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ストレス障害国賠訴訟はじまる その3 ―意見陳述 

―原告本人の意見陳述―

 福島地裁郡山支部で強盗殺人事件の裁判員を務めた後、「急性ストレス障害(ASD)」と診断されたAさんが慰謝料などを求めた国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が9月24日、福島地裁で行われました。

 この第1回口頭弁論について、私、インコのマネージャーが傍聴・記者会見参加をしましたので、全4回にわたって報告させていただいております。

 3回目の今日は「原告の意見陳述」です。

 裁判でAさんは、涙を堪えながら途切れ途切れに陳述、全文を読むことはできませんでした。ここにご本人のご了承の下、全文掲載させていただきます(下線部分も含め原本ママです。)。読書の秋

意見陳述                                                              

平成25年9月24日

1.私は裁判員になって身心に大きな傷を負いました。平穏な生活を奪われ、仕事も失いました。いまは、裁判員を拒否しなかったことの後悔、よくわからないまま死刑判決に関与してしまったという罪の意識、どんな償いが自分に出来るか、という思いに苛まれています。このような苦しみを味わうのは私を最後にしてほしい、と切実に思っています。

2.私は昭和25年生まれ、今年62歳です。8年間郡山市内のグループホームで介護の仕事を担当していましたが、今年7月、契約更新をしてもらえず失職しました。更新してもらえなかったのは、裁判員になって心身不調になり、長く仕事を休んでしまったからです。

3.平成23年11月、私は、最高裁判所から裁判員候補者名簿に載ったこと、期間は1年間であることの通知を受けました。私はそれを見て一瞬嫌な思いがしましたが、本当に呼出しが来るなどということは考えませんでした。

4.平成24年も押し詰まり、名簿に載ったことも忘れていた12月末に福島地方裁判所郡山支部から、平成25年3月1日(金)午後2時に裁判所の裁判員候補者待機室までお越しくださいという呼出状が送られてきました。そこには、注意事項として「正当な理由がなくこの呼出しに応じないときは10万円以下の過料に処せられることがあります」と書かれ、下線まで引いてありました。「現時点では、まだ裁判員に選任されたわけではありません」とは書かれていても裁判所に出向く気にはなりませんでした。

 私の夫は行政書士をしておりますが、私はこれまで裁判には全く無縁でした。私は過料の10万円を払っても良いから何とか行かない方法はないかと考え、施設の上司に、この過料の10万円を施設側で負担してくれないかと聞いてみましたが、施設側では、休暇は認めるけれども、10万円を出すことはできないと断られました。

5.やむを得ず、私は3月1日に郡山の裁判所に出頭しました。抽せんの結果、私は6人の裁判員の1人に選ばれてしまいました。

 そのあと、私たちの担当する事件が、平成24年7月下旬福島県会津美里で発生した強盗殺人事件であることを知らされました。その日の夜、何度も目を覚まし、床の上に座り込んでため息をついていたようです。夫が心配して、翌日、私を夫のかかりつけの病院に連れて行ってくれ安定剤を処方していただきました。3月1日から3月4日の第1回公判まで、夜中に眠れず何度も起きるようになってしまいました。

6.それでも、なんとか、3月4日の第1回公判に出頭しました。検察官の冒頭陳述ののち、証拠が提出されました。その証拠のうち、被害の状況を写す写真が裁判員専用のモニターに映し出されました。私は目をそむけたいと思いましたが、裁判員としてそれは駄目だと思い、モニターの画面を見て、検察官の説明を聞きました。モニターの画面に映し出されたのは被害者である夫の殺害直後の現場写真で、そこには被害者の刺し傷のある頭部や頚部が映っていました。刺し傷は13か所に及ぶとのことでした。その次に、被害者である妻の同じような現場写真が映し出されました。頭部、頚部の刺し傷は11か所とのことでした。2人とも、血の海の中で横たわっているものでした。死因は失血死ということでした。その次に、被告人が使用していたという血だらけの軍手、次にモニター画面が左右に分割されて、左側に実際の刺し傷の写真が映され、右側に発泡スチロールで作った頭部、頚部の模型を利用した刺し傷の写真24枚が映し出されました。これらの写真は全てカラーでした。傍聴人には見えないようになっていたと思います。そのあと、検察官が録音テープを再生しました。被害者である妻が、刺されながらも必死で消防署に救いを求める電話の内容であり、断末魔のうめき声に聞こえました。約2分30秒とのことでした。このテープの声は傍聴席にも流されました。その証拠調べのあと、昼食となりました。私は具合が悪くなり、食べたものをトイレに行って吐いてしまいした。

 午後の審理中も何か夢の中にいる幹事で、一刻も早く裁判が終わることだけを願っていました。

7.その後も辛かったのですが、義務と思い、定められたとおり裁判所に出頭し、3月14日の判決まで裁判に臨みました。正直言って考えることもままならず、ぼーっとしていたというのが本当のところです。この間の私の状態について、夫は、帰宅後も無口になり、ぼやっとしていたと言ってます。

8.食事も作れなくなり、普段は良く眠れるほうなのに夜は不眠になり、食欲もなくなりました。体重もどんどん減ってい行きました。フラッシュバックというのでしょうが、何かにつけ突然事件のこと、モニターに映された映像のことが蘇り、自分の気持ちが不安定になることをどうすることもできなくなりました。介護の仕事に復帰しても、仕事を間違えそうになったり、忘れたりして、上司や同僚に迷惑をかけることが度々ありました。私は、仕事を辞めようかと思い、そのことを上司に申し出ましたが、辞められたら困ると言われ、病院に通いながら仕事を続けていました。

9.私が精神に異常を来したことから家族が心配してくれ、まず、裁判所に電話をしました。裁判員のメンタルサポートをするところを裁判所が用意しているようなことを思い出したからです。裁判所からメンタルサポートセンターに電話をするように勧められ、電話をしたら、面談によるカウンセリングは東京で5回まで無料であるが、交通費は自己負担であることを知らされました。必要があれば医療機関を紹介するとのことで、郡山市の保健所を紹介されましたが、そこではこのような相談は初めてとのことで役にたたず、3月19日、最初に診てもらった内科クリニックに行き、そこの紹介で郡山市では信頼のある専門病院に行きました。心療内科の先生の診察を受け、「急性ストレス障害」と診断されました。医師のお話では、回復まで2、3か月はかかるかも知れないということでしたが、よくならず現在も通院中です。通院は7か月ちかくなります。新しい薬剤も追加されてきました。

10.通院が長引き休業も続くなか、6月、会社から7月末日までの契約は更新しないとの通知を受けました。私は裁判員になるときも休暇をもらったし、辞めたいと言ったときも慰留されたので、会社が私の休業に好意的であるとばかり思っていました。辛いなかで仕事があることが慰めでした。早く良くなって仕事がしたい、給料も貰いたいと思っていました。ですから思いがけない更新拒否にショックを受けました。そして、もっと悪いことが私の身に起きるのではないかと恐怖にも似た感情を持ちました。夫や代理人の弁護士に「これ以上、何かこわいことが起こりますか?」と聞いてしまいました。

11.5月7日に提訴して4ケ月以上経ちました。今の状態について述べます。

 ① 現在の生活の中で、事件が占めている存在位置

 私は、肉類が嫌いではありませんでしたが、公判の初日に、検察官から何の予告も無く、突然、殺害現場写真や頭部や頚部の傷口の写真を見せられてから、ぱっくり割れた血だらけの首の肉の部分を思い出し、スーパーに買い物に行った時、肉売り場の前に行くと吐気がしてくるので、今でも避けて通っています。裁判員裁判後、自宅で肉料理を作ることは全くなくなりました。

 現在もフラッシュバックは続いていて、夢の中で血の海に、家族が首に包丁を突き立てたままで横たわって死んでいるのです、私が驚いてゆすっても、自分の声は出ないし、身体は固まって動かなくなっています。音楽を聞いていた時、音楽の代わりに被害者の断末魔の声と一緒に、何人ものお坊さんの読経の声が重なって聞こえてくるので、電源を切ろうとすると誰かに腕を掴まれたりする夢を見たりしています。日中でも、子供が外で遊んでいる声が、女性の悲鳴に聞こえる幻聴があります。

② 裁判員になることを拒否しなかったことへの後悔  

  平成24年12月に送付されてきた、赤色の紙に印刷された呼出状に、アンダーラインが引かれた ※正当な理由がなくこの呼び出しに応じない時は10万円以下の過料に処せられる、という文面は、出頭しないで最高裁に盾つけば非国民になり、自分は犯罪者にされてしまう、という恐怖感を抱かせるのに十分な文言でした。でも、あの時、勇気を持って10万円の過料を払ってでも出頭拒否していれば、現在の精神的・肉体的・経済的に苦しい思いをせず、普段通りの平和な生活を送っていたはずであったのに、私たち夫婦の老後の生活設計までも、裁判員制度は破壊したのです。

 経済的にと言うのは「急性ストレス障害」になったことを理由に、平成25年7月31日で勤務先から雇止めされたため、年間給与所得約156万の収入をうしなったことです。

  ③ 審理中に、裁判官に説明を求めた際、得心するまで説明を継続出来なかったことへの後悔

 私は、事件内容の疑問点について裁判官に質問すると、裁判長から、法律専門用語と刑法何条に該当するからとか、法律に無知な私には理解できなかったので、その後、質問をどう継続してよいのか分からず、未消化状態で質問を終わらざるをえませんでした。まして、裁判とは今まで無縁の一国民が、突然、裁判員という名称を与えられただけなので、プロの裁判官が、裁判員に期待するもの等在るべき筈もなく、私の質問に、納得できるまで説明しなかったのは当然のことだと思います。    

④ 自分が死亡した時、判決後に裁判所が配った徽章の処分について     

 死刑判決を記念するためなのか、最高裁が、裁判員に選任されたことを褒章するための徽章なのか、作成意図が不明ですが、判決終了後に、「何か機会がある時はこれを着けてください」、と裁判所から渡された記念徽章は、私の箪笥の片隅で輝くこともなく色あせています。

 この徽章は、裁判官でもない平凡な一国民が、十分に裁判内容を考える時間もなく、殺人現場写真や殺害状況写真をモニターで突然見せつけられ、被害者の断末魔の叫びの録音テープを聞かされ、検察官の状況証拠を聞かされ、自身で内容を整理できないまま、モニター映像・録音テープ・検察官の口頭で説明されただけの内容で、自分の視覚と聴覚の二つの感覚だけで判決を下した、軽率で馬鹿な自分を自戒するため、自分が火葬される時に、一緒に納棺してもらい、煙にしてもらうつもりで封印しておき、家族にもこのことは遺言しました。   

