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寄稿「誘導尋問で逆転無罪 裁判員裁判はどうなんだ!?」

満員電車内で女性の尻を触ったとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた男性の控訴審判決で、逆転無罪判決(1審東京地裁・罰金40万円)が出た。逆転の理由は「1審の裁判官が被害者の供述を誘導していてあまり信用できない」からだそうだ。

7月25日付け『東京新聞』夕刊の記事は要旨次のように報道している。

  控訴審の裁判官は「満員電車内では被害者と犯人の体勢や位置が変わる可能性がある」として、捜査段階からの被害者の供述を詳細に検討した。そして、事件当日の警察に対する被害状況の供述には、①女性がつかんだ指をいったん放してバッグを持ち替えている、②再び振り向いて腕をつかんだと言うがその内容が検察調書には出てこないなどと、と指摘。「1審の裁判官は欠落部分を補う答えを暗示しながらたて続けに質問を発する典型的な誘導尋問をした」と断じ、供述の信用性を認めなかった。

誘導尋問というのは「尋問者が自分の欲する供述を暗示して、それに誘導するような尋問」(広辞苑)である。
被告人がやっていないと主張しているときに、被害者の供述内容が正しいかどうかを慎重にチェックするのが尋問だろう。検察・弁護の尋問の後に補充して聞くのが裁判官の質問だ。補充尋問と言われるのはそのため。その場で検察官を代行するような尋問をしていたんじゃ、もうそれは裁判ではない。

1審の裁判官が誘導尋問をしたということは、尋問の前に有罪の心証をしっかり持ち、誘導して得た証言を判決理由に使うためだったことは疑問の余地がない。あまりに露骨過ぎては控訴審も論及せざるを得ず、破棄せざるを得なかったのだろう。

裁判員裁判対象事件だったらどういうことになるか。
公判前整理手続きがあるので、裁判官諸公は公判開始までに有罪か無罪かの心証をほぼ得ている(ほとんどは有罪の心証を固めている)。
評議の場ではプロ3人が素人6人を相手にして自分たちの心証どおりに結論をリードしてゆくことなど造作もない。赤子の手をひねるようなものとはこのことだ。
「見えないレールが敷かれていた」などと手口を見られてしまったヘボ裁判官もいたが、たいていは「裁判官が丁寧に教えてくれたので」と謝辞を受ける形で終わる。

お客様(裁判員)に配慮して分刻みのスケジュールで行われる裁判である。証人尋問ももちろんその例外ではない。4年前の裁判員裁判第1号(東京地裁)では、「私は現場を見ていないが、窓の側にいた弟なら私よりよくわかるはずだ」という証言が飛び出したのに、その弟の尋問は行われなかった。それが裁判員裁判である。すべてのお膳立てが終わっている裁判員裁判では、そんなのはそれこそ「余計な」尋問になる。

結論を決めてひたすらゴールに向けて走ってはいけない、というのが今回の控訴審裁判だ。
じゃあ、裁判員裁判はどうなんだというのが私の言いたいこと。 裁判員裁判ほど誘導てんこ盛り、有罪推定一色、検察助け船総繰り出しの裁判はない。

まあ、ここで控訴審裁判官は裁判官としての矜恃を見せたのだろうが、一審の裁判員有罪判決をひっくり返すまでの意地はあるか。00804-450x337

 

 

 

 

投稿:2013年7月29日

元警部補 不起訴と検察審査会の問題

富山市で2010年4月,会社役員夫婦が殺害され,住宅に放火される事件が起き,元警部補が殺人と現住建造物等放火の容疑で2012年12月に逮捕された。
「逮捕に踏み切ったのは刑事の勘」(捜査幹部)であり,「警官が自供しているのに逮捕しなかったら『身内に甘い』と非難される」(警視庁幹部)から逮捕した。

だが,殺害方法も事件前後の足取りも現場の状況とことごとく食い違うという。
自供があるからと証拠の積み上げを怠り,矛盾を突き崩すこともしなかった警察。これは,「証拠がなくても自供さえとれば犯人にできる」という姿勢の裏返しだろう。

結果,富山地検は7月24日「客観的証拠と供述が矛盾している」として嫌疑不十分で不起訴とした。

これに対し,遺族は「警察・検察には失望の連続。裁判員裁判の下,市民の感覚で裁かれるべきだ」として今月中にも検察審査会に審査を申し立てると記者会見で表明した。

つまり,「市民の感覚なら,『自分がやったと言っているのだから犯人だ』と言ってくれるはず」ということである。そして「証拠と供述が矛盾していようと,自供がある。2人殺害して放火したので死刑で」となる市民感覚に期待しているということになる。

「検察審査会」は,裁判員制度と同じ「市民感覚を司法に生かす」という「司法改革」の一環であるが,そもそも,「無実」ではなさそうだから裁判で白黒つけようというのは,推定無罪から逸脱しているだろう。
刑事裁判は,「無実」を争うものではなく,検察の有罪証拠が疑いなきまでに立証されているかどうかを判断するものだからだ。

検察の持つ絶大なシステムは,長期にわたる勾留における秘密の取り調べでの脅し,不利な証拠の未開示=無罪証拠の隠蔽など様々な問題をはらみ,数多くのえん罪を生み出してきた。
それをもってしても起訴できないと判断した者を,「市民感覚からしたらそれはおかしい」という程度で刑事裁判ができるというシステム自体が間違っている。

「検察審査会」も裁判員制度同様,いらない!inko_A4-1

 

 

投稿:2013年7月25日

歴史は繰り返す?1930年の法律新聞を読む

1930年(昭和5年)6月28日に発行された『法律新聞』第3155号には、「大きな期待も外れ不人気な陪審制度」と題する記事が掲載されています。
記事によると、陪審制度実施後1年8カ月で辞退者が続出、陪審制度不人気の理由として、「国民の真の要求によって生まれたものではない」などの理由を挙げていますが、これって今の裁判員制度にもぴったり当てはまる言葉ですね。というわけで、1930年発行『法律新聞』の記事と2013年インコのお山で発行された『インコ新聞』の記事、時空を超えて一挙掲載。

新聞題名Scan0004

インコ新聞第3135号 2013年6月28日発行

「大きな反発どおり不人気な裁判員制度」
司法裁判史上破滅的な試みとして、各方面から非常な反発を呼んだ裁判員法は、実施以来、まる4年が過ぎようとしているが、制度定着どころか、ますます破綻の様相を強しているものの、当局は「概ね順調」と言い繕ってその現実を見ようとしていない。

