トピックス

トップ > トピックス > 「国策報道」はいつか来た道 行き止まり

「国策報道」はいつか来た道 行き止まり

 裁判員制度は施行3年を過ぎて去年見直しの時期に入った。実施時には、この制度は3年後に見直されるとマスコミは揃って紹介していた。さて、全国紙をはじめとするメディアのどこが見直すべきことを具体的に取り上げたか。どこにどのような問題があるとか、このような改善案を出すとか、何一つ言いもしなかったことはご承知のとおり。お喋り好みのA紙も提言好きのY紙もだんまりを決め込んだ。元々、メディアは最高裁の醜悪極まる提灯持ちだった。その根深い前史をこの機会に思い起こしておこう。011732

 国策報道に邁進するマスコミ

 国民の8割以上がやりたくないと言っている裁判員制度。しかし、マスコミの多くは国策を批判することなく、最高裁の発表を垂れ流しするだけであった。なぜなのか? 

 一つは「利権」だ。業者が政治家や役人と結託して獲得する権益である。宣伝・広告費(税金)が欲しかった。

 少し古くなるが、最高裁と結託した電通、共同通信そして各地方紙の「裁判員制度タウンミーティング問題」を取り上げる。019168

 最高裁のサクラは2月に咲いた

 裁判員制度タウンミーティングに、電通・共同通信・各地方紙はむらがった。そのことは、『週刊現代』07年2月24日号の魚住昭氏寄稿文「『裁判員制度タウンミーティング』は最高裁と新聞メディアと電通の『やらせ』だ」に詳しい。少し長くなるが引用する。

  「パブ記事」という業界用語をご存じだろうか。一般記事の形をした偽装広告のことだ。…当然ながら新聞社や雑誌社ではこうしたパブ記事の掲載を禁じられている。記事の客観性・中立性に対する読者の信頼を決定的に損なうことになるからだ。ところが、こともあろうに最高裁が広告代理店『電通』と結託し、巨額の広報予算をエサに世論誘導のためのパブ記事を、全国47の地方紙に掲載させていたことが、最高裁や電通の内部資料で明らかになった。最高裁の狙いは情報操作で、裁判員制度を積極支持する世論を形成することだ。国民をダマして国策を受け入れきせる大がかりな仕掛けが明らかになったのである。

  最高裁は全国各地で地元紙の共催により「裁判員制度全国フォーラム」というタウンミーティングを開催している。そのうち『産経新聞』大阪本社と『千葉日報社』がそれぞれの地域でアルバイトの「サクラ」を大量に動員していた事実が1月29日(07年・引用者注)、分かった。

  入手した内部資料から浮かび上がったのは、マスコミ界のタブーとされる電通と霞が関の癒着構造だった。そこに全国の地方紙と、私の古巣でもある共同通信が元締めとして加わり、「四位一体」で国策遂行のための世論誘導プロジェクトが、8年前から水面下で進行していたのである。I„c0o0š0

  「不況で広告が集まらなくなって地方紙の経営状態が悪くなったのが発端です。そのとき電通新聞局が主導して巨額の政府広報予算を地方紙に回すために作った組織が地方紙連合だった。だから裁判員制度のフォーラムは、地方紙連合が電通経由で各省庁から受けた仕事の一つに過ぎません」…この編集幹部の証言によると、政府が世論形成をしたい場合に行うシンポでは省庁側から①シンポの模様を伝える特集には「全面広告」のノンブル(断り)は打たない ②紙面に「広告局制作」といった表現も認めない という条件がつけられた。政府広報と分かると広告効果が格段に減る。世論形成のためにはパブ記事でなければならぬというわけだ。…大多数の地方紙が報道機関として越えてはならぬ一線を越えたのは、政府広報が企業広告のように値切られる心配がない、「おいしい仕事」だからだ。

  フォーラムの開催が決まると、共催者の地元紙は、まず開催告知の「社告」を掲載する。次に最高裁による、フォーラムの「予告広告」(5段=紙面の3分の1)を2度、有料で掲載する。3番目は、フォーラム開催を伝える社会面用の記事を載せる。記事なので無料だ。最後が、フォーラムの詳細を伝える10段(紙面の3分の2)の特集記事と、最高裁の裁判員制度についての5段広告。広告はもちろん有料だが、併せて掲載される10段の特集記事は前出の地方紙編集幹部が言うパブ記事である。05年度、全国47紙の地方紙を使い、フォーラムと広告と記事を抱き合わせた世論誘導プロジェクトに使われた税金の総額は3億数千万円である。