⑤ 自分が認知症などになり守秘すべき内容を口外したら    

 一生、自分に課せられた裁判に冠する内容は、誰にも話すことが出来ず、墓場まで、裁判員としての守秘義務を守るため持っていかなければなりません。しかし、私自身が、先々、認知症等で、自己言動を抑制できなくなり、守秘していた事件の内容を、公然と口外するようになった時、私は心神喪失者として不可罰になるのか、違犯行為があったことにより取り締まり対象者となるのか、誰も触れていませんが、その時が来たら家族はどう対応すればよいのでしょうか。

12.裁判員になって、私は身体、精神を痛めつけられ、生活の安定を失い、生活設計も狂わされました。辛い体験をしたという被害者の痛みだけでなく、加害者になってしまったという罪悪感も私を苦しめています。

 今回、裁判所に出て意見陳述することについて、皆が心配してくれました。  フラッシュバックで病状が悪化しないか、と心配したのです。私自身も迷い主治医の先生に相談しました。先生は「あなた自身が決めなさい、人が決める話でない」と言いました。そして続けて、「でもいま行って話さないで、いつ話すの?」と言いました。「具合が悪くなれば、いつでも診てあげるから」とも言いました。

13.私は先生の言葉に背中を押されて、裁判所に行って自分の思いと考えをキチンと述べようと思いました。裁判員を経験し、辛い体験をして、私はこのような裁判員を強制されることはとてもおかしい、憲法上許されないのではないかと思うようになりました。

 私が裁判まで行うことにした心情は以上述べたとおりです。裁判官の皆様には、私の受けた苦痛と私の切実な思いを十分に御理解頂いて、裁判員制度は本当に憲法上許されることなのか、判断して頂きたいと思います。

                                                                            以上

・Aさんのお話し

 弁護士会館での往復、Aさんと少しお話しをしました。真面目で何事にも真摯に向き合われる方だとお見受けしました。小柄でとても華奢な身体にのしかかった重荷を考えたとき、思わず肩を抱いてしまいそうになりました。

 「今、夜は薬で寝ている状態、昨日も今日も何も食べられず、水分だけは取らなければと水や珈琲だけで」と。

 一般市民は憲法問題など考えて生活していません。その一般市民に「辛い体験をして、憲法上許されないのではないかと思うようになった」と言わしめる裁判員制度。  果たして裁判官に、Aさんの苦痛と切実な思いが通じるのでしょうか。

 *次回口頭弁論は12月10日午後3時からです。多くの方に傍聴していただきたいと思います。

読書の秋

 

 

 

 

投稿:2013年9月30日

ストレス障害国賠訴訟はじまる その2 ー口頭弁論やりとり

 -第1回口頭弁論期日のやりとり-

 ストレス障害国賠訴訟。今回は、前回の公判傍聴記に引き続き、第1回口頭弁論期日の経過。インコ畢生、渾身のご紹介。原告Aさんと弁護団(織田信夫さんと佐久間敬子さん・仙台弁護士会)は訴状陳述の手続きをした。普通は原告代理人の弁護士が「訴状を陳述します」と言うだけで終わる手続きのようだが、この日は主任代理人の織田さんが「傍聴人もいらっしゃることですから」と15分ほどかけて訴状の要点を実際に述べた。雲とおばけの下

□ Aさんの請求

  請求の結論は「国は私に200万円の慰謝料を支払え」というもの。請求の理由は次のとおり。

・ 郡山市内で介護職として働いていた私(62歳)は、昨年11月、最高裁から裁判員候補者名簿に載ったと通知され、12月には福島地裁から今年3月1日に郡山支部に来るようにと請求された。呼出状には「正当な理由のない不出頭には10万円以下の過料もあり得る」と書かれていた。過料の制裁は避けたいと出頭したところ裁判員に選任されてしまった。事件は2名の強盗殺人事件だった。

・ 裁判は3月4日に始まった。検察官が提出した被害を示す写真には、頭や頸に刺し傷がたくさんある被害者夫婦の遺体が血の海の中に横たわる凄惨な状況が映し出され、被告人が使ったとされる血だらけの軍手や刺し傷を写した写真のほか、頭や頸の模型を使って示した刺し傷の写真などもあった。すべてカラー写真だった。次いで、被害者の妻が消防に救いを求める録音が再生された。断末魔のうめき声が聞こえる約2分30秒の長さのものだった。

・ 私はこの経験で心の平静を保てなくなった。裁判開始の日、昼食を口にしたとたん吐き気を催し、トイレですべてをはき出した。裁判は3月8日まで5日間続いたが、その間昼食時の吐き気が続き、ほとんど夢うつつの状態で集中力を欠き、食事が作れなくなり、食欲が落ち体重も減った。熟睡できず何度も目を覚まし、突然事件のことや映像やフラッシュバックし、不安が募った。しかし、裁判員の仕事は義務だと思い、自らを励まして3月14日の判決の期日まで裁判所に通い続けた。

・ 職場に戻っても仕事を間違えそうになったり、忘れごとをしたりして、周囲などに迷惑をかけ、その後も精神的な不安定状態が解消しなかった。裁判所に連絡し、その紹介でメンタルサポートセンターに電話し、センターから郡山市の保健所を紹介された。しかしそこにも対応できないと言われ、自身の判断で3月22日、郡山市内の心療内科を受診し、「急性ストレス障害」と診断され、不安定な精神状態が続き通院を続けている。

・ 私がこのように深刻な精神的損害を受けた原因は、裁判員法に基づく強制を受けて裁判員の職務を担当・遂行させられたことによる。裁判員裁判の証拠調べの手段方法に問題があると考えているのではない。裁く立場に立つ者には証拠に正しく向き合い冷静に判断する能力が求められ、そのような訓練を受けた者のみが関わるべきことだと考える。問題はそのような訓練を経ていない私のような者に判断をさせる制度を制定したことにある。

・ 裁判員法は、憲法第18条後段が定める「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役(くえき)に服させられない」との規定に真っ向から反する。最高裁大法廷が平成23年11月16日に言い渡した判決は「裁判員の参加は苦役とは言えない」と言っているが、ケースの異なる判決の判断を私の事件にあてはめないでほしい。また、国民は憲法第22条第1項により、裁判員のような非常勤特別職公務員の職に就くことを強制されない「職業選択の自由」を持っている。また、参加を強制することは、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めた憲法第13条にも違反する。

・ 裁判員法は、両院あわせて2か月20日弱、審議期間僅か12日という短期間で成立したもので、憲法問題にはまったくと言ってよいほど触れなかった。それは国会議員の明確で重大な過失と言うべきである。それは、施行もされない段階で改正されたり(区分審理・部分判決)、施行直前に施行延期を求める「裁判員制度を問い直す議員連盟」が発足した異例の法律である。

・ 私は、このような立法の重大な過失により深刻な精神的損害を受けた。損害を敢えて金銭に見積もれば180万円を下回ることはない。その弁護士費用のうち少なくとも20万円は公務員による不法行為と相当因果関係を持つ損害と考えられるので、国家賠償法第1条に基づきこの合計額200万円の支払いを請求する。雲とおばけ

□ 国の答弁

  被告代理人があらかじめ裁判所と原告に提出している答弁書について、裁判長は「被告は答弁書を陳述しますね」って聞き、被告代理人は「陳述します」って発言するだけで終わるらしい。

  この日、裁判長は「被告は答弁書を陳述しますね」って聞き、被告は、もぞもぞっというか、うにゃうにゃっていう感じで何かしゃべった。傍聴席にはよく聞こえなかっけれど、裁判長は「何とおっしゃったのですか」なんて聞き返さなかったから、多分いつものとおりにやるんだねっていうことだったのでしょう。この間約10秒。

 ただし、この日の被告席には弁護士は1人もいなかった。前回傍聴記で報告したとおり、居並ぶ7人は全員役人たち。中心はもちろんバリバリのキャリア組(マネージャーの直感的推測)。とにかく法務省の要人が代理人席に並ぶ法廷は珍しいらしい。国の緊張ぶりがうかがわれる。

 そういう訳で、法廷では国の言い分がまったくわからないままで終わった。一言二言しゃべったらどうだって思ったけれど、不利益なことや不都合なことは言いたくないんだろうね。後でマネージャーを通してAさん側からいただいた答弁書を見たらずいぶん長大なものだった。でも中身はあまりなかった(とインコは思う)。以下はその要約。ところどころの侵入コメントはインコです。

・ Aさんが『うめき声』だと言う録音の長さは約2分30秒ではなく約2分50秒である。裁判員として参加して受けた苦痛に関する主張は全部「不知」。
――結構でしょう、ホントはもっと長かったんだって。何を言いたいんですかね。まったくもって。それにしても「不知」とは何? ぜーんぶ「しーらないっ!」で済ますこの感覚。ここでインコは完全に切れました。

・ 国会の立法が憲法違反になるかどうかについての国家賠償法の基本的な考え方は、よほど例外的な場合に限られる。そのことについては最高裁の判例が明言しているところである。
――偉そうに。明言だか何だかそれこそインコ「不知」だけど、裁判員はその「よほどのこと」に当たるでしょうが。

・ (裁判員法の立法理由、立法過程、立法内容を説明した上で)「国民の感覚が裁判内容に反映されることで、司法に対する国民の理解や支持が深まり、司法がより国民的な基盤を獲得できるようになる…」という司法制度改革審議会の提言を受けて、国会では十分審議された。
――司法の仕組みの根幹に関わる法律の審議がたった12日間でどうして十分なんですか。国を愛する心が足りないよ。

・ 最高裁も平成23年の判決で、「裁判員の職務は参政権と同じような権限を国民に与えるものであり、裁判員法第16条は柔軟な辞退制度を設けている」と言っている。裁判員を義務づけることは事実だが、義務づけには合理性がある。不出頭を犯罪として処罰してもいないし、実力で裁判所に連行することにもしていない、過料という行政制裁にとどめている配慮をよく見てほしい。
――選挙は行かなくたって処罰されないでしょうが。どこにあるの義務づけの合理性なんて、犯罪? 連行? 何考えてるんですか。それにそんなに当然だったら、どうして竹崎最高裁長官はあんなにあわてる必要があるの。

