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『朝日』『毎日』『読売』・裁判員裁判6年の総合的研究

001177産経ニュースに続いて、『朝日』『毎日』『読売』の6周年記事を考えます。これらの全国紙も「市民感覚」への急ブレーキにうらみ節を繰り広げたり、制度の行き詰まりを悲嘆したり、そうかと思うとそれほどでもないような記事にしてみたり、何となくやっぱりたそがれ酒場の空気が漂うんですね。

006311009あの~全部紹介すると膨大な量に…。

150504-03全部を紹介する価値もない。インコの独断でそれぞれ一部を引用し、やさしくコメントしてあげる。

1505013やさしく、ねぇ。

『朝日』を研究する

1-e1397901276348まず、5月21日の『朝日』。トップの横見出しは「市民の量刑判断 続く否定」。内容は重い量刑判断を否定する最高裁判決などの裁判と凄惨証拠不使用問題。

1-e1397901276348前者について『朝日』は、「高裁・最高裁、『公平性』を強調」という立て見出しを打ち、裁判員裁判の死刑判決を高裁に続いて最高裁も否定した事件と、求刑の1.5倍の判決を言い渡して高裁でも支持されていた事件を高裁・地裁串刺しに否定した最高裁判決を紹介。

001177遺族の不満の言葉を引用しながら「他の裁判との公平性」を強調する最高裁の姿勢を描き出しましたね。

1-e1397901276348この動向をメディアとしてどう評価するのか。その点こそ読者の関心事ではないかと思うのだが『朝日』は何も言わない。かえってそこに『朝日』の危機感がにじみ出ているようにインコは思う。

001177ま、その話はこの程度にさせてもらって、引用紹介は後者の凄惨証拠不使用の部分にしましょう。

心の負担 軽減課題A1506043
 今年3月、宮崎地裁で判決があった殺人事件の裁判員裁判。裁判員の心理的負担を減らすため、公判では遺体の写真がイラストで代用された。判決後の会見で、裁判員と補充裁判員9人のうち3人が、こう話した。「もう少し具体的に見せてもらってもよかった」 東京地裁で昨年10月にあった傷害致死事件の裁判では、検察側が遺体のイラストを証拠として請求したが、地裁は「写実的で裁判員の負担が大きい」としてイラストも認めなかった。
 こうした流れは、福島地裁郡山支部で強盗殺人事件の裁判員を務めた女性がストレス障害になったと国を提訴したのがきっかけだ。昨年9月の判決は、裁判員を務めたことでストレス障害になったと認めた。

1-e1397901276348イラストはあくまでイラスト、描いた人の手による作り物。凄惨な印象を弱める目的で描くのだから写実的なものではない。間違っても写実的じゃいけない。

001181しかし、印象の薄い刺激の少ない物で心証をとれということになれば、それでも裁判と言えるかという疑問が湧きます。

1-e1397901276348イラストも要らないとなれば、これまで証拠に写真を使っていたのは何のためだったのかとか、現に行われている裁判官の裁判で写真が使われているのは何のためかということになる。

001177裁判員裁判の証拠はイラストでよいとかイラストも要らないというような話は、制度設計時にはまったくなかった話です。

150504-03「裁判員になるのを厭(いと)う心情」を押し切った強制動員政策は、真実への肉薄を後に回して国民参加優先の結論に行き着いた。制度が崩壊しかねないという情勢判断は、裁判員裁判を「裁判」から「裁判もどきの儀式」に変えた。

001177「もう少し具体的に見せてもらってもよかった」という裁判員たちの感想は意味深長ですね。

1-e1397901276348見ればいたく心が傷つき、強く後悔したかも知れない。でも見ないで裁判するのは違うような気がする。「もう少し具体的に」という表現の中に、揺れる裁判員の思いを感じる。現在の裁判員裁判に残った強者(つわもの)の裁判員たちからもこんな感想が出るのだ。

 検察幹部は「イラストもなければ事件の悲惨さが伝わらない」と懸念する。ジャーナリストの江川紹子さんも「刑事裁判は真相に近づき刑事責任を判断するためにある。裁判員への配慮を優先するのは発想が逆だ」と指摘する。一方、あるベテラン刑事裁判官は「写真を見せなくても状況を説明することで残虐さを裁判員に伝えられる。裁判員の負担に配慮しつつ、きちんと事実認定をする工夫が裁判官に求められる」と言う。

