トピックス

トップ > トピックス

三宅坂怨念百人一首-インコ私撰おまけ

三宅坂怨念百人一首-インコ謹賀私撰はみなさまにお楽しみいただけたようで、多くのご感想をいただき嬉しい限り、「みんなの声」欄にもアップさせていただいております。

「声」欄常連のとらっちさんからは「飲食しながら読むこと厳禁。パソコンに吹くで」と最大級の賛辞が寄せられて、舞い上がるインコ。

が、Aさんから「インコさん、絵札が全部ないのは手抜き?」という厳しいご指摘があり、第3篇アップ後には、別の方から「第3篇は絵札に統一感があるけど、第1篇と2篇はまた別?」と鋭く追及され、あうあうとなったところで長老から止めの一撃。「全絵札を揃え、字間の間抜けもどうにかするのじゃ

はい、全絵札揃えましてございまする。字間の方もこれにてご容赦くだされ。

さてここで、いただいたご質問とご要望への回答を「三宅坂怨念百人一首-インコ私撰おまけ」としてお送りいたします。

質問:インコさんの一番好きな歌はなんですか?

な~1長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思え」

はい、百人一首の中でも一二を争う官能歌ですね。こんな歌をもらったら、今夜会えると思って別れた直後でも引き返して抱きしめちゃいますよ。  

えっ、本歌ではなくて、インコ私撰の方でですか?  

「丸め込み 民の難儀を図るとも インコと仲間 それを許すさじ」

制度廃止を願う人たちと共に頑張るインコを謳ったなんともいえず良い歌ですねぇ~。廃止まで頑張るぞ!!

要望:インコ私撰でも、「しのぶれど」は撰ばれて、「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」は撰ばれていないのが気の毒なので、こちらも撰んで。

 な~1 「廃止する 我が決意まだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」

   私が制度を廃止するという決意が、こんなにも早く世間に広まってしまった。誰にも知られないよう自分の心の中だけで、ひそかに決心しはじめたのに。どれだけみんなが嫌がっているか良くわかるなぁ。

質問:歴史好きの間でどちらが好きか論争が起きる紫式部と清少納言、インコさんはどっち派?

清少納言

 

 

質問:きっぱり・・・.+゚.+゚(o(。・д・。)o).+゚.+゚ なっなぜ?

作品や残されたエピソードから受ける印象。

紫式部は陰気なお局様タイプかと。今なら、男社会の男の論理に立って出世して、できない女性を非難する気がするから。

清少納言は、才気煥発、明朗快活、稀代のエッセイストであの切り口は会話をしても楽しそう。もっとも並みのインコでは相手にしてもらえないだろうけどね。清少納言ならこの裁判員制度、どのように批判しただろうか・・・

=おまけのおまけ=

20131023201719権中納言の藤原はん、定家はん。うまい歌作ろう作ろう思うて悩みすぎてもしかたないで。あんたこんなとこで居眠りしているけどな、八百年も経つとな、世の中あんたが撰んだお歌でお国のおかしな制度をみんなが叩いとる。何が起こるかわからへんのや。あんたはんも下級公務員だから、民の心も少しはわかるやろ。【住吉明神の化身】

 

 

 

投稿:2014年2月22日

2月18日付け『東京新聞』こちら特報部の記事

2月18日付け『東京新聞』こちら特報部が大きく報道した元裁判員のストレス障害国賠訴訟

第1回口頭弁論と第2回口頭弁論はトピックス&パンフで詳細に報告しています。ぜひ、あわせてお読みください。

Scan2Scan34

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

投稿:2014年2月22日

お知らせ 『救援』インコ連載&マネージャーのダブル掲載

救援連絡センターが月1回発行する『救援

12月10日付け第536号で第1回連載とぶち上げた後、新年特別寄稿や年始あいさつ記事に跳ね飛ばされて第2回目がまさかの休載。

「インコが連載するなら」と年間購読契約を結んでくださった方からは「連載詐欺?」とか「いきなり足跡しかない」などと叱責されましたが、無事復活 \(^◇^)/

2月10日発行第537号インコの連載「裁判員制度はいらない情報」

第2回「非国民になるか 病気になるか」

マネージャー執筆「オウム-平田裁判 にぎやかな刑事司法の葬送」

『救援』お申し込みはこちらから↓

東京都港区新橋2-8-16 石田ビル5F  救援連絡センター

電話03-3591-1301 FAX03-3591-3583

E-Mail:Kyuen2013@gmail.com

定価300円 年間購読料1部 開封4500円 密封5000円

郵便振替 00100-3-10540

0296391

  