・ 苦役ではないというのは最高裁の判決ですでにはっきりしている。
――それはケースが違うってAさんが訴状でわざわざこの判決に触れてたでしょ、それに答えなきゃダメでしょう。インコの知識では、最高裁の判決っていうのは、裁判員の参加は納得できないっていう被告人の主張に対する判断でした。今回の事件は裁判員をやらせられた本人が裁判員を強制されるのは私にとって苦役だって言っているケースですよ。そこんとこよく言っといてほしいな、三宅坂の5番街でね。雲とおばけの下

 □ Aさんの求釈明

  ここで、織田さんが立ち上がり、あらかじめ受け取っていた被告の答弁書には疑問点が多くあり、反論をする上で必要なので、この機会にいくつか釈明(説明)を求めたいと発言した。それが書かれている書面(準備書面っていうんだそうです)の内容はおおよそ次のとおり。

① 国会で十分に審議がされたと言うが、その内容を具体的に明らかにしてほしい。

 ② 義務づけの合理性を言うが、国会がどう議論したのか具体的に明らかにしてほしい。

 ③ Aさんの急性ストレス障害と裁判員の職務遂行の関係について不知と言うが、法は配慮しているし辞退もできると言っているというのは、つまり今回のAさんの受傷は自業自得だと言っているのか明らかにしてほしい。

④ 刑事罰や直接強制はしていないと言うが、刑事罰や直接強制を講じたら憲法違反になるという趣旨なのか明らかにしてほしい。

――なるほど、法律家という人たちはこういう風に争ってゆくのか。インコなんとなく納得!雲とおばけ

□ Aさんご本人の意見    

 ここで、織田さんが、「Aさんは原告としてこの機会に意見を陳述したいのでその機会を与えて下さい」と裁判長に要請。裁判長は被告席に「ご意見は」と聞く。被告代理人「しかるべく」と言う。裁判長、原告席に「ではどうぞ」と。
――なんだか全体に妙に儀式的。しかるべくって何のこと?

 Aさんの意見は「意見陳述」という題の書面にまとめられていて、これを読む形での陳述になった。言葉に詰まりながらの約15分。圧倒的な重みだった。佐久間さんの懇切な支えが印象的。マネージャーを通してこの書面も頂戴したので、次回は本人意見の特集でご紹介することにして、ここは謹んで割愛させていただきます。乞うご期待。

□ Aさんの証拠提出

 Aさんは、訴状の主張を証明する証拠として、23点の証拠書類を提出した。

□ 国の証拠提出

 国は、司法制度改革審議会の意見書の抜粋など3点の証拠書類を提出した。

□ 裁判長の原告・被告への要請など

  裁判長は、被告国には原告の釈明要請に応えて準備をするように要請した。また、原告Aさんには国会議員の過失が直ちに違憲に結びつくのかどうかさらに検討した主張をすることや被告の18条、13条合憲論にどう反論するのか、特に13条違反を言うとすればさらに詳しい主張を検討してほしいなどと要請した。

 また、Aさんに対し、Aさんは裁判員裁判の中での裁判所や検察官の裁判の進め方を問題としているのではないという趣旨ですねと確認、織田さんはそのとおりですと答えた。

 以上、審理時間約45分。

□ 次回期日の確定

    次回期日は12月10日 午後3時。また、マネージャーには必ず参加させなきゃ。みなさまもぜひ傍聴を。

猫掲示板

投稿:2013年9月29日

ストレス障害国賠訴訟はじまる その1 ―口頭弁論傍聴記―

福島地裁郡山支部で強盗殺人事件の裁判員を務めた後、「急性ストレス障害(ASD)」と診断されたAさんが慰謝料などを求めた国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が9月24日、福島地裁で行われました。

 この第1回口頭弁論について、私、インコのマネージャーが傍聴・記者会見参加をしましたので、全4回(その1=口頭弁論傍聴記、その2=裁判の争点、その3=原告の意見陳述、その4=記者会見)にわたって報告させていただきます。

今日はその1 口頭弁論傍聴記です。

・傍聴券をめぐって…

 13時30分、福島地方裁判所に到着。傍聴整理券の配付場所である庁舎北駐車場には「裁判所」の腕章をつけた職員が6~7人たむろ。「整理券配付は14時10分からですので、10分前にここへ来ていただいたら良いですから」と言われる。ロビーには傍聴券を求める人が2いるだけ。もしかすると整理券発行するまでもなく傍聴できるかも…との期待もむなしく、14時前になるとどんどん人が集まりだす。結局、傍聴席48席のうちマスコミ席が16席、残り32席を求めて61人が並ぶ。その確率約2分の1。整理券番号は33番。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 そしてパソコンによる抽選。番号が読み上げられていく。…32、34…。がっくり。誰か傍聴券売ってくれないかなとか考えていたら、「こんなに当たっちゃったの。3枚でいいのに」と騒いでいるグループがいる。えっと思って見ると傍聴券を4枚手にした男性と目が合う。よほど物欲しそうな顔をしていたのか、向こうから「どうぞ」と言われてありがたくいただく。

*写真は傍聴整理券を求めて集まった人たち

・原告団の入庁撮影

 14時25分、「原告と原告代理人が入庁、写真撮影」との話に福島地裁正門前へ。

 報道陣に混じって待っていると、一台の車が正門へ入りかける。響きわたるシャッター音。しかし、この日、車は正門から入れず、北門へ。徒歩で入り直すということでしばし待つ。ちなみに注目される裁判では報道陣が待っているところを入庁する原告団とかが撮影されますが、あれは一種のやらせですね。某事件の被害者遺族の方で何度でも入庁撮影に応じて、15分以上撮影時間が取られているというケースもありましたが…。

 今回の原告団は、要請があったからとりあえずはやりますが…という感じで、そそくさと入庁された。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

・公判前注意とカメラ撮影

 傍聴席でパソコンを開いていたら、つつっと近づいてきた官吏が耳元で囁く「パソコンの使用はご遠慮願えますか」。喧嘩しても仕方がないので静かにシャットダウン。全員への注意事項として「一旦退廷されますと、再入廷はマスコミの方を含めて認めません」、「裁判官入廷後、2分間の写真撮影があります。その時に限り退廷された方は再入廷を認めます」。

 裁判官が入廷、一斉にシャッターが切られる。「1分前」「30秒前」「15秒前」「10秒前」ここからカウントダウン…が始まることもなく、「撮影を終了してください」

・裁判官と被告代理人  

 「平成25年わ第117号 損害賠償請求事件」と事件名の読み上げだけで、原告、被告の名前等の読み上げはなし。ここにも裁判所の緊張ぶりというか配慮してますよと言うのが窺えます。

   ここで裁判官と被告代理人のお名前をお知らせしましょう。

  裁判長:潮見直之  右陪席:松長一太 左陪席:島田壮一郎

 この3人は民事の裁判官ですから、刑事裁判、特に裁判員裁判をどのように見ているのか気になるところです。

 そして被告指定代理人。

法務省大臣官房民事訟務課。
 民事訟務対策官 乙部竜夫
 課付      福澤純治
 課付      宮川広臣
 法務専門官   上遠野裕之
 第一係長    高橋秀典
 法務事務官   庄子光次郎
 法務事務官   塚原章裕

仙台法務局訟務部
 部付      村橋康世
 上席訟務官   新田公夫
 上席訟務官   若月久幸
 訟務官     斎藤広全

福島地方法務局訟務部門
 上席訟務官   加藤恵盛
 上席訟務官   東海林秀一
 訟務官     斎藤悟志
 訟務官     稲川廷康

 答弁書に肩書き付きでずらっと15人も被告代理人が並ぶところに国側の並々ならぬ決意というか裁判所への圧力を感じます。今日法廷に来ていたのは7人。全員が黒っぽいスーツ姿でノーネクタイ、ワイシャツの第一ボタンを開けたいわゆるクールビズスタイル。それにしてもその白いレギュラーカラータイプのいわゆる正統派シャツはネクタイを絞めるからこそ様になるのであって、ノーネクタイの時にはもう少しおしゃれなドレスシャツとか…。でも、この裁判は裁判員がいないのでダサダサスタイルでも良いのですね。

 原告代理人の織田弁護士が「傍聴人もいることだから」と訴訟内容を要約して陳述することを希望、裁判官から意向を聞かれた被告代理人代表(?)は「しかるべく」と答えたが、次に声が聞けたのは日程確認の時でしたね。ところで後の人たち、特に後ろの席に座った4人は何のために来ていたのでしょう? 裁判官に対する威圧?

・Aさんの陳述OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 原告Aさんの陳述は、「裁判員になって心身に大きな傷を負い…」「平穏な日々を奪われ、仕事も失い…」「よくわからないまま死刑判決に関与してしまったという罪の意識…」「このような苦しみを味わうのは私を最後にしてほしい…」。切々と訴えられる声は切れ途切れになり、読み上げることができない部分もあったようで… 聞いているこちらも身につまされる思いで涙が出そうになりました。向かって左に座っている裁判官も少し辛そうな表情を浮かべたような気がしました(右側と裁判長の顔は見えずです)。  

  なお、Aさんの意見陳述は全文を28日にアップする予定です。

・ピリピリの裁判所

 福島地裁に行ったとき、何か感じた違和感。それは、どこに地裁に行ってもある裁判員制度の横断幕も窓に貼り付けてあるスローガンも何一つないからでした。まさか今日の裁判のために外した?