 実施以前の世論調査では、やりたくない人は8割近くに上っていたが、当局では実施すれば支持されるものと見込んでいたようだ。
しかし、以後も、世論調査をするたびに「やりたくない」という人が増え、2013 年1月から2月にかけて最高裁が行った「裁判員制度に関する意識調査」でも「参加したくない」が41.9%、「あまり参加したくないが,義務であれば参加せざるを得ない」が41.9%と、「やりたくない」と思っている人は8割以上に上っている。

 さらに、裁判員の負担も大きく、裁判中に倒れる人や、裁判が終わっても車の運転ができず退職に追い込まれた人などがでて、ついには外傷性ストレス傷害になった元裁判員から国賠訴訟を起こされるに至った。

 どうして裁判員裁判が不人気なのかインコの見るところでは、
▽ 国民の真の要求によって生まれたものではない
▽裁判員が参加する前の公判前整理手続きで実質的に裁判の行方が決まってしまい、公判が始まると裁判員の都合が優先され、新たな証拠調べや証人申請ができない
▽1審の判決を重視せよとの通達で実質的1審制になっており、被告としては不安が多く、それよりも従来の3審制の方が良かったという気がする
▽裁判員裁判の有罪率は99.9%、さらには一部で求刑越えなどの重罰化が進むなどしている
▽国民の大多数は自分たちに負担をかける前に、高給取り(税金)の裁判官がまともな裁判を行えと思っている
▽裁判員裁判の努力は裁判官裁判の約10倍と言われている。
▽法律知識の相当ある者とゼロの者、さらには半可通の者も嫌がっており、「やってみたい」と言っているのは、「何がなんでも死刑判決を出したい」とか、「お金ほしいのでバイト気分でやりたい」というような興味本位の者ばかりであるので、早く廃止しなければならないというのが専門家だけでなく、国民の声となっている。clock2

 

陪審裁判の件数は、1928年は月16件、1929年は月12件、1930年は月6件、1931年は月5件である。

 

投稿:2013年7月24日

民の難儀平気物語

裁判員の鐘の音 制度終焉の響き有り

広報女優の人気度も 盛者必衰の理を表す

賛成する者久しからず ただ春の世の夢の如し

推進する者 遂には滅びぬ

単に風の前の塵に同じ

遠く異朝をとぶらへばメリケン國の陪審制度 25年の間にて 130人をえん罪にて死刑宣告し 諫めをもおもいいれず 天下のみだれむ事を悟らずして 無辜の民の愁る所をしらざしかば 久しからずして 亡者の嘆きもいくばかりなり

近く本朝をうかがうに 戦前の陪審制度 ものの数年で希望する者激減し 制度中止へと追い込まれん おごれる心もたけき事も 皆とりどりにこそありしかども

まぢかくは 三宅坂の最高裁の長官の竹崎博允公と申し人のありさま 伝え受けたる心も詞も及ばれねs_0_vc8_img-01_vc8_img-01_0_vc8_img-01

 

投稿:2013年7月22日

裁判員制度ふたたび

玄侑宗久さん(芥川賞作家、臨済宗僧侶、福島県三春在住)は、昨年4月から月1回、『東京新聞』の「暮らし見つめて」のコーナーに「うゐの奥山」という題でエッセイを書かれている。1441

16回目となる7月6日、裁判員制度の問題について福島の女性が外傷性ストレス傷害になった問題をきっかけに、「ふたたび」制度反対の声をあげるといわれた。タイトルは「裁判員制度ふたたび」である。

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「裁判員制度ふたたび」

急に「ふたたび」と言われてもワケがわからないかもしれない。しかし私にとって裁判員制度は、発足当初から反対しており、反対運動にも名を連ねていた。やはり「ふたたび」反対を言わなくてはと思った次第である。

どうして間が抜けてしまったのかというと、東日本大震災が起きたせいである。こう言っては本当に申し訳ないのだが、実際、頻繁な復興構想会議への参加もあり、お寺の仕事も忙しかったため、とても裁判員制度への反対運動にまで関わる余裕がなかった。忸怩たる思いをもちながらも、見守ることしかできなかったのである。

―――

そうこうするうちにとうとう危惧したことが起こってしまった。夫婦二人に強盗殺人をはたらいた罪を問われ、今年三月に死刑が言い渡された裁判が福島地裁郡山支部であったのだが、その際に裁判員を務めた六十代の女性が、「急性ストレス傷害」と診断されたのである。

女性は証拠調べの過程で、遺体や傷口のカラー写真を何枚も見せられている。ナイフで十回以上刺したとされる凶行を想像するうちに、具合がおかしくなってしまったのだろう。

もともと彼女は、裁判員選任手続きをした三月一日直後から不眠に悩んでおり、審理中に残忍な写真や凶器のナイフまで見せられ、三月四日の第一回公判以後はふっつり喋らなくなってしまう。肉料理を嫌がり、嘔吐を繰り返し、体重も急激に減少していくのである。

判決言い渡しの際の彼女を、新聞は次のように描いている。
「裁判長が判決文を朗読中、下を向き、被告を凝視することはなかった。自分たちの判断で死刑が宣告される相手を直視できない心的負担がうかがえた」

 ―――

この女性は、当時、福祉施設に勤務していたのだが、おそらくこれは、同じような裁判に裁判員として関わる全ての人々に共通する反応ではないだろうか。医師はPTSD(心的外傷後ストレス傷害)への移行を懸念しているが、裁判員として裁判に関わるということは、大なり小なりそのような心的負担を強いられるのは間違いない。忘れたくても忘れられない記憶に、おそらく一生悩みつづけるのではないだろうか。

この国の国民であるだけで、これほど過酷な務めが発生する現状は、どう考えてもおかしい。札幌では女性裁判員が審理中に卒倒し、福岡ではショックのせいか裁判所の廊下をふらふら歩いていた裁判員が目撃されている。しかも郡山の女性が最高裁の「裁判員メンタルヘルスサポート窓口」に連絡すると、東京まで自費で出てこなと対面カウンセリングはできないと告げられている。

もともとこの制度、判決に一般人を加担させて批判を封じ込める卑怯極まりないやり方に思えるが、国民の福利の観点からも抜本的に見直し、是非とも廃止してほしい。HP普通には

 

 

 