投稿:2014年2月20日

「『裁判員制度守』さんを送る言葉」に連帯する

                                                        音痴で短歌好きの高校教師

 1月の『朝日歌壇』に特定秘密保護法に関連する短歌が12首並んだ。1月27日にはそのことを謳う短歌まで撰ばれた。

「成立より記事減りきたる秘密保護法朝日歌壇に十二首並ぶ」(京都市・村上清子)   「一時だけ騒げば終わりというものではあるまい。朝日歌壇の十二首を頼もしく思う作者。誰もが注意深く見守りたい」というのが撰者永田和宏さんの評。27日には、このほかにも次のような反秘密法の歌が撰ばれている。

「脱原発も再稼働もすべて闇のなか特定秘密保護法の下」(東京都・半杭螢子)

「言い遁れも拡大解釈する余地もたっぷり残して法案通る」(春日井市・伊東紀美子)  

「戦争はかかるプロセスとりながらくるものなのか昭和史思う」(静岡市・篠原三郎)

「驚きぬこの人からの賀状にも秘密保護法憂えることば」(篠原三郎)

「サッカーに興じる孫に思い馳せ秘密保護法危惧すの賀状」(半田市・依田良雄)

 メディアが報道しないテーマ、少ししか報道しないテーマ、脚色して報道するテーマ。その中に、私たちが絶対に見逃してはならない問題が潜んでいる。そういう思いを連ねた短歌がこの間執念深く続く。そのこと自体メディアに対する批判を含んでいる。

 佐村河内守氏の偽作に関する投稿「にせ司法『裁判員制度守』さんを送る言葉』」を興味深く読んで、私自身、『朝日新聞』の吉田純子記者の一文(2月11日)に目を通してみた。メインタイトルは「いつわりの『物語』感動生む『装置』に」、サブタイトルは「佐村河内氏問題への自戒」である。ネットで見ると吉田記者は音楽関係のテーマでよく登場する人らしい。

 「熱狂の一翼を担った私たち記者もいま、足元を見つめ直さねばならないと思う」とある。見つめ直すとは何をどう見ることか。騙されないようにもっと疑い深くなろうというのか、音楽記者としての感性の薄っぺらさを正そうというのか、それとも偽作かどうかにかかわらず作品自体の優秀性を検証しようというのか。絶賛の言葉を書き連ねた記者たちや音楽通たちの「極限のみっともなさ、恥ずかしさ」に、かれらはどう対処、対峙しようとしているのだろう。

 だが、趣味の話ならその程度で話が終わってもよい。罪深さもまずまずのレベルである。そうはいかないのが国策をめぐる論議だ。私も、インコさんの基本テーマ「裁判員制度」に議論を移す。メディアをあげての翼賛裁判員報道にウソ・偽りはなかったか。メディアが報じなくなっても国民が忘れてはならない秘密法のように、メディアが報道しないことやメディアが歪めて報道しているところにことの真相が潜んでいるというのは、ほかならぬ「裁判員制度」の世界に確実に存在する重大問題ではないか。あちらでは騙されたが、こちらでは騙されていないなどと言えるのか。

 「市民参加」「常識の反映」「陪審への一里塚」…。飾り付けの言葉(装置)が山と用意された。その「熱狂」の跡をいま寒々と感じているメディアの人びとは少なくないはずだ。「かすかな違和感」を感じながら裁判員裁判の報道に明け暮れていた記者たち、中途半端な思いを抱きながら賞賛の言葉を並べていた事情通もいよう。いまこそあなたたちが本当に自戒する時がきたのではないか。

 ファシズムの時代には、騙すつもりで騙す確信犯が真ん中に1人いて、その周りには騙す結果になってもよいと思うワルが10人いて、その周りにはまずはやってみようと思う半信半疑の100人がいて、その周りには熱に浮かれたように飛び出して行く1000人がいるという話をどこかで聞いた。祭りが終わったあとの惨憺たる光景を前に、このどこにいたのかを見つめ直し、深く自戒しなければならない人たちがたくさんいるはずだ。