 庁舎内では「裁判所」と書いた腕章をまいた職員がわらわらと動き、一大イベントの様相です。傍聴整理券を配付し抽選終了まで昼食がお預けだった人もいたようです。裁判終了後、原告団が近くの弁護士会館へ徒歩で移動するときもトランシーバーでどこかへ報告、職員が敷地外まで付き添って来ます。記者会見終了後、庁舎の駐車場へ戻ったときにも「お疲れ様でした」との声かけで数名がお出迎え。最後は内線電話で「いま、原告の方も代理人の方も車で退庁されました。マスコミのぶら下がりはありませんでした(いえ、それまでぶら下がっていたんですけどね)」と報告。職員にすれば「大変な一日」だったのでしょうか。

 被告の国は仙台地裁で受けてくれれば良いものをとか思っていたのかもしれません。

*次回口頭弁論は12月10日15時(午後3時)からです。多くの方に傍聴していただきたいと思います。秋桜右

 

 

 

 

投稿:2013年9月26日

ふくろう教授解説 全部破綻ものがたり

―弁護士激増・法科大学院・裁判員制度-

 合格者の皆さんにはまず合格おめでとうと言っておきます。9月10日、法務省は今年の司法試験の合格者を発表。2049人、合格率は去年とあまり変わらず約26%。受験者数はまた減っちゃいました。法科大学院の総数は74校、合格最多校は201人の慶応大学。50人以上の9校だけで全合格者の半数を占める一方で、合格者一桁校が35校、0校も3つという超寡占・超偏り。
  激増政策や法科大学院方式の破綻が大問題になってこりゃたいへんですね。インコはにわか勉強で弁護士人口や法科大学院と裁判員制度の関係を分析することに。

 話は12年さかのぼります。2001年に司法制度改革審議会が内閣に提出した答申によって、弁護士人口激増(法科大学院)と裁判員制度は、司法制度改革の2本柱でした。えっと、「司法制度改革」って何だったっけ?
そう、そこから勉強しなけりゃいけない。
 ということで、ふくろう教授にお出ましを願った。21-‚Ó‚­‚낤

背景な~1先生、今日はよろしくお願いいたます。

21-‚Ó‚­‚낤 司法制度改革問題じゃな。この国の政治や行政や経済などの屋台骨がガタガタになったのはあのバブル崩壊、20年少し前の時代じゃ。もっと前からとの見方もあるようじゃが、とりあえずその辺からと考えることにしよう。政治も行政も経済も社会の秩序も危なくなってきた時には「司法が最後のかなめ」ということになって司法をしゃしゃり出させたのじゃ。

 司法制度改革審議会が2001年に政府に出した意見書の中にはこんなセリフがあるんじゃ。
「今般の司法制度改革は、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革の『最後のかなめ』と位置づけられる」
こんな言葉もある。
「本意見は、内閣に対する意見であると同時に、国民各位に対して当審議会が発するメッセージでもある」
インコ君、覚えているかな。
 

へ?えっ? (知らないよそんなこと)

 21-‚Ó‚­‚낤ふぉほっほほ。インコが豆鉄砲を食らったような顔じゃな。無理もなかろうて。専門家でもなければ12年前にちゃんと聞いたという人はほとんどいないと思うのじゃが、ともかくじゃな、そういうことになって最後の国家破綻対策として、司法制度改革が国を挙げての大政策になった。そしてその柱が弁護士人口激増と裁判員制度だったっていう訳じゃ。

 弁護士激増は、弁護士をべらぼうに増やして、どなたかの人権よりも自分の生活を先に考えるしかなくさせる政策。毎年何千人も合格させるとなると、司法修習なんてまともにやれるはずがない。これは法科大学院に丸投げする。「質・量ともに豊かな法曹を育てる」なんて言っておったがな。別官庁の文科省が介入してくるのは致し方ないのじゃ。

 さて、裁判員制度じゃが、インコ君、これは説明できるじゃろうな。

 な~1はい、先生。裁判員制度とは、一人ひとりの国民に被告人を処罰させることを通して秩序や国を守る気概を国民に持たせる司法公民教育のことです。ナマの事件でホントに判決を言い渡させるんだから、百の説法よりもはるかに有効です。倒れたり吐いたりするっていうことは、それだけ深く心に刻ませることに成功したということだと思います。
こういうのを効果てきめんといいます。

 21-‚Ó‚­‚낤説明はあっておるが、最後の部分は日本語の使い方をちょっと間違えておるようじゃな。
まあそういう訳で始まった司法制度改革だったんじゃが…。やはり「天網恢々疎にして漏らさず」だったんじゃ。インコ君、この意味は分かるかね。

 な~1(しばらくして)はい、天の張る網は、広くて一見目が粗いようでも、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるという意味です。

 21-‚Ó‚­‚낤こっそりと電子辞書を引いておったようだが、まぁよしとしよう。国民の目は粗いなんて、バカにしていた天罰がいま下っておるのじゃ。

 「2010年頃には合格者数の年間3000人達成を目標とすべきである」と言っておったんじゃ。しかし、2010年なんて3年前に通り過ぎてしまったわい。それがいまだに2000人あたりで上がったり下がったりの足踏み状態じゃ。つまり激増計画は完全破綻。法科大学院を出れば約7~8割は司法試験に合格するようになんて言っておったのに、実情は3割を大きく割り込んでこれも破綻。激増政策は国民をハッピーになんか絶対にしないってことを、多くの人たちが感じとったっていうことじゃ。

 実際、年々司法試験の受験者が激減し、法科大学院離れがすさまじい勢いで進んでおるのじゃよ。今や受験者数はピーク時の5分の1。法曹の魅力も法学部進学の意欲もどんどん薄れておるのじゃ。無理が通れば道理が引っ込む。今年の東大法学部の人気が史上最低になったと騒がれていたのは知っておるの? 思惑外れは極限まで進んだのじゃ。

 9月1日の『読売新聞』の社説を見たかの? タイトルは「優秀な人材をどう集めるか」。本文の冒頭は「法曹養成の中核である法科大学院が、危機的な状況に陥っている」。弁護士激増に大賛成したマスコミからも言われる有り様じゃ。

 な~1はい、先生。『朝日新聞』なんか、耳を覆うは、目はつぶるは、口は開かないの三猿新聞で、インコは「言葉もない」です。

 裁判員制度の破綻は、インコがいつもつついておりますが、事件処理はまともに進まず長期化し、最高裁長官が顔つき変わるまでイライラしている(一部には元々こういう顔つきだったという説もあるけど。)。国民の不人気と批判は、制度が始まる前のひどさからさらにさらに強まっています。増員大賛成だったマスコミの面目も丸つぶれ、最高裁長官の面子も丸つぶれ。

 その21-‚Ó‚­‚낤とおりじゃ。司法制度改革はどっちを見ても破綻なのじゃ。最後の歯止め、もとい最後のかなめが破綻したということは、国民の総反発に遭ってこの国の仕組みの根本的な改変策がつぶされかかっているというめでたい話なのじゃ。インコ君、わかったかね。

 はーいはーい。よくわかりました。

 21-‚Ó‚­‚낤よろしい。これだけちゃんとマスターしたのなら、インコ山立大学の司法改革破綻学士と認定しよう。合格おめでとう!

21-‚Ó‚­‚낤

 

 

 

 

 

投稿:2013年9月24日

シャラップ大使退任―インコの送辞

シャラップ大使が9月20日退任した。インコは、以前このことに触れた(「日本は刑事司法の先進国だ www 笑うな!シャラップ」)が、多くのマスコミがこの事件を報道しなかったこともあり、この機会に上田秀明人権人道担当大使に心からの送別の言葉を贈ります。

  各国でどのように刑事基本権が守られているかをチェックする国連拷問禁止委員会が、今年5月、日本の実情に関する審査をした。テーマは、被疑者を捜査当局の管理下に拘束する代用監獄をやめないのか、自白を強要していないか、独房監禁はやめないのか、死刑を続けるのかなどなど。要するにこれだけ日本の刑事司法には問題があると国際社会から指摘され続けていること自体が恥ずかしいこと(今回の審査は2007年に続き第2回目で、勧告は前回からさらに厳しい内容になっている。)。

  同委員会には、上田大使が出席し、布川事件のえん罪被害者櫻井昌司さんのほか、日本の死刑廃止運動の関係者なども参加(インコの友人もオブザーバー参加していたよ)。上田大使がシャラップを言うまでの状況はユーチューブがリアルに報道しているとおりだが、大方の関心は大使のシャラップ発言の異様さに集中した。008168

  ウィキペディアは、大使の英語力のいい加減さを詳しく解説している。日本は中世の遺制を残しているとのモーリシャスの委員の指摘に、「我々は中年(middle age)ではない」と答えた(the Middle Agesと言うべきだった)。「世界で最も進んだ国だ」と言うのだったら、one of the most advansed countriesと言わなきゃならないのにmost advansed countriyと単数形で言った。「最も進んだ国」を笑った会場に、Don’t laugh! Why you are laughing と肯定形で言い、 Why are you laughing? とは言わなかった。「それがわれわれの誇りだ」をThat is our proudとも言った(proudは形容詞、言うなら名詞のpride)。つまり散々だったという訳(ウィキの「上田秀明」の経歴解説の3分の2はシャラップ発言。同氏の経歴はここに集約されるみたい。)。

  東大卒でハーバード大学院卒。各国の日本大使館に勤務し、在米大使館の参事官や公使のほか、外務省の研修所長も務めた超エリートの英語力がこの程度だと言われると、確かに衝撃である。小学校から英語教育を受けていれば済む話ではなさそうだ。ウィキによると「英語はあまり得意でない」とのこと。ともかく、公式記録に残る可能性があることぐらいわからなかったはずがない。何よりも目の前で回るカメラを通して確実に全世界に伝わることを理解していながら、よくこれだけの発言をしたものよと思う。英語が得意でなくてもハーバード大学院を卒業できるらしいので、小学生には英語教育を受けさせるよりは品性と国語能力を磨かせる方が将来は国際人として通用するだろう。

  だが、彼はShut up! Shut up! という言葉はちゃんと使えた。彼には英語力がなかったとは言えない。インコなんにはとても使えない下卑た英語にずいぶん堪能だった(見栄張りました。インコはBBC英語どころか英語自体できません。ちなみに海外でケンカするときは母国語で、が基本。)。

  ともかく発言のおかしさで話を終わりにしてはいけないのです。大事なのは、「日本は刑事司法の分野で、世界でもっとも進んだ国のひとつだ」と日本政府の代表が国際社会に傲然と言い放ったこと。みんなが問題にしなければいけないのはその政府の態度だということ。逆転

  「時期がまずいよ、時期が!」。新しい時代の捜査手法と称して、無差別盗聴や他人を売り渡すぬけがけシステムなど、空恐ろしい捜査手法を登場させようとしている時なのに(寄稿「新捜査手法」問題を切る参照。)。安倍首相や谷垣法相の渋面が目に浮かぶ。

  裁判員制度は根本的な刑事人権侵害制度だという声が発足以前から上がっていた。そこに被害者の訴訟参加があり、そしていま新捜査手法の登場ですからね。中世の遺制どころか、中世への先祖返りと言ってもよいような状況が私たちの眼前で展開している。