 

 

投稿:2013年7月21日

国破れて裁判員

国破れて裁判員

不出頭多く 落胆深し

違憲に感じては 六法にも涙を注ぎ

犯罪を恨んでは 求刑超えも驚かず

抗議の声 三月に連なり

ASD 国賠にかかる

長官発言聞けば 更に虚しく

制度への不信 極まらんと欲す法曹三者

投稿:2013年7月19日

本当は怖い「森のくまさん」替え歌にしたらもっと怖い

「森のくまさん」というちょっと、いえ、かなり不思議な童謡がありますね。

お嬢さんが森の中で熊さんに出会ったら、熊さんから逃げるように言われ、しかし、熊さんも後からついて来ていて、イヤリングを拾ってくれていたので、最後は一緒に踊る……

ドナドナ研究会「森のくまさんの謎~花咲く森の道で~」によると、元歌のアメリカ民謡では、逃げるように熊がアドバイスする理由ははっきりしていて
「’Cause I can see, you have no gun (銃を持っていないみたいだから)」
そして熊から必死に逃げて、木の枝にジャンプ。お話はここでおしまい。どこかであの熊と出会わない限り。

ちょっぴりユーモラスだけど本当は怖い「森のくまさん」をユーモアも何もなく本当に怖い裁判員制度の替え歌にしてみました。

ある日 呼び出され 三日後 判決よ

死刑 無期懲役 しろうとが決めるの

お上の 言うことにゃ 裁判は やさしいと

市民の感覚 気分で裁くのよ

ところが 評議の 内容は しゃべるな

秘密と罰則で 心を縛るのよ森のくまさん用

裁判員 現代の赤紙 動員よ

改憲攻撃が あなたを待っている

さあみなさん 廃止だよ みんなで 力を

力をあわせて 廃止に追い込むよ

 

投稿:2013年7月16日

東京、実は21区しかないんだよ~んwww

車中、暇なので、みんなで「東京23区みんな言えるかな」をやってみた。いくらやっても21区しか出てこない。「やっぱ23区もあるって騙されてんだよ」「23もあるなんて多すぎると思ってたんだよ」と訳のわからない話になり…… 自分たちの無知を棚に上げて「東京は21区である」で合意www

なんておバカ話をツイートしたところ、すかさずF弁護士(第二東京の若手、IT問題に強いイケメン=お会いしたことはないがインコのフォロワーなのでイケメン認定)から

つまり、裁判員裁判の合議の風刺ですか(・∀・;)

おー 無意識にも裁判員裁判を批判してしまう裁判員制度いらないインコ!(・◇・)ゝ”

裁判員裁判の合議は単純多数決。裁判官3人+裁判員6人=9人 だから5人が有罪だと言えば有罪なんですね。もちろん、「有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない」とあるので、裁判員だけが有罪と言っても成立しないってことにはなってます。

インコにすれば、9人しかいない中で、1人でも「無罪じゃないの?」と思うということは、十分「有罪にするには合理的疑い」があり、「無罪推定」が働いても良いんじゃないかと思うのですけどね。

逆に言えば、死刑になるような事件でも、裁判官1人と裁判員4人が有罪・死刑と言えば、裁判官2人と裁判員2人が無罪を主張していても有罪・死刑になってしまうということ。裁判官だけの裁判だと、この場合無罪になるので、素人が入ることによって極端な不利益を被る可能性があるのです。

2012年7月30日、姉を刺殺したとして起訴された42歳の男性に対する大阪地裁の判決は、生まれつきの発達障害とされるアスペルガー症候群という事情を酌量しないばかりか、再犯のおそれが強いから長く刑務所に入れておくべきだとして検察官の求刑を4年も上回る懲役20年を言い渡しました。これについて、ベテランの司法記者は「大阪地裁の裁判員6人の中に障害者への偏見が強く、しかも評議で声の大きい人がいたのだろう。判決は裁判官1人以上を含む過半数で決まるから、裁判官3人のうち最低1人は抗しきれなかったではないか」とみている(FACTA裁判員裁判を貶める「最悪の判決」から引用)。

東京には21区しかない=自分が知らないことは事実ではない=と思う人でも裁判員になれるのです。
実際、「裁判用語が理解できましたか?」などと質問され、「難しくよくわかりませんでした」と答える人が判決に関わっているのですから……懲りない人達HP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿:2013年7月15日

「死刑執行員制度の恐怖」記事の恐怖

日刊サイゾーの衝撃記事(2013年7月12日)

新潟大学の西野教授の「寿司員制度」と同じく、裁判員制度に対するアイロニーだと思いたいですが、裁判員制度を許し、死刑制度を支持する限り、あながちありえない話でもないと思えるところが怖い。

記事全文はこちら↓

「裁判員制度と同じように、民間人から選出?」“死刑執行員制度”の恐怖

法務省のOBも名を連ねる市民団体から、「死刑執行員制度」の提案が出されている。近く専門の組織を新たに立ち上げ、来春にも有識者でその仕組みの骨子をまとめる予定だという。裁判が終わっても…2

「死刑に反対するわけではなく、拘置所の職員にそれを任せているのはおかしいというのが我々の趣旨。近く、それを訴える組織を立ち上げようという話になっている」と話すのは、元法務局職員のS氏。

現状の死刑執行は、法務省の刑事局から命令書を受け取った拘置所が、通常5名の執行刑務官を選出。後日、検事ら含めた15名ほどが立ち会って刑場へ出向く。刑務官が死刑囚の両腕を抱えて踏み板に立たせ、執行刑務官が5つのボタンをそれぞれ押す。これについてS氏は「刑務官の任務としては重すぎる」と反対姿勢をとる。

「過去にボタンを押した刑務官が何人も、精神的ストレスから退職しているんです。裁判については裁判員制度が始まって、民間人も死刑判決を下すことに参加しているわけです。それなら死刑執行についても、民間人参加の形に変える必要があるのではないでしょうか。当初はある弁護士から、“死刑判決を下した裁判官がボタンを押すべき”という意見が出ていたんです。裁判官の身分は強固に保障がされていて、誤判、冤罪があっても処罰されることはないですし、もっと責任を持たせるべきだという話でした」(同)

ただ、この案は「そうなると、死刑判決を避けたい裁判官が出てくる危惧がある」と反対意見も多く、「そこで法務省関係者から“裁判員制度と同じように、国民からランダムで選んで行ってもらうのはどうか”という提案が出た」とS氏。