 そのうえでメディアの皆さんに伝えたいのは、1000人の人たちのさらに外側には、無報道や脚色報道の状況に置かれながらあなたたちの熱狂ぶりをじっと見つめてきた冷静な1万人の視線が厳然とあったということである。

 人びとをあなどってはいけない。「佐村河内守」問題は、今こそ「秘密河内守」問題や「裁判河内守」問題として捉え直す必要があると私たちに発している天の警告である。

033202

 

 

 

投稿:2014年2月17日

応援:集会案内-22日(土)札幌で裁判員制度反対集会開催

集会開催のお知らせ 

「なぜ増える?! 裁判員制度による死刑判決」

 講師:寺中誠さん

日時:2月22日午後1時30分(開場午後1時)

場所:かでる2・7 710会議室

(北海道道立道民活動センター)札幌市中央区北2西7

主催:北海道裁判員制度を考える会

共催:アムネスティインターナショナル ノルテ159グループ

問い合わせ先:いの法律事務所

札幌市中央区南1条西9丁目5-1
札幌19Lビル6階 いの法律事務所内
電話 011-272-9555
FAX 011-272-9556
メール ino@h8.dion.ne.jp

札幌&ご近郊のみなさま、ぜひお誘いあわせの上ご参加を

北海道集会

 

投稿:2014年2月16日

にせ司法「裁判員制度守」さんを送る言葉

                                                  偽物付き合いの長い一インコ読者

 「佐村河内守」っていうおもしろい名前の人のことが今話題だね。耳が全然聞こえないのに世界を変えるとか魂をつかむとかいうすごい音楽を作ったって評判だったらしい。私なんか、無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌなんて言われたって、えっ、なんのしゃこたんなんていう人なんで(恥ずかし~い)、そのすごい曲っていうの1度も聞いたこともないし。ま、要するによくわかんない話なんだけどね。

で、この人ってさ、「ホントは音楽自分で作らず人に作らせていた、ごめん」って、代理人の弁護士を立てて世間に謝ったんだって。えっえっえって感じなの。で、顧問弁護士はこれは偽物じゃないのかね。ま、そんなことはないか。

でもねぇ、全然耳が聞こえなくてどうして音楽作れんのかなぁって、音楽音痴の私なんかこの話聞いた最初のころからよくわかんなかったよ。なに、音痴は音楽がだめなことを言うんで音楽音痴っていう言い方はないって? すいません、よくわかりません、そのへんお任せします。でも方向音痴とか味音痴なんて言わなかったっけ。

話を元に戻すよ。いま蜂の巣つついたような大騒ぎなんだね。みいーんな騙されていた、騙されていたって仲良く言い合ってる。ホントは耳が聞こえていたのに耳が聞こえていないようなふりをして、人に曲を作らせてそれを全聾の自分が作った曲だって発表していた。交響曲第1番「HIROSHIMA」なんていうすごい曲作って、この人広島の市民表彰も受けちゃった。みんなで持ち上げて万歳万歳って言ってたんだから、みんなで失敗失敗って言ってればいいのかな。

本当はこの人偽なの、偽じゃないのって聞かれても、私はわかんない。新聞やテレビの騒ぎを見たり聞いたりしているだけだもん。朝日新聞は何回記事にしてごめんとかTBSは何回放送してごめんとか、あわてまくりのお詫び合戦があちこちで始まってる。アエラなんか、うちは騙されなかったなんて威張った記事を書いてるけど、同じ系列の朝日新聞は騙されたっていう話なんだから、こういうのナンダカナーって思っちゃうね。

衝撃の告白週間が過ぎたら、つらい懺悔週間に入ったんさ。いやらしい弁解もちらほら見え始めたね。朝日新聞の吉田純子っていう記者なんか、「しかし、私はかすかな違和感を覚え始めていた」なんてしゃれたこと書いてる(2月11日) 。ふーむ「かすかな」か。で、その違和感がこう発展したっていう話になるのかと思いきや、ゼーンゼン。脳天気なひとだね、この方は。スッカリポンのいかれっぱなしだったって言う訳。「祭りの渦中の関係者たちは、誰も気付けなかった」ときたもんさ。なにさ、祭りの渦中の関係者ってあんた自身を含んでるんでしょうが。他人事のように言うんじゃないよ。だいたい「気付かなかった」と言わずに「気付けなかった」と言い逃れるところがいやらしい。気が付かなかったのは仕方なかったっていうニュアンスをさりげなくこめるこの手口のいやらしさ、いや朝日らしさ。

