~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「僕が20歳になるころ、裁判が変わる。いろんな犯罪を自分たちの問題だって思えるかも知れない。自分の経験と知識を裁判に活かす」
これは裁判員制度宣伝のキャッチコピーです。2009年の裁判員裁判開始に向けて全国の裁判所や役所や学校内に張られたポスターにこの言葉が踊っていました。思い出される皆さんもいるでしょ。そして皆さんは20歳になった。さぁ、いろんな犯罪が自分たちの問題だって思えるようになりましたか。自分の経験と知識を裁判に活かせそうな気分になっていますか。それにしてもどういう経験をしたのでしょうね。20歳そこそこで、裁判に活かせる過去とは・・・。
話は変ります。今日は8月15日。この日を「終戦記念日」と言う人がいますが、中国侵略から太平洋戦争に至る15年戦争を始めた連中がタオルを投げた日、天皇が降参宣言を世界に発した日、つまり「敗北宣言日」です。「戦いを終えた日」なんていう言い方には大きなウソがひそんでいる。戦争は2度とやらせないと誓う人たちは決して使わない。またやるかも知れないと思う人たちは好んで使い、曖昧な言い方を好む人たちも使いがち。
そう言えば、究極のキャッチコピーは戦時国策標語(スローガン)です。インコは、戦後70周年のこの日を記念し、謹んであの時代の戦時国策標語“鳩首”をお届けします。
2013年9月にも「等質の時代背景は等質のスローガンを作る =第1篇=」及び「等質の時代背景は等質のスローガンを作る =第2篇=」で紹介させていただいた『黙って働き 笑って納税』(里中哲彦著)にまたまたご厄介になります。前回とダブってはいませんので、そちらも見てくださいね。
『権利は捨てても 義務は捨てるな』(昭和8年)
裁判員法は裁判員になるのは国民の義務と言った。けれどよく考えれば権利のようなものだから憲法が禁止する「苦役」にならないっていうのが最高裁の立場なんですよね。たいていの人はそれは屁理屈だと思う。時が違えば理屈も変り、わが国をめぐる安全環境が違えばとりわけ変る。昭和8年は「義務は捨てるな、権利は捨てろ」だった。権利になったり義務になったり、ホント支配者っていうのはカメレオンなみのご都合主義。いや、そう言ってはカメレオンに失礼。
『心磨けば 皇国が光る』(昭和8年)
いろんな犯罪が自分たちの問題だって思えるようになったり、自分の経験と知識を裁判に活かせるようになれば、それは心が磨かれたってことですよ。そうするとすめらみことが統べらはるこの「神の国」が光ってくるよってに。光ってどうするのって? 光って世界に冠たる国になるのよ。ほら、この国のオリンピックのなにやら偉い人って「神の国」の人でしょ。金メダルたくさんとって光輝きたくて仕方ない国威発揚のこの御方。この人、他人がこけたの笑って今度は自分がこけてる、あなおかし。
『覚悟の前に 非常時なし』(昭和10年)
武藤なんとかという議員がいましたね。いや、いたじゃなくてまだいる。「国会前で演説している学生集団の主張は、『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心の極端な考え。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のためと思うが、非常に残念」と非難したという。彼は国民に身を投げ出す「覚悟」を迫っている。覚悟の前ではすべての非常は日常になる。それがわからんのは非常に残念とね。ま、国民がみなこの精神になってくれれば裁判員制度は命長らえるんだけど、そうならんのは戦後教育のためでしょう。だから改憲なんだし、だから改憲阻止なんだね。彼は安倍首相の考えをそのまま言ってるつもりなんでしょ。ところで、この彼、「政治家が戦争に行くと国家としての意思決定ができなくなるので、僕は行かない」とも言っているんですよね。そういえば、国会議員は裁判員にならなくていいようになっている。
『護る軍機は 妻子も他人』(昭和13年)
