~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
3月31日の今日、竹﨑博允最高裁長官が7月の定年を待たずに退官。明日4月1日には寺田逸郎氏が新長官に就任する。
一言で言えば辞める竹﨑さんが超々エリートで、後任の寺田さんは超エリート。
そう2人ともただのエリート裁判官じゃないけど、2人を比べればこれはこれで結構違うのよ。
なんで?竹﨑さんのお父さんも裁判官と聞いたが、寺田さんは親子二代の最高裁長官、寺田さんの方が超々エリートだろ?
ホントに鳥の浅知識ね。お二人の裁判官人生をちょっと振り返ってみましょうか。
まず寺田さん。この人は1948年1月9日生まれ、74年4月東京地裁判事補となり、76年にコロンビア大学ロースクール(LLM)に官費留学。77年7月札幌地裁家裁、80年4月大阪地裁、81年4月法務省民事局付、85年2月に在オランダ日本大使館一等書記官として外務省に出向、88年4月法務省に戻り民事局参事官に。3年の外務省勤務を経てここから延々20年におよぶ法務省のお役人生活が始まるの。骨の髄まで政府の要人っていう訳。92年4月に民事局4課長、翌年7月同3課長、96年4月同1課長、98年6月法務省秘書課長、このあたりは法務省内のランクというか権力順位が分かるわね。そして、2001年12月大臣官房司法法制部長になって裁判員制度の設計に携わり、05年1月には法務省民事局長、裁判員制度実施準備中の07年7月に裁判所に再上陸して東京高裁部総括判事、08年9月にさいたま地裁所長、制度実施年度の10年2月には広島高裁長官に。広島高裁長官っていうのは全国の高裁長官の中では低いランクで、普通はここの長官で裁判官人生は上がりなんだけど、超エリートの寺田さんはここに10か月しかいないでしぶとく同年12月に最高裁判事になったのよ
竹﨑さんは1944年7月8日生まれ、司法修習の時から将来は最高裁長官と見られていたようですね。69年4月東京地裁判事補、70年にコロンビア大学ロースクール(LLM)に官費留学。72年4月広島地裁、74年4月に司法研修所付となり、77年4月に鹿児島地裁家裁名瀬支部へちょいと出たの。遠隔地勤務っていうのは実は隠れエリートコースなんですって。で、翌年4月にはさっさと東京地裁に戻り、ここからはすべて中央勤務。人生動線は三宅坂と霞が関の間だけ。翌79年4月に東京地裁判事、81年4月司法研修所教官、82年4月最高裁総務局第2課長兼第3課長、82年8月総務局第一課長兼制度調査室長、88年7月東京地裁に出て、90年3月東京高裁事務局長、93年11月東京高裁判事、94年4月東京地裁判事部総括、1997年3月最高裁経理局長、2002年7月最高裁事務次長、同年11月には事務総長、06年6月ここでちょっとだけの動線伸ばしの名古屋高裁長官、でも在任たった8か月で予定どおり翌年2月には東京高裁長官、そして裁判員裁判が始まる直前の08年11月25日に、最高裁判事を経験しないまま(つまり14人抜きで)最高裁長官に就任。
あのお、最高裁事務総長って、裁判官の人事権を握る最高権力者で、長官に次ぐ最高裁の本当の支配者とかって聞いたことがあるけど。
違うわね。事務総局の力は絶大だけど、事務総長自体のランクは高裁長官の下になるようね。
ふーん。寺田さんは「ミスター法務省」と言われたけど、超々エリートの竹﨑さんはどこかに出たこともほとんどなく、裁判官のキングロードをまっすぐ歩いていたってことなんだ。で、寺田さんは01年から05年まで法務省の司法法制部長として裁判員制度の設計に携わり、竹﨑さんは02年から06年まで最高裁の事務方の責任者として裁判員制度を推進してきた。2人は裁判員制度を推進した極悪の有責当事者って訳か。
よくわかりましたね。さて、竹﨑さんは1988年、矢口洪一最高裁長官(当時)の命をうけ陪審制を観察する特別研究員としてアメリカへ派遣されたんだけど、帰国後に彼が出した報告書は陪審制を徹底的に批判するものだったのよ。
そこは宮仕えの能吏だから。自分の思想信条とは別でも仕事ならやってしまう。竹﨑さんは、「裁判員法成立後は裁判員制度を利用することで司法に国民の信頼をつなぎとめようと考えるようになった」とか。でもこの急転換がこの制度の最大の暗部ね。
けっ、その矢口長官っていうのは、「戦後司法界の画歴史的な大物」とか言われた人だよね。裁判官の増員を進言した人事局長に、「忙しいからといって人事局長を2人にしろとは言わないだろう。2人にすれば価値は半分だぞ」と一喝したって話を読んだことがある。足りぬ足りぬは努力が足りぬってか。弁護士だけ激増させてどうするんだ。
その超々エリートの竹﨑さんが「健康上の理由」で今日退官するんだ。今年5月2日には裁判員制度の順調ぶりをどう言うか手(羽先)ぐすね引いて待ってたら、退任記者会見で「比較的順調」だとさ。「比較的順調」っていうのは初めて聞く言葉だよ。「健康」って言われれば「良かったね」って応えられるけど、「比較的健康」って聞いたら「どこが悪いの」って言いたくなるよね。健康上の理由で仕事を辞めるっていう順調吹聴男の竹﨑さん、聞いてるかい。
飛び入りの「みんなの声」欄常連のとらっちさん
いやいや、原因は『裁判員のあたまの中はかなりヘンである』コレですね。インコには想定内でもワシには想定外じゃった(それがグヤジイ)、推進して出世した手前、まさかこんなことになるとはなんて言えず「健康上の理由」。退職金も満額だし、制度推進の後任も決まったしお花見楽しみだ~、でね? 裁判員に裁かれる被告人が気の毒で少しばかり心が痛むが、とりあえず後は野となれ山となれ、でね?
そうかもしれない。最高裁の超々エリート長官が裁判員制度廃止で傷ついたりしないよう健康上の理由で退官して、5月には超エリートの長官が「裁判員制度は廃止します」と言うかも。こりゃ楽しみだね。
投稿:2014年3月31日
3月29日付け『朝日新聞』の「記者有論」欄に、渡辺雅昭さいたま総局長による「最高裁長官退任 改革への意思 受け継いで」なる記事が掲載されています。この人は元論説委員です。
「竹﨑博允最高裁長官が3月末で退官する。十数年にわたり最高裁事務総局の幹部、長官として、強い指導力で司法制度改革を押し進めてきた。裁判官や職員に対し、裁判のあるべき姿を追求し、そのために何をなすべきかを考え、実践するように求めてきた」と。
渡辺雅昭なる人物。裁判員制度にからんで記憶のある方もいるでしょう。制度宣伝の方策に関する意見を聞きたいと最高裁が設けた「裁判員制度広報に関する懇談会」の正式メンバー、懇談会の言論界出身の唯一のメンバーだったんですね。
そんなことをしていたら制度を客観的に論じられなくなるという批判が当時社の内外にありました。そして現実は批判されたとおりになりました。朝日新聞は裁判員制度の批判をしないどころか、制度推進の旗振り役を買って出た。以来、朝日の現場の記者は「制度推進はわが社是です」などと自嘲して言うようにもなりました。
裁判員法が成立した2004年の7月から始まったこの懇談会。彼は、裁判員制度を国民に知らせ理解させる方法論について、最高裁の大会議室で、何年にもわたって竹﨑最高裁長官(当時は事務総長)たちと親しくお喋りしていました。懇談会のテーマは2009年の裁判実施までの間、この制度をどう国民に知らせるかということでした。この人にはジャーナリストを名乗る資格はない、と思うインコ。
ちなみに、懇談会の民間委員は、ミステリ作家の篠田節子氏、心理療法や心理学の学者平木典子氏、博報堂生活総合研究所の客員研究員藤原まり子氏、元自治事務次官で財団法人自治総合センター理事長などをつとめる吉田弘正氏、そして渡辺雅昭氏。対する裁判所委員は竹﨑事務総長以下6人の裁判官資格を持つ事務総局メンバーたち。不人気の制度環境を何とか巻き返し、国民に制度を「正しく」理解させるにはどうしたらよいのか、物書きや心理学の専門家や広告宣伝のプロや天下り元お役人など、お知恵を拝借したいと頼まれた人たちのど真ん中にメディア代表として鎮座していたのがこの人なのです。
「記者有論」の記事に戻りましょう。「裁判員制度。順調に滑り出したが、子細に見ると…」と来た。おーい、裁判員制度のどこが順調に滑り出したんだって? 「順調」は長官と朝日のおそろいのはっぴに刷り込まれている「家紋」なのだけれども、「子細に見ると問題があった」が「順調な滑り出し」って言ったら、たいていの人は「ん?」となりますよ。
氏は、「手間がかかっても大切な話はその人を法廷に呼んで直接聞くのが本来の姿だという長官の問題提起は的を射ていた。しかし嘆かわしいのは長官が言い出すまで現場から声が上がらず、トップの意向が伝わったら今度はみんなが同じ方向に一斉に走ったことだ」と言っています。全然わからん。
長官の問題提起が的を射たものだったら、現場が一斉に同じ方向に走ってどこが悪い。褒めてあげてもいいじゃないか。あっち行ったりこっち来たりもたもたうろうろしている方が良いってか。そこがそもそもおかしいのだけれど、裁判員裁判の現場が実際どういうことになっているかを考えてもまるっきりおかしい。裁判員裁判では公判前整理手続きで決められた証人しか調べない。「私にはよく聞こえなかったが、弟が窓際にいたので、もっとよく聞いていたと思う」という証言が法廷で飛び出しても、公判前整理の中で弟を調べることになっていなかったから、なーんもしないで公判審理は終わりましたね。