その具体的な中身については今後、議論を重ねてまとめる予定とのことだが、市民団体のメンバーからは「希望すれば、被害者の親族もボタンを押せる選択肢もあるべき」との意見が出ており「これは実際に凶悪犯罪で家族を失い、犯人に死刑判決が下った遺族からも出ていた話」だという。

ただ、現状の仕組みを変えるには法改正が必要で、そこまでたどり着くには相当な道のりがあり、また世間の否定的な反応も予想できる。それでもS氏は「ボタンを押す担当者を選ぶというのは、裁判員制度に比べれば難しくない。海外では多くの国々が死刑制度への反対をしている中、日本では賛成が多数なのですから、国民がそれを断るというのもおかしい」とする。

死刑の是非とはまた別のところにある死刑執行員制度、本格的な提案に発展するのであれば、大きな議論を巻き起こすことになりそうだ。裁判が終わっても…3

(文=鈴木雅久)

投稿:2013年7月13日

替え歌 裁判員制度は廃止でしょう♪

市民参加の 美名の下で  人権無視を 決め込んで
裁判員制度の問題は  簡易 迅速 重罰よ
旗振り役の 日弁連  人権砦の 名が泣くよ
裁判員制度は廃止でしょう
裁判員制度は廃止でしょう

評議の内容 しゃべると言えば  一生秘密だ 処罰する
断れないよ 誰もかも  国民動員 強制よ
だれでもイヤになる制度  推進するのは 法務省
裁判員制度は廃止でしょう
裁判員制度は廃止でしょう

市民の感覚 気分で裁く  法律知らない 構わないささ~大丈夫
電光石火の 裁判で  えん罪増やすか 最高裁
制度矛盾を 露呈して  改憲攻撃 進めてく
裁判員制度は廃止でしょう
裁判員制度は廃止でしょう

(月光仮面はだれでしょう♪)

投稿:2013年7月12日

寄稿「裁判員制度の見直しをしないと言ったということは」

法務省が設けた「裁判員制度に関する検討会」は、6月下旬、審理期間を年で数えるような超長期事件が起きない限りこのまま裁判員にやらせ、大規模災害の被災者にでもならない限り裁判員はやらせる、などの方針を確認し、裁判員制度の抜本的な見直しはしないという最終報告書をまとめた。

検討会の座長は、井上正人東大教授。この御仁は、裁判員制度を政府に答申した司法制度改革審議会の元委員。その後政府・司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会の座長をつとめた。なお、検討会には弁護士会サイドから「陪審命」の四宮啓氏と前田裕司氏が参加。

今回の見直し作業なるものは裁判員法附則第9条の「この法律の施行後3年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする」との定めに基づく。
3年目に見直してくれと言う法律も珍しい。
こんなけったいな付則つきとなったのは訳がある。
実は、この制度に対しては、制度設計の初っぱなから各界各方面から疑問や異論が噴出していた。
政府法務省は、これをしのぐ窮余の策として「附則に施行3年後に見直すと書き込むので何とか国会は通してくれ」と各会派に頼み込んだのであった。
情けないことにこんな誤魔化しにより国会はほとんど審議らしい審議もせずに2004年5月、この法律を成立させてしまった。それでも衆参両院の法務委員会はそれぞれ次のような附帯決議を付けて政府に宿題を課した。

「守秘義務の範囲の明確化や裁判員にわかりやすい立証や説明などの工夫を」「国民の理解を十分に得て、国民が自ら進んで裁判員として参加するよう周知活動を十分に行え」(衆院法務委)。「制度の周知活動の実施を含め、施行前の準備を十分行え」「裁判に参加できるよう社会環境の整備に努めよ」(参院法務委)。

ところで、法の見直しで思い起こされるのは日本国憲法、特に「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」という例の96条だ。
96条は「このルールは簡単に見直してはいけない」と定める。
これに対し、裁判員法は「3年経ったらどうぞ見直して下さい」とわざわざ法文中に書き込んでいる。国の骨格と揺るぎない原則を定める憲法と比較するのも憚られるが、見直し付則は裁判員法のあまりのできの悪さを自認する規定と言ってもよい。

さて、準備期間5年はまたたく間に経過したが、政府が湯水のごとく金を使った宣伝にもかかわらず、国民の理解も支持も一向に高まらなかった。
それどころか世論調査をくり返すほど民意は制度から離れる一方であった。
制度実施の延期を求める声も各方面からあがり、社民党や共産党は一時実施の延期まで提起した。
それでも政府は、敢えて制度の実施に突っ込んだ。

そして、2012年5月、裁判員法は施行から3年が経過した。
実際のところ、制度推進派の立場からしても、見直しを広く議論することを通して、制度に対する国民の理解を深めたり支持を強めたりしたかったはずだ。
抜本的な見直しは何もしないと言うしかなかったということは、その機会を政府が自ら放棄したことを意味する。
何故か? 見直し論議を進めれば進めるほど制度廃止の声が高まることを彼らは誰よりもよく知っているからなのだ。法曹三者
国民の拒絶は今や強烈に功を奏し、政府法務省や最高裁などを確実に追い込んでいる。彼らにあるのは焦燥感だけである。

投稿:2013年7月10日

法務省検討会―検討してこれですか?

法務省の「裁判員制度に関する検討会」は、6月21日、最終報告書をまとめました。

抜本的見直しはせず、審理期間が年単位に及ぶような事件は裁判官のみにするとか、東日本大震災のような大規模災害の被災者は裁判員候補者から外すとか、性犯罪の被害者は匿名にする程度の「見直し」で、 日弁連の提案は全否定されています(日弁連の提案と全否定の問題については川村理弁護士の「法務省「検討会」取りまとめ報告書を読んで ―全否定された日弁連の「提案」―」をお読みください)。

審理期間が年単位に及ぶ事件の排除
審理期間が年単位に及ぶような事件て何ですか?
裁判員裁判となった首都圏連続不審死事件(さいたま地裁100日)も鳥取連続不審死事件(鳥取地裁75日)もこれまでの刑事裁判なら年単位となり、もっと丁重な審理と弁護活動が行われていたでしょう。結局、どのような事件でもサクッと終わらせるので、「審理が年単位に及ぶ事件などない」ということになります。
マスコミは「長期審理は除外」などと報道しましたが、「そうか、大変な事件は排除されるのだな。それなら裁判員になっても良いか」などと思う人はいないでしょう。