001177検察の懸念もジャーナリストの指摘もある意味まともですね。裁判は裁判もどきになってはいけないという至極当然のことを言っている。

1-e1397901276348こんなことをわざわざ言わなければならないことの方がおかしい。裁判員裁判が行われるのはたいてい人の命に関わり、ほとんど悲惨な事件だ。凄惨な証拠を見ないで凄惨な事件を判断させるというムチャクチャな話がこの国の司法の場で現に進んでいる。

006311009「ベテラン刑事裁判官」は、状況の説明の仕方次第で残虐さは裁判員に伝えられると言う。

1-e1397901276348ベテラン裁判官とは誰か。よく言うよと笑う現場の裁判官の姿を想像する。残虐だとかそれほど残虐ではないとかいう判断は裁判員自身が証拠から感じとるもので、人が裁判員に伝えるものではない。それともこのベテラン氏は、裁判員裁判の証拠はすべて裁判官が裁判員に「状況の説明」をして伝えるものと思っているのか。

001177裁判官の胸先三寸、市民感覚じゃなくて裁判官の感覚が結論を決めるって話ね。

『毎日』を研究する

1-e1397901276348『毎日』に移ろう。5月22日の『毎日』。トップ横見出しはどでかく「『市民感覚』制限も」。中見出しは「『感情を刺激』証拠採用慎重」と「先例重視促す最高裁」。

001177内容は朝日と同じで順序が逆という感じ。ただし、記事量は『毎日』が5割も多いですね。

1-e1397901276348今度は「先例重視」にスポットを当てる。

先例重視促す最高裁 「公平が量刑の原則」m1506041
最高裁は昨年7月、1歳児虐待死事件で、両親に検察の求刑の1.5倍にあたる懲役15年を言い渡した裁判員裁判の判決を「他の裁判との公平性」を理由に減刑した。今年2月には裁判員裁判の死刑を無期懲役に減刑した2件の強盗殺人事件の2審判決を支持し、検察の上告を棄却した。市民の判断を尊重しつつ、先例を重視するよう地裁に促したといえる。
背景には最高裁司法研修所が2012年にまとめた「裁判員裁判の量刑の在り方」の報告書がある。公正・公平性を重視する立場から「死刑は先例と比較して初めて重大さの評価が可能になる」「先例と異なる量刑判断には合理的な理由が必要」とされており、元日本弁護士連合会裁判員本部事務局次長の宮村啓太弁護士は「制度開始前から裁判官が
考えてきたことが明確に打ち出された」とみる。

1-e1397901276348検察は裁判の常識に従って懲役10年を求刑した。裁判員たちはそんな求刑は軽すぎると検察の主張を蹴っ飛ばして15年の懲役を言い渡した。この事件は高裁の「ベテラン刑事裁判官」も1審の裁判員裁判に同調して、それでよいと言っていた。最高裁はこの地裁と高裁の判断を並べてぶった切った。その拠り所は、裁判員裁判が始まった年に最高裁司法研修所が裁判官たちを集めて研究させた報告書「裁判員裁判の量刑の在り方」、タイトルを正確に言えば「裁判員裁判における量刑評議の在り方について」だ。

001177報告書が発表されたのは3年後の12年10月。

006311009量刑評議の在り方の報告書?

1-e1397901276348もうすこし説明しよう。裁判員裁判が発足したのが2009年。制度を導入した最高裁は、もともと人民裁判や袋だたき裁判を推進しようとも、それだけはやめさせようとも、そういうことは考えていなかった。少なくともそれより気にしていたのは、この国の司法に対する「黒い霧」批判というか、日本の刑事司法はえん罪の汚らしい歴史を引きずっているというたぐいの批判だった。

001177実際、日弁連やマスコミなどは、えん罪をなくすために市民の声を裁判所に響かせようとか、裁判員制度をきっかけに陪審制に進もうとか、現状を批判する声を強めていましたね。

1-e1397901276348最高裁は気をつけんといかんぞと世間の空気を読んだ。この際、この国の刑事裁判の思想を少しも変えずに市民参加を実現し、プロの裁判官たちの仕事ぶりを国民に実践的に見学させて、被告人に対する処罰の仕方つまり量刑判断の基準を教えたい。そして、そのことにより、えん罪批判より大切なのは犯罪のない社会作りに協力することだと国民に学習させたい。そのために、現場の裁判官向けに量刑について裁判員たちにこのように語れと教える指導書を作ることにした。それがこの報告書なのだ。

001177ですから、この報告書には、国民の声をどう刑事裁判に反映させるかなどという視点はまったくありません。基本は言うまでもなく「先例重視」。元日弁連なんたら本部の弁護士が言ってる「制度開始前から裁判官が考えてきたことが明確に打ち出された」と言うのは間違っていません。

