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寄稿 逆転無期判決の見方を間違えてはいけない

千葉大生の女性が殺害された事件。東京高裁が1審・千葉地裁の死刑判決を破棄して無期懲役の判決を言い渡した(参考:「寄稿 東京高裁逆転無罪判決の正しい見方」)ことについて、10月22日、被害者の両親が記者会見をして、「納得できない。裁判員裁判の結果を尊重してほしい。裁判員が何日もかけて決めたことを無視するように覆すのは納得がいかない」と話しました。

子どもを奪われたご両親の苦しみと怒りは半端なものではない。その心情には思いを深くいたします。しかし、「裁判員が何日もかけて決めた結論を覆すのは納得がいかない」という感想をそのまま受け入れることは到底できません。

このご遺族は、もしこの事件で、1審が無期懲役で2審でひっくり返って死刑が言い渡されていたら、「やっと納得できた。裁判員が短い期間で出したいい加減な判決を高裁の裁判官が覆してくれてようやく受け入れることができた」と言ったのではないでしょうか。

犯罪の被害者や遺族が重罰を求めるのは、被害が回復しないことへの深いいらだちです。そこにあるのは、人のいのちが返ってこない以上、犯人には死んで貰うしかないという報復・復仇の心です。裁判官だけの裁判だろうが、裁判員が加わった裁判だろうが、本当を言えばそんなことは遺族にとってはどうでもよいという心境があります。

遺族の言葉から導かれる教訓は2つ。その第1は、刑事裁判は被害者や遺族の思いも参考にするが、決して報復・復仇を中心に考えるものではないということを明確にする必要があるということ。

長い期間をかけて近代刑事訴訟は報復・復仇を否定する見方を確立してきました。識者もメディアもそのことをきちんと言わなければなりません。『読売新聞』(10月23日)は、慶応大法科大学院客員教授の原田国男氏(元東京高裁判事)の言として、「国家が人の命を奪う死刑の適用には、特に慎重さが求められる」という評価を引いています。当然のコメントです。

個人が犯しても国家が実行しても殺人は殺人、犯罪は犯罪です。「国家が犯す犯罪」はそれこそ様々な角度から検討し尽くして決める結論であり、人を殺したら殺し返されるなどという判断が簡単に導かれてよいわけがないのです。死刑を許さない国が多数に上ることをあらためて考える必要があります。

同じ遺族発言を紹介する『朝日新聞』(前同日)は、識者のコメントも引かず、遺族の言葉をそのまま並べただけでした。『読売』も大見出しは「『裁判員裁判 尊重して』 両親が高裁判決批判」というものだったから、大同小異とも言えます。メディアの腰の退け方は目を覆うばかりです。

第2の教訓は、裁判員裁判という裁判方式は、「裁判所は被害者の側に立ち、重罰を下すのが本来の仕事」と考えられているということ。

実際、「1審の裁判員裁判が下した軽い刑を2審の裁判官だけの裁判で重い刑に切り換える」という例は希有と言わねばならないからです。先に、ご遺族は2審の裁判官だけの裁判で1審の裁判員裁判の結論ひっくり返って死刑になったら遺族は納得するのではないかと言いましたが、そのような想定をすること自体、実はほとんど非現実的なのです。

だから、裁判員裁判は近代刑事訴訟の基本を突き崩す重大な危険をはらんでいることになります。裁判員制度は国家権力の間違った判断を国民が批判し是正する裁判方式ではないし、裁判員は被告人の人権を守るために被告人の盾として登場しているのではないからです。

結論をあらためて言います。被害者から「尊重」を求められるがゆえに裁判員裁判は存在が許されない裁判制度なのです。

なお、東京高検は10月21日に、弁護側は22日に上告しました

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投稿:2013年10月25日