嬉しがるんだ。たった2.7%程度とはなんといういうことだと怒らないのか。インコは頭を丸める必要なんか全然ないぞ、それどころか怒髪天をついている。
11万5338件中11万2211件、比率で言えば実に97.3%の勾留請求が依然として認められているという事実をどうして論じないのでしょうね。変動があるとか却下率が上がったとか言ったって、たかだか2~3%の範囲内のことでしょう。
勾留認容率が99%から97%に下がったことは四段抜き見出しものですか。そもそもこの程度の変りようを「請求の却下急増」と表現するのは国語として正しいですか。
インコに言わせると、君たちは不勉強なのではなく、悪質なのです。説明に付けたグラフにそのからくりが潜んでいる。読者の皆さんにこのグラフをそのまま紹介しよう。
右のカラーグラフをみてほしい。横軸は50年分という長さをとっている。時間軸を短く示すと時の経過が矮小化され、徐々の変化が急激な変化のように見える。早送りの動画のようなものだ。縦軸は勾留件数の総数が10万件を超えるのに、6000件・6%という少数・低比率の部分しか示さない。そうすると一部にだけ目が行き、全体的把握が困難になって、特定の結論を強引に導くことが可能になる。
結果、いい加減な話がいかにも本当らしく見える。こういう演出法はトリックの基本と言ってよい。
事柄を正確に視覚化するのなら、このように描けというグラフをインコが示す。それが上記カラーの『毎日』のグラフを囲む上に示したもう一つのグラフだ。こちらにはなんという空間の広がりがあることか。この「虚空」の存在こそ、人質司法がまかり通る現実を告発し、勾留請求却下の「増加」のウソをリアルに示す可視データだ。
裁判員制度が始まり公判前整理手続きが進んだ現在でも、裁判所は被疑者の長期間拘束の要件や必要性についてほとんど態度を変えていません。「人質司法」は一連の「司法改革」によって根幹の部分で変化していない。
マスコミは脳天気にこの制度の旗振りをしたが、国は「裁判員制度は我が国の司法の正統性を国民に実感させるものだ」と言っているのだから、捜査における人権侵害構造が基本的に変わらないのは当たり前の話なのだ。
マスコミのあり方として言えば、なんとしても刑事司法の現状に対する厳しい批判をしなければならない時に、これが「『人質司法』脱却へ一歩」(=「解説」のタイトル)などとはやしてみせるのは愚劣を通り越して、悪辣です。
誤解を誘う説明や図解は人だましの手口。許されるものではない。わざわざそのような説明をするところに、裁判員制度やそれを支える公判前整理手続きに対する意図的な美化の発想がある。マスコミの裁判員病はいまだにというか、ますますというか重篤である。
ついでに言っておきましょう。「刑事弁護に詳しい」と紹介されている前田祐司という弁護士さんは、法務省に設けられた「裁判員制度に関する検討会」の委員でした。つまり裁判員制度の推進派の中心にいる人。同じ委員に四宮啓など裁判員制度推進のA級戦犯がずらり並んでいます。
山本クン、山下クン。一言言っておこう。
丸め込み 民の難儀を はかるとも インコと仲間 それを許さじ
さ、もうすぐ桜の季節だ。美味しい真っ白なお菓子をほおばりながらふくらみかけた桜の様子を見に行こうじゃないか。そういえば、今日、東京でも桜が開花したというしね。
……。それにしてもこの白づくしには何か意味が隠されているような気がする、だってなんだか先輩の話、できすぎているもん。ずいぶんのご無沙汰を白いお菓子でごまかされているのではないだろうか。
そう言えば、白々しいっていう言葉もありましたね。もうすぐ桜の季節だなんて言ってたけれど、ほら、足音も立てずにしらーっと消えていきましたよ。私たちだけでしらん顔して食べちゃいましょう。 季節だって知らん顔して過ぎてゆくんですからね。
投稿:2016年3月21日