で、純子ちゃん、最後にこう言ったね、「あなたの『後悔』は本物なのか。…もう答えのこないであろうそれらの問いを、今後は自分の筆へと向け、自戒の礎としたい」。ハハハ。純子ちゃんは、この偽音楽家のことを2年半前には『朝日新聞』に、1年前には『週刊朝日』に書いとると。そこをどう反省してるんかを聞きたいんですよ、読者の私たちとしては。逃げるなって言うの。この程度のお茶濁し総括記事でよろしいというのを、朝日式決着法っていうのですかね。

とっとっとっ、こんなにしゃべったけど、ホントに言いたかったのは、実は佐村河内守さんのことじゃなくて「裁判員ごっこ守さん」、違った、裁判員制度不当擁護のウソ話のことですよ。市民参加司法だの国民主権司法だの、調子いい話ばっかり広げて登場させた裁判員制度。いいもんだいいもんだと大宣伝をしまくったのがマスコミと日弁連でしたね。みんなでヘンリー・フォンダになろうなんて言いまくった左翼団体もあった。裁判員は「12人の怒れる男」になるんだっていう浮かれ調子の話よ。

で、どうなったかと言ったら、今やどうにもならないことがはっきりしたという訳ですよ。裁判員制度はひとを強引に裁判所に動員する徴兵制みたいな制度だっていうことが世間常識になっちゃった。みんながみんな嫌がり、呼び出されても裁判所に出て行かなくなった。裁判員制度のウソがいまではみんなにわかってしまったんですね。「裁判員制度河内守」現象ですよ。さぁ、どうする、マスコミの皆さん。

新聞記者としては、「しかし、私はかすかな違和感を覚え始めていた」なんて、いつでも書ける状態にもうなってるよね。彼ら、彼女らの頭にあるのは、ホントは「かすかな違和感」どころか、こりゃ全然だめだよという「完璧な崩壊感覚」だろうがね。きちんと反省しなければ過ちを再び繰り返すことになる。偽音楽家も大変だけど、偽司法制度はもっと大変なことだぜ、日本のマスコミでメシを食ってる諸君たちよ!HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿:2014年2月12日

三宅坂怨念百人一首 インコ謹賀私撰・第3篇(完)

小倉山荘」のおかきの詰め合わせをいただき、同封の『小倉百人一首全訳』をながめながら、心と胃袋とろける私・インコの妄想は平安の世の三宅坂に飛んで、トンデモないことに。都合36首、三十六計潰すにしかずってね、はい…。

68

心にも あらでうき世に ながらえば
民叱るべき  この制度かな

このつらい世の中、不本意なことにさらにこんな無茶が続いたら、民はきっと天に代わって叱りつけますよ、とんでもない制度はもう運の尽きだぞって。【何とも惨状院】

070

迷惑な 家を立ち出でて 来てみれば
いづこも同じ  むっとした顔

呼び出しはホント迷惑。断ろうと家を出て裁判所に来てみたら、誰も彼も同じように迷惑だ迷惑だという顔つき。この制度はとうとう秋の夕暮れの寂しさになりましたな【良識いっぱい法師】

072

音に聞く 最高裁の あだ権威
かたじけなくも  あほらしきかな

最高裁は権威あるところと聞いていましたが、とんでもないものでした。最高裁発の候補者名簿登載通知なんか、人びとはひれ伏すどころか生ゴミと一緒に捨てる始末。自分で自分の権威を汚す人たちっていったい何なんだろ。【言うぞ内心目茶奇異】

074

憂かりける 人を呼び出し 裁かせて
病得ずとは  思わぬものを

やりたくないと言ってるのに無理矢理呼び出して裁かせた訳だ。PTSDなどになるはずがないなんて思わなかったでしょ。あんた自身、裁判員が倒れたらどうするこうするなんて言ってたんだからね。【皆年寄りに聞け朝臣】