大規模災害の被災者の免除
最高裁は、東日本大震災からたった2週間しか経っていない3月25日に、地震と津波と原発事故で壊滅的な被害を受けた盛岡、仙台、福島の各地裁本庁と福島地裁郡山支部で、「3月28日以降、裁判員らの来庁に支障のない事件の公判を開く」と発表しました。
家族を失い家財のすべてを喪失した20数万とも30万人ともいわれるの被災者たちが明日の生活を、いや、今日の生活を案じて各地の避難所で生活している最中にです。
これに対し、仙台高裁は4月1日、ホームページに次の告知文を掲載しました。19-h

仙台地方裁判所 裁判員裁判の予定はありません。
福島地方裁判所  裁判員裁判の予定はありません。
盛岡地方裁判所 裁判員裁判の予定はありません。

仙台、福島、盛岡には「来庁に支障のない裁判員などいない」ということの告知にほかなりません。
最高裁の面子が丸つぶれになった「事件」でした。
今回の除外というのは、この轍を踏まないようにするためのものでしょうが、そもそも刑事裁判は、裁判所近くの官舎に住む裁判官・検察官と、多くは裁判所近くに事務所を構える弁護士によって担われてきたのですから、県内から幅広く素人を集めるというシステム自体に無理があるのです。

性犯罪の匿名
性犯罪事件では被害者を匿名にするなど被害者への配慮を裁判所に義務づけるということですが、ある性犯罪被害者は次のように述べています。
「裁判員は一般市民です。そんな人に、プロにだって見られたくない証拠を見られ、あれこれ質問されるなんて、考えただけで吐きそう。裁判員になりたい人がどういう人か考えたとき、法廷はセカンドレイプの場になりかねない。裁判員制度から性犯罪は除外してほしい」
しかし、制度推進側にとって性犯罪を除外することはできないのです。

「見直し」とはこの程度のこと
こんなことで国民が裁判員になりたいと思うでしょうか? そんなことは「検討会」の委員も思っていないでしょう。
しかし、抜本的見直しをすると言った途端、「それなら制度廃止を」となることがよく分かっているからです。
ですから、小手先の「見直し」でお茶を濁し、8割以上の国民が裁判員になりたくないと思っていてもそれをどうすることもできないのです。えーわたし1

 

投稿:2013年7月9日

絶体絶命……最高裁どうするの?

7月1日、東京高検は、強盗殺人などに問われた62歳の被告人を無期懲役とした2審・東京高裁判決を不服として、最高裁に上告した。

1審・東京地裁の裁判員裁判は死刑を言い渡していたが、6月20日の2審判決は「1審判決は、被告の前科を重視し過ぎている」と指摘し、裁判員裁判が出した死刑判決を初めて破棄した。高検はこれに不服を申し立てたのだ。

「一審判決を尊重すべきだ」(2012年2月13日第1小法廷 裁判長・金築誠志、裁判官:宮川光治・櫻井龍子・横田尤孝・白木 勇)と言ってきた最高裁はどうするのか。ちなみに最高裁には、「犯人を立証するのに同種の前科を証拠に使うことは許されない」(2012年9月7日第2小法廷 裁判長:竹崎博允、 裁判官:竹内行夫・須藤正彦・千葉勝美)という判例がある。

今回の2審判決は、「夫婦げんかの末の無理心中(前科の事件)と、今回の強盗殺人は類型が違う」として、「服役済みの前科を今回の事件の量刑判定の事情に使ってはならない」したもの。

当たり前過ぎるくらい当たり前の判断だから、「裁判員命」の最高裁としては困っちゃったねぇ~。

さあさあ、どうする最高裁!?

制度崩壊予兆の絶体絶命♪

1審判決重視よ
そんなことはできないわ
最高裁の判断よ
それでもダメなことはダメなこと

崩壊迫る裁判員制度
裁判員やりたくない8割で
辞退者続出に
国民の拒否が制度を追い詰めている

最高裁
制度旗振りの最高裁
制度は概ね順調と言ったわ

法曹三者の絶体絶命インコ関係ないもんね

さあさあ さあさあ
はっきりカタをつけてよ
はっきりカタはついたわ

やってられないわ
制度は廃止よ
bye bye bye bye やってられないわ

改訂:7月21日

投稿:2013年7月8日

福岡から応援メッセージをいただきました!

こんにちは、福岡で裁判員制度反対運動やってま~す。

「市民のための刑事弁護を共に追求する会」のまえだけいこです。

インコちゃんは、裁判員制度が発足する前から、制度に反対して、私たちと頑張ってきました。

インコちゃんの新しいサイトができたので、エールを贈ります。漫画が面白いし、わかりやすいサイトで、評判も上々だね。

インコちゃんにまた会えるのを楽しみに福岡のみんなも応援してるよ。ガンバロー!

以下同文です。てんとう虫無地

やまちゃん

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投稿:2013年7月7日

刑事訴訟の原則を破壊 見直しではなく廃止を

弁護士 寒竹里江

裁判員法は3年経ったら見直すことを義務付けている。「見直す必要がある=欠陥がある」と最初から分かっている法律が施行されること自体がおかしな話。

今,行われている見直し論議のほとんどが裁判員に選ばれた市民の負担軽減をどうするかということに終始している。負担軽減するなら,呼び出さなければ良い(制度廃止)だけのこと。

寒竹里江弁護士は,共同通信社からの依頼で,裁判員裁判の経験を踏まえ,裁かれる被告人,そして弁護人の立場から制度の問題を論評され,廃止を訴えられた。
寒竹さんの論評は,分かっているだけでも次の地方紙に紹介されている。

5月22日:東奥日報  見直しではなく廃止を
5月23日:中國新聞  刑事訴訟の原則を破壊
5月25日:新潟日報  見直しより廃止せよ 刑事訴訟の原則を破壊
5月25日:長崎新聞  刑事訴訟の原則を破壊寒竹原稿4
5月26日:神奈川新聞 見直しより廃止を
5月26日:高知新聞  刑事訴訟の原則を破壊
5月27日:岩手日報  検察と弁護側“格差”が拡大
5月29日:山形新聞  刑事訴訟の原則を破壊