裁判員裁判の現場っていうのは、大切なことを知る人を法廷に呼んで直接聞く裁判になっていません。長官も渡辺氏もその現実をこそ考えなきゃならんのでしょう。「現場が一斉に直接ちゃんと聞こうなんていう方向に走り出して」なんかいないし、「さっさと審理を終えてしまおうという方向ならそれこそ現場は一斉に走り出して」いますよ。渡辺氏が何を言おうとしているのかが、まるでわからないということですね。
渡辺氏は「憲法は『裁判官は、良心に従い独立して職権を行う』と定めているし、自分の頭で考え自分の足で立つという、上意下達や思考停止からもっとも遠い世界であるべきなのに、現実との間には溝がある」とも言う。渡辺氏は竹﨑氏の大号令方式に問題があると少しは思っているのだろうか。だったらなぜ「自分の頭で考え自分の足で立つという、上意下達や思考停止からもっとも遠い世界に向かえ」とはっきり言わないのか。言えない関係が彼とあなたの間にあるのか。実際には竹﨑退官報道の陰には、彼がヒラメ裁判官を増やし、長官の意に沿う人がやたらに出世しているという話が広がっているというのに。
最高裁は、2011年11月、上告趣意にない苦役違憲論を勝手に上告趣意にでっち上げ、大法廷で合憲判決を出した。現在争われている「裁判員ストレス障害国賠訴訟裁判」では、原告代理人弁護士は、「最高裁の裁判官たちは、立法府などの専横から国民の基本的人権を守る責務を負っているのに、大法廷判決(竹﨑長官が裁判長)は職権を完全に濫用した。裁判員制度を実施して国民を強制的に裁判員の職務に従事させれば、裁判員を経験させられた者は心的外傷を受けることがあると知りながら制度推進という政治的目的のもとに虚偽の上告趣意を作出して合憲判断の判例化を策謀し、下級裁判所の裁判官たちに『裁判員法は違憲』の判断を下しにくくして、制度の強引な運用と定着を追求した。このことは裁判員の職務遂行を強要された原告に厳しい心的外傷を与える原因になった」と断じています。
ストレス国賠訴訟を知らないはずのない渡辺氏が、この裁判に触れないばかりか、裁判員裁判の問題に何一つ触れることもなく、「竹﨑長官の意思を受け継いでいけ」などと言う。この論説は、「裁判員制度推進は社是」という社内と絶望の最高裁に向けた矛盾だらけのエールではあっても、読者の市民に向けた真摯なメッセージでは絶対にない。
投稿:2014年3月30日
「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けた。証拠は捏造されたと考えるのが最も合理的。このような証拠を捏造する必要性と能力を有するのは捜査機関だけ。刑事司法の理念からは到底耐え難く、拘置をこれ以上継続することは正義に反する。一刻も早く袴田の身柄を解放すべき」。袴田事件の再審決定(静岡地裁)は大英断・大勇断でした。インコはほっとしました。
でもでも、終わりよければすべてよしなんてことは絶対にない。 袴田事件は初めから強く疑われてきたのです。証拠がねつ造されてるって言われ続けてきて、それを無視し続けてきた歴史があります。「絶望の裁判所」の45年史はどんなに批判しても批判し足りない。「罪万死に値す」です。DNA鑑定の科学の力だなんて冗談じゃない、科学のレベルが低かったら人を死刑にしても仕方がなかったように言うんじゃない。
1審の静岡地裁の左陪席だった熊本典道さんは無罪を確信していた。DNAは関係ない。石見勝四裁判長に「あんた、それでも裁判官か」とくってかかり、「あんたが書けよ」とまで言った。でも裁判長の指示で結局死刑判決を書かざるを得なくなる。「自分は人殺し」。自身をさいなみ、裁判官を辞職、生涯をかけた雪冤の闘いに立ち上がった。
死刑判決を言い渡した地裁の判決文の中に次のくだりがあります。判決当初から「裁判官の合議が分裂していたのでは。袴田さんの有罪に反対した裁判官がいたのでは」と強く疑われた理由になったところです。
「捜査官は、被告人を逮捕して以来、専ら被告人から自白を得ようと、極めて長時間に亘り被告人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠ったため、結局は、『犯行時着用していた衣類』という犯罪に関する重要な部分について、被告人から虚偽の自白を得、これを基にした公訴の提起がなされ、その後、公判の途中、犯罪後一年余も経て、『犯行時着用していた衣類』が、捜査当時発布されていた捜索令状に記載されていた『捜索場所』から、しかも、捜査官の捜査活動とは全く無関係に発見されるという事態を招来した」
「本件捜査のあり方は、『実体真実の発見』という見地からはむろん、『適正手続きの保障』という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する。」
しかし、以後、すべての裁判所が袴田さんを有罪と断定し、袴田さんの無罪主張を退けました。どの裁判所も裁判官も「証拠の偽造」に論及せず、検察の言うことをすべてそのまま認めてきたのです。この腐りきった裁判所の姿勢が検察をいっそう腐敗堕落させ、「証拠は捏造しても裁判所はかならず救ってくれる」という異常思考を検察思想のど真ん中にすえてきたのです。大阪地検特捜部の証拠捏造検事の事件はその典型的な一例。長く続いたこの国の刑事司法の腐敗(不敗)の異常な伝統の所産です。
今回の再審開始決定にマスコミはよかったよかったとひたすら祝賀していますが、それは完全な間違いです。恥ずべきことです。うれしがっていただけでは間違った仲間の中に私たちも入ってしまいます。もっともマスコミは冤罪に加担しているのですから、間違った仲間なのでしょう。「この国の刑事司法が正統なものであることを国民に教育すること」が裁判員制度導入の主目的だと当局は言い続けてきたことをご記憶でしょう。証拠偽造を隠蔽して何が司法の正統性ですか。本当のことを言えば、腐れ司法が裁判員制度を作っているのです。
話を進めましょう。袴田さんを死刑台に送り込もうとした裁判官たちは誰と誰だと尋ねる声があちこちから聞こえてきます。インコは調べて見ました。調査能力の限界をお詫びしつつ、怒りの速報をいたします。みなさんの情報提供で適宜改訂させたいので、ご協力下さい。(日付~職名)とあるのはその日付から現職にあることを示します。△は故人ですが、キミたち死んでも許されないよ。
1審 静岡地裁 1968年9月11日
無実の袴田さんに死刑判決
裁判長:△石見勝四
裁判官:△高井吉夫
控訴審 東京高裁 1976年5月18日
袴田さんの控訴を棄却して死刑維持
裁判長:△横川敏雄(1994年死亡。1977年札幌高裁長官を最後に退官。後に早稲田大学客員教授。「フィロソフィの確立を。裁判官は絶えず動揺し時には暴走する世論に動かされてはならない。裁判官には独善・偏狭などと批判される余地のない物の見方・考え方とこれにもとづく良識が要求される」と主張)
裁判官:柏井康夫
裁判官:中西武夫(2002年11月15日東京高裁部総括判事で退官)
上告審 最高裁第二小法廷 1980年11月19日
袴田さんの上告を棄却して死刑維持
裁判長:△宮崎梧一(1948年第一東京弁護士会に登録。80年に最高裁判事に就任。84年に退官して再び弁護士に。2003年3月死亡)
裁判官:△栗本一夫(1982年退官。92年11月死亡)
裁判官:木下忠良(1986年退官)
裁判官:△塚本重頼(1992年4月死亡)
裁判官:△塩野宜慶(2011年1月死亡)
再審請求審 静岡地裁 1994年8月8日
袴田さんの請求を棄却して死刑維持
裁判長:鈴木勝利(2000年12月宇都宮家裁所長で退官)
裁判官:伊東一廣(11年4月~津地家裁四日市支部長、四日市簡易裁判所判事)
裁判官:内山梨枝子(12年4月~大阪高裁判事、大阪簡易裁判所判事)
再審請求棄却に対する即時抗告審 東京高裁 2004年8月26日
袴田さんの即時抗告を棄却して死刑維持
裁判長:安廣文夫(09年8月23日東京高裁部総括で退官)
裁判官:小西秀宣(14年3月26日東京高裁部総括で退官)
裁判官:竹花俊徳(12年10月19日~川口簡易裁判所判事)
即時抗告棄却に対する特別抗告 最高裁第二小法廷 2008年3月24日
袴田さんの特別抗告を棄却して死刑維持
裁判長:今井功(2009年12月26日退官、10年4月弁護士登録、第一東京弁護士会所属・TMI総合法律事務所顧問弁護士、13年3月まで東北大学法科大学院客員教授)
裁判官:津野修(2002年内閣法制局長官退官、03年弁護士登録、04年2月最高裁判事、08年10月19日退官。弁護士再登録・第一東京弁護士会所属。原・植松法律事務所)
裁判官:中川了滋(1997年第一東京弁護士会会長、2005年1月19日最高裁判事、09年12月22日退官。弁護士再登録・第一東京弁護士会所属。丸の内仲通り法律事務)
裁判官:古田佑紀(2004年12月10日まで検事。退官後の05年8月2日最高裁判事、12年4月8日退官)
【インコのうんちくその1】
袴田事件は日弁連が再審支援している事件の一つ。その日弁連出身の弁護士が裁判官になって再審請求の切り捨てにいそいそと加わっている。そしてこの人たちも退官すればまた弁護士に戻る。日弁連の再審支援に賛成していないと見込まれて任官できた半端弁護士(失礼!)でも、また弁護士にさせてくれって言うんだね。そして言われると日弁連はほいほいって加入させるんだね。どうなっとるんだ日弁連は。
【インコのうんちくその2】
死ねばもう非難されないなんてことはありません。人は、死後、初七日から三回忌まで十王による裁判を受けます。鬼籍に入った元裁判官たちは十王のお裁きを順次受け、もう刑が確定している人もいるようで。まだ生きている人たちは首を洗って待っていなさい。