077

嫌がられ 皆に背かれ 裁判員
やめてもだれも  困らぬと思う

嫌がられて皆にそっぽむかれているこんな制度。やめても誰も困りません。ただただ喜ぶだけです。私はあなたとの中を割かれたら、お赤飯炊いてお祝いするって心に決めているんです。【すうっと通り過ぎて院】

078

裁判員 通う公判 なく声に
幾夜目覚めん  PTSDになり

裁判員となって公判にいやいや通った。証拠に出された被害者の悲鳴の録音が耳につき、何度となく目を覚ます毎日になり、あげくPTSDになってしまった。誰がこの責任をとってくれるのだろうか。【皆元悪いんだ】

084

ながらへば またこのごろや 問題が
憂し制度にて  民は怒りき

続ければ続けるほど問題が出てくるこの制度。いつまでやるつもりかと国民は怒っています。こればっかりは、つらい現在も後にはなつかしく思い出されるという昔の歌のような話にはなりませんぞ。【藤原今日終結朝臣】

089

この制度 絶えなば絶えね ながらへば
民の怒りも  ぶち切れぞする

この制度は廃止しかない、それも一刻も早くにです。このまま制度を続けると、まだ我慢している国民もみんなぶち切れちゃうよ。ホントそうなってもいいんかい。そういうのを司法の自滅っていうんでしょ。【常識ある内心王】

095

容赦なく 憂き世の民を 襲うかな
腹立つ御法  赤紙の来る

ただでさえ大変な生活をしている民を容赦なく襲うこの制度。腹立つ裁判員法によって、裁判所にこいという呼出状が来る。このような暴挙には、御仏の加護は決してありませぬ、天罰が下るだけです。【全大僧正慈しみのご縁】

097

来ぬ人を 無理に来させて 裁判を
させる立場に  身も困りつつ

来たくないという人を無理やりに来させてやらせるっていう話には、私たちはもともと賛成じゃなかった。それがいつの間にかこんなことになってしまった。はっきり言って本当に困っているんですよ。現場の裁判官は。【金輪際中止って言っていいか】

099

やるも憂し 止めるも難し この制度
世を思いつつ  保身思えば

続けることにはもちろん問題ありなのですが、さっさと止めるというのも難しい。みんなのことを思えば廃止しかないけれど、それを私が言う訳にはいかないんです。日々思い悩むこの身です。【言葉抑え医院】

100

奇巌城 古き司法を しのぶにも
なお情けなき  この制度なり

奇巌城とも言われる最高裁の建物を見るにつけ、以前の司法もとんでもなかったと思うけれど、それ以上に情けない制度を作ったものであることよ。古い建物の軒端に生えている忍ぶ草のように目立たず静かに裁く裁判にしたいものだ。【人徳捨てた院】

投稿:2014年2月10日

三宅坂怨念百人一首 インコ謹賀私撰・第2篇

京都・長岡京小倉山荘」のおかきの詰め合わせをいただきながら、そして同封の『小倉百人一首全訳』をながめせしまに、胃袋・脳みそともに満足の私・インコの妄想は平安の世に飛んでしまい、トンデモないことに、はい…。

034

だれもかも 来ぬ人にせむ 公判で
末も見えたり 司法改革

すべての人びとに裁判所に行かないように説得しよう。数日の審理で無期懲役や死刑の判決を出したりしていいわけがない。公判途中でも裁判員がいなくなる事態を作りだそう。司法改革はことごとく失敗だ。もう制度の末路も見えてきたなあ。【藤原超寒風】

040

隠しても 色に出にけり 欠陥は
いつやめるのと 人の問うまで

市民には知らせないと懸命に隠してきたつもりの欠陥と違憲性です。でも「いつ廃止するのですか」と詰め寄られるまで、うそとでたらめが見え見えになってしまったことだ。あなた、隠してもダメよ。【平然し兼盛】

043

始めての 続く苦労に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり

制度を始めて、想定外の苦労をさせられて七転八倒しております。思い返せば開始前に考えていたことなんか子供だましみたいなものだった、あぁつらいなぁ。【困中納言あいたた】

044

無理矢理に 耐えてしなくは 出世せず
最高裁は  恨みざらまし

嫌がる人に無理やりにやらせることも耐えてやらなきゃならない。出世できなくなっちゃうもん。あぁ、出世なんて考えなければ、ここまで最高裁を恨んだりはしなかったのだけれど。【中納言浅い忠義】