【論評】

裁判員制度施行から4年,制度は見直しの時期に入っている。裁判員として苦痛や負担を強いられた方の国家賠償請求訴訟が話題になっているが,私は,裁かれる被告,そして弁護人の立場から「廃止」を訴えたい。複数の裁判員裁判で弁護人を務め,制度が刑事訴訟の原則を破壊していると確信したからだ。

例えば,首都圏のある裁判員裁判で,医療記録などの重要証拠をそのままの形で提出できず,「要約報告書」に書き換えるよう裁判所に迫られた。これは証拠の変造に等しい。要約の過程で書き換えたり,落としたりする部分に,私自身も気づかなかった重要な要素があるかもしれないのだ。そう思いながら,指示に従わざるを得なかった。

迅速化を図るため争点を絞る「公判前整理手続き」が行われ,検察側と弁護側が主張をまとめた書面を提出する。
このとき裁判官は,両方の主張を見比べて「いずれがもっともらしいストーリーか?」によって判決結果(心証)を決めてしまっているように見えた。

この段階では市民から選ばれた裁判員はいない。裁判官や検察官,弁護士というプロの法律家が,密室の公判前整理手続きで大まかなラインを敷く。だとすれば,その後の裁判は,ラインを走るだけの儀式にすぎない。

公判が始まると,裁判長は時計ばかり気にして尋問を短時間で切りたがる。公判前整理手続きで裁判長に「長くなると裁判員が居眠りします」と言われたことさえあった。

「被告には誰に裁かれたのか知る権利がある。裁判員の名前を知らせても構いませんね」と尋ねたときには「禁止規定はないが,慎重な考慮を求めます」と事実上,やめるよう求められた。

検察官の証拠朗読は解説モニター付き。しかも訓練されたアナウンサーのような滑舌の良さだ。「法廷の劇場化」が進む。弁護側はそんな時間もお金もかけられないから,検察側との“格差”は拡大する。

反対尋問のための被告との打ち合わせ時間も十分に取れない。公判の休憩時間に廊下で約10分間だけということもあった。手錠・腰縄付きで刑務官立ち会いのまま。被告と弁護人との「秘密交通権」は無視された。

裁判員は真剣に検討してくれた。といっても彼らに渡された証拠は,要約された薄い資料にすぎない。裁判官は,枝葉末節の事実も含め,裁判員が疑問に思っていることを尋問させたり,自分が裁判員に代わって尋問したりしていた。

しかし,この程度の関与で「健全な市民の常識によって裁判をより良いものにする」という理想が実現できているとは到底評価できない。

刑事裁判は本来,検察官が起訴事実を「合理的な疑いを入れない程度に立証できるか否か」を問う。そのためのフェアな手続きとして,公訴提起の際,検察官が提出できるのは起訴状だけとする「起訴状一本主義」があった。裁判官に予断を抱かせないためだ。だが,この原則は公判前整理手続きによって瓦解した。

さらに「裁判員に負担をかけないため」として,短期間に連日,公判が開かれる。そこに「被告人の利益」はない。寒竹原稿用2

私は熱心に審理する裁判員や裁判官,検察官や弁護人を非難するつもりはない。
ただ,次のように問いたい。
あなた自身は,この制度で裁判を受けたいと思いますか?

投稿:2013年7月6日

裁判員になりたい人ってどんな人?

「瞬刊!リサーチNRWS」という無料サイトがあります。「アンケートを瞬時に取って記事化する」サイトです。

logo

そこに「裁判員をやりたいか」というアンケートに基づいた記事(6月26日投稿)が掲載されました。

見出し、「裁判員、10人に1人『やりたい』」ではなく、「8割以上がやりたくない!」でしょうと思うが、記事は一見の価値あり。

このサイトのアンケートと、2013年3月に最高裁が発表した「裁判員制度の運用に関する意識調査」(調査日時:2013年1月17日~2月3日)とやりたい、やりたくないの数値はほぼ同じ。

(リサーチパネル調べ、回答者数3万7110人)懲りない人達HP

・思う:19.3%

・思わない:79.5%

・裁判員制度を知らない:1.1%

(最高裁調査 全国20 歳以上の者、回収数 2,005 人、抽出方法 層化2段無作為抽出法)

・参加したい:4.7%

・参加してもよい:10.2%

・あまり参加したくないが,義務であれば参加せざるを得ない:41.9%

・義務であっても参加したくない:41.9%

この消極的意見も含めて「やりたくない」は制度始まって以降、ほぼ変わらない。

では、この2割弱、まあ10人に1人という奇特な人はどういう人か、リサーチパネルの調査によると

「こんなチャンス宝くじに当たるようなものですよ」最高裁HP

「お金が欲しいのでバイトの気持ちでやる気あり!」

「傲然とこう言ってやるんだぁ~、『死刑でいいんじゃね! こんなクズ生きててもしょ~がねえんだから!』」

「何が何でも死刑判決を出したい」

唖然、呆然ですね。最高裁や制度推進の弁護士はどうおもっているのかなぁ~

……「これだけは 当たりたくない 裁判員」

……「我と来て 裁けや職の ない大人」

裁判員法は、違憲であり、公法の法理に反する!

以下、斎藤文男・九州大学名誉教授 「改憲と裁判員制度」 から引用

裁判員は、必要とあれば死刑判決で人の命を奪う権限と義務を負わされました。公権力をもたない民間人に、民間人のまま、文字どおり生殺与奪の権限を行使させることは、公法の法理に反します。

裁判員制度に反対するみなさんは、これは現代の「赤紙」だ、と非難なさる。が、裁判員制度は徴兵制より、もっとタチが悪い。赤紙で召集された民間人は、軍隊に配属されたその日から、大日本帝国軍人として、公権力を付与された。だから、敵を殺しても、殺人罪に問われない。けれども、裁判員は民間人のまま、裁判官と同席して、死刑判決を下す。民間人のまま、合法的な国家殺人に手を貸すのです。これは、公権力をもたない民間人の公権力行使であって、法理に反します。裁判員法で定めたからといって、許されるものではありません。裁判員法が法理に反しているからです。

同記事は「他人の人生を左右する責任が生じる裁判員、興味本位でやってみたいというものではないようです。」と締めくくられていますが、興味本位でやりたい人しか残っていないということではないでしょうか。これが刑事裁判のあるべき姿なのでしょうか?