1審 初七日 秦広王(不動明王)
2審 二七日 初江王(釈迦如来)
3審 三七日 宋帝王(文殊菩薩)
4審 四七日 五官王(普賢菩薩)
5審 五七日 閻魔王(有名な閻魔大王。元人間の地蔵菩薩)
6審 六七日 変成王(弥勒菩薩)
7審 七七日 太山王(例の四十九日。薬師如来)
8審 百か日 平等王(観音菩薩)
9審 一周忌 都市王(満1年、勢至菩薩)
10審 三回忌 五道転輪王(満2年、阿弥陀如来)
死後の裁判はじっくり10審まで。普通は49日で転生が決まるので、8審からが再審かな。かっこの中の菩薩や如来は十王と表裏一体、つまり十王の化身でアメとムチのセット。でも日本という国の刑事司法はムチばっかり。
投稿:2014年3月30日
3月31日に退官する竹﨑博允最高裁長官が3月24日に退任会見を行い、翌25日朝、マスコミ各社がいっせいに報道した。主要各紙の報道ぶりには、社風、社是を反映してかなりの差がある。取材記者のセンスもリアルに反映している。各紙の報道内容を心を込めて紹介し、すこしばかり選別のご挨拶を送ることにする。
なお、新聞各社は「竹崎博允」と記載していますが、正確には「竹﨑博允」です。
竹崎最高裁長官「体力、気力とも限界に」 退官控え会見
退任の竹崎長官「全力尽くした」最高裁
定年を待たず31日付で依願退官する竹崎博允(たけさきひろのぶ)・最高裁長官(69)が24日、記者会見し、「体力的にも気力の面でも限界に達した。この職にある限りは全力を尽くすべきだと考え、退官を決意した」と心境を語った。長官が任期途中で退官するのは異例だが、「心残りはない」と約5年4カ月の在任期間を振り返った。
先月26日、最高裁が「健康上の理由」から、定年の7月を前に退官すると発表してから、竹崎氏の会見は初めて。病状や体調は「いくつも病気を抱えたまま就任し、健康面ではずっと低空飛行を続けてきた」と説明するにとどめた。
5月で導入から5年となる裁判員制度の設計段階から中心的役割を担ってきたが、「裁判員の問題意識や感覚に応える審理や評議を実現しなくてはいけない。さらに試行錯誤を重ねる必要がある」と指摘。集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更についての見解も問われたが「裁判官は具体的な事件を離れて、憲法上の問題について見解を述べられない。回答を差し控える」と述べた。
後任には、竹崎氏の推薦に基づき、寺田逸郎・最高裁判事(66)が決まっている。寺田氏については「多彩な経験を持ち、柔軟な思考力とバランス感覚を併せ持っている」と評価した。
(青字はウェブニュースのみ。本紙ではカット)
いくつも病気を抱えたまま就任し、健康面ではずっと低空飛行を続けてきた。体力気力の限界」と。何と体調が悪いという話ばかり。無理をし過ぎたのだろう、よほど疲れたんだねぇ。だが、ひとこと聞かせてほしい。ウェブニュースでは触れている裁判員制度のことが、紙面ではまったく出てこないのはどういうしてだ? 後任の寺田逸郎新長官の評もカット。社運をかけて裁判員制度を推進してきた朝日としては、目もあてられない制度の現状を前にして、紙面には残したくなかったのだろうか。それにしてもここまでのばっさり切り捨てには驚くほかない。
それに「体力、気力とも限界に」と「全力を尽くした」の見出しも随分と受ける印象が違う。ウェブニュースを書いた記者とこれをカットした人(デスク?)は、双方共に裁判員制度の破綻をよくよく知っているに違いない。
法律家はさらに技術磨くべき…退官の最高裁長官
健康上の理由から3月いっぱいで退官する竹崎博允ひろのぶ・最高裁長官(69)が24日、東京都千代田区の最高裁で記者会見し、「裁判員制度が順調に運営されており、心残りはない。晴れ晴れとした気持ちだ」と約5年4か月の在任期間を振り返った。
2009年5月に導入された裁判員制度が円滑に進んでいる理由について、竹崎長官は「国民の理解と協力が得られ、裁判官、検察官、弁護士がかつてなく協力し合った」と強調。一方で、裁判員の問題意識を反映した審理、評議が不十分な面もあると指摘し、「法律家は試行錯誤を重ね、さらに技術を磨くべきだ」と注文を付けた。
後任の寺田逸郎・最高裁判事(66)については、20年以上に及ぶ法務省の勤務経験などを評価し、「裁判官離れした行政手腕とバランス感覚を併せ持ち、就任は司法にとって大きな意義がある」と述べた。
こちらは裁判員制度オンパレード。この違いは何だ。「裁判員制度は順調に運営。円滑に進んでいるのは国民の理解と協力が得られ、裁判官・検察官・弁護士がかつてなく協力し合ったから。課題は裁判員の問題意識を反映した審理、評議。法律家は試行錯誤を」と。長官は裁判員制度のことしか言わなかったように読める。でも実体がそんな美しい言葉で説明できる状況にないことは誰よりも国民自身がよく知っている。何も知らされずものを言い続ければ疲れもしよう。寺田逸郎新長官は「裁判官離れした行政手腕とバランス感覚。司法にとって意義」だと。つまり行政に唯々諾々とすり寄るリーダーってことじゃないか。
最高裁「司法改革進んだ」竹崎長官が退任会見
健康上の理由により31日で退官する竹崎博允(ひろのぶ)最高裁長官(69)が24日記者会見し、在任期間の約5年4カ月を「裁判員制度開始など司法制度上で特筆すべき改革が進められた」と振り返った。7月の定年を前にした退官については「体力、気力とも限界。この職にある限り全力を尽くさないといけないと思い、決意した」と説明した。
就任半年後の2009年5月に始まった裁判員制度には、制度設計時から携わった。間もなく丸5年を迎えるのを前に「法律家が自分たちの考えを裁判員にどう伝えるかに意識が向いている。裁判員の問題意識や感覚を受け止め、それに応える審理や評議を実現しなければ」と法曹三者に注文を付けた。
後任の寺田逸郎(いつろう)最高裁判事(66)については法務行政経験の長さなどから「非常に多彩な経験を持ち、柔軟な思考力を備えている」と評価。「裁判所に提示される問題は一段と困難になっており、そうした方が長官に就くのは大きな意義がある」と述べた。
タイトルは「司法改革進んだ」。ちなみにウェブニュースのタイトルは、ずばり「裁判員制度、特筆すべき改革」。在任期間に裁判員制度など特筆すべき改革が進められたと自賛。「法曹三者は裁判員の問題意識や感覚に応える審理や評議の実現を」。で、「体力、気力とも限界。全力を尽くせなければ退官」しかない。「多彩な経験を持つ寺田新長官は柔軟な思考力の持ち主、裁判所が求められる困難な問題にうってつけ」。まるっきりわかっていない。これでは現場の裁判官たちも体力、気力が失せるだろう。それにしても「司法行政の経験が豊富な新長官はよろしい」って言ってるってことは司法の独自性なんて頭の中にないってことじゃないか。
「心残りはない。晴れ晴れとした気持ち」 竹崎最高裁長官が退官会見
3月末で退官する最高裁の竹崎博允(ひろのぶ)長官(69)が24日会見し、「全ての力を出し尽くしたという思いがあり、心残りはない。ようやく重い責任から解放されるという晴れ晴れとした気持ちが強い」と、約5年4カ月に及ぶ在任期間と約45年間の裁判官生活を振り返った。
今年7月の定年を前に退官する竹崎氏は「体力的にも気力の面でも限界に達した」と説明。「この職にある限りは全力を尽くさなければならないと考え、退官を決意した」と話した。
間もなく丸5年を迎える裁判員制度について「これまで比較的順調に運営できているのは、国民の理解と協力が得られているのが最大の理由」とし、「協力していただいた裁判員の方々に感謝と敬意の念を表したい」と話した。今後は「裁判員の問題意識を受け止め、これに応えていく審理、評議を実現していかねばならない」とも述べた。
後任の寺田逸郎氏(66)については、「多彩な経験を背景に柔軟な思考力、優れたバランス感覚などを併せ持ち、こうした卓越した能力を備えた人が長官職に就くことは、司法にとって極めて大きな意味を持つ」と期待を込めた。
「すべての力を出し尽くし」て制度がこの現状なら、もうだめだっていうことじゃないですか。「まだまだ力はあるが後に続く者たちにさらに力を出してもらおうと」とか何とか、もう少しましなことが言えないのか。言えないってところが、破綻の相を見せているってことでしようね。これで気持ち晴れ晴れになっちゃいけないんだよ。「制度は比較的順調」って言ったと。その言葉を使った全国紙は産経だけだが、これはおもしろい。比較的順調ってどういうこと? そんな言葉はそもそもあるのかしら。順風満帆ではないっていうことなんでしょうかね。定着とか順調とかいう言葉しか使ったことのなかった男がこんな物言いをすると、「ついにホンネが」とか、「人の死せんとするや…」とかそんな台詞が思い浮かばれてしまうね(イヤ失礼)。
竹崎最高裁長官が退任会見 「裁判員制度、長い目で評価を」
竹崎博允・最高裁長官(69)が31日の退官を前に24日、記者会見し、裁判員制度について「裁判員の問題意識を裁判官が受け止め、応えていかなければならない。成長過程の制度。長い目で評価してほしい」と述べた。
竹崎長官は2008年11月、最高裁判事を経ない異例の抜てき人事で長官に就任。裁判員制度には制度設計から関わり、長官在任中も定着に尽力した。会見では「順調な運営は国民の理解と協力があったからこそ」と謝意を述べた上で、「わが国の司法制度上、特筆すべき改革だった」との自負ものぞかせた。