1-e1397901276348でも、現場の裁判員裁判は最高裁の懸念とはかなり違う方向に進んだ。裁判員になることをほとんどの国民が嫌がり、やってもよいとかやりたいという市民の多くは重罰を求めた。

001177「歴史も伝統も私たちにはあまり関係がない。とんでもない犯罪を犯した被告人には重罰を科すべきだ」という声がどんどん強まったのです。

1-e1397901276348超不人気の結果、際立つことになった重罰思考は最高裁の予想や思惑を超えた現実だった。「先例重視」か「重罰志向」か。報告書は重罰を求める人々との間できしむことになってしまったのだ

006311009なるほど。

 従来の刑事裁判は、結果の重大性に加え、犯罪行為の危険性や計画性を検討し、被害者の処罰感情や被告の謝罪は、あくまで量刑要素の一つにすぎないとみなしてきた。先例重視の傾向は、犯罪行為と関わりの薄い証拠を絞り込む姿勢にもつながっている。
 あるベテラン裁判官は、パニック状態で何度も突き刺した事件と、1発の銃弾で計画的に殺害した事件を比較し、「遺体の状況は前者がひどいが、刑は後者が重くなる可能性がある。遺体や現場の写真が裁判員に誤った影響を与える可能性がある」と指摘。「裁判官と裁判員に共通認識があれば急な変化は起こらないはず」と解説する。
 検察の求刑を超えた裁判員裁判の判決は、11〜13年は10〜19件。これが14年は2件にとどまった。先例への理解が広がった結果ともいえる。

へ?あんまりよくわかっていない説明に思える。「先例重視の傾向は、犯罪行為と関わりの薄い証拠を絞り込む姿勢にもつながっている」って言うが、重罰志向の市民は「被害者の処罰感情や被告の謝罪」こそ犯罪の悪質さや被告人の責任の重さを量る決定的な指標だと言い、それらを「犯罪行為と関わりの薄い証拠」と見ること自体に反発する。

001181量刑の判断にあたり何を重視するかという見方・考え方の基本が違うということね。

1-e1397901276348またまた「ベテラン裁判官」の無責任発言だ。だがそれは「裁判官と裁判員に共通認識があれば急な変化は起こらない」などという生やさしい話じゃない。裁判官たちが今相手にしているのは、並の人たちではない。「人民裁判や袋だたき裁判のどこが悪いのだ」くらいのことは言い出しかねない人たちなのだ。裁判官たちは、それを言いたくて裁判所に出かけてきたというような「奇特な人たち」と一緒に裁判をしなければならなくなっている。

001181実際、この間プロの裁判官たちはその声に押されて彼らと一緒に重罰志向に走り、求刑超えもやっちゃえってことになりましたから。

1-e1397901276348どうしようもない不評にびびった最高裁自身が「国民の声を可能な限り尊重せよ」なんていう判決を出したこともあり、

001177(「あてどもなく荒野をさまよう最高裁」を見てね)

1-e1397901276348それこそ御大・総本山自身が揺らぎまくったけれど、高裁などからもそれは違うだろうなどとクレームがつき、最高裁も迷走しながら軌道修正を図ってきた。その方向を決定的に示し「裁判員に引きずられるな」と全制動をかけたのが昨年7月の最高裁判決だったのさ。

001177(「最高裁は結局こういうところに行き着く」を見てね)

1-e1397901276348裁判官は我が国の刑事司法の伝統を守れ、報告書をもう一度ちゃんと読めってね、ま、そういうことになった。これで求刑超えもこれからはほとんどなくなるだろう。

『読売』を研究する

1-e1397901276348さぁ、最後に『読売』だ。

001177これは5月20日ですね。トップの横見出しは「求刑上回る判決 急減」。中見出しは「最高裁判断 影響か」「『先例』を重視」と「延びる審理 増える辞退」。内容は求刑超え判決の激減をどう考えるべきかということと、裁判の長期化・辞退増加の問題。

1-e1397901276348求刑超えについては、「評議が適切に行われるようになった」という元判事の肯定論と「市民参加の意欲低下につながりかねない」という推進弁護士の懸念論を並べて紹介している。

006311009「市民参加の意欲低下」は明らかです。

1-e1397901276348数少なくなった参加者からも見放されたら、裁判員裁判に参加してくれる国民はあとどこにいるのか。最高裁は最終幕「八方ふさがりの段」に突入している。しかし、そのあたりについてはもう皆さま共通の理解だろう。ここでは後者の審理の長期化や辞退の増加をテーマにする。