同記事をリサーチNEWS編集部サイトで読みたい方はこちらから

投稿:2013年7月5日

隠されていた「似顔絵」

裁判員制度を推進する弁護士の中には、「証拠開示請求が充実して今まで出なかったものが出るようになったのは裁判員制度の成果だ」と盛んに言う人がいる。
しかし、証拠開示と裁判員制度をセットで考えること自体がおかしい話。 証拠開示は当然のことであり、検察官が隠しておけること自体が問題だとどうして言わない(言えない)のか。

裁判員裁判を経験した弁護士の話
「最初はこれまでと変わらないものを証拠として出してくる。『ほかにもこういう証拠があるはずだ』と言えばそれを出すだけ。検察が出したくない証拠が出たなんていう経験はしたことがない。
防犯カメラの映像があるはずだと言ったときには『防犯カメラはあったが、作動していなかった』と言われた。
検察官の調書提出要請に弁護側が同意すると、検察官は出した証拠を撤回して抄本で出し、それに同意するとそれも撤回し、いくつかの証拠をまとめて統合捜査報告書という形にして出す。
私も医者のカルテを証拠にしようとしたら、報告書にまとめろと裁判所から言われた。
どちらも証拠の変造に等しい。
裁判員裁判で法廷に出てくるのは要約された薄い証拠でしかない。 検察は隠したい証拠は最後まで隠すだろうし、そもそもそんな証拠はなかったことにされてしまうこともあるだろう」

7月2日、東京高裁が逆転無罪を言い渡した詐欺未遂事件(1審・千葉地裁は懲役2年6カ月の実刑判決。
実行犯の供述をもとに作成された被告人の似顔絵が、被告人と似ていない(描かれた当時の被告人の髪形や髭の生え方の特徴が違う)ことが決め手となったが、この似顔絵の存在は控訴審ではじめて明らかになった。
千葉県警は似顔絵とは別人を逮捕し、千葉地検も「似顔絵の存在は被告人が無罪であることの有力な証拠となる」と隠していたということだ。

詐欺未遂事件は裁判員裁判の対象ではない。HPさあどっち
しかし、裁判員裁判であろうとなかろうと、検察は被告人にとって有利な証拠は隠し続けるだろう。
そして、公判前整理手続きによって要約された薄っぺらい「証拠」で行われる裁判員裁判。 これでは冤罪は防ぐことはできない。そして「再審」を求めることはこれまで以上に困難を極めるだろう。「証拠」という名の「要約された資料」しか残らないからだ。

 

投稿:2013年7月4日

落語「寿司食いねぇ」

落語家 林家時蔵

原作:織部法太郎氏 「裁判員制度を嗤う

『裁判員制度を嗤う』を読ませていただいたのは、今年初め。インコの琴線に触れまくりで、「これを落語にするべ!」と頑張ったものの、鳥頭には難しい。最後の落ちも決まらず…Σ(ー◇ー;)
というわけで林家時蔵師匠にお願いして出来たのが「落語 寿司食いねぇ」

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♪トンツクトンツク テケテンテン~

弁護士さんの中には裁判員制度を愛しているという変わった方もいらっしゃるようで。
都内にあるインコ長屋に住んでいる鳩山弁護士もそのお一人で。
ところが隣に住んでいる俊吉さんは制度を愛していないようで。

「こんちは。鳩山先生,久しぶりだね。相変わらず裁判員制度を愛しているんですかい」
「あぁ誰かと思ったら俊吉さんか。裁判員制度もすっかり国民の間に定着したからねぇ」

「でも裁判員に呼び出されても行かない,やらないという国民もすっかり定着しましたよ」

「だけど裁判員が足りなくて裁判ができないということはないんだ」
「そりゃそうでしょう。素人,変人,暇人誰でもいいんだから,それを6人集めるのに苦労するようじゃあこの制度もいよいよお終いだね」
「そういえば,俊吉さんはもし自分が呼び出されたら妊娠したと言って辞退すると言ってたね。今でもそのつもりなのかい」
「もちろん」
「面倒な人だねぇ」
「面倒なのは制度の方でしょ」

「それはそうと,今度,もっと新しい制度ができるのを知っているかい」
「新しい制度…どんな」

「寿司制度改革審議会で『寿司員』という制度ができるんだよ。じゃあ,いつやるの,今でしょってすぐ決まったんだ」
「何です。その寿司員制度ってのは」

「簡単に言うとだな。国民の中から抽選で寿司員を選んで,寿司屋で職人と一緒に寿司を握らせるという制度なんだよ」

「また,何だってそんな変な制度を作るの」
「そりゃ,広く国民の中から寿司員を選んで,本職の職人と一緒に寿司を握ることで世界に冠たる国民食である寿司に対する国民の理解と信頼を向上させようということなんだよ」
「冗談じゃないね。わたしゃ江戸っ子だよ。そんな素人が握った寿司なんざ食いたくもないね」
「いや素人でも健全な味覚を持った人が握るんだから美味しいはずだよ。これからは素人が握っても美味しいと思わなくちゃいけないんだ」

「食べて旨いか不味いかはお上が決めるんじゃあなくて自分で決めることでしょ」
「だからね。そういう考え方が時代遅れなんだよ。俊吉さんは寿司の世界を改革して民主化するのに反対なのかい」

「もちろん反対ですね。第一,その審議会の委員ってのは一体誰がやってるんです」

「宅配寿司のアルバイト」
「えっ,宅配寿司のアルバイト」hiyoko_baby

「そう,それと魚屋と八百屋,それから養鶏場の経営者もいたな」
「魚屋は分かるけど八百屋に養鶏場ってのは…」

「八百屋はガリに使うショウガとかカッパ巻きに使うキュウリを扱うだろ。養鶏といえば卵。卵焼きは寿司屋の腕をみるには一番と言われているだろ」

「それで寿司業界は賛成したんですか」
「それがねぇ。全寿司連の理事長はシャリ炊きやネタの仕込みは素人には無理。ましてや客に出す寿司を握らせるのはとんでもないと言うんだよ」
「そりゃそうでしょうよ」
「でもね。この制度だと,たとえ,客に不味いと言われても寿司員が握ったんだから勘弁して下さいと言えるし。今までていねいに握っていたものを手抜きしても大丈夫ってことなんだよ」

「でもね。無理やり呼び出された素人がハイそうですかってすぐに握れるわけない」
「それは大丈夫。せいぜい3日程度のことだし。ネタの仕込みから握りまで全部本職がやるんだから」

「えっ,ちょっと待って下さいよ。ネタの仕込みから握りまで本職がやるんじゃあ寿司員は何やるんですか」
「だから,最後のちょこちょこという,そのちょこの部分をやればいいんだよ」