後任の寺田逸郎・最高裁判事(66)について「多彩な経験と柔軟な思考、バランス感覚を備え、行政手腕も裁判官離れしている」と評価した。
退官は健康問題が理由。「いくつもの病気を抱えて就任し、何度か入院して健康面では低空飛行で続けてきた」と明かし、「ようやく重い責任から解放される」と率直な心情も吐露した。
タイトルは「裁判員制度『長い目で』」ときた。「成長過程の制度、長い目で評価してほしい」と記事中に。退官に当たってついに順調論をやめたと見える。だが、「天下の順調論男」が漏らした「現状に問題あり論」の中身は、裁判員の問題意識を裁判官はもっと受けとめよという話らしい。かねてから市民の判断の不確かさを言いつのってきたこの男が言う「裁判員の問題意識の重視」論には、現場は戸惑い反発するばかりだろう。「いくつもの病気を抱えて就任し、何度か入院して健康面は低空飛行」。やっぱり、制度とキミの健康はクルマの両輪みたいな関係だったんだよ。そう、キミの身体もこれからは「たぶん順調」さ。
竹崎最高裁長官 裁判員制度「順調」退官会見
今月末に健康上の理由で退官する最高裁の竹崎博允長官(69)が24日、記者会見し、今年7月の定年まで3カ月を残しての退官に「体力、気力の面で限界に達した」と語った。竹崎長官は2008年11月、最高裁判事を経ず長官に就き、09年の裁判員制度開始を指揮した。在任期間は、歴代4位の5年4カ月に及んだ。
竹崎長官は会見で裁判員制度について「国民の理解と協力が得られ、順調に運営されていると言っていいかと思う」と評価。一方で「裁判員の問題意識や感覚に応える審理や評議を実現しなければならない」と課題を挙げた。退官理由の「健康上の理由を詳しく教えてほしい」と問われると、具体的な病状への言及は避けつつ「いくつもの病気を抱えたまま就任し、健康面でずっと低空飛行を続けてきた」と明かした。
タイトルは「竹崎最高裁長官 裁判員制度『順調』」。順調にかっこがついた。竹﨑長官は順調と言っているが、という口ぶりだ。制度を推進してきたマスコミからさえこのように見られるようになったことが制度の終焉をよく示している。記事の内容は裁判員制度のことと自身の体力のことだけ。制度については「順調に運営されていると言っていいかと思う」という、何とも中途半端な言い方。産経の「比較的順調」も、長官の奥歯に物の挟まった発言から出てきた言葉だろうが、東京は一歩進んで疑問符を突きつけたようなもの。それにしても「裁判員の問題意識や感覚に応える審理や評議を実現せよ」とは、具体的に言うと何をせよということか。現場の実情をキミは本当に知って言っているのか。知らずに言うのは不遜だし、知って言っているのなら、この国の刑事裁判を破壊するキミはA級戦犯だよ。
投稿:2014年3月26日
裁判員制度はいらないインコ
マネージャーが『裁判員のあたまの中』というインコとしては正直読みたくない本の内容をまとめた文章を持ってきた。それが(前編)である。インコは、最初の元裁判員の感想を読んだだけでぐしゃっと潰してゴミ箱に放り込みそうになった(本当はゴミ箱に一度は捨てた。けれどマネージャーの怖さを思い出し、そっと拾い出した)。マネージャーからこのまとめに対する感想を書くように言われていたのだった。
インコはくちばしを食いしばって読んだ。それはそうしなければどうしても読めない代物だった。
読者のみなさんは、(前編)を読まれてどのように思われただろうか。インコは本当はそれが一番知りたい。裁判員候補者の出頭率が激減している中で、「それでもボクは裁判員をやりたい」という「居残り組」というのは一体どんな人たちなのか。インコは、「人を裁いてみたくて仕方ない人、ヘンなことにやたら好奇心を持つ人、国の言うことには無条件で従う人」になっているのではと思っていたが、その予想は完全に当たっていた。いや、当たっていたなんてもんじゃない、あまりにも当たりすぎていて、そら恐ろしい感じがして…
「人を裁くことに対する恐れの気持ち」がまるでない人たちがここにいる。そして裁判という国家の大事に実際に関わっている。多くは好奇心やゲーム感覚で人を裁いている。人の人生を左右することを楽しんでいるかのようだ。死刑事件でもタダでもやりたいとか、お金を払ってでもやってみたいという人がいる。達成感があったという人、ひとつやってやろうじゃないかと思う人もいる。選ばれて心中「ふふふっ」と笑った人もいる。こんな人たちが裁判員になることを最高裁は予定していたのだろうか。竹崎長官の言う「定着」とはこういう状況を指すのか。
「自分も家族も変わった。家族の会話に犯罪や裁判のことが加わった」と喜ぶ人の言葉を読んで、そうなるだろうと最高検察庁の幹部が言っていたのを思い出した。「昨日までの自分とは変わる」と最高裁や法務省が出した新聞全面広告も思い出した。しかし、そういう元裁判員が「事件がフラッシュバックして調子が悪く、サポート窓口も対応してくれない」と言っている。自分が傷ついているのである。だがこの人はその自分が被害者だとは思っていない。「死を直視することに慣れておく教育が必要。そうしておかないとPTSDになってしまう」と言うのだから。どうして自分たちがそんなことをしなければならないのかという疑問を持たない不思議。「国が決めたこと」にひたすら従い、自ら傷つきながらも制度を受け入れる世紀末的異様さ。
死刑判決に関わった人の中には、被告人に黙秘権を認めることに疑問を持ち、自分たちの判断に不満を言ったり控訴したりすることを批判する人もいる。たぶん、この人たちは黙秘権の意味をまったく理解していないだろう。国連人権委員会から「死刑判決は必ず上訴審の判断を仰ぐことにせよ」と求められていることももちろん知らないだろう。 そこにあるのは、自分たちの判断が疑いの目で見られたり、不服を主張されたりしたくないという不遜な思いだけだ。
もっとも、数少ない元裁判員だが、「裁判員に負担を追わせるのはいかがか」とか「またやる自信はない」とか「裁判官の出来レースに乗せられていた」というような感想や意見を述べる人がいる。このような企画本の中にもそういう声が登場してくるところにこの制度の問題性が滲み出ている。
この本に登場してくるほとんどの人たちは「破れかぶれの逆版ヘンリー・フォンダ」ばかり。考えてみればこの本を出した「現代人文社」は、『裁判員裁判を楽しもう』という本を出して顰蹙を買った出版社。こういう人たちがいればこういう出版社もあるという組み合わせの妙。
ほとんどの国民が裁判員になるのを嫌がっている。だれもが気にしているそのことにこの人たちが一言も触れないのはなぜだろうか。この本の編著者がそのような感想や意見をすべてカットしたのかもしれないが、どちらにしても不可解。多くの読者が一番知りたかったところはそのあたりだったのではないか。
とにかく、これはヘンな人たちによる、ヘンな人たちのための、ヘンな本である。
投稿:2014年3月22日
インコのマネージャー
インコが1月15日のトピックス「もう提灯記事は読みたくない」で触れた『裁判員のあたまの中 14人のはじめて物語』という本、そこまで言うなら本自体を読まなければダメだろうとインコに言ったのですが・・・インコ「ぜったい絶対イヤだ。読んだら腹立つに決まっている」と。仕方がないので、私、インコのマネージャーが本を読んで取りまとめ、その取りまとめをインコが読んで突くことでお互い妥協。
という訳で今回は私の「本の取りまとめ」、次回「インコが突く」です。
編著者は短大中退後10数種の仕事を経験し、この本を出した昨年11月には不動産業者だと略歴にある(その後にまた変わっているかもしれない)。『裁判員裁判を楽しもう』など制度生き残りのお先棒担ぎ出版社「現代人文社」の本。登場する14人はどういう人たちなのか。その発言を通して彼らの人物像に迫ってみたいと思います(敬称略)。
□ 小田篤俊(東京地裁・強盗致傷・懲役8年6月)
「お金を払ってでもやってみたかった。(選任当日の出頭者は)意外と来ない人が多いと思った。やる気満々で会社もばっちり休んで準備万端だったが、選ばれない不安(ママ!)も確かにあった。被告人を初めて見たときに「あぁ悪そうな顔をしているな」と思った。初日はネクタイを着けたが2日目からは世の中クールビズなので外した(笑)。判決言渡しの時にずっとこっちを見ていた。泣いていたのは裁判員裁判でよかったという意味と受けとめた。ところが被告人は控訴上告し、再審請求までしているという。複雑だ。裁判官は3人とも魅力的で、民間企業なら売り上けを伸ばしそうな感じ(笑)。市民一人ひとりに社会の一員だという自覚が足りないと思う。この制度に参加した市民にも緊張感が生まれ、社会の利益になる」
□ 江口弘子(東京地裁・強盗致傷・強制わいせつ致傷・懲役10年)
「みんな行くものだと思って出頭した。量刑判断はデータベースで誘導された。3日間の評議期間は十分だった。達成感という言葉を使いたい気持ち。自分も家族も変わった。家族の会話に犯罪や裁判のことが加わった。量刑基準なども教育すべきだと思う。死を直視することに慣れておかないとPTSDなどおかしくなってしまう人(ママ!)がこれからも出てくる。実は事件のことがフラッシュバックになって調子が悪く、事件から2年後にサポート窓口に電話した。しかし治しようがないというので自分でどうにかする」
□ A(東京地裁・殺人・懲役15年)