045

あわれとも いふべき制度 不人気で
14人抜き せざらましかば

市民に見捨てられたこの制度。推進の功績で14人抜きでお頭になったけれど、結局恨まれるだけの結果でやるんじゃなかった。あわれと思ってくれる人もいそうにないので、このまま空しく死んでしまうに違いない。【損得公】

046

三宅坂 登る法人(のりびと) 息を絶え
行方も知らぬ 制度の末路

三宅坂の最高裁、媚びてすり寄った日弁連などと一緒に、もう息も絶え絶えだ。舵を失った舟のように、これからどうなっていくのか見当も付かない制度の末路であることだ。【そりゃもうよしたら好忠】

051

かくとだに 迷惑なこと 裁判員
さしもしらじら いやな思いを

このように迷惑だったとも言わずしらーっと「良い経験」と言ってきたのは、建前とホンネを使い分けるあんたたちにならっただけ。本当はつくづくいやな思いをしているのです。伊吹山のもぐさがいぶって燃えているような感じと言ったらわかっていただけますか。【藤原実態朝臣】

052

はじめれば 終わるものとは 知りながら
なほ恨めしき インコの奴め

無理して始めればそのうち無残な終わりを迎えることになる。それはよくわかっているのだけれど、それにしてもなんだかんだとけちをつけて立ちはだかるインコのことを考えると、夜も眠れません。赤煉瓦(法務省)の恨めしい夜明けです。【藤原道草朝臣】

060

三宅坂 いくら言っても 遠ければ
まだ廃止とは 言わないだって

最高裁は正義の道とはとんでもなく遠く離れたところにいるので、制度が破綻していることをよくよく知っていても、廃止に踏み出すなどと言わないのです。国民からの要求ですって? そんなもの読んでません。【何のこれしき我慢大事】

062

丸め込み 民の難儀を はかるとも
インコと仲間  それは許さじ

市民参加・良識反映だなんて丸め込んで、民の難儀を謀ろうとしても、インコと仲間たちはそのような悪事を絶対に許しません。函谷関は突破できても国民を騙しきることはできないのです。【清涼飲料水納言】

064

無理だらけ 怒りの限り ふつふつと
現れわたる 諸所の陥穽

「無理ばかりだ」 民の怒りは月日の経過とともに大きくなり、それにつれて制度の間違いが誰の目にも明らかになってきました。それはまるで、宇治の川面にたちこめていた川霧がとぎれとぎれに晴れていくときの様子に似ています。あぁいい景色ですこと。【権中納言再定義】

067

春の日の 悪夢のごとき 公判に
後悔ばかり 先には立たん

春の日のほんの短時間のことですのに、あの公判は文字どおり悪夢のようでした。こんなことなら出頭するのではなかったと深く反省しております。でも後悔は先に立ちません。つろうございます。【周防ボクやって内侍】

 

 

投稿:2014年2月6日

三宅坂怨念百人一首 インコ謹賀私撰・第1篇

京都・長岡京の由緒あるお菓子屋さん「小倉山荘」のおかきの詰め合わせをいただきました。中には『小倉百人一首全訳』のセンスよろしい小冊子が。美味しいおかきを食べながらうつらうつらと眺めせし間に、育ちの良いインコの妄想はどんどんふくらみまして、はい…。

  002

春すぎて 夏来にけらし 秋も過ぎ
公判前は 年越しの山

公判前整理がどんどん長引いたでしょ。春も過ぎたし白い衣を干すという天の香具山の夏も過ぎたし、ほら秋風も吹き荒れちゃったし。いつのまにかもう年の瀬よ。そうしたら判事席の上は記録の山ってわけ。あぁ来年はいったいどうなっちゃうの。【持統溜息天皇】

008

わが制度 鳴り物いりで はじめたが
世に迷惑と 人は言うなり

わたしたち最高裁、法務省、日弁連は、制度を始めるにあたりですな、マスコミを使って都大路で大々的に宣伝をしました。国民(くにたみ)はこっちの方向に進めとね、しかと言いましたよ。それなのにだ。世間の人はこの制度をウジ虫のように嫌って、迷惑だ迷惑だと言うのです。何ていうことだ。【喜撰破れかぶれ法師】