「えっ最後のちょこちょこのちょこ。それならハナから最後まで本職が握ればいいじゃないか」
「それはダメなんだよ。なにしろ,国民の中から選ばれた寿司員なんだから実際に寿司を握ってもらって良い経験をしたといって満足してもらわないといけない。なあに,俊吉さんだって実際にやってみれば良い経験をしたってことになるよ。だから,これからは上寿司以上の寿司は全部このシステムになるんだってさ」
「それなら,わたしは並みで十分ですよ」寿司

まぁそんなことがありまして,寿司員制度ができて3年が経ちました。
「やあ俊吉さん。寿司員制度もすっかり国民の間に定着したね」
「でも,寿司員に呼び出されてもやらないという国民もすっかり定着しましたよ」

「だけど寿司員が足りなくて宴会ができなかったということはないんだよ」

「そりゃ,トイレに行っても手を洗わない奴や,こんな長い爪した女でもいいんだから。でも,それを6人集めるのに苦労しているようじゃあ,この制度もいよいよお終いだな」
「また,始まったね」

「そういえば,寿司員に呼び出されたのに,妊娠したから辞退したいといった男がついに現れたそうだね」
「そうなんだよ。黙って欠席すればいいのに面倒な男だよ。店の大将はカンカンに怒ってたよ。ウソをつくなって。ところがそいつもしたたかで,ウソじゃありません。ウソだというなら検査して下さいって言うんだ。だけどそんな奴をいちいち検査しちゃあいられないからね」

「それで,そいつはどうしたの」
「旅費と一日分の日当をもらって意気揚々と帰って行ったよ。その金で寿司員のいない寿司屋で並を腹一杯食うんだって言ってたよ」
「その金はどこから出るの」
「決まってるだろ。もちろん我々の税金だよ」

「へぇー。すばらしい制度だな。ところで特上や上寿司の味はどうなの」
「落ちる一方。最後のちょこちょこのちょこのとこだけやればいいのにこねくり回すやら,いつまでもグチャグチャと握っている奴もいるし,勝手にシャリを足してこんなおにぎりにしちまう奴もいるしで」

「へぇー。握りじゃなくて,おにぎりか。でも横にいる本職は注意しないんですかい」
「できないよ。何しろ良い経験をしたと気分よく満足して帰ってもらうんだから注意なんぞできる訳ないだろう。だから,今じゃあ上寿司や特上よりも並の方が作りや味も良いというで評判だよ。お陰で寿司員が握らない寿司屋は繁盛する一方だってさ」

「それじゃあ,そんな制度止めた方が良いんじゃないの」
「それは無理だね。何しろ寿司業界がこの制度で,高くて不味い寿司でも十分通用するってことが分かったもんだから,今さら止める訳にはいかないんだよ」

「それじゃあ,新しい店ができているんですね」
「そう,寿司員が握る店はどんどん客足が遠のいて,寿司員が握らない店はどんどん増えているんだ」
「そうなんですか」
「新しい店をどんどん出すもんだから,誰かが言ってたよ。これがホントのカイテン寿司だって」

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投稿:2013年7月3日

裁判所が裁判員制度推進に舵を切った理由?

弁護士 中本源太郎

当初、裁判員制度の導入に反対していた最高裁がいつの時点からか賛成に転じ、いまその推進に躍起になっているのは何故か、不可解だった。なにせ官僚裁判官たちが国民の司法参加を歓迎する訳がなく、司法の民主化を本気でやろうとすることなど考えられないからである。
その疑問が、最近公刊された元裁判官の著書で氷解した。なるほど、そういうことだったのか。元裁判官とは瀬木比呂志氏。キャリア33年のベテラン判事で、著書、論文も多く、超エリートと目されてきた。その瀬木氏が著書『民事訴訟の本質と諸相』で裁判員制度について歯に衣着せぬ意見を展開している。そのさわりを紹介しよう。

・・・何となく民主的な方向だから良いのではないかといった、制度の検証が十分でないままの賛同の論調の方が危険・・・裁判員制度の導入に関する報道にはその傾向が強かった。
・・・制度の導入については、最初は、裁判官の間には消極的意見が非常に強かったと記憶している。それが、最高裁事務総局が賛成の方向に転じてから、全く変わってしまった。
・・・現在の最高裁長官である竹崎博允氏自身、・・・市民の司法参加には極めて消極的であったが、裁判員制度については、ある時点で180度の方向転換、転向を行ったと言われている。
・・・現在では、この制度を表立って批判したりしたらとても裁判所にいられないような雰囲気となっている。こうした無言の統制の強力なことについては、弁護士会や大学など全く比較にならない。

などと論述したあと、当時の最高裁のトップの裁判官たちが裁判員制度の導入賛成の側に回った理由について、「国会方面からの制度導入に向けての圧力、弁護士会や財界からの突き上げなどを認識し、裁判所がこれに抗しきれないと読んだ」ことによるとされているが、そうではない。

・・・その実質的な目的には、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を強化し、同時に人事権を掌握しようと考えたという事実が存在するのは否定できない・・・これは・・・公然の秘密・・・」

と述べている。
そして、某刑事系の高位裁判官達の「最高裁が裁判員制度賛成に転じてくれたおかげで、もう来ないと思っていた刑事の時代がきた」発言を紹介し、「事務総長、人事局長などの重要ポストだけではなく、刑事系裁判官が過去に一人しか就いたことのない最高裁首席調査官ポストにも刑事系裁判官が就いた、高裁長官や大地裁の所長人事にも刑事系優先の傾向があった」と指摘している。
瀬木氏は、「裁判員制度の導入が、刑事裁判に関する市民の裁判参加の実現という目的とは離れたどろどろした権力抗争に一部裁判官が勝利するための手段でもあったとするならば、それによって、裁判員として、また、納税者として、重い負担をかぶることになる国民、市民は利用されたことになるのではないだろうか」とまで言う。まさか、と思うが、そう言えば、つい最近相次いで高裁長官に就任した元最高裁事務総長や東京地裁所長は刑事系裁判官のようだ。
瀬木氏の上記指摘が事実だとすると、膨大な国民の動員と犠牲、莫大な予算の投入はいったい何だったのか?その責任はどうしてくれるのか。全く呆れかえる話だ。

HP闘うインコ

投稿:2013年7月2日