  上田人権人道担当大使はおのれの言葉と態度と英語知識の全力を結集して、日本の刑事司法の極悪性を世界に知らせてくれた。

 「何と言われようと日本はこの方針で突っ走るぜ、誰にも文句は言わせねぇ、おめえらなんか黙ってろってんだ」と言ってのけたのだ。これに日本政府は慌てた。外務省は大使を退任させ、外務省参与も辞職させた。しかしそれは、日本はゆめゆめそんなこと考えておりませんというメッセージではない。その証拠に、外務省は「今回の退任・辞職は大使のシャラップ発言とは関係ない」とわざわざ論及した。「おめぇなぁ、言い方がなってねえんだよ。場所と状況をわきまえろって前から言ってただろ。APEC大阪会議の水増し請求で処分された時からお前は前科者なんだよ」っていう程度の話。

  上田前大使は今ごろきっと「麻生のナチス発言の方がずっと問題だろうが」なんて漏らしているに違いない。インコに言わせりゃ、アベノ目くそ鼻くそ内閣の下にいる人たちってみんなこのたぐいなのかなぁなんて思っちゃうよ。

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投稿:2013年9月23日

寄稿 「新捜査手法」問題を切る

市民生活の奥に入り込み、市民を裁判所に動員する「新時代」

 「刑事司法の在り方を改革する」。新方針が発表されたのは、裁判員裁判が始まった翌年の2010年でした。具体化は法務大臣の諮問機関「検察の在り方検討会議」に委ねられました。

  そのきっかけは大阪地検特捜部の「FD改ざん事件(村木事件)」です。裁判員裁判開始前月の07年7月、村木厚子厚生労働省局長(後に、同省事務次官)を「郵便不正事件」に関与したと見せかけるため、前田恒彦特捜検事が証拠品のフロッピーディスクのデータを改ざんしました。

  検察の信頼は地に墜ちたと政府・法務省は震え上がりました。だが、検察が暴走したのは裁判所が野放図に検察擁護に走ったからです。検察の腐敗と堕落の責任は裁判所とりわけ最高裁にあります。紅葉赤ライン

  松川事件では検察が被告人の無罪を証明する証拠を隠し続け、裁判所は有罪を言渡し続けました。最近では、足利事件でも布川事件でも似たようなことがありました。「検察には落ちるような信頼などそもそもあったのか」。

  事実が暴露され、前田検事は実刑判決が確定して下獄。改ざんを隠蔽したとして特捜部長と副部長には有罪が言い渡され、争う2人に今月25日、大阪高裁は控訴審の判決を言い渡します。

  司法など信用できないという思いが市民の間に一気に拡大しました。裁判員制度を崩壊させてはならないという問題意識を背景に、「在り方検討会議」は当の村木氏やジャーナリストの江川紹子氏や痴漢えん罪映画の周防正行監督などを加えて発足しました。

  司法の歴史を変える新しい動きになるのか、それともガス抜き猿芝居の始まりかと注目された「検討会議」は、その正体を明らかにします。今年1月、「検討会議」の特別部会がまとめた「基本構想」は、なんと捜査当局の捜査権限を徹底的に強化する内容のものだったのです。特別部会の作業分科会は法務省の関係者でがちがちに固められていました。そして、これらの著名委員の誰ひとりもこの動きに抗議して辞職したりしませんでした。紅葉流水ライン

  日弁連やマスコミは、市民は捜査当局に疑いの目を向けていると言い、裁判員裁判の時代に捜査の可視化は必須の要求だと言いました。被疑者取り調べの可視化の動きが少しずつ具体化しましたが、「一部の可視化」ではかえって捜査の正しさを示すことになるだけだと批判もされました(可視化万能論には到底与し得ませんが、そのことについては別の機会に触れることにします。)。

  法務省や警察庁は「可視化」で自白がとれにくくなることへの代償措置が必要だと執拗に言いつのりました。これまでは密室で取り調べていたから自白がたくさんとれていたと言うに等しいその主張は、語るに落ちるものとも盗っ人猛々しいとも言うべきものです。

  そして舞台は、法務大臣の諮問機関「法制審議会」の「新時代の刑事司法制度特別部会」に移りました。いまここで検討されているのは、盗聴の対象と方法の拡大、他人を当局に売り渡して自分が助かる司法取引、証人の住所・名前を被告人に隠す証人匿名化、被告人の黙秘権否定などです。

  最悪の例は盗聴の全面展開です。現在も盗聴を許す法律「通信傍受法」(1999年成立)があります。反対運動が国会を包囲し大もめの末に通った悪法でしたが、もめた結果、対象は薬物犯罪、銃器犯罪、組織的殺人、集団密航の4種類に限定され、盗聴には電話会社の職員が立ち会わねばならず、記録したデータは記録した都度裁判所に提出することが義務づけられました。

  十分とは決して言えないこの規制でも捜査当局には手かせ足かせと感じたようです。この規制を一気に取り払いほとんど無制限に拡大してしまいたい。対象を窃盗・強盗・詐欺・恐喝・殺人・逮捕監禁・略取誘拐のほか、「盗聴が必要有効な重大犯罪」に広げる。つまりほとんどすべての犯罪が対象になり、電話会社の立会も不要、裁判所提出もまとめて後でやればよいことにしたい。紅葉ライン

  証拠ねつ造検事は証拠ねつ造検察であり、その背景にねつ造擁護裁判所があります。裁判員裁判はこの国の司法が正統に行われてきたことを国民に教えることを目的とするとされますが、その説明は大笑いのでたらめ話だということを前田検事の証拠品改ざん事件ははしなくも暴露していました。

  「新時代の刑事司法制度特別部会」の論議は、この国の司法が汚辱と腐敗にまみれた歴史を抱えていることをあらめて国民に知らせています。このていたらくでは裁判員裁判に来てくれと言ってもついてくる国民はいません。

 新しい捜査手法を認めさせる法律は来春の国会に提出されるということです。司法当局は裁判員裁判を内側からつき壊すことに邁進しています。

きつねとたぬき

 

投稿:2013年9月20日

等質の時代背景は等質のスローガンを作る =第2篇=

「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」のルーツとは? 

 15年戦争の間、この国の国民が見舞われた戦争国策のスローガンの嵐。それはそのまま裁判員制度推進スローガンになりかわるものです。「等質の時代背景は等質のスローガンを作る」はインコのお山に伝わる大事な格言。第1篇に引き続き、第2篇は大戦突入の年以降のもので、今度も改変バージョンはすべてインコ謹製です。第2篇に入ると、もう改変の必要なんてないスローガンが続出します。「やっぱりねぇ…」。いえ、これはインコの独り言。

 国策スローガン、発表組織、発表年、その年の重大な事件、そして裁判員バージョンの順序も変わりません。ではどうぞ。

「強く育てよ 召される子ども」 日本カレンダー株式会社 41年 東条英機「戦陣訓」
「強く育てよ 呼び出しに備える子ども」
*将来、裁判の途中で倒れたりしないようにね

働いて 耐えて笑って ご奉公」 標語報国社 41年 国民学校令公布
⇒はい、もうこのままですね。

まだまだ足りない 辛抱努力」 日本カレンダー株式会社 41年 生活必需物資統制令公布
⇒はいはい、このまま使わせていただきます。

国策に 理屈は抜きだ 実践だ」 日本カレンダー株式会社 41年 独ソ戦開始
⇒完全にそのままですね。

「国が第一 私が第二」 日本カレンダー株式会社 41年 ゾルゲ事件
⇒「国が第一 二も三も四もなく 私は第五」

任務は重く 命は軽く」 中央標語研究会 41年 真珠湾攻撃・日米開戦
⇒何をいうことありますでしょうか。そのまま使わせてもらいます。

「一億が みな砲台と なる覚悟」 中央標語研究会 42年 公共料金一斉値上げ
⇒「一億が みな法壇に 乗る覚悟」
*でもね、国会議員、法務省の役人、中央官庁の高級官僚、各自治体の首長などは裁判員にならなくてよく、弁護士や法学部の教授などはなりたくったってなれないんだよ。

足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」 大政翼賛会 朝日、読売、毎日 42年 シンガポール占領
⇒やっぱりこのまま使わせていただきます。
*出頭する裁判員候補者がどんどん減っている。裁判官は呼出に一層奮励努力せよ

「欲しがりません 勝つまでは」大政翼賛会 朝日、読売、毎日 42年 翼賛選挙饉
⇒「辞めません 裁判が終わるまでは」
*途中でリタイアする人は約13件に1人の割合。1つの裁判で3人が辞めちゃってあわやの事例も。

デマはつきもの みな聞き流せ」 中央標語研究会 42年 ミッドウェー海戦大敗
⇒そのとおり。このまま使わせていただきます。
裁判員制度で司法が良くなったはデマ…大嘘です。

見ても話すな 聞いても言ふな」 中央標語研究会 42年 米穀配給通帳制に
⇒断然、このままそのとおり使わせてもらいます。
*評議の秘密は墓場まで。もし漏らしたら…「裁判員 口が滑って 被告人」です。

デマに乗り デマを飛ばせば 君も敵」 台北州防諜連名 42年 新聞1県1紙に
⇒これもこのままで良いでしょう。
*裁判員制度に対する批判はすべてデマにしたい? でも憲法違反のオンパレードなのはデマではなくて事実です。

「買溜に行くな行かすな 隣組」 大阪時事新報社 42年 「海ゆかば」国民歌に
⇒「制度から逃げるな逃すな 隣組」
*最高裁長官、「隣組」という住民相互監視システムの復活を願う?