  電通が最高裁に提出した契約書に添えられた「仕様書」も紹介しよう。そこには、このカラクリに秘められた本音が、あからさまに語られている。「最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、主催新聞社(各社、全国地方新聞社連合)、共同通信社、電通が一体となり、目的達成に向けて邁進する」。この一文を見て、私は戦時中の国家総動員体制の中核を担った同盟通信社を思い出した。同盟通信は36年に日本電報通信社の通信部と新聞聯合社が合併して発足した国策通信社で、国民の戦意高揚や情報統制の手段として大きな力を発揮した。敗戦後、その同盟通信が分かれて発足したのが共同通信と時事通信だ。一方、36年の同盟通信発足時に日本電報通信社から切り離された広告部門が、現在の電通だ。つまり同盟通信の後身である共同通信と電通、さらには地方紙と裁判所が一体となって仕組んだ「国策遂行プロジェクト」が、裁判員制度フォーラムの裏の顔だったのであるマスコミ

ばら8384引用ここまで。

 『朝日新聞』は何をしたか

 最高裁は、制度実施に先立ち有識者を集め、「裁判員制度広報に関する懇談会」を立ち上げた。

 懇談会参加委員の名簿には、『朝日新聞』現論説委員の渡辺雅昭氏の名前がある。最高裁が『朝日』を取り込んだのは、朝日がエセ紳士だと見抜かれたからか? ここはお上品にいきたいので、よたもんと揶揄された『讀賣』と、まゆつばと言われた『毎日』には声をかけなかったのか? サクラを集める『産経』は声をかけなくてもついてくる?

  制度や法の是非を憲法に基づいて判断する最高裁が、「国策の制度をどう広報するか」などと考えたり実行したりすること自体そもそもおかしな話なのだ。だが、その最高裁を批判的に評価・報道しなければならない新聞記者が「国策」に協力するというのもおかしな話だ。国策協力といえば、戦前のマスコミの大本営翼賛が直ちに思い起こされる。皮肉を言えば、そのことは『朝日新聞』自身の検証記事「歴史と向き合う 戦争協力 見失った新聞の使命、反省を『今』につなぐ」に詳しい。その反省はどこへ行ったのか? 渡辺君!

  制度の宣伝に関わる人は、制度を正しく論評・批判できるわけがない。国策協力に自社要人を送り込む新聞がその国策を叩けるはずがない。実際、『朝日新聞』記者の中には「裁判員制度推進は社是ですから」と力なく漏らした者もいる。

 社是ならば、裁判員制度を報道するときには「社是として制度を推進する」と断るべきだろう。「国策推進に邁進している」と堂々と言わず、さも公平なフリをして「パブ記事」を書くのはなぜか。

  織部法太郎氏が言うように「権威や権力が好き」で「読者程度の国民の有象無象にはわからないような、日本の裁判の不都合や、陪審・参審の良さを、高学歴・高教養の自分たちはわかっているから、国民を教化善導しなくちゃいかん、それが社会の木鐸だ、という思い」(「続々・裁判員制度を嗤う 架空対談・大本営発表」)から、国民参加は民主主義の窮極の姿だという宗旨に染まったのか。

 そして将来・・・015436

 内田博文神戸学院大学教授は「菊池事件と裁判員裁判」で次のように指摘された。

 ファシズムの成立には、国民・市民の動員も不可欠である。全体主義国家の構築のために国と国民・市民が一致協力する。それによって「法の支配」を超えた統治を実現させる。「障害物」はすべて除去していく。そのためには、マス・メディアの統制がキーとなる。…統制されたマス・メディアはファシズムの「生みの親」ともいえる。

 ファシズム体制という観点から裁判員裁判を見た場合、どのように映るのであろうか。裁判員裁判における「法の支配」からの逸脱。すなわち、日本国憲法や国際人権規約等が「法の支配」の貫徹をもっとも強く求める刑事訴訟法の原理・原則からの逸脱。そして、これを「国民世論」の名で正当化し、国民・市民を裁判員裁判に動員する。さらに、国策に沿って「国民世論」を創り上げるマス・メディアの存在…。 

 斎藤文男九州大学名誉教授は「改憲と裁判員制度」で次のように喝破された。

 裁判員制度が、憲法改正の地ならしなのか。それは、裁判員制度の発想と憲法改正の発想が同じだからです。いずれも、憲法を人権保障のためではなく、権力者の統治のための法とみなし、人権よりも国家への服従義務を優先させているからです。

  『朝日新聞』はいつの日か、裁判員制度と本紙の検証姿勢と題する記事を書くのだろう。そのタイトルは「歴史と向き合う 裁判員制度 見失った新聞の使命、反省を『今』につなぐ」となるに違いない。 

 中途半端に反省をしてみせるエセ紳士。過ちは繰り返しませんと誓ってまた誤るエセ紳士。その犯罪性は「撃ちてし止まん」でひたすら暴挙に突っ込むのに劣らぬ悪辣さを歴史に留めるであろう。H24.7.30.ŠÏ—tA•¨

 

 

001770

 

 

 

 

 

投稿:2013年8月21日