「国で決まったことだし、行かないと罰金をとられるし、回避は考えなかった。主人には『お国の指示だから』と言った。父の病気のことを書いたが呼び出され選ばれてしまった。裁判の途中で2人が解任された。見なくてもよいと言われたが証拠写真は全部見た。普通にご飯を作って夜は寝付けた。評議の雰囲気は常識的でよかった。70代の被告人は15年の懲役では生きて出てこられないかなと思った。終わった日に眼底出血し、医者にすごく疲れていると言われた。裁判官と裁判員が一緒にやるのはよいこと。最後に裁判員が集まったときに『私たち悪いことできないよね』と談笑した」
□ 鎌田祐司(さいたま地裁・強盗致傷・懲役5年)
「会社は欠勤扱いだったが、好奇心が勝った。リーマンショックの後で工場は暇だった。裁判所のセキュリティーが甘かった。東京地裁の方が厳格でよい。選任手続き中は携帯でゲームをしていた。法廷でも裁判員はリラックスしていた。弁護士は貧相な町弁(マチベン)風、検察官はいかにもという感じ。求刑6年は妥当と思った。和気あいあいとした評議。裁判官からは被告人が少年であることは考慮しなくてよいと言われた。ストレスの解消はパチンコだった。呼ばれたらまたやりたい、死刑事件でも無償でも(ママ!)。裁判員をやって会社との信頼関係が崩れてその後会社を辞めた」
□ 市川裕樹(千葉地裁・強盗致傷等・無期懲役)
「ぜひやりたいから絶対やりたくないまでの5段階分けをしたら4くらいのやりたい寄り。呼び出されてせっかくだから知る機会だと思った。自信過剰かも知れないが自分ならやれると。2回目の入廷から当たり前のように「ここにいる、ここ俺の席だから」みたいな感じ。眠くなったときの対処法もみんなで話し合った。被告人にした質問に納得ゆく答えは返ってこなかった。裁判の後、他人から感想を求められていない。検察官になりたい」
□ B(東京地裁・強盗殺人罪・死刑)
「殺人事件の刑罰が軽いとか裁判が市民感覚とずれているとか思っていた。裁判員裁判で私たちの感覚に近づくかと興味があった。補充裁判員だったが判決当日に解任が出て正裁判員になった。食欲がなくなった。直ちに控訴されたと聞いて、あんなに一生懸命考えたのに(控訴審の)結論が違ったらとがっくりきた。黙秘権行使は疑問。やっていないなら違うと言えばよい。上級審の結果は知りたい。執行されたら怖いが」
□ C(京都地裁・殺人罪・懲役10年)
「選ばれないと困る、体験してみたいという気持ちが強くなった。『不都合はないか』と聞かれ『ない』と答えた。選ばれてよかった(ママ!)。検察官のメモはとてもわかりやすく、弁護人の話はすごくおもしろかった。裁判員の思いが被告人に伝わったか正直疑問。裁判後誰も触れてくれず非常に孤独。母からも『あなた変わっている』と変わり者扱いされた。私たちは法律で守られている。これからは一市民としていろんなことに関わっていきたい。実は通勤電車の窓から被害者が運ばれた病院が見え、日々思い出す。もやもやした心のケアも充実してほしい」
□ 米澤敏靖(横浜地裁・殺人罪・死刑)
「やってみたいと思って行ったら選ばれた。あんたにできるのと母親に言われ、何でお前がと父親に嫉妬され(笑)、やってやろうと。初法廷は皆さんに目を向けられ気持ち良かった。求刑後の評議はみな口数が少なくなった。重圧に押しつぶされそうで家では何も考えなかった。評決時には皆黙り込んでいたが、達成感はあった。判決前の待機時間中は皆ほとんど無言だった。父からは『大変なことをしたな』と言われた。大変だったねという意味だ(笑)。友だちには『人を殺したのか』と言われ、そういうことになるのかと思った。間接的に人を殺したことになっても後悔はしない、参加してよかった」
□ 古平衣美(東京地裁・殺人未遂・懲役10年)
「どうにもならない成育環境や社会構造があり、この人だけの責任じゃないと。犯罪はある意味普通に起き得る。見るからに具合の悪そうな候補者がいて、それでも来なきゃいけないのかと思った。法壇が高いことにもすごく違和感があり、申し訳ないと思った。どうしてこんな所に坐らせられるのか。求刑10年。そんなに早く出てこられたら怖いとその時は思ったが、そう思ったことが後で恥ずかしくなった。排除するのはいけない。記者会見に出て悔やんだ。すごく帰りたかった。家族もママ友も聞いてはいけないという雰囲気。裁判員に負担を負わせるのはいかがかと思う」
□ 松尾悦子(仙台地裁・強盗殺人・懲役15年)
「やって見たかった。行かないのはもったいない。事件は刑事ドラマのようだった。(選任時)周りは逃げ方を考えている雰囲気だった。自分は選ばれて『やったぁ!』と思い、心中『フフフッ』と。裁判官は話題を振ったりギャグを言ったり裏話も聞けておもしろかった。被告人は殺人を一貫して否認、あるのは被告人と一緒にやったという主犯格共犯の供述だけ。検察は一覧表などを使って理路整然、弁護人は読みたくなくなるような資料。裁判員同士あまり打ち解けず、終わるまでの日数を数えたりして嫌々やっている感じの人が多かった。結局、強盗殺人は認めず強盗致死に。上限15年(当時)の説明に不満の質問も出た。裁判員制度はあった方がよい」【事件は検察が控訴し控訴審は差戻し判決。初のやり直し裁判員裁判で検察の主張が認められ強盗殺人で無期懲役になっている】
□ 山崎剛(東京地裁・強盗致傷・懲役6年6月)
「脊髄小脳変性症。初の車いす裁判員。社会とつながるために行こうと。タクシーで着いた自分を2人の職員が車いすで部屋に運んでくれた。事実はすべて認めていて情状だけの事件。施設で育った不遇の被告人。共犯者と知り合ったのも少年院だった。法律上6年以上の刑にしなければならないケースだったが、もっと早く出所をという気持ちもあった。何年で仮釈放になるのか裁判官に聞いたら、『よくわからないが満期までいる人は少ない』と言われた。証拠が十分でないのに有罪判決になっている傾向はないか。知識がないと裁判官の出来レース(ママ)に乗せられていることに気づかないかもしれない」
□ D(さいたま地裁・殺人罪等・死刑)
「保険金目当てで2人殺害。公判期間30日間。県内初の死刑判決。パートで働く2児の母。生半可な気持ちではいけない、選ばれたのだから一生懸命取り組もうと思った。被告人の言い分にも弁護人の弁論にも無理があると感じた。裁判員は裁判官が入ってくると教室のようにしーんとした。裁判官から前夜星空でも翌朝雪景色なら夜中に降雪したと判断してもよいという例で、状況証拠による判断もあり得ると言われた。自分から発言する裁判員はなく、裁判官から聞き出されて言う感じだった。死刑判断の重みでみんな悩み私は夜中に目が覚めた。息子が裁判で死刑になるのを横で見ている夢を何回もみた。判決の時、被告人の奥さんが途中で泣き始め死刑判決になるのがわかったらしかった。子どもさんの父親を私たちが奪うのかと思った。あとで控訴されたと聞き、間違って執行されるのが怖いので、精査してほしいと思った。裁判員をまたやる自信は湧いてこない」
□ 金井達昌(東京地裁・保護責任者遺棄致死罪・懲役2年6月)
「否認事件。質問票に選ばれない理由を書くことに罪悪感があった。自分のことしか考えていなかった。選任されて、うそでしょう、当たっちゃったのという感じだった。宣誓手続室に誘導される手早さに感心した。思ったより緊張感がなかった。聞くことに集中した。検察官の説明がよくわかった。弁護人はちゃんと仕事しているのかと思った。裁判官は人の心を動かす力がある。裁判官からは『自分を口説いてくれ』と言われてすごく納得した。評議の場で被告人の反省の度合いについて疑問を言った。子どもがいるから刑期を短くというような考えは正しくない。被告人がしたことはものすごく悪意が多い。道徳的におかしい。申し訳ないという反省の態度がなかった。否認事件といっても無罪は不可能だ。判決公判の日、裁判長が『国の決定に胸を張ってくれ』と言われ、自分は高揚した」
□ 田口真義(東京地裁・保護責任者遺棄致死罪・懲役2年6月)
「同上事件。本編著者。選ばれて武者震いした。周りが全然見えず、とにかく起きていることをメモした。検察官はテキパキしているのに弁護人はどうしてしどろもどろなのかと裁判官に聞いたら、弁護人は検察側証人が何を言うのかわからないからと言われて、そりゃ大変だと思った。自分はほぼ全員の証人に質問した。裁判官たちの思考に衝撃を与えるような、しかし論理的な説明をせねばと思った。裁判官は自分たちの議論を聞いて『厳しいなぁ』と漏らした(ママ!)」
本を読んだ感想を一言で言うなら
「血まみれになってうれしがる人たち」
投稿:2014年3月19日
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
裁判員裁判で死刑判決が下され、それが高等裁判所で破棄され無期懲役に減刑された事案で検察が上告を断念したと報じられています。
「長野3人強殺で上告断念=裁判員の死刑破棄、無期-東京高検」(時事通信2014年3月12日)
事件の概要 3人の被告が金銭トラブルから被害者ら(男性62歳、男性30歳、女性26歳)の首をロープで絞めて窒息死させて現金約416万円などを奪った事案。
長野地裁は、2011年12月17日に裁判員裁判によって死刑判決を下しましたが、東京高裁は本年2月27日に無期懲役に減刑しました。
検察は上告理由が見あたらないという理由で上告を断念したというものです。
ところで、昨年12月にも裁判員裁判による死刑判決を破棄した東京高裁判決に対し、検察は裁判員裁判の結果を尊重せよという上告理由を挙げました。
しかし、裁判員裁判の結果を尊重せよという主張は、根本的に誤りです。
「死刑判決の裁判員裁判を尊重するのは大問題」
裁判員裁判の結論を尊重せよということは、死刑判決となるかどうかが、あたる裁判員によって異なる結論になることを正面から是認せよというのと全く同じことになるのです。