軍事機密は妻子にも秘密にせよと。戦時には天気予報も軍機になったんだって。「お父さん、明日の天気は?」「そんなこと聞いちゃダメなんだよ」ってね。見てはならぬものを見、聞いてはならぬことを聞き、知ってはならない話を知った以上は、生涯にわたって誰にも漏らしてはならない。妻子には迷惑なこっちゃ。いやいや迷惑どころか家庭の破綻にもつながりかねない。何かお父さん隠している、あれ以来顔色が悪い。黙って医者に行ってるようだけど、どこが悪いのか家族にも言わない。聞くともっと悪くなりそうで聞くに聞けない。テレビでPTSDだかになった人のニュースを見たけれど、お父さんもあれかなぁ。
『日の丸持つ手に 金(きん)持つな』(昭和14年)
アジアのリーダーは日本。おかしなことを言う奴らは成敗すべし。そして日の丸の旗を思いっきり振ろう。金(カネ)? カネなんか要らない。要らないよね君たちは。足りぬ足りぬは我慢が足りぬだ。旗を振ってりゃ腹もいっぱいになる。ま、君たちはせいぜい裁判員になって日当1万円で喜んでなさいよ。「我と来て 裁けや職の ない大人」という歌もできたでしょ。職がないのは誰の責任だって? じゃあ景気回復のため、平和のための戦争を始めますか。だから「現代の赤紙」にも応じてね。
『征けぬ身は せめて育児で御奉公』(昭和14年)
竹島にも尖閣諸島にもホルムズ海峡にも行かない私は、せめて裁判員になろうと心に決めました。その日の私の育児は放棄です。そしたら死刑求刑の深刻な事件。裁判長から写真は目をつぶっていてもよいとか、どうにも無理なら今の中に辞退申し出をなんて言われましたが、そんな説明だけでやめるもやめないも決めようもありません。仕方なく引き受けますと言いました。評議の時に死刑に賛成した裁判員は**人、裁判官は**人、どうしても*******と言う裁判員がいましたが、裁判長は******と言い、陪席の裁判官は****と言いました(**のところは話してはいけないところだそうですので、伏せ字にさせていただきます)。
『儲けることより奉仕の心』(昭和15年)
働いて働いて奉仕しなさい。儲けるのは忘れなさい。儲けることは君たちのような一般国民が考えなくてよいことです。それはちゃんと教養を身につけた経済の達人がしかるべき方策を駆使して儲けてくれるから、君たちは安心して粗衣粗食の生活をしていればよいのです。儲けているんじゃなくて、家族が明日食えるように稼いでいるだけですと? いやいやそこが問題なのです。その気持ちには慢心があります。ご飯を減らし、惣菜を減らしなさい。それができないのはつまり慢心、慢心。それが儲け心につながるのです。あなたは努力が足りない。何をすれば奉仕になるかとお聞きですか。手間のかかるお人だ。そりゃ裁判員ですよ、裁判員。やった人はみないい経験をしたって言っていますよ。
『屠(ほふ)れ米英 われらの敵だ』(昭和16年)
鬼畜米英という言葉も広く使われました。敵、鬼、畜生…。インコとしては、鳥(とり)と言われなかったのはほっとしますが、戦争とは恐ろしいものです。日本人がアメリカ人やイギリス人を鬼のように憎まなければいけないという理屈がどこで作られるのか。誰がそういう関係を作り出すのか。戦後はころり変わって「頼れ米英 われらが味方」になったりするんですからね。これもひどいご都合主義です。こういう手合いは、またまた勝手な理屈を押し立てて戦争を企てたりするだろうとインコは懸念します。制度実施前、最高検察庁の総務部長(当時)は、「殺人事件の被告人や被害者と向き合い、被告人をどう処罰するか考える。国民が、直接、事件に触れ、判断することで、子どものしつけや教育にもいきてくる」と言いました。さすが、検察官、裁判前から有罪確定を確信。今や、裁判所に出てくるのは、「屠れ被告人、われらの敵だ」というような人ばかりかと・・・。
『いつでも征(ゆ)ける 身体作れ』(昭和16年)
インコ放送局トホホニュース。政府・最高裁は、裁判員経験者がPTSDや AHDなどで精神を病む国民が増えると裁判員制度の存立が危うくなると懸念し、国民の体力向上を追求する教育機関の設立構想を発表しました。この組織は、裁判員になった国民が厳しい状況に直面しても精神的な打撃を受けないように日頃から激しい肉体的・精神的打撃を経験させ、強い抵抗力を身につけさせることを目的としています。その標語は「いつでもやれる 身体作れ」です。この機関は国政選挙に投票する資格がある人は誰でも入れますが、入りたいと希望する人が少ないことを心配する声が上がり、結局、体力試験で一定の点数以下の者は入ることが義務づけられることになりそうです。
投稿:2015年8月15日