~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
札幌いの祭り(=猪野亨弁護士連続講座)は無事完結した。では大通公園へ「進撃のインコ」だぁ。
そんなことはない。意義深いご講演と真摯なご感想に敬意を表したまでだ。お茶を濁すとはインコにも皆さんにも失敬だぞ。
いえいえ、皆さまのお話については重々感服も敬服もしております。が、インコさんの仕事はまだ残っているんじゃないかということです。
含みも企みもありません。これを見て下さい。『週刊金曜日』1073号(1月29日付け)に、ルポライター片岡健さんの「ストレス障害になった元女性裁判員の訴え『死刑評議』の杜撰な内幕明らかに」という記事が掲載されています。これは、福島地裁で強盗殺人事件の裁判員を務め、急性ストレス傷害になったAさんが起こした国賠訴訟の控訴審でAさんが提出された陳述書をメインに据えて、裁判員裁判の問題をあぶり出しています。なお、この国賠訴訟の1審についてはシリーズ「急性ストレス傷害国賠訴訟」で詳しく報告していますので、そちらをご覧くださいね。
片岡さんは、「(死刑が選択された事件にしては)裁判員裁判の審理や評議があまりに杜撰だったのではないか」と仰って、次のように指摘されています。
裁判員らは被告人質問の際には、裁判長と事前に打ち合わせをするように言われていたが、被告の犯行時の行動に疑問を持ち、事前に打ち合わせのない質問をした。休憩時間に裁判長から「聞いていなかった」と言われ謝罪をしたが、裁判長が許可したことしか質問できないのかと疑問に思った。
評議の多くの時間は、永山基準に沿って行われたが、永山基準に関する具体的な説明はなかった。永山基準とは、死刑適用の判断基準で、動機や犯行態様、殺害被害者数など9項目を考慮し、やむを得ない場合に死刑の選択を許されるというものだが、普段、裁判に関心のない人は知らないだろう。話についていけない裁判員もいたのではないか。
評議の際に裁判員に渡された用紙には、「1.犯罪の性質」から「9.犯行後の情状」まで永山基準の9項目がプリントされていた。Aさんが「前科」という項目に疑問を抱き、「被告人に前科がないので削除すべきでは」と質問。裁判長は「前科の有無に関係なく、これだけ残酷なことをしたのだから」と答えた。
これでAさんは、「この事件の結論は最初から決まっていて、『死刑判決』という軌道の上を裁判員が脱線しないよう誘導しているだけの裁判と確信」して、「自分の考えは(死刑判決の)どこに反映されたかわからない」と受け止めたようだ。
Aさんは、医師から「殺人現場や遺体に関する記憶は時間が経てば薄れるが、死刑判決を下した自責の念は一生消えない」と告げられた。
被告人もAさんも「短い期間でちゃんと審理できたのか、裁判員に考える時間はあったのか」、「たかだか6日の評議で無期懲役とか死刑を選択できるのか疑問」と思っている。
控訴審の代理人は、「守秘義務は、裁判員の心理的状態を悪化させる作用しかない」と主張し、「かりにこのまま裁判員に守秘義務を課す制度を存続させるなら、裁判員の経験を自由に話し、感情を吐き出させる場を保証することが必須」と指摘した。
結論は特にないと言ってよいでしょう。「この国賠訴訟は裁判員の守秘義務の問題も浮き彫りにした」で締めくくられています。
そうか。では、インコがバッサリやりましょう。
質問するのに裁判長の許可がいるというのは、トンチンカンな質問が続出して、始末が付かなくなってそういうことになったのです。裁判員の質問なんて所詮そんなものですよ。裁判の場でどういう質問をするかというのは本来とても難しい判断や知識が求められる。
そうですね。「分刻みのスケジュール」と「裁判員のおまぬけ質問」はもともと両立し得ないのです。
永山基準の説明がないのは、「結論は最初から決まっていて、そこから脱線しないように誘導されていた」というAさんの感想どおりの話です。
そういえば、「見えないレールが敷かれていた」と喝破した人がいました。見えさせないレールの筈だったのが、見えてしまったということでしょうね。
結論は裁判員に聞くまでもなく決まっている。だからホントのところを言えば、永山基準とはこういうものですなんて詳しく説明する必要を感じていないということですね。
そうだ。詳しく説明して、「永山基準に当てはめるとこの事件はどうして死刑になるのか」なんて疑問を引き出してしまったら、かえって困っちゃうでしょ。
どうせ素人にはわからないのだからと説明する時間が惜しいっていうのが半分、説明して万一議論が紛糾したら面倒だしやっぱり時間も足りなくなると心配したのが半分でしょうね。
猪野さんの連続講演で「一番の暴走は死刑判決」にあったように、こういう裁判を繰り返していくうちに永山基準を基準というよりは先例程度に考える裁判員も出てくるでしょう。基準の無基準化、そして「無敵の量刑論」に進んで行く。
そうだ。審理期間が長くなることを最高裁は異様に警戒している。それについては別の機会に話したいが、とんでもない「けつかっちん」状態に現場は追い込まれている。
「簡易、迅速、重罰」は戦時司法の特徴だそうですが、裁判員裁判の特徴は戦時司法を地で行くものですね。裁判員にご迷惑をおかけしないようなんてそういうときだけいかにも「お客様扱い」をして、結論は「一丁上がりにさっさと重い結論」の裁判で良いことにした。だからたったの6日間で、人の生死を決定してしまう訳ですね。
裁判官による裁判の頃は、死刑求刑が予測される裁判と言えば、公判期間は年を超えるのは当たり前、公判期日と公判期日の間も1、2か月あけるのは当たり前だった。その間、弁護人は前回の公判審理を反すうしたり、次の審理に向けて準備するという時間があった。争う被告人が次回期日の準備に力を入れるのはもちろんだが、罪を認めた被告人も自身の犯罪について様々な角度から考える時間もそれなりにあり、内省も深めていった。それが裁判員裁判ですべてぶち壊された。
裁判員は、マスコミ報道に影響されたままで判決の日を迎えることが多くなり、「人を殺したのだから、命で償え」などという感情論にも影響を受けやすくなりましたね。裁判員裁判に備えて導入された被害者参加制度でその傾向はさらに増幅されています。
そう、これまでなら死刑にならなかったケースでも死刑判決が出るようになってきているようにインコは考えている……、重罰化の傾向が明確だ。
「トラウマになっても、経験を自由に話し感情を吐き出させる場があります」と言われたら、それなら参加しますっていう人がホントにいるだろうか。
国賠訴訟では、福島地裁は「裁判員を経験して急性ストレス傷害になったことは認めるが、それは辞退できるのに辞退しなかったAさんの責任の問題だ」と言い、高裁もこれを認めました。「守秘義務があるのを知って参加したのだから何が何でも人には喋ってはいけない。すべて我慢しろ」と言っているようなものですよね。
そう、結論は「これだけの問題があるのにトラウマになるようなことをどうしてやらなければならないのか。罰しなければよいのではない。罰則付きで国民を動員することが求められているこの制度をなくせ」ということ以外にない。
うむ。これでお茶を濁したということはないという話になったかな。
では、ヒヨコ君、おちゃけを飲みに行こう。もち、マネージャーのゴチでね。
つぎの日、インコたちは思い出した…。かつて、巨酒に支配されていた時間のことを…。
投稿:2016年2月11日