クジという偶然で選ばれることになっている裁判員がたまたま死刑に慎重であった場合、逆に死刑に積極的だった場合など偶然の要素によって死刑か無期かが決まるということになるのです。
この結論は明らかに異常です。
とかく裁判員裁判の判決を尊重せよという主張がマスコミや一部の国民から出てくることがありますが、とんでもない暴論だということでもあります。
この点、江川紹子さんがこのようにツイッターでつぶやいていることが話題になっていますが、誠にもってその通りです。
「江川紹子氏 裁判員裁判の判断を批判する雰囲気を懸念」(夕刊アメーバニュース)
「裁判員裁判の判断を批判することを遠慮する雰囲気は、なんとかならないものかにゃ」と意見。裁判員裁判だろうと職業裁判員による裁判だろうと、ものすごい権力行使をするわけなので、批判の対象になって当然だと思うけど、メディアも法曹界でも、なぜか腫れ物に触る風潮があるような…」
裁判員といえども国家権力の行使の一端を担っている以上、糾弾の対象になって当然であるし、本来は実名を示すのが当然です。責任の所在が曖昧な刑事裁判、しかもそれが死刑判決であるならば非常に問題なのです。
今回、検察は上告を断念しました。裁判員裁判だから尊重せよという論理であれば上告するのが筋でした。上告理由などどうにでもなるし、まさに裁判員裁判だからという理由はその1つです。
それができなかったのは、検察の主張の一端が崩れたということでもあり、むしろ、これこそが当然の結論なのです。
死刑という極刑は、通常の量刑のデコボコ(これも問題ですが)以上に極限的な差があるのですから、裁判員裁判だからなどという理由で死刑判決を是認するのは暴論なのです。
この点、全国被害者の会(あすの会)が昨年末に上げた決議は非常に問題です。
「東京高裁判決(刑事第10部)は国民に対する裏切り!」 以下、抜粋
東京高等裁判所第10刑事部(裁判長:村瀬均)は今年の6月と10月、2件立て続けに裁判員裁判の死刑判決を覆し、無期懲役を言い渡した。同じ裁判官による驚くべき独善である。
被害者が一人だから死刑がやむを得ないとは言えないとはどういうことか。非道な罪を犯した加害者の命の重さが、善良な市民の2名分以上の重さがあるとは、よくぞ言えたものである。こういったところに、裁判官の感覚が市民の感覚からはずれていると批判されてきたのではないか。
平成25年10月16日付産経新聞社説によると、2件の東京高裁の判決の背景には、過去30年間の裁判官裁判による死刑・無期懲役が確定した殺人・強盗殺人事件を調査し、被害者の人数別に先例の傾向を分析した昨年7月に公表された最高裁司法研修所の研究報告があると解説されている。同新聞が言うように、もし、国民の常識よりも、たかだか一研修所の見解を東京高裁が重視したのであれば、国民を見下していると言うほかない。
「第13 回 全国犯罪被害者の会( あすの会) 大会決議」(2014年1月25日) 以下、抜粋
東京高裁の2件の判断は、先例に従えば、被害者が一人の強盗殺人の場合、計画性があるか、あるいは仮釈放中の犯罪でないかぎり、死刑にはならないとの従前の裁判例を引き合いに出して、無期懲役に減刑した。これでは、裁判員が何時間もかけて慎重に審理を尽くし、従前の先例も考慮に入れながら、それでもこの事件は悪質であるとして死刑を言い渡した一般市民の判断の重みを軽視することになってしまい、司法の独善、裁判員制度そのものの否認につながりかねない。裁判所は、一般市民の良識ある判断を尊重すべきであり、軽々にその判断を覆すべきではない。
あまりに感情的な文章だという点は被害者団体だからということから差し引くとしても、この論理・主張はあまりに暴論です。
「非道な罪を犯した加害者の命の重さが、善良な市民の2名分以上の重さがあるとは、よくぞ言えたものである。」からは結局のところ、1人殺してもすべて死刑にせよというのと同義であり、自動車事故(故意の無謀な運転)でも死刑相当ということになるでしょう。
根本的には「国民の常識よりも、たかだか一研修所の見解を東京高裁が重視したのであれば、国民を見下していると言うほかない」という点において裁判員制度に対する根本的な誤解がある点はさておくとしても(裁判員は主権の行使ではない、国民と評価するのは誤り)、まさにこれこそが裁判員制度が感情に流されるのではないかという恐ろしさをまざまざと見せつけてくれたというべきでしょう。
裁判員制度は制度として完全に破綻した制度といえます。
そしてまた裁判員裁判による死刑判決が破棄され、それが確定したという現実は重大なことです。
投稿:2014年3月12日
ラブバードのコザクラインコ
『裁判員ストレス障害国賠訴訟詳細情報』の第1回と第2回の口頭弁論編を読みました。Aさんの悔しさと怒りに私も震えました。国は、裁判員をやったために心の病に冒され苦しんでいると訴えるAさんの主張に対し「知らない」と言っているとか。
最高裁は裁判員体験者に対して医療相談のサポート体制を取っているはずです。ということは、裁判員を経験すると無視できない確率で精神的打撃を受けることが予測されているということでしょう。
それならば、「裁判員の経験で精神的損害を受けた」と言われたら、まずは「予想はしていました」と受けとめて、「大変な結果を引き起させて申し訳ありませんでした」と答えるのが当たり前ではないですか。それが私たちの「市民感覚」です。
〈裁判に市民感覚を導入する〉といううたい文句のいかがわしさを感じます。いかがわしさと言えば、24時間電話相談を受け付け、医者に診てもらうのも無料(ただし5回まで)というこのサポート体制もひどく変です。ないよりはましというか、アリバイ的に作られたシステムだと思います。
裁判所ごとに専門の嘱託医を用意して「体制は万全です」などと宣伝すれば、それこそ裁判員をやるのは危険ですと言いふらすようなもので、準備万端の態勢整備もあまりやりたくない。ここは「万一に備えておりますが、あくまでも万一のことで、そうそうある話ではないと考えています」といったような、なんとも中途半端というかやる気があるんだかないんだかという仕組みです。
電話相談だって医師が受け付けるんじゃないらしいし、医師に診てもらうには東京か大阪へ交通費宿泊費自腹で出向かなけりゃいけないとか。札幌から東京へ、鹿児島から大阪へ、往復5万円の受診旅行ですか。
市民感覚大離れのこういうお役人神経と、実際に裁判員をやって精神的打撃を受けたと訴えられたら「知らない」と言い募る神経は、きっと根っこは同じなんだと思います。
国側は「裁判員にならないことは幅広く認められている」というような主張までしているとのこと。これには本当に驚きます。「仕事が忙しいという理由では辞退は認められない」とか「身内でもお父さんやお母さんが亡くなった時以外の葬式はだめ」なんて聞かされてきた私としては、いつからそんな緩い話になったのと思ってしまいます。
でも本当に緩くなったのではないのでしょうね。ほとんどの市民が嫌がっているという動かしようのない現実を前にして、こういう言い方しかできなくなってきたという面がひとつ。もうひとつは返す刀で「幅広く辞退を認めてやってるのに裁判員を引き受けた以上は文句を言わせないぞ」という理屈に結びつけたいということでしょうね。
そこで私の提案です。これから裁判員候補者として呼び出される可能性のあるみなさんには「精神的打撃を受けたくないし、受けてもまともな対応をしてくれないから出頭しない」と回答することを提案します。万一のことがあってもこの国は「知らない」と言いますし、出て行ってしまったら「辞退してもいいと言ったのに出頭したあなたの責任です」と言うのですから。
それから、これまで正直に義務だと思い込んで(思い込まされて)出頭し、結果裁判員に選ばれて精神的打撃を受け、黙って耐えている全国の元裁判員のみなさんに提案します。裁判員が非常勤公務員であることは政府の見解で、最高裁も判決で認めているらしいです。みなさんは非常勤公務員の勤務で精神的打撃を受けられたのですから、労災申請をしてよいと思います。
私が調べたところ、公務のパートにも職種や勤務条件で入れる制度に差があったり、国家公務員と地方公務員とでいろいろ差があったりするようですが、それこそ生活がかかっているのですから、裁判員という公務員体験で受けたダメージだけは自分持ちなんていうことは許されていいわけがありません。黙って泣き寝入りをする必要は少しもありません。
裁判所に労災認定を求め、認められなければ国を相手取って裁判を起こす。裁判員は労災保障の埒外だなんていう判決がもし出たら、裁判員になる人がまた激減するでしょう。世に警鐘を鳴らすためにもぜひ労災申請をして下さい。
投稿:2014年3月11日
3月7日の『読売新聞』新潟版は「裁判員候補者の2割が選任手続き欠席」と題して、裁判員の出頭減を懸念する次のような記事を掲載しました。
「新潟地裁の裁判員裁判で昨年、辞退する理由がなく選任手続きに呼び出された裁判員候補者402人のうち、欠席した人が90人(22.4%)に上ったことがわかった。欠席率は2010年から3年連続で増加、地裁は『このままでは司法の民主化という所期の目的が果たせなくなる』と危機感を募らせている。
学業や高齢、仕事や家庭の事情などの理由があれば、裁判員の辞退が認められる。裁判所は候補者名簿登録時の調査票や、選任時の質問票で辞退理由の存否を尋ねており、新潟地裁でも昨年は候補者1120人のうち718人の辞退が認められた。