「長袖で敵が撃てるか 防げるか」 中央標語研究会 43年 ジャズ禁止 ⇒
⇒「あなたの感覚で尋問できるよ 裁けるよ」
*裁判員がトンチンカンな質問したらすぐ休憩が入るってのは有名な話

「嬉しいな 僕の貯金が弾になる」 大日本婦人会朝鮮北支部 43年 電力消費規制
⇒「嬉しいな 僕の有休 御国に納める」
*ありたけの 有休を使って 見せられる 裁判劇ほど 憂きものはなし。 見たくもない遺体の写真を見せられて。中にはずっと寝ていた裁判員というのもいましたね。

「分ける配給 不平を言うな」 大日本婦人会朝鮮北支部 43年 衣料簡素化実施
⇒「分ける選任 不平を言うな」
*出頭してきて何で自分が選ばれちゃったのって文句言ってもダメ。補充裁判員はさらに不満が溜まるんですって。補欠って辛いね。

「初湯から 御楯と願う 国の母」 仙台市役所 43年 学徒出陣開始
「初湯から いずれ裁判員と 願う母」
*そんなことあるわけないでしょ。

「アメリカ人をぶち殺せ!」 『主婦之友』12月号 43年 イタリア降伏
⇒「制度に反対する奴らをぶち殺せ!」
*婦人雑誌も過激です。

「米鬼を一匹も生かすな!」 『主婦之友』2月号 45年 敗戦
⇒「いらないインコを生かしておくな!」
*インコは、法務省・最高裁指定の絶滅希望種です\(^◇^)

 さあ、どうでしたか。裁判員制度のスローガンとして歴史に残るのは、「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」。キャッチフレーズとして、最高裁が2005年9月に「選定」したもの。ほかにも、「裁判に深まる理解 高まる信頼」や「活かしましょう あなたの良識 裁判に」だの「国民と司法のかけはし 裁判員制度」なんてのもありました。

  15年戦争に突入した後、真珠湾攻撃から最初の半年、大多数の国民は「神国日本が負ける」などとは思ってもみなかったということです。しかし、対米開戦から半年後のミッドウェー海戦で大敗、その後は連戦連敗でしたが、情報統制の中で敗走を転戦と言いくるめ山のようなスローガンを並べ続けて国民を欺きました。欺されていると気がついた国民も、特高警察の監視下で声をあげることができませんでした。そして広島・長崎への原爆投下の後、やっと国は負けを認めたということ。スローガンなど何の意味も持たず、完全に敗れ去ったのです。

 逆に言えば、スローガンを並べ立てたのは、国民の心を掴めなかったことを証明するようなものだと言ってよいでしょう。

 裁判員制度は、その実施前から多くの国民が反対していました。実施後も国民の不人気は変わらず、不出頭者は増え続けていますが、最高裁長官は「概ね順調」と言って制度の持つ問題を直視しようとはしません。マスコミも大本営発表を報道するのみです。ついには福島の女性が急性ストレス障害で国賠訴訟を起こすに至りました。これから何が起きて最高裁は白旗をいつ上げるのでしょうか。

 最後にもう一度、最高裁の選んだ裁判員制度のスローガンを見てみましょう。

裁判に 深まる不審 高まる不満  

活かしましょう あなたの良識 くじ逃れに

国民へ司法の裏切り 裁判員制度

私の視点、私の感覚、私の言葉で制度は廃止  

 猫掲示板

投稿:2013年9月18日

書籍紹介『グロテスクな民主主義/文学の力』

天高くインコ肥える秋、そして読書の秋。33

 インコお薦めはこの一冊! 

西永良成著『グロテスクな民主主義/文学の力』
 (ぷねうま舎 2013年8月21日発刊 2600円+税

 同時代に投じる文学の紙つぶて
19―20世紀の苛烈な政治の季節を生きた一群の作家・思想家に、政治の貧困/貧困の政治を学ぶ。
 このグロテスクな現実と対決するために
(同書帯文)

 西永先生といえば、フランス文学者にしてフランス現代思想の泰山北斗。その深い考察力に圧倒され、『レ・ミゼラブル』を知っていた気になっていた浅薄さを恥じるインコ。それにしてもナポレオン3世の時代背景がなんと現代日本を彷彿とさせることか。そしてサルトルとカミュの時代、フランスの文学者たちと裁判批判における「カラス事件とドレフェス事件」まで読み進んだとき、フランスの参審員制の問題が登場。

 その註で「裁判員制度」についての一文をみつけた。

 フランスの参審員制と日本の裁判員制度とは深い関係にあるからですが、裁判員制度の問題に対する明快なご指摘に全文引用。

*1 その後の法改正によって、現在では参審員の数が6名になっている。

 なお、日本では国民の裁判参加権を認める「裁判員制度」が導入――樋口陽一先生のご教授によれば、戦前にこの制度が一時・一部存在し、その後「停止」されていたのだから「導入」ではなく「復活」――は賛否両論に分かれてさまざまに論議され、いまだに最終的な結論を見ていない

 ただ、私個人はおよそ半世紀まえに川島武宣が嘆いた「日本人の法意識」およびトクヴィルが言った「社会状態」、あるいはこの国のマスコミの言う「民意」なるものの現状を考えると、かりにじぶんがなにかの犯罪をおかし、出廷することになっても、まずこの制度自体に不服を言い立てるだろう。

 これは本書の註で扱うにはあまりに重大な問題であり、くわしくは国民必読の書ともいうべき高山俊吉著『裁判員制度はいらない』(講談社+α文庫、2009年)にゆずる。

 ただ、つい最近も裁判員を務めたあとに急性ストレス障害と診断され、国家賠償請求訴訟を起こした女性が、「病気」を理由に会社から解雇通知を受けるといったような、深刻な人権・社会問題が『毎日新聞』に報じられている。

 そもそも相手を充分に理解するまえに性急かつ安易に裁いてしまうのは、人間に特有の宿痾ともいうべき愚かしくも嘆かわしい現象であるが、まして高山俊吉弁護士じきじきのご教示によれば、この国の裁判員制度はフランスの旧参審員制度、すなわちヴィシー政権下のきわめて反動的・抑圧的な裁判制度に酷似しているという事実は、けっして看過できない問題だろう。

 元来分立されているべき行政と司法が同じ非文明的な旧いメンタリティーから発していると推定せざるをえないからだ。猫と葉っぱ上

 =同書紹介文=
 あらゆる規範を失った政治が醜態をさらし、文学の終焉が語られて久しい。!
 文学はこんにち、生へのアクチュアルな発信を断念し、政治的現実への無残な絶望を前に、ついに自閉してしまうのか。
大作『レ・ミゼラブル』を皇帝権力に抗っての亡命下に書き継いだユゴー、身をもって政治参加を生きたサルトル、グローバル化という民主主義の負の未来を見事に予言したトクヴィル……
時代の権力とそれぞれの仕方で向き合った思想家たちの闘いに耳を澄ます。
 ここには断念することを知らない精神と、私たちの同時代への驚くべき予言と、言葉と権力との秘密めいた関係をめぐる明晰な意識とがある。
 著者の半世紀を賭けた文学的試行を集積する「文学と政治」論集。

=目次=猫と葉っぱ下
はじめに 文学と政治
  『レ・ミゼラブル』の現代性
──ヴィクトール・ユゴーとその時代──
第一章 歴史小説としての『レ・ミゼラブル』
第二章 ユゴーとふたりのナポレオン
──『レ・ミゼール』から『レ・ミゼラブル」へ
第三章 『レ・ミゼラブル』と現代
 文学と政治参加
──ジャン = ポール・サルトルとアルベール・カミュ──
第四章 サルトルと私
第五章 神も理性も信じない人間
──アルベール・カミュの『異邦人』
第六章 もうひとつの文学行為
──フランスの文学者たちと裁判批判
第七章 歴史への責任
──アンドレ・グリュックスマン、サルトルを語る
 グロテスクな民主主義
──トクヴィルとフローベール──カフェ
第八章 トクヴィルの現代性
第九章  恋愛・金銭・デモクラシー
──『ボヴァリー夫人』の時代
あとがき 私のフランス文学周航

投稿:2013年9月17日

裁判員制度は大量死刑執行のトリガー!?

 谷垣法相は、9月12日、3度目の死刑執行を行った。執行されたK氏の1審判決は無期懲役、死亡被害者1人の事件でしかも自首しており、既に73歳という高齢者であった。 谷垣法相による最初の執行は就任わずか2カ月足らずの本年2月21日。2度目の執行は4月26日、そして今回と約3カ月に1度の執行は、死刑という殺人行為に痛痒を感じない大臣であると言わざるを得ない。月見て跳ねる無地

 それにしても、いつから私たちの社会は、「殺せ」とか「早く吊せ」とか言い募るようになったのか。

 永山第1次上告審判決の1983年から司法制度改革審議会が発足した99年まで、1審死刑判決は毎年1桁台、99年の確定死刑囚は50人と一応は慎重な姿勢が続いていた。

 しかし、司法制度改革が本格化した90年代末頃から刑事裁判は求刑も判決も明らかに重罰化にシフトし、死刑判決は00年(1審14人)以降ずっと年2桁台が続くようになった。裁判官の意識は「迷ったら無期」から「迷っても死刑」に変わったとも言われたが、この時期は裁判員制度の検討と準備の期間に完全に重なった。その極めつきは光市殺害事件第1次上告審判決(08年)である。

   刑事弁護士の中には、裁判員裁判で冤罪が減り死刑判決も少なくなると期待した向きがあった。市民が参加すれば無罪判決も増え、量刑も権力的な重罰指向から被告人への理解指向に変わると考えたのである。しかし現実はどうだったか。月見て跳ねる

 非公開の場で争点が「整理」され、法廷で裁判の進め方を決めるやり方が完全に封じられた。裁判は迅速最優先になった。裁判員裁判が始まって1年余の10年11月に第1号の死刑判決が出、今までに20人に死刑判決が言い渡された。これまでなら無期刑だったかと思われるケースでも死刑判決が続いている(例えば、千葉地裁11年6月30日判決の千葉女子大生殺害事件は被害者が1人。13年2月14日判決の同僚女性殺害事件も被害者が1人で被告人は前科もなかった)。

 2月21日の執行時、「法務省内には『裁判員裁判で死刑判決が相次いでいる。市民も参加した裁判の判断に、行政が待ったをかけるのはおかしい』との声」という報道がなされ、今回の執行でも「裁判員裁判で、市民が苦悩した上で死刑を選択していることもあり、同省(法務省)内では『執行が滞れば、死刑制度の形骸化につながりかねない』との危機感が強い」という報道があった(9月12日『読売新聞』夕刊)。  

  国民は苦しみながら死刑判決を言い渡しているのだから、法務大臣は進んで執行しろと言うのであれば、大量執行を促すトリガーの役割を裁判員に果たさせようとしていることになる。

 裁判員制度は人を家庭から裁判所に駆り出し、日常感覚の中に法的殺害を受容する素地を作るものだ。軍事行動を諦めない国は死刑制度に固執すると言う。国民に人を裁かせ死刑判決を繰り出させる日本はいったいどこに向かおうとしているのか。インコはおそろしい。

月見

 

 

 

投稿:2013年9月14日

幻想を振りまく若者たちと幻想に踊る人々と

島根県の日本司法支援センター(法テラス)の弁護士が、市民講座「よくわかる刑事裁判のしくみ」で刑事裁判の流れや裁判員裁判の評議について市民ら約15人に話したとの報道がありました。講師は法テラス島根や法テラス浜田所属の若い弁護士たち。(読売新聞9月8日島根県版、記事全文は「インコつつく」参照)。