009

顔の色は 変わりにけりな 発言に
わが身間違う 高い法壇

「それが反省している態度ですか」と裁判員が被告人に大声を上げたので、さすがの私も顔色を変えましたよ。高い法壇から人を見下ろすと自分が偉くなったように勘違いするんですね。偉いのは私だけでいいんです。あんたそんな顔してると私のように容色だってそりゃ衰えるよ。【おのおの困っち】

010

これやこの やるもやらぬも 裁判員
知るも知らぬも 民はいやがる

法曹三者の間では、やりはじめたからにはやり続けるんだと言う人たちもいるし、失敗を素直に認めてやめるべきだと言う人たちもいます。国民はどうなんだですって? そりゃ制度をよく知っている人もよく知らない人も、みんなイヤだって言ってますよ。出逢えば堰を切ったようにイヤだイヤだの声がほとばしる場面を最近世間では「逢坂の堰」って言うんですって。【空蝉丸】

015

民がため 評議の場では リードする
わが法廷は 分刻みにて

裁判員の苦労を思いやって評議の場ではがんがんリードしてさっさと終わらせます。法廷だって裁判員を疲れさせないように分刻みのスケジュールで休憩時間をどんどん入れます。処罰とサービスが入り交じるのは陽気がおかしい春の日のようで落ち着かないだって? そんなことありません、ほら春にも「どか雪」ってあるじゃないですか。【光孝無理天皇】

016

たち往生 判決前に みないない
やれるか聞けば  いやと帰りぬ

判決直前で補充も使いきり裁判員も6人を割りました。残った裁判員に選任をやり直すので待ってくれないかと聞いたなら、残った人たちもみんなイヤだなんて言ってさっさと帰ってしまいました。
あぁもう私、イナバウアー。【中納言のけぞり行平】

017

千早来ぬ 神代もいやと 裁判は
来てくれないに みな困るとは

千早ちゃんも来てくれないし、神代ちゃんもそっぽを向いちゃった。誰もいなくなって裁判所はからっから。ありはら判事はこんなはずじゃなかった、ホントに誰も来てくれないなら首くくるって言ってます。【在原困惑朝臣】

020

詫びぬれば  今また同じ 難儀する
身を尽くしても  潰さんと思う

こんなことを始めてすみませんとお詫びしても、制度を続ければ同じことの繰り返し。市民が難儀するだけのこの制度、何は何でもこの身を尽くし潰してしまいたいと思います。【元不良親王】

罰則で 脅して来させ やらせおき022
むべ動員を 参加といふらむ  

つめたい風が山から吹き下ろすように人を脅して裁判員をやらせる人たちのことだ。いくら国民を動員しても市民参加と言いつくろうだろうなぁ。そうなると秋の草木がしおれてしまうように、みんな心の病気になるんだよ。【文屋のしおたれ康秀】

023

してみれば やはり止めたい この制度
わが身一つの 難儀ならねど

はじまってしまいました。でもこうして見てみますとさまざまなことが思いやられ、おかしな制度はやはりやめなければと深く思います。刑事部の職員だけが苦しんでいるのではなく、この苦労は裁判所のすべての人びとを襲っているものですけれど。【心労大井千里】

030

呼び出しに つれなく応えし 断りの
声聞くほどに  憂きものはなし

有りったけの甘い言葉ともみ手で呼び出してもつれない断りの声ばかり。担当書記官の私はつらく悲しい思いでこの仕事をしているので心底憂鬱になり、泣きたくなります。【壬生書記官忠岑】

033

久方の 光のどけき 春の日に
地獄に落とす 赤紙ぞ来る

日の光がのどかにさしている春の日に、突然奈落の底へ落ちた気分にさせるような呼び出し状が届いた。これはどういうことなのだろう、とても落ち着いた気持ちになどなれない。【気の向かぬ友則】

 

 

投稿:2014年2月3日

迷走する最高裁

裁判員裁判における求刑超え判決の続出をめぐって

弁護士 三ノ窓

 本年1月29日の読売新聞では、1面トップで、検察官の求刑を超える判決が裁判員裁判で急増していると報じられました。従来の裁判では年平均2〜3件であったものが、裁判員裁判では既に50件というのですから、確かに、ただ事ではありません。早速、全国の各地裁では量刑評議のあり方に関する検証が始まったと言われます。