認められなければ出頭義務があり、不当な欠席には10万円以下の過料が定められているが、過料を徴収したケースはない。昨年は呼び出された402人のうち、実際に出席したのは312人(77.6%)にとどまった。10年の85.4%から年々減っている。全国でも、出席率は09年の83.9%から12年には76.0%に下がり、13年は9月末時点で74.8%に落ち込んだ。
青柳勤新潟地裁所長は「徐々に新鮮味がなくなっているのかもしれない。国民が司法を支えているという意識を持ち続けてほしい」と積極的な参加を呼びかけている」
さぁさぁお立ち会い。ここは郷土の大先輩田中角栄さん風に言えばだなぁ、よっしゃばっさり切って捨ててやるかだ。えっ、上から目線の言い方をするなってインコのお山から注意指令だと。はいはいはい、ではじっくりと一寸刻みに切らせていただきますわいなぁ。
数字がやたら並ぶ記事だけど、インコ生まれつき数字に弱い。ここはくちばしを食いしばってがんばろう。この記事、はっきり言ってインコにもわかるようにもう少し整理してほしい。いや、わざとわかりにくくしているのかな。正しく言えばこういうことになるんじゃないですか。
昨年は候補者1120人のうちの大量の人びとが呼び出さないでくれと最高裁や地裁に要望した。そしたら地裁はなんと718人(64.1%)もの人についてさっさとその要望を認めた。みんな不当な不出頭ではないことになったんだね。この嫌がられ度の高さと裁判所の引けた姿勢にまず驚こう。結果、辞退が認められなかった人ややるしかないと思った人ややりたくてしょうがない人などが402人残ることになった(1120人-718人)。
さぁ、選任当日が来たぞ。そしたらその残った402人のうちの90人もの人がやっぱり裁判所に来なかった。ちぇっ、来ないでよいことにしてやるって大盤振る舞いして718人も減らしてやったのに、残った数少ない人たちの中からまたまたその4分の1近くが来なかった、よくよくイヤなんだねっていうショッキングなお話。
候補者1120人のうち選任当日に来た人の数は312人(402人-90人) 、つまり正しい出頭率は27.8%っていうことです(312人÷1120人)。記事が312人を77.6%と説明しているのはどうしてかって。それは出頭者を出頭予定者数(出頭してくれるだろうなぁと裁判所から期待された人の数)で割っているからですよ。分母には出頭予定者数をおいてはいけません、候補者総数をおくのです。
分母に出頭予定者数をおいて出した割合というのは、期待数のうちの達成数の割合です。来てくれるかなぁと思った相手のうち本当に来てくれた人の割合を出してどうするの。地裁が期待したかどうか知らないけど、考えて見れば、辞退させてくれなんて言う気にもならないっていう22.4%(100.0%-77.6%)の人たちって、要するに裁判所からの連絡を完全に黙殺した人たちっていうことでしょ。それってもしかしたら最強の裁判員制度批判者かも知れないですよね。
話がそれたので戻ります。もっと深刻なのは、出頭した312人がみんな裁判員をやってもよいとかやりたいとか考えているのではないということ。不当欠席とされ10万円の過料がとられるのが怖いというだけの理由で来ている候補者がこの中にたくさん混じっています。その人たちの多くが選任当日の裁判長の首実検(面接)の場で裁判員をやりたくないと懇願して外して貰っている。その数はかなりの数にのぼります。
つまりつまり、本当に裁判員候補者としてくじびきの段に進む人は312人-α。出頭率は27.8%でも最終残存率はそこからまたたくさんマイナスしたものになるのです。このαが非常に多い。最終残存率はもう20%を割っていると現場の法曹はみています。公判期日に長短のある中の平均値がこれですから、期日が長くなる事件では完全に10%を割っているというのが実情です。出頭情勢はいまや全層雪崩状況と言って少しもオーバーではありません。
新潟地裁はどうしてこんなにひどいのかですって。いやいや違います、ご心配にはおよびません青柳所長さん。新聞記事にもあるように、全国の地裁の出頭率が年々どんどんきちんとした足取りで(この表現少し変かな) 落ち込んでいます。全国の地裁がみんな成績不良なのですから。最高裁はあなたの転勤命令なんか出しようがない(少なくとも出頭率の悪さを理由にしてはね)。
青柳さん、「徐々に新鮮味がなくなっている」んじゃなくて、もともと新鮮味なんてありゃしねぇがな、いやありませんですよ。「国民が司法を支えているという意識を持ち続けてほしい」ですって。そんなつまらんこと言ってないで、全国の地裁所長と連絡をとって、「賞味期限が切れたこの制度はもう引き時では」っていう建白書でも最高裁に送り付けたらどうだがな、どうでしようか。
最後に読売新聞新潟支局に。「裁判員候補者の2割が選任手続き欠席」のタイトルが正しくないということがわかりましたか。
投稿:2014年3月8日
愛読者の60期弁護士
裁判員裁判の深層をえぐる投稿記事に感銘を受けている弁護士です。司法研修所60期です。裁判員裁判の弁護活動もいくらか手がけており、裁判員制度について日ごろ考えていることを少しだけ述べてみます。
法律家にとってはイロハの話ですが、はじめに刑事裁判の基本的な構造の説明をさせていただきますと、刑事裁判は事実認定と量刑判断から成り立っています。事実認定は被告人が検察官の主張する罪を本当に犯したのかどうかを論じる部分です。検察官の主張の一部を認めるという場合もあります。一方量刑は、有罪とされた時に被告人にどのような刑罰を科するかを決める部分です。死刑、無期懲役、有期懲役、罰金などが検討されます。
裁判員裁判も事実認定と量刑が大きな柱になります。評議の場で検察官の主張が認められるか否かが検討されるのは一般の刑事裁判と同じです。事実認定は難しいことではない、素人にもできるというのが最高裁の説明ですが、多くの事件では被告人は検察官の主張を争いません。争うとしても部分的な争いに限られる場合が多いと言えます。私の経験で言えば、平田オウム裁判のように事実関係をめぐって論争になる事件は非常に少ないのが現実です。
さらに言えば、裁判官と裁判員が事実認定をめぐって争う局面はおそらくまったくといっていいほどないでしょう。裁判官が率先して認定を引っ張ることはあまりないでしょうが、裁判員の議論が自分たちの考える範囲内に収まっていればそれでよしとし、はみ出せばやんわりと正す。正されれば裁判員たちは抵抗しない、というよりも抵抗できない。つまり、事実認定は一見裁判員の判断を尊重しているようで、実は常に裁判官の掌の中にあるものということになるでしょう。
量刑判断はかなり様相が異なります。量刑は裁判員の判断の限界を完全に超えています。妥当な判断をと言われてもどうにもこうにも無理です。被告人には同情の余地があるとか、彼は極悪人だとかは言えても、ではどのくらいの刑罰がふさわしいのかとなると、答えはとても出てきません。
そうなることがわかっている裁判官は、「量刑データベース」という過去の量刑のデータに基づいて本件はどうしようかという話になります。でも、これでホッとする人が半分、残る半分は「だったらどうして私たちに判断をせよと言うのか」と思うに違いありません。
弁護人の立場で言えば、裁判員たちには妥当な量刑判定など絶対にできません。しかし、裁判員裁判の多くは事実関係に争いがない事件です。ということは、多くの国民は妥当な判断が絶対にできない量刑判定のために裁判所に呼び出されていることになります。
敢えて言えば、裁判員制度の本当の目的は、裁判所が長い年月をかけて蓄積してきたデータを生の事件を通して国民に教え込むことにあるのだろうということです。事実認定は裁判官の掌、量刑は裁判官の強制誘導。裁判員制度はなんのために導入されたのか、改めて原点に立ち返って考えるべきときが来ていると私は思います。
投稿:2014年3月5日
2月28日の朝刊各紙には、「裁判員死刑判決『誤り』」「裁判員判決 再び破棄」の見出しが躍りました。
東京高裁と仙台高裁での判決で、事件も違えば破棄の意味・内容も違いますが、もうこれだけ見ても裁判員裁判はどうしようもないところまで来た、これでもやりたいと思う人がいるのか、いたら余程の奇人変人という気がしますね。
さて、新聞によって記事に濃淡があるからでしょう。読者からは「仙台高裁の事件がわかりにくいから教えて」と。確かにややこしいですね。
【事件】
今回の裁判の被告人であるAはB、Cと共謀。2004年9月3日夕方、東京都の井の頭公園付近で、拳銃の取引をするなどと偽って誘い出した仙台市青葉区の風俗店経営のZ(当時30)を車に乗せ、顔に粘着テープを巻き付け両手に手錠をかけて監禁。茨城県内の貸別荘を経由し、同月4日午前10時半ごろに仙台市の山林に着くまで連れ回し、11時半頃に男性の首をロープで絞め、頭をバールで殴るなどして殺害。死体を遺棄した後、同日夜から6日ごろまでの間、Zの自宅金庫から現金約5000万円と預金通帳数冊を奪った。DとEは東京都内から茨城県の貸別荘に向かう乗用車内や別荘での暴行に加わり、更に現金60万円を奪った。Fも都内から茨城県、更に仙台市の山林までの監禁に共謀した。
Bは被害者であるZと高校時代からの友人で犯罪組織を結成し、Zの経営する貸金業を手伝っていた。Bは「子分のように使われた」と供述しており、給料が少ないことに不満をもち、知人らとともに金を奪うことを計画した。
【逮捕に至る経緯】