 強盗致傷事件の模擬裁判を行い、被告人が有罪か無罪かを話し合ったが、被告が犯人と断定できる証拠がなく、結論は見送りになったとのことです。どんぐり下2個

 講師の弁護士は「裁判員に必要なのは法律の知識よりも経験則。裁判官の意見に流されず、評議で疑問に思ったことは聞いてほしい」と訴え、参加した松江市の男性(44)は、「映画やドラマで見ているような世界を体験でき、興味深かった。裁判員裁判は難しいと思っていたが、身近に感じることができた」と話したとありました。

この弁護士と市民の意見を考えてみます。まず弁護士。「裁判員に必要なのは法律の知識よりも経験則」というのは、この制度が登場した時から、最高裁・法務省が常に使ってきた言葉です。例えば、裁判員法が成立した翌年の2005年には、町田顕最高裁長官は「常識に照らして判断すればよい。市民に過大なことは求めない」と言っていました。どんぐり上下

でも、裁判は常識や経験則から離れてはいけないということと、裁判は常識や経験則だけでできるということは意味がまったく違います。裁判はもともと簡単にできるものではないのです。簡単にできるのならなぜ知識と経験を積んだ法曹がこの世界を仕切っているのかということになります。

どんぐりリス右 若い弁護士たちは、法曹の知識経験と市民の常識が解け合うところにこの制度の妙があるという「美しい融和」の世界を説明しているつもりなのでしょう。でも、ここにはとんでもないからくりがあります。その一つは、法曹に市民常識が欠けているのなら(それは確実に言える!)、法曹に市民常識を備えさせるべしという結論になるだけです。なぜ裁判官をそのままにして「市民参加」を言い出すのでしょうか。

 もう一つは、裁判官と市民の間に対等性はまったくなく、そこに美しい融和などある訳もないということです。そのことは、講師を務めた弁護士が「裁判官の意見に流されず、評議で疑問に思ったことは聞いてほしい」と言ったところによく表れています。裁判官は、その都度その都度圧倒的な権威で結論を決めてゆく。しかもいかにもみんなで考えた結論のように見せかけながらやってゆく。「見えない路線が引かれていた」と評した裁判員がいましたが、評議室の実態は正にそのとおりなのです。

 この弁護士はそのからくりに少し気づいているから、「流されるな」「疑問はぶつけろ」と言うのです。しかし、それを言うのなら、「法律知識と常識の融和」と「強引なリードとの闘い」が整合しないことをどうしてきちんと説明しないのでしょうか。普通の市民はそこに矛盾を感じます。どんぐりリス左

 さらに一つ。「疑問に思ったことを聞く」と説教を垂れても実際には意味がないということ。評議室のリアルな風景を知らない者だけがこんなことを言います。ストップウォッチをちらつかせて弁護人を恫喝する裁判長です。公開の法廷で専門家の法曹に対してさえそれだけのことをやれる裁判長が、密室の中で西も東も分からない市民を相手にどういう姿勢でいるか(腹の底で考えているか)、その真実を知らずにどうして市民に抵抗精神を植えつけられるのでしょうか。

 論点を市民に移します。「映画やドラマで見ているような世界を体験でき、興味深かった」と参加した市民が言ったという。だが、裁判は「映画やドラマ」では断じてありません。それは、被告人の人権を侵害しないように細心の注意をはらいながら、真実を究明し責任の有無や責任の程度を判断してゆく気の遠くなるような冷徹な論理の世界です。

 裁判を「映画やドラマ」のように興味本位で受けとめることほど有害なことはありません。一方の言い分が他方の主張を圧倒したという風景からおもしろさを感じ、そういう角度から刑事裁判に関心を持つのをゲーム感覚裁判といいます。ゲーム感覚で裁判を考える社会は、ローマのコロセウムを思い起こさせる異様な世界です。

 「裁判員裁判は難しいと思っていたが、身近に感じることができた」と受け止めたといいます。このような理解の仕方は、本来の刑事裁判の見方とも本来の市民社会の見方とも正反対の位置にあります。刑事裁判は難しいものであり、刑事裁判を身近に考えねばならない社会は間違いなく病んだ社会です。裁判員制度は確実に病む市民を作っています。

 この模擬裁判の評議では、被告が犯人と断定できる証拠がなく結論は見送りになったということですが、結論が見送りになるのはゲームだからできること。怖いのはバーチャルとリアルを一緒に考えてしまう市民がいることと、制度の病理をさして異としない弁護士がいることです。いや、実は裁判員裁判に抱えきれないほどの悩みを抱える市民と弁護士を、メディアが歪めて報道しているのかも知れません。本当に解剖すべきことはそのあたりでしょう。

秋のライン 

秋のラインリス

 

 

 

投稿:2013年9月11日

等質の時代背景は等質のスローガンを作る 

「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」のルーツとは?
            =第1篇=

 15年戦争の間、この国の国民は老若男女を問わず、激しい戦争国策スローガンに見舞われました。それは今そのまま裁判員制度推進スローガンとして使われてもおかしくない内容ばかり。「等質の時代背景は等質のスローガンを作る」はインコのお山に伝わる大事な格言。改変バージョンはすべてインコ謹製です。第1篇は第2次世界大戦前、第2篇は大戦突入の年以降です。
 なお、第1篇、第2篇とも、『黙って働き 笑って納税』(里中哲彦編・現代書館刊)を参考にさせていただきました。

 まずは第1篇。国策スローガン、発表組織、発表年、その年の重大な事件、そして裁判員バージョンの順序です。

「燃える心を 身で示せ」 愛知県 1934年 東北地方大飢饉
⇒「裁く心を 身で示せ
*不出頭は許しません。でも無断欠席を処罰できません

「進め日の丸 つづけ国民」 報知新聞社 35年 美濃部達吉天皇機関説
⇒「進め裁判員 つづけ国民
*裁判員経験者の中には制度推進の旗振り役になっている人いますね。大多数の経験者が沈黙している中で…

協力一致 強力日本」 松陽新聞社 36年 2.26事件
⇒このまま使わせていただきます

 
「胸に愛国 手に国債」 大蔵省 37年 文部省『国体の本義』配布
 ⇒「胸に愛国 手に六法」 
*あっ、法律の知識なんて裁判にいらないんだった…

「黙って働き 笑って納税」 飯田税務署 37年 盧溝橋事件
 ⇒「黙って働き 笑って判決」 
*そういえば、『裁判員を楽しもう!』っていうトンデモ本があったね

「勇んで出征 進んで納税」 大阪府仙北郡 38年 国家総動員法
⇒「勇んで出頭 進んで尋問
*被告人に対して「むかつくんです」と言い放った裁判員もいましたね

「これではならない 戦地へすまぬ」 家の光社 39年 大学軍事教練必須化
⇒「逃げてはならない 被害者にすまぬ
*被害者の落ち度を主張すると逆効果とか…

「祖国のためなら 馬も死ぬ」 北海タイムス 39年 米配給制
⇒「祖国のためなら 心も折れる
*お国のためならPTSDになっても構いません?

「笑顔で受け取る 召集令」 北海タイムス 39年 ノモンハン事件
⇒「笑顔で受け取る 呼び出し通知
*笑顔で受け取れないからこその…

己のことは後廻し」 文藝春秋社 39年 国民徴用令・価格統制令公布
⇒これもこのまま使わせていただきます

「贅沢は敵だ」 国民精神総動員運動中央連盟本部 40年 斎藤隆夫反軍演説
⇒「制度廃止論者は敵だ
*竹崎最高裁長官はそう思っているでしょう

「家庭は小さな翼賛会」 松下電器株式会社 40年 内務省「敵性語追放」
⇒「家庭はしつけの裁判所
*「裁判員の経験は家庭のしつけにも生きてくる」とは検察庁幹部のお言葉

「りっぱな戦死とゑがほの老母」 名古屋市銃後奉公会 40年 国民体力法公布
 ⇒「りっぱに倒れたと笑顔の家族
*そんな訳ないでしょ

「何のこれしき 戦地を思へ」 名古屋市銃後奉公会 40年 日独伊3国同盟
⇒「何のこれしき 被害者遺族を思え
*被害者参加制度で法廷は感情が支配する…たとえ被告が無実を訴えていても

「この子育てて 御国へつくす」 名古屋市銃後奉公会 40年 大政翼賛会設置
⇒「この子育てて 死刑言い渡させる
*君裁くことなかれ 親は法壇に登らせて 人を裁けと教えしや 人を裁いて死刑を言い渡せと ならば裁判官になりなさい 

月見うさぎすすき野

 

投稿:2013年9月10日

高裁で裁判員裁判の有罪に逆転無罪、最高裁が無罪を支持

弁護士 猪野亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。猪野弁護士のご了解の下、転載しておりま月見だんごうさぎ

 最高裁は、2013年9月3日、福岡高等裁判所が一審(裁判員裁判)の有罪判決を破棄し無罪とした判決(2011年11月2日判決)に対し、上告を棄却しました。
放火事件、逆転無罪確定へ=裁判員判決を二審破棄―最高裁」(時事通信2013年9月5日)
  裁判員裁判で有罪の判決に対し、高裁で破棄、無罪とした事件で最高裁が無罪判決を支持するのは初になります。

 2011年10月18日には、同じ福岡高裁で、一審の有罪判決に対し、同じように逆転無罪判決が出ていました。この判決は刑事責任能力がないとして無罪としたもので、検察側は上告を断念し、無罪が確定していました。
 立て続けに一審(裁判員裁判)の有罪判決が高裁によって破棄されたことになります。

 今回の無罪判決で改めて、裁判員裁判の意義が問われることになります。
 一審判決に関与した裁判員が福岡高裁の無罪判決を聞いた上での感想が当時の新聞に報じられていますので、改めて見ておきましょう。

西日本新聞2011年11月3日記事
一審で裁判員を務めた40代の会社員女性は高裁判決後、取材に応じた。「無罪になるかなと思っていた。状況証拠を重ねても被告が絶対に犯人だとは言えない。疑わしきは被告人の利益に、との刑事裁判の原則からプロの裁判官が判断したのなら仕方ない」と冷静に受け止めた。

 絶対に犯人だとは言えないと言いながら自分が有罪判決に関わったことをどのように考えているのでしょうか。この感想からはこの元裁判員は「有罪」に賛成したように見えます。自分が有罪判決に加わったという自覚と責任をどこまで感じているのか疑問を感じさせる感想です。