延びる審理 増える辞退Y1506042
審理日数や評議の時間が延びる一方、裁判員の辞退は増え続けている。最高裁が施行6年を前に発表した裁判員制度のデータからは、「国民の幅広い参加」にかげりが出ている現状が浮かび上がる。
初公判から判決までの平均審理に数は、09年が3.7日だったが、年々延びて今年は9.9日。公判回数も3.3回から4.7回に増えた。各地裁が裁判員の負担を軽減しようと、審理を詰め込まずに日程に余裕を持たせる傾向が強まっている影響とみられる。
評議時間も、09年の平均6時間37分から、今年は12時間31分に延びた。ベテラン裁判官は「納得いくまで評議したいという裁判員の要望を踏まえ、評議に時間をかける意識が高まっている」と話す。

150504-03「国民の幅広い参加」にかげりが出ているって? 「かげり」というのは「好ましくない徴候」のことだぜ。

001181ほんとに。「審理日数や評議の時間が延びる一方、裁判員の辞退は増え続けている」って言うんでしょう。そういうときに使う言葉じゃないでしょ。赤信号とかレッドカードとか、こういう場合にフツー使う言葉を使いなさいよ。

1-e1397901276348始まった年と今年1~3月をくらべると、公判前整理手続期間は3倍近くに延び、審理日数も3倍近くになった。開廷数も5割も増えた。評議時間は2倍近くに。辞退率は5割強から7割近くに。

001177裁判員の負担を軽くせよという至上命令は、興味深いことに公判前整理を決定的に長期化させるという結果を生みましたね。

1-e1397901276348この段階で徹底的に闘わなければ超短時間の公判審理では負けてしまう。そのような危機感で検察も弁護も緊張し、裁判所も「裁判員に迷惑をかけないなら」とある程度寛容に対応した。結果、公判前整理手続はどんどん長くなった。公判がなかなか始まらないので被告人は延々と待たされる。それもほとんどは拘置所などに拘束されたままだ。

006311009ひどい話。

1-e1397901276348それでも公判審理は短くならず、これもどんどん長くなっている。審理日数が長くなるということは、検察や弁護が主張にかける時間を長くし、尋問する証人などの数を増やして、1人当たりの尋問時間が長くなっていることを推測させる。

001177聞く話が多くなればなるほど情報量も増え、論点も多くなって評議の時間も長くなるのは当然です。

1-e1397901276348「各地裁が裁判員の負担を軽減しようと、審理を詰め込まずに日程に余裕を持たせる傾向が強まっている」と。

1505013ん?

 「納得いくまで評議したいという裁判員の要望を踏まえ、評議に時間をかける意識が高まっている」と。

1505013ん?ん?

150504-03負担を軽くするために日にちをかけてくれと本当に裁判員たちから言われているのか。評議に時間をかける意識が高まっていると本当に言えるのか。そんなに意欲的な状況があるのなら、やって良かったって声がもっともっと世の中に広がってもいいはずだ。

001177そう、最高裁の「インチキ」アンケートだけじゃなくてね。

 ただ、今年は裁判候補者に選ばれた約4万2214人のうち2万8332人が辞退し、辞退率は67.1%。施行当初より14ポイントも高く、国民の参加意欲や関心が薄れている可能性がある。審理日程が仕事と重なることを辞退の理由に挙げる人も多いため、裁判所内では「短期間での集中審理の方が参加しやすい場合もあり、辞退を減らす方策を考える必要がある」との声も上がっている。

1-e1397901276348その状況は「国民の参加意欲や関心が薄れている可能性がある」なんていう生やさしい状態ではまったくない。国民から見放されているというような言い方を避けるところに、制度推進に走ったマスコミの無責任がまたまた顔を出している。

001177でも、「短期間での集中審理の方が参加しやすい場合もある」なんていうことになると、現状以上の短時間審理で結論を出すことになる。けれど、それなら参加してもよいと考えを変えてくれる保障なんて実際の話どこにもありません。

006311009やっぱり八方ふさがりなんだなぁ。

1-e1397901276348さて、『朝日』『毎日』『読売』、全国紙三紙の6周年報道記事を皆さまはどう読まれましたか。どう読んでも「終わりの風景」じゃないですか。制度の推進に走った人たちのベースにあったのは「市民の声を裁判所に」というなにやらよさげな響きを持つ言葉だった。でも、最高裁はそんなことを爪の先ほども考えていなかった。そして最高裁の思惑は白日の下にさらされた。そうしたらマスコミの皆さんが言うべきことは、不勉強・不徳のいたすところと深くお詫びするってことじゃないのですか。自身の立場をはっきりさせないでうろうろ中途半端なことを言ってごまかすのは醜悪ですよ。

投稿:2015年6月4日