 ところで検察官の行う「求刑」ですが、もともと刑事訴訟法にそのような制度が直接定められていたわけではありません。求刑とは、刑事訴訟法293条に「証拠調べが終わった後、検察官は、事実および法律の適用について意見を陳述しなければならない」とあり、ここで言う「意見」の一環として慣例的になされてきたものでして、従来から、裁判官は求刑に縛られるものではなく、求刑を超える判決も違法ではないという最高裁判例は1950年代に早くも登場しています。

 「求刑」がその程度のものであるならば、「求刑」を超える判決があったとしても、別にあまり問題ないのでは、と思われるかもしれません。しかしながら、従来の実務上、「求刑」は、量刑の上限を画する機能を長きにわたり担ってきました。筆者の弁護例では、検察官が求刑のミス(法定刑を超える求刑であったり、罰金を併合するのを忘れていたり…)をしたため、裁判官がその訂正を求める、という場面を何回か経験したことがあります。このような、裁判官による訂正要求など、訴訟法のうえでは全く不要のはずですが、裁判官の心理としても、「求刑」は「量刑の上限」という意識があってこそ、かかる措置に出ていたのでしょう。

 このような経過もあり、裁判員制度実施前は求刑超えの判決というのは、レアケース中のレアケースで、むしろそのような判決は刑事訴訟法の当事者主義に反するのではないかという議論もあったと思います。

 ところで、裁判員裁判ですが、制度設計の段階から、裁判員の量刑関与の是非は議論の一つでした。制度反対論者は、裁判員の当たり外れで被告人の量刑に不公平が生じる点を懸念していました。

 結局、立法の段階では、健全な国民常識を直截的に司法に反映させる以上、量刑にも裁判員を関与させるべきだということになりました。量刑の不安定性に不安はあるものの、「裁判員裁判においては、量刑にも国民の視点や感覚が反映されることになる結果、最終的な量刑は従来より重い方にも軽い方にも広がることが当然に想定される」として、量刑のバラツキは裁判員裁判ではやむを得ないものとして、最高裁もこの点はいったん開き直ったのです。

 こうした開き直りにも関わらず、裁判所は、制度実施前時になるや、従来の判例から導かれる「量刑データベース」なるものを作成します。こうした最高裁の動きに対しては、「オイオイ、国民の感覚の反映ではないのかよ」との皮肉も聞かれました。

 そして2009年5月の制度実施。やはり始めてみると、裁判員裁判の量刑はバラバラです。「軽の上限を画する」機能を果たすべき「求刑」超えの判決も多数出てきました。こうなると、どうしても黙っていられないのが最高裁。2013年10月20日には、司法研修所から「裁判員裁判における量刑評議の在り方について」(法曹会)との本を出させました。この本の趣旨は、「量刑を決めるのが裁判員であるとしても、『量刑の本質』に関する判断はあくまでも裁判官の専権事項であり、この点はむしろ裁判官から裁判員に一方的な説明をしてもよい」、というところにあります。つまり、裁判員に一応は量刑判断をさせてやるのだが、その基本となる考え方は官の方で決めますよ、というもの。

 そこまで言うのなら最初から裁判員に量刑判断をさせる意味はないのでは?と考えるのは筆者のみではないでしょうが、最高裁は、ともかくも、このような考え方を全国の裁判所に周知せしめたはずです。

 にもかかわらず、やはり減らない求刑超えの判決。「あんな本まで作って配っているのにオマエら何をやっておるか」との最高裁の号令のもと、全国の地裁で検証を実施することになった…というのが冒頭の読売記事の実態と思われます。

 「国民の視点や感覚を」と言ってみたり、「量刑の本質に関することは官が決める」と言ってみたり、迷走を続ける最高裁はいったい何をしたいのでしょうか。

 裁判員裁判により国民に参加してもらった形は整えたい、しかし、従来の枠組みを壊すような判決がぽこぽこ出てきては困る、では評議で国民をうまく説得できるようにスキルを磨こう…そんなところなのでしょうか。

 まさに形だけ、参加したことにさせられている国民はたまったものではありません。もちろん、裁かれる被告人も。

一日も早い制度の廃止を!011241

 

投稿:2014年2月1日