 もともと、裁判員はお飾りという指摘もあったのですが、刑事裁判を適正化するという観点から裁判員には何らの存在意義も認められません。刑事裁判にとっても国民にとっても弊害があるだけです。 月見すすきうさぎクレーターなし

 マスコミ報道では、「裁判員は難しい判断を迫られる」という表現を見ることが多々ありますが、実際には裁判員は「難しい判断」などしていないのです。

 裁判員は、裁判官の誘導に従い、あるいは自分の思うままに意見あるいは感想を述べているだけであって、責任を自らに帰属させる自覚の基に発言しているわけでありません。極論すれば裁判員は単独で判断などできるはずもないのですから(そうであれば本来は「参考意見」に留まるべきものです。自分で考えたというのであれば、その判決について理路整然と自分の言葉で説明できなければならないのは当然求められることです。)、制度としては欠陥そのものなのです。

 判決に責任の所在が裁判員にもあるというのであれば、判決の中に裁判員全員の名前を裁判官と同じように連ねなければなりません。
 国家権力を行使するにあたっては責任の所在として担当した者を特定することは当然の要請ですが、裁判員裁判では、この点は見事なまでにブラックになっています。裁判員は責任を負わない制度であり、このような人たちが裁くのが裁判員裁判だということを認識する必要があります。

 とはいえ、名前を出すなどということになれば、今以上に国民の裁判員制度への拒否反応は増大することは間違いありません。
 もともと裁判員の名前を出さないとしたのは、国民が裁判員裁判を拒否しているという実態を十分に認識していからです。
 「名前を出さないからね、誰でもできる判断だからね。」ということで国民を懐柔しようとしたにすぎません。
 国民が裁判員になることに拒否反応を示しているのは動かしがたい現実であり、裁判員制度は即刻、廃止すべきものなのです。 月見うさぎ

 

 

 

 

 

投稿:2013年9月6日

見直さない 見直します 見直す 見直すとき…??

 9月4日。1部メディアに次の記事が流れました。大手全国紙に出ていないとか、「取材で分かった」という『東京新聞』と『msn産経ニュース』の記事が完全な同文(ただし『産経』は「盛り込まれる。」で記事終わり)という、変なリーク記事(?)です。

  審理が年単位の『極めて長期間』に及ぶ事件を裁判員裁判の対象から除外できる規定を盛り込んだ裁判員法改正案を、法務省が10月、法制審議会(法相の諮問機関)に諮問することが3日、同省への取材で分かった。
 法務省の有識者検討会が6月にまとめた最終報告に沿った内容で、来年の通常国会への法案提出を目指す。
 裁判員法は、暴力団事件など裁判員らに危害が加えられる恐れがある場合のみ対象から除外できると規定。改正案では「負担が重すぎて裁判員の選任が困難になる」として、長期審理の事件も除外対象に加える。このほか、地震などの大災害時に裁判員候補者に呼び出し状を送らなかったり、選任手続きで候補者に事件の説明をする際に性犯罪被害者の氏名を伏せたりできる規定も盛り込まれる。
珈琲 一方で①評議の内容に関する裁判員の守秘義務を緩和する②性犯罪や死刑求刑事件を対象から除く③全員一致の評決を死刑判決の条件にする―措置は見送られる見通し。
 裁判員法は付則で、施行から3年経過後の見直しを定めている。

 法務省は「見直さないという内容の見直し案」を法制審に諮問するという死ぬほどしょーもない記事。「審理が年単位の『極めて長期間』に及ぶ事件」なんて、裁判員制度の下ではあり得ないでしょ。審理を年単位などにしないためにこの制度が導入されたのだから、当然のこと。国民は、何年も拘束されるからイヤなんじゃなくて、裁判員に呼び出されること自体がイヤなんです。

 「地震などの大災害時に裁判員候補者に呼び出し状を送らない」って? 東日本大震災のような大災害の時に呼出状を送らないなんて、ありがたすぎて涙も出ない。だいたい原発事故がまた起きるかも知れないって法務省が考えていることの方が大々問題じゃないんですか。

 「性犯罪被害者の氏名を伏せたりできる」ことのおかしさ・あやしさについては、本欄でも最近触れたばかり(密室・暗黒裁判に逆戻り…!?珈琲2

 それでもって「評議内容の守秘義務緩和」も「性犯罪や死刑求刑事件の除外」も「死刑判決の全員一致要件」も見送るって言うんだから、何とか手直しをしていただいて制度温存の旗振りをさせて下さいと言っていた日弁連もこれじゃぁ顔色なしです。ちょっとぐらい私たちの顔も立ててよという恨み節がインコにも聞こえてきます。

 見直せばよくなるような制度じゃない。見直すと言えばどうして見直すのかとかそれでもダメとか議論百出になることが確実。国民に嫌われ、背を向けられ、現場にも「厭制度」気分がまん延している中で見直しなどと言い出したら、それこそ「終わり」の時が直ちに来てしまう…

 2004年、何としても裁判員法を成立させようと、政府は「未解決問題は制度実施3年後に再検討」というカードを切って制度を発足させました。09年の制度実施で3年後は12年。だが、この間に国民はどんどん制度から離れていった。3.11で、「もうやってなんかいられない」状態に国民の大半が入ってしまったのです。

 で、政府は「見直さないという内容の見直し案」を出すしかないところに追い込まれたっていう訳。

 制度を推進する最高裁が制度は合憲だという判決を出し、制度は見直さないと結論を出している法務省がそれでよいかと法相の諮問機関に尋ねる。お笑い茶番劇が繰返される中で、制度は自壊のホームストレッチに突入です。

*併せてお読みください

有識者会議=有害者会議?!

法務省「検討会」取りまとめ報告書を読んで  弁護士 川村理

法務省検討会―検討してこれですか?

寄稿「裁判員制度の見直しをしないと言ったということは」

お茶の時間

 

投稿:2013年9月6日

『裁判員制度廃止論』謹呈本をいただきました

花伝社から「著書・織田信夫様のご依頼によりご送本申し上げます」とラベルの貼られた封書が送られてきてきました。中を開けると『裁判員制度廃止論』が。わーい\(^◇^)/

嬉しいので、もう一度、ご紹介します。

『裁判員制度廃止論』978-4-7634-0675-0

出版社:(株)花伝社

著者:織田信夫 

発行:2013年8月

国民への強制制を問う

劇場と化した法廷 裁判員制度を裁く

裁判員制度施行から4年…

国民への参加義務の強制と重い負担

刑事裁判の変容

最高裁の制度定着への並々ならぬ意欲…

裁判員制度はこのまま続けてよいのか(同著・帯から)

 

著者紹介

1933年 仙台市にて出生

1956年 東北大学法学部卒

1963年 判事補

1970年 弁護士登録(仙台弁護士会)

1988年 仙台弁護士会会長

1989年 日本弁護士連合会副会長

1999年 東北弁護士会連合会会長

秋桜

投稿:2013年9月5日

密室・暗黒裁判に逆戻り…!?

 「名前を言う訳にはいかない女性に、内容を詳しく言う訳にはいかないが、わいせつな行為をして傷害を与えた。よって被告人を無期懲役に処す」と言われたらあなたはどうしますか。坊主猫

 裁判員制度と歯車をかみ合わせて登場した被害者参加を背景に、被害者の名前を匿名にしようという動きが盛んになってきています。「性犯罪の再被害(セカンドレイプ)を許さない」と、この一見もっともらしい口実で時代はとんでもない方向に暴走しようとしています。

 子どもが見ず知らずの男に公園のトイレに連れ込まれてわいせつな行為をされ、写真を撮られた(と検察は言います)。しかし、検察は被害者の名前を示しませんでした。

 裁判所は、これでは起訴内容が特定されていないとして、被害者の名前を明らかにするよう検察に命じました。検察が裁判所の命令に従わなければ、控訴が棄却されることになるだろうと観測されています。裁判所の姿勢はからくも健全ですが、果たしてこれからどうなるでしょうか。

 被害者の氏名を匿名のままにしてよいのでしょうか。刑事訴訟法第256条第3項には、「公訴事実は、訴因を明示して記載せよ。訴因を明示するには、できる限り日時、場所、方法をもって罪となるべき事実を特定せよ」とあります。

 訴因とは「犯罪の具体的な事実」のことです。検察官は、被告人が犯した罪の内容を明示しなければいけません。あいまいだと裁判所は裁く対象ががはっきりしないし、被告人や弁護人はどう防御するかをめぐって窮地に立ちます。訴因の特定は文字どおり裁判の命です。

 怪我をさせた相手の氏名などを特定しなければ訴因の明示を欠くことになるというのは法律家なら誰でも知っている常識(大阪高裁昭和50年8月判決)。

 少しでも考えればわかることですが、どんな犯罪も非常にプライベートな関係の中で敢行される超プライベートな行動です。私的な世界の中で犯罪は行われています。そして、こそ泥でもスリでも交通事故でも、被害を受けた人がそのことを自ら公にしたがることは普通ありません。人に知られることを望まないのは性犯罪に限らないのです。だから、被害者匿名論はここから際限もなく広がっていくことになります。地団駄2

 刑事裁判というのは、本来なら他人に知られることもなく、知られたくもなかった事柄を白日の下にさらして、このような事実が現実に存在する以上、罪を犯した者を刑務所に送り込みたいと言う国家の意思を理解してほしいと広く国民に了解を求める仕組みです。

 秘密裡に犯罪が認定され、理不尽にも監獄や死刑台に送り込まれた痛恨の歴史経験の中から、国家権力が人を処罰する時には誰のどのような行為を問題にするのかを疑問の余地なく明確にせよという大原則に到達しました。裁判の公開の原則も同じ思想に立っています。

 匿名化は、被害者保護の名の下に、この基本的な考え方に真っ向から挑戦します。被告人の人権を保障しながら真実を究明し必要な制裁を考えるという近代刑事法の思想をうち破り、密室・暗黒裁判の時代に逆戻りさせることになります。

 これまでの常識が常識ではなくなり、「被害者の名前なんてわからなくてもいいじゃん」となる危険が生じています。裁判員裁判のもと、裁判所が、検察に歩調を合わせて、被害者の名前を明らかにしなくてよいと言い出す危険が迫っています。

 被害者が望んでいないとして誰に対する犯罪かも分からず、被害者が望んでいないとしてどんな罪を犯したのかもよく分からないままに、被害者の家族と称する人が法廷に出てきて、あなたを糾弾する…大漁猫

 

投稿:2013年9月3日