Bは2006年10月16日に「仙台での男性暴行事件」で逮捕監禁容疑で逮捕された後、取り調べの中で仙台市の不明男性の名前を挙げ、「Zを殺害し、(仙台市太白区の)山林に埋めた。金庫の鍵を奪って金を盗んだ」と暴露。さらに2007年6月25日に開かれたGの公判で、証人として出廷したBの弟Hが弁護人の尋問で「兄から人を殺したことがある。Zの件で」との質問を肯定。さらに家へ3000万円を持って戻ってきたと答えた。宮城県警は、Bらの供述は信憑性が高いと判断。2006年11月に犯行グループの1人が指し示した場所を掘り返した、Zのものとみられる毛髪などを採取したが、他には何も見つからなかった。同じ場所は2009年6月にも再度掘り返しているが、同様の結果であった。しかし4月下旬から5月上旬、BらがZさんを連れ回したという東京都内の繁華街や茨城県内の貸別荘などに捜査員を派遣し、「供述だけではない証拠が得られた」(捜査幹部)として、遺体が未発見のまま営利誘拐と逮捕監禁容疑での逮捕に踏み切る。
宮城県警は2009年8月13日、別の営利誘拐と逮捕監禁容疑で受刑中のAとB、C、D、Eの計5人を逮捕。仙台地検は31日、5人を同容疑で起訴した。
10月26日、宮城県警はA、B、C、Dの4人を強盗殺人容疑で再逮捕した(死体遺棄はすでに時効)。またFを新たに営利誘拐と逮捕監禁容疑で逮捕した。
仙台地検は11月16日、A、B、Cを強盗殺人容疑で追起訴。DとEを強盗容疑で追起訴。Fを逮捕監禁容疑で起訴した。
さらにBは「1999年にも東京都内の暴力団組員の男を殺した」と供述。2009年7月、宮城県警は仙台市太白区内の山林を捜索。白骨化した暴力団組員男性の遺体を発見した。2010年2月10日、宮城県警はBとCを殺人容疑で再逮捕。当時少年被告とIを殺人容疑で逮捕した。
仙台地検は3月3日、BとC、当時少年被告を殺人容疑で起訴した。Iは「死体遺棄のみの関与だった」として処分保留で釈放した。死体遺棄罪は公訴時効(3年)を迎えている。
さらにBは「Cが自殺を装って自衛官を殺害し、保険金を手に入れている」と話したことから、宮城県警が捜査。3月3日、保険金殺人事件でC、I、F、J、Kの5人が逮捕された。仙台地検は3月25日、5人を殺害の容疑で起訴した。
上記らの事件は、マフィアにあこがれたZが高校時代の同級生であるBと1994年頃に結成した犯罪組織「BTK」のメンバーが起こしたもの。組織名は「殺すために生まれた(Born To Kill)」から名付け、ZとBの2人がリーダー格だった。ナンバースリーだったCも高校生のころに加入。組織は拡大しながら犯罪を繰り返した。
【A被告の主張】
被害者のZをSらと一緒に誘拐したことは間違いないが、殺害を事前に話し合っておらず、自分は殺していない。被害者には好感を持っていた。殺す理由がない。
【1審・仙台地裁判決】
2010年10月:被告と実行犯との共謀を認めず、検察側主張の強盗殺人罪ではなく、強盗致死罪を適用。懲役15年の判決。
【検察控訴】
「なんでやねん!これやから素人は困る。無期懲役に決まってるやろ」という言い方をしたかどうかは知らないが、ともかく強盗殺人を認めろ、無期懲役にしろと控訴。
【仙台高裁判決】
2011年5月31日:控訴審初公判で、検察側は強盗殺人罪の成立を主張し、弁護側は控訴棄却を求めた。
2011年7月判決:被告の法廷の供述でも、現場での暗黙のうちに共謀が成立していた可能性が濃厚。1審の裁判員裁判は、争点整理が不十分で検察側の主張を正しく把握していない。1審は審理を尽くしておらず、判決に影響を及ぼすのは明らか。地裁判決を破棄し、差し戻し。
裁判長が「うん、うん、検察官の言うとおりだ。これが理解できないなんて、だから素人はダメなんだ」といったかどうかは知らないが、少なくとも思ったんだろうなとインコは推認。
【被告が上告】
被告人は「なんでもう1回地裁で裁判員裁判せんとあかんねん。最高裁は裁判員裁判の判決を尊重しろと言ってたやん。最高裁そうやろ!」という気持ちだったんだろうな。
【最高裁】
2012年3月:高裁判決を支持。上告棄却
「裁判員裁判の判決を尊重しろ」というのは重罰化したときだけで、このような場合は・・・と言わんばかりの棄却で裁判は振り出しに戻る。
【2度目の仙台地裁・裁判員裁判】
差し戻し審では、新たに選ばれた裁判員らが6日間の日程の内の3日(計8時間)を1審の審理のDVD映像視聴に充てて審理。
2013年1月29日初公判:被告は「誘拐は間違いないが(共犯者と)殺害を事前に話し合っておらず、暗黙のうちに意思を通じ合ってもいない。殺害行為もしていない」と強盗殺人罪を改めて否認した。冒頭陳述で検察側は「殺害現場到着前も後も、被告は共犯者と殺害について話し合っていたか、暗黙のうちに意思を通じ合っていた」と主張。弁護側は「被告には被害者を殺す理由がない」などと反論。
冒頭陳述後、31日まで3日間計8時間DVD鑑賞視聴。
1月30日第2回公判:主犯のBが証人出廷し、「殺害前に、Aから『合図したらやれよ』と言われていた」などと述べ、事前に殺害計画があったとする内容の証言。
2月1日第4回公判:被告は被告人質問で殺害の共謀を改めて否定。
2月4日論告:検察側は、Bの証言は信用できるとし、「被害者を殺害することについて意思を通じ合っていた」として、強盗殺人罪の成立を主張。一方、弁護側は最終弁論で「殺害について話し合っておらず、殺害行為をしていない」として、強盗致死罪にとどまると訴えた。弁護側は最終弁論で、事前の共謀は否定した1度目の一審判決(懲役15年)を引用しようとしたが、検察側が「破棄されている」と異議を唱え、裁判長は引用を認めなかった。
2月5日判決:裁判長は、争点となった共謀について、Bの証言を基に「犯行前の話し合い時点で、実行役と殺害に関し共謀があった。被告は具体的な犯行計画を立てるなどしている」と事前共謀を認めた。そして「不可欠な役割を果たし、殺害の実行犯と同等と言える」と指摘。検察側の主張どおり、強盗殺人罪を適用し無期懲役判決。
ヒラメ裁判長は最高裁の意を汲んで強盗殺人罪を適用し無期懲役判決を出したということ。裁判員の意向なんざ、裁判官次第でどうにでもなるって見本のようなもの。
【被告控訴】
被告にすれば「冗談じゃない!俺には殺意がなかったと言っているだろう」ということですね。しかも無期懲役=終身刑みたいなもんですから、有期刑とは大違い。
被告人は、被害者遺族に約1211万円の被害弁償。そのうち、610万円はやり直し地裁判決後に支払い。
【仙台高裁判決】←いまここ
2013年9月26日控訴審初公判:被告側代理人弁護士は無期懲役の地裁判決について「B(同事件などで無期懲役など判決)との間に殺害の共謀があったとの内容には事実誤認がある。持ちかけたのはBで、他の共犯者の名前も伝えられていないなど、被告は従属する立場だった」とし、「極めて不当」と述べた。また、殺害現場での暗黙の共謀のみが審理の対象だったのに、事前の共謀まで審理したのは手続き違反だと主張した。検察側は控訴棄却を訴え、即日結審した。
12月5日は判決予定だったが、結審を取り消し、弁護側が請求していた被告人質問が行われた。被告は被告人質問で「(母親が7月に死亡し相続することになった)預金は税や預かり金などを除き、すべて賠償に充てる」と述べ、弁護側が情状酌量を求めた。弁護人によると、遺産の総額は不明だが、預金通帳に3千数百万円が残されており、一部を被告が相続するという。
2月27日判決:裁判長は、「被害者の逃走を阻止するなど重要な役割を果たしていた。共謀が成立するのは明らかで実行役が被害者を殺害することを認識していた」などとして、争点となっていた実行犯で主犯のBとの共謀を認定。「被害者を実行役に引き渡すなど犯罪の実現に不可欠な役割を果たしており、責任の重さは実行役と同等で、2度目の1審判決に誤りはない」と判断。また、「改めて争点を整理して審理したのは違反ではない」とした。一方で、2度目の1審判決後にも610万円を、合計約1211万円を被害弁償していることから「2度目の1審判決の量刑(無期懲役)は、その言い渡し時点ではやむを得ないもので、重すぎて不当とは言えない」が「被害弁償をしていない実行役と同じ無期懲役にするのは躊躇せざるを得ない」として減刑した。
最高裁の意向を踏まえて検察官のメンツも立てつつ、妥当な量刑判決を下したということかな。
さて被告人は、この判決が確定したら群馬県での男女強盗殺人未遂事件などで既に判決が確定している懲役24年に量刑が加算され、有期刑上限である懲役30年の刑が科されることになる。41歳の被告人が満期で出所したとすると71歳。それでも検察はあくまでも無期懲役を求めるのかどうか・・・
投稿:2014年3月1日
3月4日午後2時から福島地裁で裁判員ストレス国賠訴訟第3回口頭弁論が行われます。
平日の昼間ですが、ぜひ、みなさん傍聴に!!
国は早々に結審をさせたがっています。第2回口頭弁論ですでに「結審して」と泣きついております。
裁判所はインコのみるところ、変な助け船を被告(国側)に出しているように思えます。
そうは許さず。最高裁の責任をはっきりとさせる。そのためにも多くの人が裁判に関心を寄せ傍聴に集まることが大切です。
裁判終了後には「記者会見」もあります。そこで裁判内容の詳しい説明もあります。記者会見はどなたでも参加できます。
今回の裁判で、原告代理人は国を追い詰めるものすごい主張を展開すると聞いております!ぜひ、ライブで!!
もちろん参加できないみなさんのために第3回口頭弁論報告も作成いたします。こちらもお楽しみに。
投稿:2014年3月1日